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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

すべては一つ

引越してから、やっとネットが繋がりました。
毎日があっという間に過ぎて、私はいろんなことをそのままに流されています。
やらなければならないこと、できること、やりたいこと、並べたら何も達成できてない。
その面は、反省しなければならないし、もっと改善できるはず。
だけど、少しずつ、見えたり見えなかったりすることもあって、なんだか嬉しい。
そんな生活を正当化してるわけじゃないけど、やっぱり嬉しい。
ひとりでちょっとさみしいけど(笑。

ここ数週間、自分の言動がまわりにどういう影響を及ぼすかにとても敏感だった。
それは、自分がこれまで見過ごしてきた、本当に直さないといけない欠点で、
でも気をつければ直すことができるはずだと気づいたことでもあります。
自分がてんぱっている時に、いつものようにとにかく殻をかぶろうとすることや、
自分が楽をしたい時に、結論をはっきりさせたくてすぐに100を語ろうとすることや、
すぐに魂だけその輪の外から出てしまうことや、
無責任なことや、いろいろです。
おととい、面と向かってはっきり「だからお前くどいんだよ。一言でいえばいいだろ」
(←標準語なのが余計痛い。)
と言われて、随分ガーンと思った挙句、そんな自分を正当化しようと心の中で
言い訳を始めたが、よくよく思えばそれは有難い指摘だなあ、と。
その言い方はむかつくけど(笑、私はよく1言えばいいことを、言葉がうまくみつから
なくて、ああでもないこうでもないと話し、自分の中では少しでも心にあることを
相手に正確に伝えたいと思っているつもりでも、相手にとっては迷惑かもしれなかったです。
自分が正しいと思い込んでいることほど、周りへの影響を考えられないです。
他の指摘も同様で、別に全てを甘んじて受けることは必要ないけど、
それを一度受け取ってみよう、と思った。
苦手(と勝手に思っている)人と一緒にいること、コミュニケーションをとらなきゃいけない状況、それは有る意味でとても貴重だと感じました。今でもあまりできてないけど、本当に相手の話を聞こうとすれば、きっと相手にも伝わると思う。聞いているつもりで、勝手に自分の頭で自分の正しいと思う思考に翻訳して聞いてるから、その不誠実さ、自分勝手さが相手にも伝わっていて、そのせいで壁を感じるんだろうな。それは直さないと。
でも、それでも通じなければ、通じないままでしばらく置いておくことにも意味があるのかも
しれないと思ったりもしました。

あーくどいーー。ってかまとまってねー(笑、

最近読んでいる本が、きっとこれからも大切に想うであろう素晴らしい一冊です。
ブラジルのパウロ・コエーリョ著『アルケミスト』。
毎日、朝の電車の中で数ページ読むだけで、何度も「はっ」とする、そんな本です。

ここ数日ではっとしたのは、
☆人はみなうまくいかないこと、困難を環境や周りのせいにしているが、
  本当は全て自分が引き起こしたことだ。
☆幸福の秘密とは、周りの世界の全ての素晴らしさを味わい、しかも手に持った
  スプーンの油がこぼれないようにすることだよ。
☆多くの人は他人の人生を否定、判断、批判、客観視することには必死だが、
  自分の人生とは向き合えていない。
☆ここは見知らぬ場所じゃない。新しい場所なんだ。
☆お前は人生のすべてには代価を払わないといけないことを学べてよかったじゃないか。
☆自分も人と同じ。世界を自分の見たいようにしか見ていない。
☆自分の意思で決定すると約束したんだ。
☆前兆に気づきなさい。

本当にたくさんあって、書ききれないけど、たった数十ページ読んだだけで、
何度もどきっとして、何度もうなずき、何度も恥ずかしくなって、何度も勇気をもらった。
この人生で今この本に出会えたこと、それも有難いことです。

その本の中に、「すべては一つ」という言葉があって、とても視界が開けたような
気がしました。なんとなく、自分の心の中にあった感覚と、いろんなことがあいまって
その言葉がすーっと入ってきた気がしました。でも、まだまだ私の中には、感覚の
かけらのようなものしかなくて、上にあるような「周りをきちんと見て、周りと調和
しながら、自分の手元もしっかり見なければならない」ということが、
ダブルスタンダードのようなままで、今なお「どちらを選ぶか」という
ゼロサムゲームをやってしまいそうな脆弱な状況です。
だから、安易に全ては一つと思うのはとても危険。でも、きっとまたいつか
そう思える日が来るような気がします。
そう思えるような生き方をしなければならないと思います。

ここのところ、たくさんの人に助けてもらいました。
会社の中で、友達に、親に、姉に、世の中のたくさんの人に。
今なおいろんなぬるま湯に助けられていて、そこから出ようと
してない自分がいる。けど、少しずつ、少しずつ、気づいたときに
思考と行動を変える意識は持っている。
私は理解力が低いから、人が遊んでるときも勉強して当たり前。
私はおっちょこちょいだから、人の倍確認して当たり前。
私は技術力がないから、専門知識もないから、他のことでプラスアルファを
持てるように努力して当たり前。
それは卑下や追い込みではなくて、当たり前なんだと思った。
誰かとの比較ではなくて、自分がこの世界で生きていくことの意味は、
自分ができることを伸ばすこと、自分にないものを持ってる人と協力して
誰かの力になれるようなレベルに自分を持っていくこと、
人に感謝すること、人の話を聞こうとすること、自分がただしいと思うことを
決して押し付けないこと、いつも新たな扉を開く準備をしておくこと、
そんなことが自然と心に沸いてくる。

まだまだ自分が自分の見たいようにしか世界を見てないことを痛感します。
そんな時、それを気づかせてくれるのは、やっぱり人、そして世界のあらゆる
自分以外の他者です。もっと、いろんなものに触れたい。

明日は友達と歌舞伎を見に行きます。
あと、秋の日本語教師試験も独学でチャレンジしようかと。
私は日本人である責任を全く果たしていないし、果たそうともしていない。
試験日、日本に居たらの話ですが。でも、ほんとは、試験より勉強したいという
気持ちとそれを少しでも多くの人に伝えたいという思いが大切なはずだけど、
まだまだ甘いなーわしは。モチベーションが他力本願。
考えると、私とっても非効率。
目の前に追われすぎ。余裕なさすぎ。余裕ないと分かってるなら余裕ない分を
さしひいて計算しろよ。
目標に日付を入れて差し引いて行動する。

多分、必死で我を通そうとしてるんだろうなと思います。
それを手放すと、本当に不安で、ぐらぐらになってしまいそうだから。
我を通すことと、信念を持つことの違いを、もっと感じられるように
なるには、まだまだですなあ。
目の前に起こっていることを正しく認識するためには、
怒り、嫉妬、驕り、無知で自分を守ることを捨てなければならない。
そして、目の前のことがどんなにしょうもないことに思えても、
それに全力でぶつかることで道が開ける。
そんなかんじです。

最近、引っ越した先は結構治安が悪い場所の近くなので、
いつも警戒しています。眉間に皺よってます。
家に居ても、もしかしたら誰かが侵入してくるかも、とうっすら思ってます。
自分が好きな街だからいいんだけど、それだけでも身の危険というのは
結構なストレスなのかもしれません。日本の場合は、万が一、だけど、
戦争が起こっている場所、起こりそうな場所、冷戦中の場所、いろんな対立が
有る場所では、何があってもおかしくないのが日常なのだとしたら、
私たちがこうして平和な国に生まれたことも、きっと何かのめぐり合わせと
思います。自分ができることを考え、実践する。難しいけど、選択する自由を
持っているのは、やはり幸せだし、その分背負う義務も大きいのだと感じました。

人生、いつ終わるか分からない。
だから、何かに必死であることを、自分の大切なものをおろそかにする正当化に
使うことは絶対にしちゃだめ。きっと後悔する。あれもこれもは無理だけど、
大切なものから自分の中に入れていけばいいではないか。シンプルシンプル。
多分、一番効率よいのは、大きいものから順番やよね。

いやー、恋したいと想うけど、予感すらないぜ(痛)。
でも、思いこみや、思考停止のための恋愛をするくらいなら・・
とか言ってるから頭がかたくなるんよー。クソー。
今度こそ、素敵な相方を見つけたいぜ~フォ~。古・・。
みなさん素敵な恋してますかー?
by jengsauman | 2006-05-20 01:57