過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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自分ができることを。

「自分には何が出来ないか」を列挙することに力を注ぐのではなく、「自分には何が出来るのか」を探すことに力を注ぐのです。

これは私が心の師と仰ぐ広東語の先生が言ってくれた言葉。やっと摂食障害と向き合い始めた時に、初めに話した相手が先生でした。先生は、「本当はすごく抱きしめてあげたいけど女の子だからねえ、、」って言って微笑んでいた。でもその分、すべてを包み込む暖かさで、いつも「それでいいんだよ」、って言ってくれた。自分としては全然そのままではよくなかったんだけど、ただの一生徒に過ぎない私に、これだけのことをしてくれる人がいるんだ、ってもうありがたくてありがたくて何て言っていいか分からなかった。先生だけには何でも言えたのが私の救いだった。それが、私と広東語の深い縁の理由の一つだと思っていたりします。全ては繋がっていて必然だと思ったけど、それは私の希望的観測かもしれません(笑。

さっきいつもの公園を散歩していたら、ふとこの言葉をまた思い出した。当時の私にすごい衝撃を与えてくれたこの言葉を、今の段階でもう一度思い出したら、また同じように有り難くて、同じように気付かせてくれるんだけれど、少し余裕を持ってその言葉と向き合えた気がしました。自分がやっていることが、たとえ1%や2%くらいであっても、以前よりも前に進んでいると思えたからかもしれません。そして、また今から頑張ろうと思った。

過去や現在、未來などをいろいろ考えはじめると、とてもややこしい。でも、今は過去は時々懐かしむくらいに置いておきたいなあと思う。現在を生きながら、この現在の自分の行動の先にある未來の自分の姿をもっとちゃんと明確にする。無責任に未來を楽観も悲観もしない。


でも私は、ここ数日「小さくなりたいなあ」っていう想いがとても強い。それはいつも持ってるかもしれんけど、最近特に酷い。でかい背は変えられないけど、その分薄くなりたいと、ついつい思ってしまう。めっちゃくちゃ痩せたいと思ってしまう。怖いなあ。本当に怖い。

公園からの帰りに、一人のおばさん(50代くらい)とすれ違いました。その人は、身長が100cmちょっとしかないように見えた。何かの病気と闘っているのかもしれないし、何か他に理由があるのかもしれないけど、とにかく身体が小さくて、何ともいえない気持ちになった。私は何て自分勝手なことを考えていたんだろう。そして、また先生の言葉を思い出した。

自分勝手な考えで、無いものを嘆くのも、できないことを嘆くのも、もう止めよう。嘆いたって手に入るわけじゃないし、手に入ることが幸せかどうかも分からない。たとえ手に入ることがあったとしても、それは嘆くことを潔く諦めた時、違う形として私の前に現れるのではないかと思う。今の自分で生きることを、できることを、もっと誠実に、責任を持って考えなきゃ、また同じことを繰り返しちゃうよ。ここで踏ん張ろう。今踏ん張れば、きっと何か得られる。信じる!
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by jengsauman | 2005-06-30 00:56

過去と現在

摂食障害の期間、ずっと「痩せていた頃に戻りたい」という想いを持っていた。
いつも自分の軸にあるのは「過去の理想の自分」で、いつも何かある度に
後ろを振り返っていた。

でも、いろんなことに気付けて、今はほんまに1%たりとも「過去に戻りたい」
なんて思わなくなった。いくら痩せていても、あんなに貧しい思考しか持たない
自分になんて戻りたくない。それだったら、まだ全然不器用で、太っていて、
可愛くなくて、モガモガしているけど、今の自分のほうがずっと好きだ。
そう思えることが今のあたしにとっては救いだし、嬉しい。

そこで思ったのは、「いつも今が一番自分に納得して生きている状態でありたい」
ということです。いつも今が一番幸せ、というのは無理だと思うけれど、
苦しい時だって、哀しい時だって、いつも自分の精一杯を尽くして、
未來に繋がるような生き方をしたいと思う。

過去を懐かしむことはたまにはいいけど、過去との付き合い方はそれだけでいいや。
と今は思う。それよりも、今が一番「生きてる」って感じられるくらい、一生懸命
生きたい。
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by jengsauman | 2005-06-29 10:51

「痩」=「善」の呪縛

ぐあああ~~~~。ほんまにアホや~~~~。
何でこんなに痩せたいねん!あたしは。
社会の価値観には乗らんぞ、とかいっときながら、ちょっとした出会いがあるだけで、
もう他人の価値観に乗っかってるやんか!そして、また拒食期と同じ思考回路に
なってる・・・。ほんまに学習しようよ・・。

食べるのが怖い、と今少し感じている。
あまり食べずに済んだら、すごくホッと安心する。
急に真夏日になったから、夏バテだ~といっている。
でも、本当は自分の意思で止めている気が薄々している。
ちゃんと自分と対話しなきゃまた落ちるのは見えている。
でも、このままいけば痩せられるんじゃないか、と密かに期待もしている。

そんなんじゃいかんよ!!

身体はけなげだ。こんな私の愚かな思考にもちゃんと付き合ってくれる。
そして、ちゃんとメッセージを送ってくれる。
なのに、私はまたその身体を裏切ろうとしている。
身体に謝ろう。でも、申し訳ない気持ちは本当にあるけれど、食べることは
やはり躊躇してしまう。
お腹がすいてるのか、気持ち悪いのか、食欲がないのか、食べたいのか、
本当に分からない。。。

昨日、いつもは近所しか着て歩けない(それも最近デビュー)、恐ろしい程のパツパツ
ジーンズを履いて電車に乗った。こわ~~~。この格好は社会的害悪だ、とか
思っていたけど、実際はみんな各々自分の好きな格好をしていることに気付いた。
誰かが私の足を見て、ふと~、と思ったり、お尻を見て、おっきい~、と思ったり、
身体を見て、でか~、と思ったりしても、だからどうこう、という域には達しない。
こんな人もいるんやね、っていうレベルでの認識に過ぎない。
自分だって他者に対してかなり軽い認識しかしていない。(細い人は見ちゃうけど・・)
だったら、ええやん。これでええやん。今の私はこうなのよ、でいいやん。

それにしてもほんまに暑い。
代謝が良くなる気がして気持ちが楽だ。クーラーなんていらんで~っていう勢い。
ムシムシしているくらいが肌にもちょうどよさそうだ。
これは身体いじめなのだろうか。。そんなことないよね??

どっちにしても、私はいまだに「痩」=「善」という単純な図式から抜けられていない。
でも、いつか抜けられる可能性はあるとは思う。だから絶望はしていないし、
諦めてもいない(希望的観測??(笑))。バタバタしながら、今はまだまだだなあという感じ。
きっと抜けられるとしたら、私が本当に自分の身体を知り、自分の身体の叫びを
受け止め、自分の身体とともに生きていこうと具体的に努力した時ではないか、
というのが今あるイメージだけど、本当はどうなんだろうなあ。

権力も、名誉も、賞賛も、必要以上のお金も、表面上の恋愛も、強いねって言われる
ことも、社会的に価値のあるとされている仕事も、私は何も要らない。
たとえ、それを手にしても、そのうそ臭さというか、自分の存在との不調和に
胸がムカムカして、苦しくなるだけだろう。
本当の欲求はただ、「私は自分に正直に生きたい」というそれだけなのに、どうしてすぐに
裏切ってしまうんだろう。弱いやっちゃなあ、ほんまに。でも、こうして一回一回ちゃんと
自分と向き合っていると、どうしていくのが自分はたとえ苦しくても自分らしくあれるか、
少しずつ分かってきたような気がする。

ちゃんとご飯をたべて、強い体にしたいなあ。
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by jengsauman | 2005-06-28 08:24

悔しい

昨日は、とても楽しかった。たくさんの人と出会えたし、話せたし、赤ちゃん級のしょぼしょぼ広東語を話す機会もあったから、とてもハッピーだった。けど、家に帰ったら、どーんと落ちた。その理由は、人との出会いや関係において「私、逃げてた」とはっきり認識したから。それから、今自分がほんの少しだけ気になっている人がすんごく遠く感じたから。あ~、なかなか前に進めんぞ。自分の逃避構図を頭では理解できた。でも、行動してないやんけ!アホか、と自分に何回も何十回も言っていた。そのたびに、自分の弱さと太った体を結びつけて考えていた。ちょっとてんぱるとすぐその考え方に戻ってるやんか。私が太っていることや摂食障害を持っていることと、私の没個や逃避する弱い性格を結びつけて問題の根源を体のせいにしてはいけないって言ってるのに、また逃げてた。悔しい。

そして、帰りにコンビニに寄って、アセロラドリンクとヨーグルトのアイスを買った。家に帰ったら、アセロラはまだいいとしても、アイスまで食べた(夜中12時半)。間違いなく、悪い流れだ。分かってたけど、それでもモヤモヤが苦しくて、食べました。そのあと、姉がどら焼きを持ってきたけど、それは手をつけずに済んだ。良かった・・・。いつか、また過食の波が来たら私はそれに抵抗できるのか、全く自信がありません。

こういうことを繰り返して、少しずつ成長していくのかな。それとも、こんなことを繰り返していては前に進めないのかな。とはいえ、今は何かするしかない、と思う。また落ちるのが怖いけど、これ以上太るのも怖いけど、孤独も怖いけど、自分が否定される(気持ちになる)のも怖いけど、でも他に方法がない。だから、今日も生きよう。

私は本気でやろうとしてるのか?もっとやれることがある、とどこかでは分かってる。結局、行き着くのは、自己の形成くらい自分で責任もってやれ!ということで、自分がないからこういうことですぐ不安定になるんだと思う。

そして、私はすぐにはっきりした結果を求めすぎなんよ。すぐに何かに意味や定義をつけたくなって。それが、きっと大抵はかなりの偏見であったり、思い込みであったりすることが多い。だから、それによって自分を追い込む。それじゃあ、前に進みたくても進めないよ。もっとグレーを認めよう。

また今日から運動しよう。体のせいにしない。絶対に、体を愛したい。
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by jengsauman | 2005-06-27 08:19
意図的に食べることを避けるのと、本当に身体が食物を欲していなくて食べない時の差は何だろう。ここ数日、夏バテと勝手に称して食欲が非常にない。過食欲求もない。食べ物のことを考える時間も、何かいやなことがあったらすぐに食べ物に直結していた思考も少ない。でも、それは本当にそうなのか、また自分の心がコントロールしてるのかは不明。

特に食べなくてもいいや、と思っている時、大抵は密かに心の中で「また食べたくなったらどうしよう」と思っている。それなら今ちょっと無理してでも食べておいて、「食」との距離をあまり離さないほうがいいかもしれない、と思ったりもする。距離を離せば離すほど、脳の中での食との距離は近づく気がするので。ってことは、食べなくてもいいやと思う時も意図的に食べないという要素を伴っているということなのかな。いつも「あわよくば食べずに生きたい」という歪んだ欲求が心に潜んでいるんかもしれない。あ~身体がかわいそうだ。。。

昨日、7月に会う予定の友達に電話した。別の友達に頼まれた事で、その人にお願いしたいことがあったから。久しぶりにしゃべったら、自分の中で彼の存在に対する気持ちが変化し、自身の人への接し方や考え方が少し変化している気がした。勿論友達としてとても好きだけれど、私は自分ととても似ている頑なな部分を持つ彼をいつも特別視していた。だから、どこかで全然客観的に彼を見れなかった部分があった。でも、昨日はもっと自然に飾ることなく話せた気がした。そして、自分と彼の原來の場所が実は違うことにも気付いた。そう気付けて嬉しかった。それを理解した上で大切に思うと、今までよりもっと人間くさい関係というか、そういうものに近づける気がした。会うのが怖いと思ってたけど、そんな気持ちもほとんどがどっか行っちゃった。彼がどういう価値観で私を判断しようと、まあいいや。そんなことよりも、今度会ったら何を話そうかな~♪というプラスの気持ちを大切にしよう。

そういえば、昨日銀座に寄って買い物をした。服を買いに!洋服屋さんってほんまに苦手で、店員さんに来られると、もうあああ~っててんぱる(笑。私はほっておいていいですよ、っていう目印とかつけていたい。というのはおいといて、昨日はどうしてもワンピースを買いたかった。だから、いろいろ見ていたんだけど、どれもしっくりこない。今年流行の~とか言われるととても萎える。試着するのも勇気がいるので、ドキドキしながら見る。ところが、特に意識せずにふらふら入った時に限って、おおっていうのに出会えたりして、正にそんな感じでビビビと来るものを見つけた。いつものように、クールでもなく、シンプルでもなく、モノトーンでもなく、なんかヒラヒラ~って感じのやつ(爆。ありえへん、と思ったけど、着てみたら、あまりの印象の違いにビックリした!その店員さんもまたええ人で、お客さんがちょうどいなかったのでいろいろお話もできました。洋服を100%楽しんで買えたのは一体いつぶりだろう・・。だからめっちゃ嬉しくて、「私、今めっちゃハッピーです」とか口走ってしまった。店員さんは笑ってた(笑。そういえば、私は昔からマーメイド型のスカートがめっちゃ好きやった。高校時代は、そればっかり穿いてたし、一番落ち着く気がする。そして、いつも無意識に洋服を選ぶと、そういうものを手に取ってる自分が居る。それを意識的に批判し、放棄させたのも、これまた自分であって、そら何が自分の欲しているものかわからんくもなるわ。。ってな感じです。でも、そればかりにこだわるんじゃなくて、それを好きな自分をまず認めて、またいろんなものに挑戦していきたいと思っております。

それにしても、日本の洋服ってちっこいですなあ。なんであんなにちっちゃいサイズしかないねん!ってほんまに不思議に思う。あ、靴も!!!!(←かなり実感がこもっている25.5cmの私)。頑張れ、日本!

そういえば、昨日『ボディーワークのすすめ』という本を買った。まだ読んでないけど、すごく面白そうやなあ。

さてさて、今夜は飲み会があるけれど、何を食べるんだろう・・。ちょこっと不安・・。でも楽しめますように・・。いや、楽しむで~。
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by jengsauman | 2005-06-26 02:20

ありのまま

オハヨウゴザイマス。なんか寝つくことができず、今もぼーっとしています。明るくなってきたから散歩にでも出かけようかしら、なんて思いながら、ブログを書くことにする。のんびりするの好きやもん。
昨日は久しぶりにまつ毛パーマをかけました。すっぴんでもくるんとしてくれているまつ毛を見るとほんとに嬉しくなる。その力強さに、自分にもいいことがあるような気がしてくる(笑。それから、眉毛を染めた。最近ずっと黒にこだわっていて、髪も眉毛も黒かったけど、そういう自分らしさの思い込みを捨ててみようと思い、色を軽くした。私はここ数年、ストレートのロングヘアばかりだけれど、実は肩くらいのストレート(やや前下がり)みたいな髪型をやってみたいと思いつづけて早数年。それは顔が小さくてこそ映える美しい髪型だと思うから、ずっとできないできないと思い込んでいた。けれど、近いうちにそれにも挑戦したい!失敗してもええわ。最近思うことは、どうせ後悔するなら、やって後悔しよう。やらんと後悔したら、悔しさがすぐに風化してしまって、それに慣れてしまいそうや。

それから、今は私は生理中なんやけど、いつもよりも肌の調子が良い気がする。吹き出物もあるけれど、全体的に肌のトーンが明るく見える。それに、気持ちだって、ぐあんぐあん上下するけれど、でもやっぱり前に進もうと思えるところに戻って来ている。今までの思い込みでは、生理中はしんどい、貧血、気分が落ちる、肌荒れ、お腹・腰・頭が痛い、などなどが当たり前になっていた。でも、そこまで生理のせいにするのはやめよう、と思い至る。しんどい月もあるかもしれんけど、多分普段の生活を少し気遣って、食べ物とか、栄養とか、精神的にリラックスするとか、長期的&短期的希望・目標を持つとか、いろんな方法を試すことで、もっと快適な生理期間を過ごすことができると気付いた。とにかく、マイナスイメージの価値観を建設的に全部ぶっこわしていきたい。ワクワク~。

最近好きなのは、ちょっと前によく見かけたadidasの広告の言葉。impossible is nothingの中の一行、「不可能は通過点に過ぎない」。自分が不可能と思っているのは、暫定的に達成されてはいないが、達成に向ってすすんでいる通過点に過ぎないはず。それに気付ければ、何事もミクロとマクロの視点から考えることができる気がする。私はいつもその一点ばかりを凝視してしまうから、その先を考える能力にとても乏しい。でも、今の自分の嫌いなところも、うまくいかないことも、治したい治したいと思っていてもなかなか前に進まないこの摂食障害も、本当はいつも変化はしているんだけど、自分はその一点しか見ないから、止まって見えるだけ。もっと大きく構えてみよう。

ああ、もうこんな時間になってしもうた。今日は、香港朋友と会うのに~。徹夜の顔で初対面かいなT_T。新しい出会いはとても楽しみではあるけど、とてもとてもプレッシャー(自分で勝手に感じている意味不明のもの)で、寝るにも寝れんかったから、まあしゃーないか。ほんとは今日が止まってくれたらいいのに、と思っている。もうちょっと猶予があればよかったのに、、とも思っている。でも、ええわ。縁があれば、きっとこれからも何らかの形で続くわけで・・。っていろいろ言い訳してるけど、実際めっちゃビビッている・・。こんな自分に納得の行かない体で新しい出会いがあるのは、本当にいやでいやでしょうがない。でも、これを越えるのだ後悔するなら、やって後悔する!今の時点で自分ができる限りの「ありのまま」でいってきま~す。
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by jengsauman | 2005-06-24 05:07

負けへん!

不安定はいつだって来る。リズムはふとした瞬間に狂う。ポジティブに建設的に考えられていたことが、急に全部泡のようにどこかに消えてしまうこともある。でも、やっぱり私は言いたい!「負けへんぞ~~~!!」と(笑。いろんな文献を読んだりして何かひっかかるのは、アディクションって病気なのかなあ。。個性とも言えたりしないかなあ。。とか思ったり・・。できるだけ、自分をプラスにプラスにしていく方法ってきっとある気がしてきた。マイナス思考になるのは簡単だけど、そこでもう一歩前へ行こうとする勇気。そんなものを、ここ最近ブログを通して出会えた方々からもらっています。みんな、ほんまに頑張ってるんやなあって心から思えるから、私もここで頑張ろう。ほんまに出会えて良かった!!

今日はパツパツのジーパンを穿いて出かけた(爆)!我ながら良くやったと思うよ、あんな格好で昼間歩き回るなんて(笑。しかし、よく見てみたら、誰も私のことなんて見てへんし~!っていうか自意識過剰ですから~!というわけで、自分の心がもっと嬉しくなるような格好をどんどんやっていこうと思ふ。今まで、どっちかというと、綺麗な保守的な格好を好んでいた。でも、それは誰にも責められないという前提があるから(&男ウケがいいから??)であって、私が心から身に付けたくて着ていた服ではなかったのかもしれない。今はまだ分からないけど、だからこそいろんなものを試して、どんな時に自分がどんな気持ちになるのか、試しに試してみたい!!半年前に他界したおじいちゃんが私にくれた直筆色紙に書いてある言葉。「Everyman is the architect of his own fortune」。これをもらった時は、全然実感できていなかった。でも、今になって私にとてもパワーをくれている。ほんとに感謝、感謝です。

最近、暑い日が続いているから、ほんまにもうすぐ夏が来るなあ~って思う。今年こそは絶対楽しむぞ~。過食に陥ると季節感も何も無視した生活になってしまうからとても勿体無かった。だからこそ、今は今を楽しみたくて、今年の夏は・・・海も行きたいし、花火もしたいし、できれば香港や台湾や大陸や韓国にも行きたい。あとは踊りたい。そして、友達としゃべりまくって、極めつけは甲子園じゃ~~~!!おお~~テンション上がってきた~~。行くで~~。そして、次回こそ勝つ!!去年のシーズンから私が球場に行って勝ったことがない!だから六甲颪を三番まで歌ったこともないT_T。というか、甲子園自体が5年ぶり!?うほほ~。早く大阪帰りたいなあ。もう気持ちが盛り上がって溢れそう!VIVA!OSAKA! 昨日親友の夢を見た。私を心から叱ってくれる、でも愛してくれるとても大切な存在。その子と私はいつも「あんた」と呼び合う(笑。可愛げも何もあったもんじゃないけど、その関係がもうとっても好きだ。もしも万が一、あの子が法を犯してしまったとしても、どんなことをしてしまっても、私はずっと愛し続けると思う。今度久しぶりに会えたら、感動して抱きつくかもしれん(笑。昨日のはその日を迎える夢だった。私はもうどんな姿でもええわ~と思っていた。ただただ、私の心が「会いたい!」と叫んでいた。それが全てを語っていた気がした。とにかく、この夏、楽しみたい♪

最近台湾の歌手の歌をよく聴く。私は人の声がすごく好きらしい。特に低い声がすごく好き。一人で部屋にいるときはかなりの高確率で音楽をかけているか何かの音を聞いている気がする。そして、自分の好きな歌は1ヵ月くらいず~~~~~っと聴いていられるくらい好きになってしまう。今は周杰倫(ジェイ・チョウ)と張惠妹(a-mei)と陶喆がヘビーローテーション。時には鼓舞し、時にはリラックスさせてくれる歌たち。大好きです。そうして、明日へのパワーをためて、また朝を迎えるのを心から楽しみに待つ日々を送れたら、とっても幸せだなあと思う。「幸せは自分のこころがきめる」ってほんまにそうやよね!!
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by jengsauman | 2005-06-22 01:00 | ひとりごと

カラダの誠実さ

昨日はとある行事があったので渋谷に行って来ました。初めて会う人ばかりだったので、行く前まではたくさん知り合いを作ろうと思っていたのに、どうもうまく積極的にいけなかったので反省中。出会いは大切にしようと思っているのに、なかなか難しい。次の機会にはもう少し前へ前へ。。渋谷に久しぶりに行ったので、たくさんの女の子の細いカラダを目の当たりにして少し動揺した。でも、平気。人は人だ。私が見つめるべきなのは自分の身体と心だ。そんなことを考えながら、家に帰って来た。一昨日の過食はここ1ヵ月では稀に見る酷さだったけど、今日はもう落ち着いたらしい。確かに、めっちゃ過食したけど、今までとは少し違う心情だった気がした。だから、気の済むまでやってみたら、今日はまた栄養のあるものを適度に摂取したくなったし、自分の身体を作りたいと思うことができた。冷静に戻れるまでの時間が少しずつ短くなっている気がして、きっと今は調整段階なんだと信じている。きっとまた崩れる日は来る、でもその時はまた今より少しだけであっても自分を冷静に見られていたらそれでいい。それから、ここ2,3日思いっきり過食して、吐かなかったことでどれだけ体重が増えてるかと思って測ってみたら、ほとんど変わってなかった。。デジタルの体重計やから精密度は落ちるとは思うけど、「なんや、ちょっと過食してもかわらへんやん」と思えたのが大きかった。バランスとればいいねん、調整したらいいねん、運動したくなったらしたらいいねん。カラダは私が思っているよりもずっと誠実で、ずっと賢いんだと思った。私は自分の身体に不信感を持っていて、自分の思考こそが解決に導くものだという根拠なき思い込みがあったからカラダの叫びを都合よく看過していたけど、本当は身体はいつも誠実にこうやってとてもシンプルなメッセージを叫びながらここに存在してくれていることに気付く。参りました。

そういえば、一ついいこともありました。新しく友達ができた―香港人^^。どこの国の人、とか、どこの地域の人、と括るのは良くないとは分かっているけど、私の香港人というか広東人というか広東語に対する愛着はそんな理性をも吹き飛ばしてしまう(笑。話は逸れるけれど、以前はよく図書館に行った時、「読みたい本」だけでなく、「読むべき本」、を手に取ることが多かった。そして家やカフェで読もうとするのだけど、頭になかなか入らず自分の頭の悪さを責めて自己否定の要素がどんどん増えていくという悪循環。しかし、それもそのはず、私は脅迫観念によってその本と対峙しているのであって、純粋な知的好奇心から共存・吸収しようとしているわけではなかったからだ。それに気付かせてくれたのは、香港と広東語に関する本だった気がする。私は自分の中にすーっと染みていくとても温かくて有り難い感覚を楽しむことができた。誰が強制するわけでもない、私が知りたくて、触れたくて、好きだから、傍にいるんだっていう心の喜ぶ声が聞こえた。「好き」ってこういうことなんだなあって心から思った。以前の私は、奇をてらうか、人に迎合するか、いつも両極端な選択ばかりで、どちらにせよいつも自分の心と向き合うことなく、社会における意義や正しさを確認しながら物事を選んでいた。「無難」という言葉がとても嫌いだったのは、自分が無難に逃げながら生きていたからに他ならないと思う。だからこそ、今感じられる「好き」という感情が、すごく大切で、すごく愛しく思えるのだろう。きっと誰か人に対してもそう思えた時本当に他者を愛せるんだろうなあ、と思ったりもしました。でも、今少し怖いのは、「私はこれが好きなんだ」と思い込むことでアイデンティティの不安から逃れ、実際はそれ以上知ろうとする努力を怠ることです。そんなことがないように、いつもその他者と向き合い続ける環境が必要な気がしております^^。そしてそういう感情を一つ一つを誤魔化さずに大切にしていくことは、きっと自分を大切にし、自分を愛せることと繋がる気がします。

ちなみにその香港人と週末会うことになりました。あまり広東語をしゃべられたら理性を失ってしまう(以前に何言ってるかわからんけど)ので、最初はできるだけ日本語で交流してどんな人か知ってみよう。。って私キモイ!アホや(笑。
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by jengsauman | 2005-06-20 01:01 | ひとりごと

昨日と今日はここ久しぶりの過食をしました。何故かはよく分からんけど、急に怖くてたまらなくなった。でも、それだけではない気がする。何というか、前に進んでいくために今はどうしていけばいいか手探り状態で、そのペースややり方をどういうものにすればいいか、自分と対話しながら、少しずつ軸のようなものを探していて、それから少しずれたことを身体が教えてくれたような気がした。そして、少しくらい過食したところで、それがどうしたと思えるようになるためのトレーニングなんだと思う。後で調整すればいい、バランスをとればいい、ただそれだけのことなのに、バタバタして焦ってしまう自分は、まだあわよくば問題を中途半端に放置して逃げようとしている証拠だと思った。100が90に減ったら、すぐに0になることを期待してしまう、焦りすぎやっちゅうに。怖くても、ちゃんと付き合わないと。この身体とはこれからも一生付き合っていくんやから。

何でか分からんけど、すごく自然に触れたくなった。大陸に行きたい。でも分かっている、自分がどこに行こうが、何を得ようが、何を学ぼうが、何を身に付けようが、何を考えようが、私はやはり私でしかないんだと。問題の本質から目をそらさないでいたい。自分の問題と向き合い、解決していくのは自分でしかないことをきちんと頭において、他力本願にならないように、誰かのせいにしないように、言い訳を探さないように、また前を向いて行こう。生きるって大変やなあ、でも一つ一つクリアしていけば、未來は現在より更にキラキラしてるかもしれない。その可能性がある限りは、歩みを続ける価値があるはずだ。

高校の友達が、「結婚することになりました」というメールを送ってきた。私にとって近しい友人の結婚は初めてで、とても新鮮な風が自分の中に流れた。とはいえ、私は摂食障害と一緒に生きるようになってから彼女には会っていない。それでも結婚式には来て欲しいと言ってくれたことを有り難く思った。でも同時に、すごい時の経過を感じた。価値観の多様性を改めて痛感した。その中から自分の人生を選び取っていく勇気が必要であることを痛感した。こんな自意識過剰で、自己中心的な自分が他者と一緒に生きるという選択肢を持つ日は来るのかしら、とも思ってみた。とりあえず、「結婚か~」とつぶやいてはみるものの、あまりに想像を絶しすぎて妄想にしかならへん(笑。そういえば、妄想ならよくしてるけど、大抵相手は広東語圏の人やねん。何でやねん、私。ともかく、結婚が決まった友達に心からおめでとうと言いたいし、これからもずっと幸せで居て欲しい。たとえ遠いところにいても、価値観が違っていても、やっぱり大切な人の一人やから、彼女の心がいつも晴れていることを願っています。それぞれの選んだ道で、よりよい生き方を模索したいなあって思った。

そういえば、昨日家の近くのスーパーに寄ったら、レジのお姉さんが以前数回見かけたことのある人(多分中国か台湾の方)で、いつも「こんにちは~」と可愛い笑顔で迎えてくれる。昨日初めて話しかけてきてくれて、よく聞こえなかったから、「え?」って聞き直したら、めっちゃ笑顔で「千円以内で買い物するの上手ですね」と言われた(笑。前もそうやったんかしらんけど、そんなこと言われたの初めてでめっちゃホッコリした気分になった(笑。人を幸せにするオーラってあるなあと感じた。自分を開いている感じ、そして相手を思い遣る気持ち、そしてやはり笑顔。どんな時だって、人のことを大切にしている人というのはそれがちゃんと表に出ている気がした。仕事であろうが、友人関係であろうが、恋人関係であろうが。美しい女や、いい女である前に、一人間として胸を張っていられるようにしたい。そうすれば、「痩痩痩痩痩痩痩!!!」みたいな私の頭の中をもう少し中和できる気がする。太った姿では人に会えないなんて、もう二度と思いたくない。私と関わってくれる全ての人のことをちゃんと考えられるようにしたい。今のこの姿こそが私なんだと、あれだけ自分で認めたはずなのに、やっぱりまだ既成の価値観に乗っかろうとしている。時間をかけてでもいいから「痩」という文字を私の頭の中から一つ一つ消していきたい。だって、もし今のままで痩せることができたら、私はまた「痩」ということに価値を感じてしまい、自分の存在価値の認定にそれを利用して、自分の頭で考えて、自分らしさを追求することを怠ってしまうに違いないから。そんなんもう嫌やよ。

何でこんなに怖いんかわからない。来月にもう数年会ってない友達と何人も会う約束をしているからか。自分で決めたことやのに、その日が一秒一秒、今も近づいているのが怖くてしょうがない。もはや隠すことなんて無いと分かっていても、やっぱりこの期に及んでまだ少しでも痩せようと思ったりしている自分があまりに浅はかで情けない。そんなことを考えている時は、何も生産的でも、自分らしくもない。ただただ焦っている。そして、それはただの通過点に過ぎなくて、これからも私はこの自分と付き合い続けていくんだと思い至ると、また冷静になれる。そういうことを繰り返してずっと一人であたふたしている。恐ろしいことだが、友達たちが私のことを心配してくれるのは、痩せていた時の私しか知らないからで、今の私を見たら心の中で引いたり同情したりするのではないかと疑ってさえいる。自己不在も甚だしい。数年前、高校に教育実習に行った時、その時今より更に少し太っていた私を見た時、みんなが「えっ・・」って顔をした気がしたけど、誰も何も言わなかった。が、その後に一人の男体育教師が私を見て、爆笑して、みんなの前で「お前めっちゃ太ったなあ~。ははは」といいながら、ジェスチャーで太った仕草までしてくれたのが忘れられない。シーンとした空気が嫌で、私は笑って「ひどいなあ、先生」っておどけていうのが精一杯だった。でも、それが普通の人の反応だろうなと思った。そして、私は友達を信じられていない。それがこのモヤモヤの根源なのかもしれない。友達が私の価値を身体だけで判断するとでも思っているのか?と思いつつも、それを完全には否定できない自分が居る。それは自分がそういう価値観だからで、それに気付いてまたがっくりする。まあ、一歩一歩進むしかないんよね。みんな頑張ってるんやもん、私も自分に負けない。試行錯誤しながら、生きていこう。

リズムが崩れたら、また戻せばいい。もがいているうちにまた何かが見えてくるはずや。自分でもがくことに意味がある。苦しい思いをしてこそ何かを感じられる。殻を破りたい。
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by jengsauman | 2005-06-17 06:11

シワ

う~ん、肌の調子が悪い。というか、摂食障害と同居するようになってから、何か肌が変わった気がする。それに、よく見るといろんなところに皺ができている。自分が嫌でしょうがない時、鏡を見るのも嫌で、それでも化粧する時に見ざるをえないから、鏡から少し離れて自分をできるだけ見ないようにしていた。現実から目をそらすとは正にこのことやなあ。でも最近は、ダメなものはそのままダメなものとして、できるだけ受け入れようとしてはいるけど、やっぱりこの肌を見ると哀しくなってしまう。皺は、いつも眉間に皺を寄せる時や、何か踏ん張ろうとした時にできる場所にあって、しかも結構深いことに気付いた。私はこの皺ができるくらい怖い顔をして、顔をしかめていたのかと思うと、何ともいえない気持ちになった。身体って本当に正直やなあと思う。そして、人間て自分が自分を何かのこだわりで縛れば縛るほど、それ以外のことの変化に気付きにくくなってしまうんやなあって思った。自分の周りに毎日あるはずのたくさんの変化や刺激や幸せを、自分から放棄してしまっている。それはほんまにもったいないとは分かってるけど、一度視界が狭くなり始めると、なかなか気付きにくくて、理性と感情がこんがらがってわけがわからんくなってしまう。自分で自分を縄でグルグル巻きにするみたいな感じだ。それにふと気付いた時が一番孤独で、情けない。それでも、また歩きはじめなければならないと分かっているから、余計にその孤独が辛い気がする。
昨日知り合った人たちの中にとても素敵なカップルが居た。女の子は少しふくよかな子で、男の子はとても優しくて男前でステキな子だった。二人はとても仲が良くて、特に男の子が女の子を好きでしょうがないという感じに見えて、すごく微笑ましかった。実際、その女の子はすごく性格が良くて、たくさん食べることも楽しんでいて、生きているのを楽しんでいる様子で、何より彼女の笑顔がとてもステキだったのが印象的やった(肌もつやつや)。やはりついつい食べることや体型に目がいってしまうのは今もあるけど、それだけじゃないんだよってまた教えてもらった気がした。私は痩せることに甘えて、自分から誰かに心を開き、誰かを思い遣って、そして人間関係をより深くしていくのを怠っていたのかもしれない。臆病者やけど、臆病やと自覚できるようになったんやから、またそこから進めばいっか。

今日メロンを食べた。すっごく美味しかった。アセロラドリンク一気のみもした。すごく満たされた。何かを摂取することは、自分に栄養を送り込み、自分にハッピーな気持ちをもたらしてくれるっていうすごくシンプルなことだと少し思えるようになった。怖い時もあるけど、でもやってみると何かが見えるかもしれない。ずっとそういう手探りであっても、いつか自分の視界が変わっていったらいいなと思う。

最近、歩きながらよく思う。前は自分のこの二本の足を私はいつも太くて汚いと思って憎んでいた。今でも朝起きて自分の足に触れた時、鏡で見た時、「ああ・・」って思うこともある。それでも、やっぱり私の身体を毎日支えてくれて、私の身体と心を前に歩ませてくれているのは、この二本の足なんだと思うと、ありがたいなあって思える。お尻だって、座る時のクッションになって痛くないように私を護ってくれているもので、腕だって、頭だって・・・言い出すとキリがないけど、表面からもう少し中に入っていろんな面から見ていくと、身体はいつも私を支えてくれて、私を護ってくれているんだと気付く。まだいろんなことがぼやけていて、手探りだけど、毎日もっといろんなことにダイビングみたいに飛び込んでみたい。変な皺じゃなくて思いっきり笑い皺ができるくらい笑いながら。
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by jengsauman | 2005-06-14 01:37 | ひとりごと