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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

むりやりでもいいから動く

人は、何かにすがりたい生き物なのかもしれない。弱いからこそ、毒のなさそうで、強烈に正しそうなものを。
私が、オーストラリアのAちゃんを想ってるのもそうだ。実態はともかく、キリキリした心が少しでもほんわかすることならなんでもすがりたい。
それじゃだめだよ、それは頭で分かってても、そんなときもある。乗り越えるときは、頭じゃない、だから頭であれこれやってるときはやっちゃえばいい。考えるだけなら、理性的ぶってるのも、現実逃避してるのも、大して変わらない、と今は思うから。じめじめしてるよりも、「あはは~」と失敗しちゃったほうがよかったりもする。なので、会社のPCにこっそりAちゃんと撮った写真をおいてあり、もういやあ~と思ったら、こっそり見て、ムフフと思っている。一人あそび。9月から北京に駐在して、離れている上司とメッセで話しているうちに、話がそれて、なぜか「年下もいいですよねえ~。エネルギー吸い取っちゃえって感じですよね。ムフフ」とか言うたら、「ま、経験は多いほうがいいね・・」とドン引きされた。相当気持ち悪かったらしい。別に深い意味なかったけど、上司に言うことでもなかった。夜おそかったので、ちょっとハイテンションだったらしい。

いろいろ考えて、躊躇して躊躇して、やっと電話できた。NPO法人のボランティア。
私の従兄に関係するボランティア。相当葛藤があった。
「お前、あほか。どんだけ押し付けがましいんだよ。どんだけ偽善者だよ。どんだけ『いいこと』がしたいんだよ。そんなこと従兄が知ったら、苦しむだけだろ。ばかじゃないの。救いようがないね。自分だけなんとか特別になりたいだけだね。社会に向かって胸がはりたいだけだろ。『私は正しいんです』って。」そういう自分の内なる声に、どうしても一歩が踏み出せずにいた。
でも、おまかせ、がしたい。私の身体を使って、私ができることに私をつかってください、とお願いしたい。私だからやるべきこと、がある。このボランティアに参加していることを、身内にも言わない。誰のためでもない。自分のためかもしれない。そんなこと、とりあえずはどうでもいい。

特攻の母こと島浜トメさんはこういった。「なぜ生き残ったのか考えなさい。何かあなたにしなければならないことがあって生かされたのだから」

いつ死んだっておかしくなかった。いつ消えてもおかしくなかった。でも、私は今日も生かされていて、今日もうじうじしている。
そんな自分に、一体どんなすべきことがあるのか、やっぱり分からない。
でも、一歩をいっぱい出すんだ。ほとんどの時間を傷つかないための防御策を考えることに費やしていたとしても、少しでも無理やりでもいいから、足をつかんで無理やり動かすでもいいから、前へ行くんだ。横でも後ろでも上でも下でもいいから、世界を広げるんだ。あまっちょろい心がけで仕事して、取引先に当然のお叱りを受けて、やっぱりだめだなんて思ってちゃだめだ。学ばないと。全部は繋がっている、そう信じることで今をごまかせなくなる。今適当にやることが、いつか命取りになるのだから。日々のつまらない(と思われる)事務作業だって、教育機関や会社とのやりとりだって、全部そうだ。責任をもてないやつは、何をやっても、逃げ道を探し続ける。めんどくさい、めんどくさい、責められたくない、私のせいじゃないといいたい、言い訳をいいたい、こんなことしたくない、のどから手が出るほどそれらの言葉を言いたくても、言っちゃだめなのだ。言ったら終わり。

少しずつ、繋がっていく。いろんなことが、突発的に思いつきでやったことも含めて、すべてが計画されていたかのように、導かれてるかのように。頭で考えてる部分ももちろんあるけど、気づいたら、「あっ!」ということが、ある。それは、つきつめていくと、「なーんだ。思い込みだったか」ってこともたくさん。でも、それでもいい。

ひろちゃんからメールが返ってきた。「あんたが、返事せんでなっていうから、せんかっただけやで。全然嫌な気持ちになってへんで。私の言ったことがあんたにいろいろ決め付けようとしたんかと反省したよ。でも、どんだけ頓珍漢なこというても、身内がむやみに心配する気持ちと同じやと思ってほしい。」というようなことがかいてあった。複雑な気持ちだ。親のように、「あれはあぶないからやめて」とか「あれはあかんよ」とか、ぎゃーぎゃー言ってくる親友を私はありがたいと思う一方で、すごく怖いと思う。でも、それに対して、「あんた、そんな考えかたやめて」ということは、また、押し付けなのだ。私は、ありのままを受け入れることができない。なんと難しいんだろう。ただ、ありがたく愛しいという強い気持ちがあるのは、確かだけれど。

ひろちゃんの結婚式について、私は例の如く「いい友達」を演じようとしていたようだ。今回のやりとりを経て、彼女と私の関係は、別に人に「私たちこんなに仲良いんです」なんて誇示するもんでもないと気づいた。よく結婚式で、そういう発言してるスピーチをきいて、ボエッと吐気がしてたけど、私もそういう思考の持ち主です。でも、ひろちゃんは、そうじゃない。

従兄も書いてくれたように、結婚式でのピアノというのは、やたらと背伸びしたくなるもんだが、簡単なものをそつなく弾いても素人にはようわからんくて、難しいのを背伸びして弾いて間違えたら素人でもすぐに分かるという皮肉なもんであるらしい。あまり考えすぎないで、自分が主人公ではないことを意識すべし、です。別に、しゃべるだけでもいいかもしれないし。渋谷区に問い合わせてみたら、無料でピアノを使える施設があると教えてもらった。いろいろ聞いてみれば
あるもんなんだな、とおもう。いつか、従兄の前でも弾いてみたい。日曜にでも1回、その施設をみにいってみよう。なんせ、予約ができないらしい。。何事にも腰が重い私にはツライ。でも、ほんとにやる気になれば、行動できるんだろうな。ま、あせらず、ぼちぼちやろう。
by jengsauman | 2008-10-17 04:23