過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

条件の違い

人のため、社会のため、と言っていても、それは本当にそうだろうか?
社会のため、になどなれるのだろうか。
いろいろな汚職があり、文化背景の違いがあり、ふざけんなと思っていても、
いつのまにか、それに迎合し、その既存のフレームの中で、生きている。
そんな自分がありありと想像できる。
ビジネスで勝負するしかない、のだろうか。
社会貢献とは、雇用という意味しかないのかもしれないというえりこさん。
つまるところ、現場へいかないと、どうにもならないのかもしれない。

そういえば、ずっとひっかかっていたこと。
何かの本を読んで、私が「日本の教育はパラグライダーを操縦できても、飛行機を操縦できるようにはならないということで共感したんですが、どう思います?」というと、弁護士のHさんは、「それは自己責任ですよ」とあっさり言った。

その発言にがっかりというより、何か腑に落ちない感覚、それは、何だったのかというと、自分の力ではない誰かの力が存在していることを無視していることへの違和感、だったのだろうと今日気づいた。

私は、一人暮らしをしてもう10年になる。そして、勉強してないけど大学を出ている。
けれど、これは私の自己責任および自己努力によって手に入れたものではない。
これらは、ほとんどが、親のお金や支え、また他人によって支えられた結果に過ぎない。
いつも、(特に外国へ行けば強烈に)思うけれど、私という個としては、ほぼ何の力もない。
ただ、ラッキーで、与えてもらっただけ。けれども、私は長らくそのことに意識がおよばず、「自己責任、努力」と思っていた。

法曹の新制度を知ってから、この制度はある程度お金を持っている親の子でしかも若い人か、社会人でも貯金がかなりある人か、結婚していたり無職になっても住む場所や生活にあまり困らない人には可能でも、しがない独身ひとりぐらしサラリーマンには相当大変、かなり無理と思った。
法曹という人に寄り添うはずの立場が、「恵まれた環境で勉強に打ち込める」という前提条件をクリアしなければ、かなりの難関であるというのはあまりに違和感だ。
お金に困ったことがない人が、お金に困っている人の気持ちなんて分からないだろう、と思う。けど、別にわからなくてもいいのかもしれない。こうあるべき、だなんて言っているのは、自分の条件がたいしたことないことを正当化しようとしているだけなのかもしれない。そうして、いつまでも他人の人生や制度を批評している。
働いて貯金して、それを学費にあてて、生活費も必要だから、結局奨学金という名の借金をして、それでも生活が気になって、将来が不安で、勉強に打ち込めない・・。恵まれた子女たちがまわりにごろごろして、きっと羨ましいと思うだろうと推測するとともに、怖い制度と思う。そんな状況の中で、「別にやらなくてもいいのにあえて自分で選んだことなんだから」という思いを握りしめて、勉強するしかないという未来の自分を想像すると、ぞっとする。それが、私の躊躇の原因である。

しかし、そんなこといっても始まらない。人がどうのこうのいってても、何も変わらない。制度がそうなっちゃった以上は、最初のステップとしては、それから離れるか、それを受け入れるかしかないのだ。何もない人間が、わーわー騒いでも、何の説得力もない。制度が悪いとか言ってしまいたい。でも、言ってもしょうがない。だったら、とにかくやってやる。「やっと気づいたか、自分」と思った。悪いもんなんて世の中にたくさんあって、絶対的に正しいことなんてないのだから。あれがどうこうとか、実家の人はいいとかなんとか、お金がないとかなんとか、もう、ぐちゃぐちゃうるさい。
ともかく、お金に限らず、「それは君の自己責任だよ」なんて、簡単に言わない人間になりたい。

ふと、母親から1週間くらい電話がないことに気づいて、ここ数日、父が不在であるのになぜ電話してこないんだろう、もしかして・・と急に不安になり、電話したら「あ、もしもしい~」とノリノリで出た。。どうやら、一人暮らしを謳歌していたらしい。。。
けど、いつかは、こうして電話してみたら、母が死んでいたということも大いに有り得るし、誰かに襲われたとか、殺されたとかだって有り得る。
今回は、何事もなかったけど、次回は分からない。それが、限りある命ということなんだ、と強く感じる。
被害者遺族の本を読んでいて、その情景をどこか他人事のように傍で覗いている自分がいる。
決して、そこに足を踏み入れずに、覗き込んでいる。
最初は文章に触れるだけでもショッキングなのだが、だんだん慣れてきて、それでもやはりショックを受ける。それでも、慣れる。本を読むということは、自分の中での偏見を作りやすいのかもしれない。
見たくなくなったら、本を閉じれば良いのだから。そうすることで、事実が曲げられる。
自分がショックを受けない程度の事実しか見ないうちに「こういうもんだ」と思ったり。
だから、やっぱり、現場へ行かなければならないんだと思う。
と同時に、現場へいってりゃいいと慣れてしまうのもだめなのだが。そのへんのバランスはどうとっていけばいいかと考えても、分かるわけがない。きっと、何事も、動いてみるしかないのだ。
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by jengsauman | 2009-07-06 23:08