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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

今年の目標

先日、とあるNGOのセミナーへ参加した。
そこで、私は失敗をした。

私はそのファシリテータに対して頼りなさを勝手に感じ、「大丈夫か、こいつ」と思っていた。
その人は、最初から「○○は許されることではありません」と言っていた。
その人とほかの職員のやりとりで、延々と数字やデータを言って、確認しあいながら、
自分はあたかも正しいことをしているかのような顔をしていた。
この人たちは、本当に考えているのだろうか?と思っていた。
私は自分のことをたなにあげてそう思って、吐き気がした。本当に、具合悪くなった。

私は、終わった後に、彼に質問した。
その答えは、彼の側の答えだった。あたりまえだけど。
なんていうんだろう、用意された正しい答えという感じで、葛藤のかけらが垣間見えなかった。

NGOやNPO団体はあまりよく知らないのですが、たとえば扱う案件に5つのファクターが
絡んでいるとしたら、団体によって、目を向けるファクターが違うのだろう。
もしくは、扱う内容は同じ方向性なのに、派閥争いみたいに2つも3つも同じような団体が
あったりするのかもしれない。
それはともかく、私はこないだのNGOに対して、完璧を求めてしまったのだ。
その5つのファクター全部を網羅してないことを批判したくなってしまった。

第三者が当事者になることは不可能で、また近づく必要もあるのかどうかも分からない。
もしかしたら、5つのファクターのうち、1つだけを押さえ込んでしまえば、法律が変わったり
名目が変わったりするのであれば、それはそれでいいのかもしれない。
私はそこのところを、自分の中で全然考えないまま、そのイライラを人にぶつけた形に
なってしまった。大人げなかったし、忍耐ないなと思った。
それは、私の「他人を責めて自分がまっとうなことをしている」症候群でもある。
今年は、人を責めることで自分が何かをしているつもりになることを直したい。
考えてないとか、正しそうなものに寄っかかってるだけとか、他人のことは分かりゃしないし、
そういう批判をすること自体が、自分のコンプレックスの裏返しであり、未熟さのごまかしだ
と思わずにはいられない。芯のないものは、放っておいても淘汰される。


ずいぶん、長い間、ピースフルな世界を夢見ていて、それは今も同じ。
わたしは、感情的で、情動的で、温室育ちで、へたれで、「みんな大好き」と言って、
みんなと抱き合いながら、生きていけたらどんなにいいだろうっていつも思う。


人って手をとりあって赦しあって生きていけるかもしれないけど、
利害関係の絡みで、決して一筋縄にはいかないんだなと、最近おもう。
人は間違ってしまうし、人は大事なものを守りたくなるんだもの。

すこしずつ、ぐちゃぐちゃの中にこそ、ぴーすふるなものがあるんじゃないかって
シフトしてきた。よーわかりません。でも、やっぱりわたしはすっごく実務的な人間で
世俗的な人間なんだと思う。いや、たんなるイラチなだけか。
だから、精神的なものや、宗教的なものや、学問的なものに対する尊敬(憧れ)はあるけど、
やっぱり、この場でできることをしたい、と思う次第です。
なぜなぜなぜなぜなぜと問うて、分からない・・日々を過ごしても。


今年の目標3つ立てました。
①粘る。
安易に答えを出さない。人を責めて楽をしない。できないと逃げない。粘り腰。

②自分を主語にする。
先生や著書や理念のそれらしいものを拝借しない。言葉を発するときは、私がこう考えるというステートメントである。言動に責任を持つ。

③引き出し増やして、おもろい女。
by jengsauman | 2009-01-11 16:44