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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

こすげ

久しぶりに小菅へ行ってきた。
今日は、初めて、「差し入れ(ものを持参したバージョン)」をした。

差し入れとは2種類ある。
①持参したものを受付で渡し、後日本人へ届けてもらう。
(eg)衣類、書籍、郵券など
②売店で購入し、お金をはらって商品を後日、本人へ届けてもらう
(eg)食べ物(お菓子、果物、パン、ふりかけ、しょうゆ、缶詰など)、日用品、雑誌など

残念ながら、食べものは②の売店にあるものしか差し入れられない。
危険物が混入している可能性があるからとかなんとか・・。

これまでは、会いにいって、1階の売店でクッキー、チョコレート、せんべい、くだもの、ふりかけ
などを1日4点まで(?)買って差し入れていたが、今日ははじめて持参差し入れをしてみた。

前に並んでいるの申請書がちらっと見えたら、「本人との関係:彼女」と書いていた。
彼女、って公に使えるのか、と妙に感心した。
いろんなひとがいる。
ここに来るたびに思うのは、たとえこうちしょに入っていても父親は父親、家族は家族。
いろんな複雑な思いは事情はあるのかもしれないけど、本当に多くの人が出入りしている。

わたしは、差別主義者だ。
すぐに、線をひこうとする。あんな人たち関係ないとか、自分が悪いんだよとか思う。
でも、ここにくるようになって分かったことがある。

わたしはなぜ差別するのか?
それは、これまでの習慣という面もあるのかもしれないけど、大きな要因は「知らないから」だ。
そこにいる生身の人たちを、しらないからだ。

知らないから、不安に思う。知らないから、どうでもいいと思える。知らないから、尊重しようと思わない。
知らないから、すぐに忘れ、どうでもよくなる。

なぜ、こうちしょにだけ思い入れがあるのだよ?、と自分に聞いてみたら
「中に入って、リアルだから」なんではないかと思う。

所詮そんなもんだ。
そういえば、前に介護実習にいった老人ホームでも、ボランティアにいった養護学校も同じだった。
わたしはいつも外から見ていて、勝手に答えを持っていた。

別に全部を知る必要もないかもしれない。
それに、たった一部しか知れないんではないかと思う。
でも、自分の中にあるこの「差別意識を持つ自分への不信感」と「それって知らないだけちゃうの」という
突っ込みがとってもアンバランスで、でもとっても軽いように見える後者のほうが、なんだか力を
持っているように感じる今日この頃です。
by jengsauman | 2009-04-07 02:18