過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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理性と情熱

前にちょっと見かけてブックマークしておいたHPがあったので、
久しぶりに訪れてみた。

自分の過去を通して抱いていた問題意識や負の感情と向き合い、しかも
それを以って世界の見知らぬ他者のために実際に行動を起こしていることに
心から尊敬の念を抱く。そうやって行動を起こしている人はたくさんいるんだろう。
人が持つパワーと愛ってほんまにすごい。

そこのメンバーの一人が書いていた好きな言葉にこんなのがあった。
“Rest in reason, move in passion.”(理性を忘れずに、しかし情熱を行動に)

なんて素敵な言葉なんだろうか!
あたしは情熱という言葉が大好きだけど、情熱と理性のバランスが取れなくて
モガモガとしていた。しかし実際は、そのどちらかではなく、両方必要なのだ。
この言葉を思い出すと、その二つのバランスを少し冷静にとれる気がした。

とにかくやってみる。見る前に飛ぶ。
自分を信じられずに、自分の感情や信念を見失いそうになって
またできない理由を探しそうになったら、大好きな詩を思い出そう。


*****************************************

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

『自分の感受性くらい』茨木のり子

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by jengsauman | 2005-08-23 17:26

ゲシュタルトの祈り

    私は私のことをします。
    ですから、あなたは
    あなたのことをして下さい。

    私は、あなたの期待に添うために
    生きているのではありません。
    そして、あなたもまた、
    私の期待に添うために
    生きているのではありません。

    あなたはあなた、私は私です。
    でも、私たちの心が、
    たまたま触れ合うことがあったのなら、
    どんなに素敵なことでしょう。

    でも、もしも、
    心が通わなかったとしても
    それはそれで
    仕方のないことではないですか。
    -何故なら、私とあなたは、
     独立した別の存在なのですから-


********************************

偶然こんな詩を見つけた。
精神状態によって受け止め方が全く変わるらしい。
きっとそうだよね。

親に言いたい、という人も居た。
結婚のことを考えてる人も居た。

でも、あたしは今この詩を読んで、友達を思い浮かべた。
そして、なんてしっくりくる歌なんだろうか、と深く感じた。
今日この詩に出会えてよかった。
でもそれはとても自然で必然的なことな気がしました。
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by jengsauman | 2005-08-21 12:09

何のために?

思い出した。今日友達が教えてくれたこと。

いつも何かで迷ったら、「何のために?」という問いを自分に
投げかけ続ける。それとまともに向き合っていれば、ほぼ間違いなく
後悔しない選択ができる、と。
理由が思いつかないことは、ただ感情に流されているだけだと
冷静に判断できる。それ以外の時もあるけど、大抵はそうだ、と。
だから、いつも最初と最後にこの問いを自分に真正面からぶつける、のだとか。

なぜなら、一番大切なことは、「自分がハッピーでいること」だから。
自分がどうしたいか、それに当てはまるものならば、きっと
「何のために?」という答えに答えられるはずだ。

なるほど。人から言われると、似たような言葉を頭に描いていても、
全然違うように受け止められるんだなあと痛感。
というか、多分本当には自分の中で具体的に描けてなかったんだ
なあって反省。

そして、考えてみよう。あらゆる選択について、
「何のために?」
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by jengsauman | 2005-08-18 02:42

人と共存する

母との会話、姉との会話、友人との会話・・・。
想像力に欠けていたのは自分だったと気づきました。
相手には何も求めない、などと言いながら、人に自分のことを誤解されるのを
極度に恐れていた。重要なのはそんなことではなかったのに。。
父や母がどういう思いで私のことを想っているか、そんな想像力さえ持てていない
くせに、人が自分のことを分かっていないと批判するなんて。何をしとんねん。
自分の思考にいっぱいいっぱいになって姉の結婚のことも考えてあげられない
狭い狭い自分。何をしとんねん。
ほんとうにごめんなさい。

少し想像力を使うことができたら愛を感じられたのに。
また、自分を愛せてなかったなあ。また自分の道を目の前を自分で遮断してたなあ。

そして今日、思った。
悩むのをやめたいなあ、と。
思考は止めない。でも、悩むのはやめよう。
私が毎日考える中で、自分に気づきを与えてくれる意義深い思考もいくつか
あるかもしれない。が、それ以外の大部分はきっと自分との対話ではない。
きっと自己正当化のための悶々としたもの。勇気を持って自分をえぐってる
わけでもないし、どこかで甘えがある、でも考えてるんだと自分で納得
しようとしてる。必要なものとちゃんと区別して、それを減らしたい。

その分を、もっと有効に使いたい。時間も労力もお金も。
ずっと、内的なことを中心に考えてきた。そして、今もそうだし、これからもそうありたい。
でも、それだけではなくて、もっと表面的知識ともうまく付き合いたい。
私の友が今苦境に居る。私は悲しいほど何もできない。ただ、心配することと、
何かあったら連絡してやって言うことと、いつも愛してると伝えることしかできない。
それだって大切かもしれんけど、もし私がもっと法律を勉強しておけば、
もっとお金を貯めておけば、何か具体的にもっとできたかもしれないと思うと、
悔しい。ほんま悔しい。それを悔しがってるだけじゃ何もならんのやけど。

でも、分かった。
表面的なものを自分の存在意義と繋げずに心から求められたら、
その時はそれを一生懸命やるべきで、きっとそれは正しい選択だ。
自分が自分と向き合うために、自分のことばかり考えたりしてしまうのは
まだ捨てられないし、まだやる必要があるとは思う。
でも、その表面的なものを自分と向き合うために全部排除してしまうのは
自分のためにも周りのためにもプラスにはならないのだと思った。
引き出しは多いほうがいい、と今は思う。
でも、多いから価値があるとかそういうことではない。
多ければ、より人と関われるチャンスが増える、だからいいのだ。

何か違和感を感じたら、人を批判したくなったら、痛いところを突かれて
ぐあああ~という気持ちになったら、その時こそ思い出したい。
自分は本当に想像力を使えているか?周りが見えているか?
周りを見ようとしているか?思考に逃げて結果的に独善的になって
傲慢になっていないか?

もっと自分が人に生かされていることを、自覚したい。
まだまだ自己中で、すみません。
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by jengsauman | 2005-08-18 00:44

現実

私の高校の先輩(直接は知らない、10歳くらい上かな?)が、
イラク戦争を題材にした映画を撮って、
全国で上映会が行われているらしい。
という情報を目にした。
その人のHPもブログも拝見した。
数日前に新聞でも拝見した。
一番痛い、リアルな生死、を目にする。
それと向き合おうとする先輩の姿を
どうやって受け入れようか躊躇した。

昔、戦場のフォトグラファーに憧れた。
昔、戦地を取材するジャーナリストに憧れた。
でもそれは現実とはかけ離れた場所での憧れに過ぎなかった。
でも、現実に彼はそれを実行している。
私は、自分の内面で立ち止まっている。
これが、母が言いたかったことなのだろうか。
ここまではいかないだろうけど、つまり現実にできることから
行動に移していけと。そこにこそ意義があると。
頭ではとてもよく分かっている。

「でも、、、」と思っていた。ずっと。
「でも、私には思考が必要だ」と。
それはそうだ。思考は必要だ。でも、そこで「でも・・」と
言っちゃいけないのだ。
できることは何でもやらなければ。
思考に甘えていてはいけない。
理不尽だと思っても、整理できてなくて別の視野からの情報
を自分に入れたくないと思っても、突っ込まないといけない。
一方面からだけではまた違った形で歪みが生まれかねないから。
そのことに対する違和感が自分の中にあったことにも気付く。

やっぱり、いっぱい甘えがあった。
きっとまだいっぱいある。
でもそれに気づけばいい。
そしてあっても別にいい。
甘えを全部潰してからじゃないと動けないなんて
それこそが甘えなのだろう。

とにかく、私は五体満足でこうして生かされている以上、
痛い、見たくない、聞きたくない、そういうものに
ぶつかっていかなければ。

先輩、あたしも頑張ります。
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by jengsauman | 2005-08-17 02:56

思考の放棄?

さっきまで2時間強母親と話をした。
自分の価値観外のことを想像しようともしないのに、どうして内面に入ってこようとする
のだろう。その度に、説明を求められて、それがうまく表現できない自分に
苛立つのに、その断片的情報を基に全てを判断されて、泣きたくなってしまう。
「なんや、今までこういうこと考えてたってことは、
あの時も、あの時も、そういう浮世離れした思考でやってたんか・・。」
って言われて、もう暴れたい衝動に駆られた。本当に携帯を真っ二つに
割ってしまおうかと(笑。

「何かようわからんわ」っていちいち言うなら聞かないで頂きたい。
分かろうともしてない態度で聞かれるのほど悲しいものはないと思う。

「あんたは自分、自分、自分って考えすぎなんや。
もっと人のために何かやろうとか考えたらええやろ。」
自分ともまともに向き合えてない人間が他者のために
何かをやるなんて、今の私には自分との対話をより
遠ざけるもので、それは自分の問題を先送りすることだと思う。
もちろん、人のために何かすることも大切やけど、自分の
問題を放置するのはどうかと。。

「いつからそうなってしまったんやろうなあ・・」
あたしは今の自分に少しずつ自信を持とうとしてるのに、
どうしてそういう発言が出てくるんだろう。
今の私を悪い状況だと思ってるんだろうな。
あたしが形あることに頼って生きていた時代のこと
ばかり話に出さないで欲しい。あの頃に戻ってほしい
んだって。あたしはそれから必死で離れようとしてるのに!

「『自分の軸』だとか、『自分が自分であること』なんて
そもそもいらんねん。そんなものなくていい」
う~ん・・私の今の思考に賛同できないらしい。
まあ、母にしろ誰にしろ、その個個が持つ考えをもとに
その人が幸せならそれでいいんやけど、
あたしはそこを今一番大切にしたいのに、何回も何回も
いらん!といわれると、悲しくなってきた。
母は、あたしがこうやって悶々と考えてるのが耐えられないらしい。

昨日、他者の厳しい言葉をもとに前進する、と言ったところ
なのに、既につまずいている(笑。
だけど、この意見を私はどう受け取ろうか。
自分の感覚に聞いてみる、少し落ち着いて冷静になってから
もう一度聞いてみると、自分のどこかが100%否定しないほう
がいいという気がしていた。
確かに、母は私とは全然違ったことを考えている。
そして、全然違う価値観を持っている。
だから、何か言われて違和感を感じるのは当たり前だ。
それに、多分耳が痛いことも沢山あるだろうから、
聞きたくなくて聞き流そうともしてしまいかねない。
甘ったれなあたしやから。

だけど、この発言にも意味がある。
思考を放棄する、それは多分したくないし、しないほうがいいと思う。
しかし、現実との折り合いをつけるべき、という意見は確かにそうだ。
私は精神的なものと現実的なものを分けすぎている気がする。
だから、いつも思考においては自分の内面にばかり目がいってしまい、
極度に主観的すぎるのに、現実のことを考えると急にそれとの距離が
遠くなる。本当はそこにも自分は存在しているのだから、そこが
虚構の世界のような考えを持つのは良くない。どちらも自分と繋がっている。

うーん、人の言葉を受け入れるってほんまに難しい。
確かに意味はあるけど、いちいち言葉に敏感に反応して、
こうして一個一個考えることは本当に前に進むために最善の方法なの
だろうか、と疑問にも思ってしまうくらいしんどい。
たとえ「昔も今も井の中の蛙のままや」と言われようが、
私は私の感覚を信じたい。
だけど、それに固執することが怖い。
バランスの取り方でグラグラしてるのに、更にグラグラしてもうた。

でも、私は行動で示すしかない。
きっと内面的なことは一生分からないと思うし、無理に分かる必要もない。
でも、私がやろうとしてることのために、この思考が絶対に必要だったと
証明してみせる。権力を持って無くても、経済的に苦しくても、
それに頼って自分に蓋をして生きていたよりも、ずっと幸せであることを
絶対に証明したい。幸せになろうなんて思ってない。けど、笑顔ではいたい。
そのために、このプロセスはきっと必要なんだ。

これが言い聞かせか、自己正当化か、そんな気も少しする。
でも、大部分の自分は、今の自分の感覚を信じたいと言っている。
それでいいんや。怖がるな。何を言われても、私は私らしさを放棄しないと
決めたやないか。だから、前へ行こう。どんな言葉も受け入れて、
どんな苦境を飲み込んで、私はもっと逞しくなってみせる。

確かに、もっと現実の社会にもっと意味を持とう。
そして、具体的に一個一個決定して未來に繋げていこう。
でもそこに飲み込まれないように。そして、その上で私は精神的な自分との
対話を続ける。途中で形を変えたとしても、絶対に続ける。
そうして、同じように必死で闘っている人たちのことを想いながら、
パワーをもらいながら、みんなの前進を心の中で願いながら、
私は自分の信じる道を進む勇気を持っていたい。
理想とは違っても、途中で泥んこになっても、きっと必ず。
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by jengsauman | 2005-08-17 01:27

壁を破る難しさ

壁を突き破ろうと、殻を破ろうと、思っていた。
だけど、なかなかうまくいかない。
どこでどうすることがその行為にあたるのか、自分の判断に自信がない。
AかBかを選ぶ時に、今まではAを選んできた。だから今はBを選ぼうとするが、
私の心はAを選ぶほうが「逃避ではない」という気がする。
そういう時、果たしてどっちを選ぶべきなのか、分からない。
安易に今までと違う選択をすればいいという訳ではない。
どこまでは今までの自分のままでよくて、どこからを変えるべきなのか。
あたしがこの頭で考えても分かりません。
だから、まだ激しく偏っているかもしれない自分の価値観を
もっと人に晒してみる必要があると思った。

いつも、最後のツメが甘い。最後の最後に思考を停止させ、自分を護る
ための理論をどっかから持ってくる。
一生懸命思考している振りをして、今までと同じ思考に乗っかっている自分を
自分で指摘するのはとても骨が折れる。それにそんな所で労力を使ってたら
どんどん時間が過ぎてしまう。
とにかく、その癖を打破するために、人の話を聞いてみたいと思った。

なぜなら、ここのところ「はっ」と気づかせてくれたきっかけになったのは、
周りの人が与えてくれた有り難い厳しい言葉や状況、だった気がするから。

私は怒られ慣れていない、だから厳しい言葉に弱いと思う。
今まで内面に関しての厳しい言葉を避けてきたし、それを言われない
ために先回りして体裁を整えることを続けてきたかもしれない。
だけど、厳しい言葉と向き合ってみると、その中にいかに自分を変えられる
チャンスが隠れているか少し分かる気がした。本当に有り難いことだと思う。
1回1回に膨大なエネルギーを費やし、何度も自分を正当化してみても、
やはり残る違和感。それはまぎれもなく、自分がえぐるべき場所だと思う。
相手がどうのとか他者がどうのとか、そうやって犯人探しをしている場合ではない。
そこでこそ、もう一歩だけ前に突っ込む勇気を持ちたい。本当に持ちたい。

時には心ない言葉に対面してしまうかもしれない。そりゃ怖い。
だけど、この世で生きていく上で、自分が価値を持たないと思うものを
さらりと流せるようになれる力をつけることも必要だ。
何にしたって無駄なものなんてない、と感じる。
「すべては僕のとらえ方次第だ」(またミスチル)

ここのところずっと持っていたモヤモヤ。
人との軋轢、というかすれ違い。最初はそのことを考えるのもいやだった。
ちょっと経ったら、相手のせいにしようとしていた。
でも、そんなことしたってその場しのぎでしかない。もっとこの出会いの
意味を考えてみようと思った。
実際、向こうは何とも思ってないかもしれない。
だけど、だからまあいいや、ではなくて、ちゃんと考えようと思った。
私にはそうする必要がある。

今日、別の友達にメールをしようといろいろ書いてて気づいた。
「私は自分が相手に自分と同じ価値観を求めていた」
「私は自分が正しいと思うことを認めて欲しかった」
「私は自分の世界の狭さを忘れていた」
「私は相手との関係において必要以上に甘えを持っていた」

等等。どうやらバランス崩れらしい。そこは私に非があるんだと分かった。

人付き合いには感情も絡むものだし、一個一個を頭で考えるなんて
ナンセンスかもしれない。でも、自分で自分に問い掛けつづけているよりも、
他者に話そうとして文にしていたら、自分の文により責任を持とうと
より深く考察をして、より感情に近い的確な表現を使おうとする。
そうしていく中で気づくことってある。諦めの時もあるし、プラス思考もあるし、
この点は考えてもしょうがないと放棄できる時もあるし、ずっと相手のせいに
してたところに急に自分を客観視したことによって自分もこんなに自己中だった!
と気づくこともある。考えるのは気持ちがいいことではないけど、折角の出会いなんやし、
それを経て自分が一つでも何か学べたらいいなあと思う。

人や社会を悪く思うことで自分が納得できるならそれでもいいと思う。
でも、それをもういっちょ越えることができたら、きっと違うエネルギーが
生まれるはずだ。どんな思考をしたって、最後には自分がどう動くかで
自分の人生は決まる。過度に美化する必要なんてさらさらないけど、
「ぐううう、、、ぐああああ~」と叫びたくなる時でも、「よっしゃ、絶対に
この状況から自分を前に進ませるものを得てみせる」という思考が
できたら、少なくとも心の苦しさは減るんじゃないかなあと思う。
とにかく苦しくて、どうしようもない状況を短くすることはできる。

私は、今ある精一杯の気持ちを基に堂々としていたい。
ここで下がったらまた同じやないか。
自信なんてない。前もないし、今もない。でも、自信ない~と言ったら
上から降ってくるわけでもない。自信なんて、得るものではない。蓄積するもんだ。
どうしようか、って迷った時に、より勇気が必要なほうを選んでいくことで、
それでたとえ失敗してもそれを受け入れて飲み込んでいくことで、
自分を変えていく。それしかない。

哀しかろうが、悔しかろうが、辛かろうが、納得いかなかろうが、
怒ろうが、泣こうが、何を感じてもそれを抑圧はしない。
でも、絶対負けたらあかん。いつも信じる気持ちを0にはしない。
発掘作業のように少しずつ少しずつ自分の周りにあるカチカチの土を
削っていって、自分の居る場所を広くしていくのだ。

そして、行動で示すんや。あたしは逃げへんぞ、と。
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by jengsauman | 2005-08-15 20:40

サヨナラ~

うぎゃ~~!何で二日連続対巨人サヨナラ負けやねん!
ほんま、4時間以上も試合やってそんだけチャンスつくっといて何で3点しかとれんのよ。
まじで勘弁してよ。泣きそうよ。悔しすぎよ。

花火いっときゃよかったか・・。。(←ただの負け惜しみ(笑)

それにしても、試合内容はもうおいといて、今日後ろの席に居た男の子について。
彼は推定10歳くらいで、バリバリの阪神ファン。
その歳にしてもう野次を学んでいるらしく、突っ込みが容赦ない。
が、それがめっちゃめちゃおもろい!そして、めっちゃめちゃ的確!更にポジティブ!

だから、聞いていてとてもおもろいし、そうだそうだ~と頷きまくり、時々元気づけられる(笑。

ヒットを打たれても
「ドンマイドンマイ、ゲッツー狙っていこ!」

チャンスで凡退しても
「まあそんな時もあるわ。気持ち切り替えていこ!」

ピッチャー打たれまくってみんなシラーっとし始めた頃に
「がんばれがんばれ、○○(投手名)」といつも最初に言い始める。

が、しかし、それ以上悪事が続くと
「おい、今の場面はバントしたらあかんやろ。なにやっとんねん」と怒り

押し出ししちゃったりしたら
「おいおい、なにやっとんねん。めっちゃつまらん点やるなや」と怒り

頼りの金本兄貴がチャンスで凡退したら
「あにきいい・・T_T。兄貴しかおらんのやから頼むわああ・・T_T」と泣きが入り

何か常に後ろで解説者ばりの解説をしている(笑。

それを見て、この子すごいなあと思った。
ほんまに自分の心にあることをそのまま表出している様子がとても逞しく見えた。
私はあの年のころから既に自分を出すことを恐れていた気がする。
少なくとも、あんな大勢の人の前で、一番大きい声を張り上げて自分が思っている
ことや感じたことを堂々と話していることが私にはとてもまぶしく見えた。

試合は最悪やったけど、また素敵な空間に居られたことを嬉しく思った。
阪神ファンの人ってみんな暖かくて、感情豊か。(他チームもきっとそうだろうけど)
だから、あの場所がやっぱり好き。
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by jengsauman | 2005-08-14 02:41

where is the love?

この歌を聞くと友達を思い出す。
だからちょくちょく聞く。
私はそういう行動をよくする。
依存かな?いや、別にいいやんね(笑。

あたしは愛を感じることが少しできる。
でも、大抵の時間は不安で不安で不安で
探し回っている。いつもちょっとした瞬間に、
ちょっとしたきっかけで何もかもを見失ってしまいそうで、
怖くて怖くて仕方がない。言い聞かせて自分を
保っているのか、それとも本当に安定してきているのか
それもよく分からない。

親も大切な人もみんないつか居なくなってしまう。
魂は生き続けるかもしれないけど、私はこんなに
脆弱な精神で、どうやって自分として生きていくつもりだ。

愛こそが一番大切、そんなこと分かってるけど、
それに対してまだこんなに不自然で、こんなに不安で、
怯えてる私は、まだ生きることに対して構えて殻をかぶろう
とし続けている。第一、自分は人を愛せているのか?・・・。

人に対して自分を開いている人と対面するたびに、
軽いショックを受ける。羨望でもなく、驚きでもなく、なんと
言っていいか分からないけど、
まじで??そう来るとは・・。みたいな(笑。
そして、そのたびに自分がまたしっぽを巻いて
逃げようとしてたことを知らされる。
まるで後ろからしっぽをつかまれた格好だ。
そうして1回1回つかまれてでもいいから自分の
行動を変えていけばいいのか。

自分の視界を少しだけ広げれば、自分の煩悩が如何に小さい
ことで、如何に非生産的か、それくらい分かっている。
世界を見れば、自分が如何に恵まれているかも。
どんなに理想論を吐いても、現実を受け入れないといけない時も
ある。だけど、敢えてここで立ち止まる意義だってあるんじゃないか?と
自分の内面のどこかが主張している。だから、私は今日も考える。
その上で自分ができることを、重ねていくべきだと思う。
いきなり思考が世界に飛躍したって、自分のことさえ分かってないのに
何もできやしない。物事の順序をつけていかないとなあ。
ついつい、全部いっぺんに持ってくるから混乱するねん。

ふうう~。と深呼吸。
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by jengsauman | 2005-08-12 01:35

心は泥まみれ

今からの私に必要なのは、過去に浸ることでも、現実に浸ることでもなく、
どうやって未來を実現していくか。いつも具体的にどうしていくか。
私はどうしたいか。

綺麗事抜きに、今までの全ての要素が私を作っている。
失敗と思ったことも、アホすぎて笑いも出なかったことも、それらでさえ
私を作っている。二度と同じことを繰り返さない教訓でもあり、
私は不完全だと気づかせてくれた事実でもある。

だから、私はこれからもそんなアホな私なのだ。
アホやけど、そういう風にして失敗を飲み込んで糧にしていけばいいのだ。
綺麗に生きようとするのは、一番私の核から遠い表面の皮のような部分
だけでいい。心は泥まみれのほうがおもろいやん。(←自分で書いててツボにはまった(笑)

自分を護ろうと立ち止まってる人はおもろないねん。
自分もおもろないやろうけど、他人からしたらもっとおもろないねん。
結局生きることは、コミュニケーションすることだ。人がいて自分がいる。
それでいて自分がないのに自分を護ろうと偉そうなことをしゃべってはみても
実際は人との間の溝が深まるだけで自分が一番苦しいことを分かっている。
周りの人に「あんたに魅力感じへんでー」ってはっきり言ってもらえないのがまた悲劇。
いつも動いてるからこそネタもできるもんやし、
動いて失敗しまくってるうちにに何があってもへこたれへんしなやかさを
身につけることでかっこよくなるねん。

ほんまのかっこよさって多分そういうもんやろうと今はイメージする。

男でも女でも、そういう風に頑張ってる人ってきっとたくさんいる。
だから、いろんな人ともっと出会って刺激を受けたい。

燃える!テーマは情熱!!
MDを整理してたら大黒摩季が出てきた。なつかし~。
聞いてみた。
なんか時代を感じた(笑。
でも元気が出た。

みんなしんどいねん。みんななやんどんねん。
でも、諦めたらあかんねん。
幸せも、優しさも、自信を持つことも。
そして孤独から抜け出す勇気をもたんとあかんねん。
孤独は必要。でもずっとそこにおったらあかんねん。
うちらは自由やねん。大丈夫、絶対大丈夫やねん。

大黒摩季といえば、昔バイトしてた先に来たことがあった。
すごく可愛くて、細いカラダ(←やはり見るところはここか(笑)。
この人のどこにあんなパワーがあるのだろうかとすごく不思議に
思ったので印象に残っている。

多分、みんな同じだけのパワーをもっとるんよね。
それが歌か何か別のものかは置いといて。
それが出来る人と出来ない人がいるとしたら、
ただ、自分の無限の可能性を生かそうとするか否かの差ではないか。

多分、最後は信じる力だと思う。

夏は来る~きっと夏は来る~頑張ってんだから絶対来る~(笑
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by jengsauman | 2005-08-10 12:17