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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

迷い

私が少しずつ自分を解放するために必要なことは、
自分が自分を尊重することだと思った。

ずっとそういい続け。

いまだ、それが怖いし、どうやってやっていいか分からない。
そうじゃないやり方で生きてきたから、それをわざわざ択んで
続けるのにはあまりに未熟で不安定で道ができていない。

そう、私はこれだけ生きても、自分の道を歩いたという経験がない。
だから道を作っていかないといけない。
それは80年生きようが、100年生きようが、同じ。

もし80歳くらいで自分の欺瞞にやっと気づいたなら、
ただでさえ弱虫なあたしは諦めただろう。
ここまでこうして生きていたんだから、と
あふれるほどのそれらしい言い訳を動員して。

でも、今ならまだ間に合う。
だから、今気づかせてもらえたんだ。
もう考えるのもつらいのも嫌ならば、
すべて投げ出してしまえばええやんか。
何もなかったことにして、自分を大切にしない人に拘りつづけ、
名声を追いかけて、人とは表面的なことを比べあって、
カタチあるものをどんどん手にいれていくことだけを考えれば
ええやんか。
その先には何が?

斎藤学の本立ち読み。
「他人に反応して行動したり、他人を罰しようとすることから得るものは
ほとんどありません。抑圧された感情を他人に投影するのをやめれば、
気に入らないと思った相手の行動も私を傷つけようとやっていたのでは
ないことに気づく。・・・・」

言ってみよ。
無意識に抑圧することに慣れたこの感情を言ってみよう。

昨日、台湾の友達に思ってること話したら、
すごくあたたかく受け止めてくれたねん。
作ったけど捨てようとしたケーキも、台湾まで送って!って言う。
あたしの内面を知っても、そんなあたしが好きやでって言ってくれる人。
そういう人を大切にすればええやんか。
山田詠美も言ってたぞ。
Q「詠美さんはなんでそんなにモテるんですか?」
A「私を好きな人を好きになるから」

それのどこがあかんねん。
そんなんじゃ成長がない、とかいっても、
じゃあ今の自分は成長しとんのか?

まずはとにかく、自分を大切に思ってくれる人に本当に感謝する。
なんでこんなあたしなんかを?って思うのを手放して、
あたしに見えてないものがあると信じて、この人たちは心が広いんだと
感謝して、大切にしたい。

他人を責めるなんて意味がないって思ってる。
だけど、その理性の奥では激しく怒っている。
なんで怒ってるの?
なんでふたをしてもしても溢れてくる怒りがこんなにあるの?

そうして、気づいた。
あたしは、他人に怒ってたんじゃない。
自分を全然大切にしない自分自身にとてつもないほどの怒りを抱いている。
「何でもっと自分を大切にせえへんねん、お前は!」

自分を大切にしない&自分を大切にしてくれる人を大切にしない。
だから、全然見当違いな人間関係に魅力を感じてしまう。
でもさ、自分が一番分かってるやろ。
あたしはそんなことに向いてないって。
そんなことで感じる苦しい思いは、試練なんじゃなくてシグナルなんやって。
過食と一緒やねんってば。「そこちゃうねん!気づけや」の一言やんか。

抑圧された感情を他人に投影していて、何か鎖につながれている気になっていた。
あたしは、理不尽な何かに絶対的に支配されている気がした。
大分先のほうに少しだけ光が見えるんやけど、とてもじゃないけど
そこには届かない気がしていた。
でも、よーーくみたら、私は誰にも何にも支配されてなんかなかった。

誰かを恨むことで救われるならめいいっぱい恨めばいいと思う。
けど、あたしはそれをしたくもなかったし、するつもりもなかったし、
何より恨んでなんかなかった。
だって、あたしが択んでやったことだったもん。
嫌なら嫌だと言えばよかった。
あたしの感情を発したいなら言えばよかった。
でも何も言わないことを択んだのはこのあたし。

だから、あたしが恨んでいるのも怒っているのも、うそつきの自分に対してだった。
今さえよければいい、というその場しのぎの無責任で弱虫な自分に対してだった。
そして、人間の矛盾や弱さを全て排して何でもかんでも綺麗に片付けようとする、
まったく筋違いな悲しい自分に対してだった。


目を見開いて、心を開いて、見てみよう。
目の前のことの本質は、きっと自分が見えているものとは違う。

彼から離れられなかったこと、それは不幸ではなかった。
どうして自分がそんな行動をとり続けたのか、を見て自分の本質に近づけるから。

他人と自分の同一化。彼の凄さと彼のダメさを自分の中に取り込むことで、
自分の現実から目をそらす行為。
自分は、意識すれば有る程度までは、自分と向き合おうとできるんやけど、
ある点からはいままでそうやって生きてきたことがないために、
意識して新たな道をしっかり踏みしめていかなければならない。
それが、苦しくてたまらない時、ふと横を見たら人がいる。
だから、そっちに主体を移す。
樂をしている意識なしに、人と共存しているつもりになって、
ダメなこともめをつぶって、なんだか前に進んでる気になる。

そんなとき、自分に踏みとどまらないといけない。
こっちに何かあるかも?と思っても、ない。
人間関係というのは、そこで簡単に主体を他人に明け渡してしまう人間には
築けないものなんだ。

でも、そんなとき、一緒にがんばれる他人だっているんじゃないかと思う。
私が私でいるために、あなたがあなたでいるために、
それから逃げようとしたときお互いを制する愛情を持てる関係が。
遠くには何人かいるけど、今自分のすぐそばにはいない。
今はそれを諦めないこと、だと思っている。

彼とそういう関係を築けたら、私たちはきっとすごく大切な関係になれると思う。
でも、今の私は、依存と尊重の二つの関係の間をいったりきたりしてごちゃまぜにしていた。
表面的に彼を切ろうと、つながりつづけようと、本質は変わらない。
私は、「これがあたしです」と彼に言えるようになって初めて人間関係がスタートする。
だからまだ何も始まってはいなかった。
だからカタチだけ終わらせても無意味なのだ。

目先のことに惑わされないで。
そうだ。
「本当の出会いに別れはない」だった。

そういえば、昔Nさんと知り合ってあまりたってないころ、
Nさんは私のことを理想化していたようで、
いきなり告白されたことがあった。
あたしは、そのときもねじれの位置みたいな男に恋をしていて、
断ったけど、えらい気まずいことになってしもうた。
しかし、それからも私たちはなんとなく連絡をつづけたり、
連絡が滞ったり、いろいろしながら3年くらい経った今、
とてつもない深いつながりを感じるようになった。
縁がある人とのつながりは恐ろしいほど深いんだ、と。
同じときに、同じことに気づいたり、
同じときに、同じことを考えていたり、
いろんなもののルーツが繋がっていたり。

私たちは本当に縁があったんですね。

そうとしか言えなかった。
現世では三年前に会ったけど、きっとずっと前から繋がってた。

向こうは、「自分はきっと前世で○○さんにストーカーしとったと思うわ」
と言っていた(苦笑。

そんな冗談はどうでもいいけど、とにかく縁ってすげえ。
だから、目先のことにとらわれないで、やれることをやってみたほうがいい。
あの時、Nさんが何をしようと、私たちはこうして今も繋がっていたと思う。
あたしが摂食障害だろうと、なんだろうと、ものの本質を見ようとする
彼にはどうだってよかったのと同じように、
彼がどんな環境にいようと、どうだっていい。本当にどうだっていい。

私も、人の表面じゃなくて、内面を見つめることができるんだ、
そう信じさせてくれたのもNさんだった。

きっと私たちは、今世では同じように関係を続けていくと思う。
そしてきっといつまでもしぶとく生きることを諦めてないと思う。
どこまでいっても完璧に届くことはない「本質」を見失ったり、やっぱり手を
伸ばしたり、無心になったり、いろいろしながら。

だから、今私が誰にどんな行動をしても、別れがあっても、
縁があればまたどこかで繋がる。サヨナライツカではないけど、
今世での別れはいつか100%起こるもの。だから、目の前のことに悲しまないで。
きっと今そういう選択をしたということも、このタイミングもすべて
必然だろう。私が自分から目をそらさない限り。
この世界には、自分たちの力ではどうにもできない大きな力が流れている。
自然もそうだし、因縁もそう。でも、どうか、それを自分の依存対象に
自分の都合で適用して、安心したりしないで。そういうものは、そんな簡単に
見えたりしないし、そしてそんな風に苦しめたりはしないはずや。

見方を変える。
「誰かが私を大切にしてくれない!」なんて幼稚にもほどがあるけど、
そう感じているらしい自分をまず認める。
そして、それを裏返して、横から見て、たてから、上から、下から見てみる。
すると、
「私が私を大切にしてない!」に行き着くのは容易だった。

何だってその裏にはシグナルがあるんよなあ。
立ち止まって、嘆いていても、しがみついているだけでは見えない何かが。
きっとポジティブってそういう見方ができる人のことを言うのではないか、と感じた。
闇雲に明るかったり、楽観的なんじゃなくて。

先生から全体MLにメールが。
皆さんは自分がどれほど恵まれた学習環境の中にいるのか、実感して
いないのです。実感していたら、授業でやった部分に就いては完全に
暗記しているはずです。もっと、もっとわくわくしてください。もっ
と、もっと、もっと、もっと、興奮してください。これが全部自分の
血肉になったらどれほどすばらしいかと想像してください。


私はひそかに期待していた。これを乗り越えたら、心に曇りがなく
穏やかに、勉強に仕事に打ち込める日が来るのではないかと。
しかし、今を大切にできずして、そんな日は来ない。
たとえ今何かを抱えていても、その状況の中で最大限やってやるという
意識を持てないと、どんなに機会が与えられても、お金を与えられても
何も成し遂げ得ない。そして、どんなに素敵な人がそばにいても、気づき得ない。

今は非常事態ではない。今こそが現実なんだ。

自分には才能はない。要領も悪いし、不器用だし、頭の回転が激遅だ。
でも、姜尚中が言ってたで。
「自分は頭の回転が遅いんです(←それはないと思うが)。だから
ゆっくり話すようにして、自分の中で整理しながら発言しているんですよ」

なるほどなあ。その真偽はおいといて、そういう風に自分を創っていける
人こそが自分のオーラに近づけるのだと感じた。

あたしも相当しゃべるの遅いし、語彙も少ない上に難しい言葉で逃げたりする。
が、それを自分らしさに変えればいい。誰もが上祐氏みたいになる必要などない。
あれは彼の一つの才能だと思ったけど、私がそれを欲しがるのは筋違い。
人を容易に論駁できてしまったら、少し悲しいかもしれない。
きっと私はそれを振りかざしまくって、人と相容れることもなく生きてしまいそうだから。
そう思うとこんな自分でよかったのかも、と少し思う。
この頭の悪さが、「人って本当に大切なんだよ」って教えてくれた。

Nさんが言っていた。
思うだけでは「迷い」
実践して「会得」
更に思考を深めて「解脱」


仏教って想像もつかないほど深遠であるらしい。
分からないことだらけ。だからこそ、もっと生きてみようさ!
不安になるのは、自分が全てを理解し、把握できるという傲慢から
起こるものだとどこかで読んだ。
心が解放されて、自分が暴れて自分を見失って、バカをおこして
大変なことになってしまうことが怖いけど、分からないことがまだまだ隠れていると
思うと、まだまだ生きる意味は溢れていると思う。

何していいかわからんかったら、今まで自分のために何かをしてくれた人への
感謝を思い浮かべながら他の人のために何かしてみよう。
何を整理していいかわからんかったら、絶対に必要なもの以外はひとまず手放してみよう。
いつもここから始まり、ここにある。
by jengsauman | 2006-02-16 14:51