過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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であい

誰かに出会えてよかった、という思いはよく抱くけれど、
誰かに出会えたことが人生の分岐点だった、という思いは稀だ。

今年を振り返ったとき、思い浮かぶ人がいる。
あらゆる不甲斐なさを持つ自分でなければ出会うこともなかった。
すべてがその時のタイミングと縁と運に多く支えられていて、
その上で出会えたのだから、その自分でよかったと思いたい。

今年は表面的には立ち止まりの1年だったかもしれない。
けれど、今まで生きてきた中で一番自分を見つめられた。
そして、自分の欠点を大分見つめられた。

今までは避けて、逃げて、正当化して、そんなはずないと思って
同じところをぐるぐると回っていた自分が、そういうことに目をむけ、
これから具体的にどうしていくかを考え、失敗しながらも行動にうつそう
としている、そのことがとても清清しく、希望を持てた。

誰が何と言おうと、私は唯一無二の自分の人生をまっとうすることに
力を注げばいい、そう教えてくれた。後ろからすごい力であたしの
背中を押す言葉をくれた人と出会えたことが大きかった。

私は、彼に特別な想いを持ち、彼は私にそうではなかった。
早い段階からずっとわかっていたけれど、
私は、人生という軸と恋という軸が同じ人を中心に回っていることで、
頭の中がいつも彼でいっぱいだった。
都合のいい女になっても、何でもいいからそばにいたい、というのが本音。
けれど、そんな自分を乗り越えなければ、自分が自分の主体となって
生きることはありえない。そのためには、この想いを断ち切らないと
いけなかった。それに気づきながら、それをできない弱い自分がいた。
彼を失うのがこわかった。

数日前、会う機会があった。私は、それを最後にする決心で行った。
今年中に全てを清算するんだ、と決めて。
私は自分の意思で自分の生き方を決めるんだ、と強く念じながら。

結果的に、自分を傷つけたかもしれないけど、これでよかった。
彼は私にとって大切な人だったけれど、自分を傷つけてまで
想いつづけるほど、必要な人ではないはずだ。

ふとどこかで読んだ言葉が浮かんだ。
「あなたが愛する人が、あなたを愛してくれなかったり、
あなたを傷つけたり、誠実でなかったり、辛い思いをさせることが
あっても、決して嘆かないで。それは、その人じゃないんだよ、
というサインなのだから。勇気を持って、執着を捨て、
勇気を持って、新しい出会いに飛び込んでください」

日が経つほど、彼は考えられないほど自己中で非情な態度をとってくれた。
それは、きっと「早く気づいて。早くここを離れて。」という神様か
仏様か先祖様のサインだったのではないかとふと思うと、私という
依存心と執着心に満ちた人間に、一歩を進ませるチャンスをくれた
その態度、言葉にもありがたく思える気がした。

最近、少しずつ自分が幸せになれるかもしれない、と信じられるようになっていた。
何の根拠もないけれど、自分の生き方が少しずつ楽になっていたからか、
なんとなくそんな気がすると思っていた。
きっと、この想いを乗り越えた先には、今よりもう少し打たれ強くて、
もう少し自立して、もう少し男を見る眼がある(笑)自分が居るのでは?と思ったりする。
目の前の些細な悩みを一つ一つ乗り越えていくことが、結局大きく自分を動かす
ことになるのではないかと思う。恋でも、勉強でも、仕事でも、人間関係でも、自分自身も。


目の前に薬がある。これを飲むこと=彼との過去を消すことを意味する。
薬は大嫌いで普段からほとんど飲まないけど、これはけじめをつけないといけない
事柄で、責任を持たないといけないことでもある。
そう思って、昨日病院に行ってもらってきたけれど、目の前においてからなかなか
飲むことができなかった。日の変り目に飲もうと思って、23時くらいからスタンバって
いたけれど、結局形だけで納得したふり、は意味がないと思い、友達に電話した。

思ってることを友達に電話で話す。自分軸で見ればこれもとっても大きな変化だ。
大好きを越して、友達の枠を超えて、家族のような大阪の友達たちに頼りたいときに
頼れる自分がいる。言いにくいことも、自分が悪いことも、誤ちも、言える自分がいる。
美化しても取り繕っても仕方ない。これが私の現実で、ここからどうするかを
考えて変えていくしかないんだから。
批判することはあっても、「100%あんたの味方やで」といってくれる彼女たち。
それがありがたいなあと再度痛感させてくれただけでも彼に感謝すべきかな(笑。

電話したら、最初はいろいろ話したけど、いつも何もコメントを言わないその子が
「それは、ダメやで」と言った(爆。私もそう思うわ、と言った(笑。
思ってることをほとんど全部言って、だらだらとしゃべってたら、いつのまにか
話がそれて、大晦日どうやってすごそっか!っていう話になったり、
ピ(韓国の)の話で盛り上がったり、あほ話になったりしていた。
HGのネタらしいが、「セイセイセイ」と何度も言うので、うつった。
気が紛れた。というか、思考が分散された。
そして、冷静になれた。
自分でまた思考をはじめたら、自分に「セイセイセイ」と言っていたりする。
これがまた、なかなか効果がある。けど、セイセイセイって何だろう・・(謎。

薬は今もまだ飲めないまま。けど、これを書き終わったら飲もうと思っている。
辛いことなんてないはずだ。もっと素敵な人と出会えるチャンスがあるはずだ。
自分の執着を捨てたとき、そこに費やしていたパワーを、本当に輝くものに
向けられると信じて。

今強く思うことは、とにかくもっと自立したい。そして、とにかく実力をつけたい。
私は、一人間として胸をはって生きていきたい。
それは彼が教えてくれたことでもあると同時に、彼のいろんな言動が
私にナニクソ精神をもたらし、実際に行動にうつさせてくれているのかも
しれない。奇麗事でもなんでもなく、本当にそうだ。

だから、私たちは唯一無二のパートナーとしての縁はなかったけれど、
少なくとも彼との出会いは私にとって唯一無二の大切な分岐点だった。
今の状態で、今の思考で、今出会えたからこれだけ意味を持ったと思う。
何も否定しない、でも何も思い出さない。前を向いて自分の人生を歩く。

大きな想いを持てば、その大きな分だけ傷つくかもしれない。
だけど、実際は傷つくことよりも、それを糧にさらに大きな力を
持つことができるのではないかと思う。
人と関わることは怖いことだけど、あきらめないで勇気を持って
挑戦しつづけていたら、いつかきっといいことがあるはずだ。
どんな経験も失敗も、それを糧にできたら宝となる。

もう二度と会うことはないけど、もし偶然会うことがあったら、
今より数百倍素敵な自分で、笑顔で会いたいっすわ。
いや、必ずそんな自分になってみせる^^!
自分の人生は自分で切り開き、ハッピーは自分の手で掴むものだ!

この縁に感謝。そしてこの縁にさようなら。
「出会えてよかった」その言葉は、いろんな意味で100%本音です。
出会ってくれてありがとう。
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by jengsauman | 2005-12-28 07:21
今日、実家から荷物が届いた。中には、クリスマスのおかしがいっぱい入ったブーツ(笑!
しかもキティちゃん(笑!しかもそれ買ったの、おとうさん・・・(爆笑!
父は母と一緒に買い物に行ったときに、そのブーツをふたつ持ってきて、
「これ送ったろや」といって買ったらしい。しかも、「おれも昔ほしかってん・・」と
ぼそっとつぶやいたらしい。もう抱腹絶倒!おとん、なんでそんなにかわいいのか。

おかあさんとあたしはほぼ毎日のように0時前後に電話している。
父はいつも10時には寝るので、そのころは夢の中で、話す機会はあまりない。
けれど、今日は忘年会とやらで2次会まで行ってきてご機嫌で
0時くらいまでおきていたらしく、「もひもひ~」と電話にでてきた。
その呂律回ってないっぷりに笑いをこらえるのが苦しかったけど、
「ブーツありがとう~」といったら、「はは、そんなもんで喜んでくれんのか~はは~」
とひたすらハイテンション。何か言おうとしたら「てか、はよ帰って来いやぁ~」と
連発しだして、何も聞いてない(笑!素面のときは、一言か二言ですぐおかあさんと
かわるのに、今日は「ええ?何て?」とかいって、会話になってへんのに、なかなか
電話をかわらない。

やっとかわったと思ったら、もうあたし笑いがとまらんくて、おかんと二人で
爆笑やで。おかんも横できいとって、めっちゃ笑ってた。おかんがおとうさんのものまね
したら「何いうとんねん」と怒られてた(笑。この夫婦、どうしてこんなに素敵なのだろう。

そしたら、今まで一度もなかった事態が起き→父が再登場(笑。
自分で受話器を母からふんだくって、「おとうさんはなー、」
と聞こえて、あたしは目が点→クククと笑いをこらえつつ、「うんうん」と聞いていた。
「おとうさんはなー、いろんな人の人生を見てきたけどなー、今日改めて
自分が幸せやって思ったんや。ごにょごにょ・・(何いっとるか全然わからん)」
と言った。

今まで同じようなことを何度か聞いたことはあるけど、今日ほどその言葉に
耳を疑うこともなかった。今のあたしの状態は良くないから、
あたしは早くどうにかしないと、と焦って焦って、今の自分を認めるなんて
すっかり忘れていた。

けど、父は二回も三回もそういった。素面なら「はい」とかしか言わないのに。

うっきゃーと思い、「あたしもそう思ってるよ」と言った。
父は「そう言ってくれたらお父さんは、モゴモゴ・・(不明)」
嬉しそうだった。
父と母は中学生か高校生のようないい合いをして笑っていた。
「自分らラブラブやな」と言ったら
「ブッ(噴出し)。お前酔っとんか」と言ったので
「パパが酔ってんのやん」といったら、
「そうや。おとうさんは酔ってるでぇ~。あはは~」
やって。なんてめでたい家族。。。

あたしは、自分が何を求めていたんだろう、と思った。
変に強がろうとして愛に溢れた平和な場所から自分を追いやったのは自分だ。
そんな無理をするから、無理がきかなくなったところで、自分に言い訳をして
とんでもないことをしでかしたりする。
今までこれだけやったから、と言っても、自分が選んだことじゃないか。
それに、そうして人に迷惑をかけても、どこかで自分を弁護していた。
だから、ある部分がとんでもなくズボラ。恐るべき迷惑人間だということに気づく。
しわ寄せが人にいっていることに気づかなかった。全部自分で受け止めているつもりで。

その一つが姉に対するものだった。
数年前、あたしは自分が心の中で固執していた男と、離れ離れになった後でも会える
口実をつくるためにとあるものを貸した。彼からいってきたのだけど、
それは実は姉に借りていたものだったのに、姉は使ってないものだったからと
勝手に言い訳をして、人の迷惑をかえりみず、貸す約束をした。
その時、私の体重は一番大きい数字だった。もう2年くらい会ってないあたしが
しばし日本を離れると知って、最後に会おうよと言う言葉が、あまりに切なく、
どうしても会いたかった。私はその約束をしてしまえば、彼に会うために体重
を落とすことに死ぬ気になれると思った。
どうしても会いたかった。
けど、数週間で彼の好きな細くて綺麗でクールな女にはなれなかった。
きっとあのころの自分にとって、目標達成というのはありえなかったと思う。
どこまでいっても不完全な自分にしか目がいかなかった。
意識すればするほど、それしか頭に浮かばなくなり、罪悪感と恋しさで
一体何をやっているのだろうか、と思ってよく天王寺でふけっていた。
ここから歩いて行けるのになあ、なんて思って。

結局、忙しすぎて会えないふりをして、そのまま行った。
梱包だけしておいて後から郵送で母に送ってもらった。
その時は、悔しすぎてその不甲斐ない現実を忘れようとした。
必死で言い訳を作り、自分は悪かったけど、でも仕方なかったとどこかで
思っていたと思う。
そうして、それ以前から、自分が気づかないところで人に迷惑を
たくさんかけていたことに対しても同じく、最後の最後に自分を許していた。
甘かった。

姉は何度かあたしに聞いた。「あれどうなったん?」
彼もあたしに何度も言った。「あれ返したいねんけど、いつ会える?」
そのたびに背筋が凍った。
瞬時に自分を護る言い訳を頭に用意する癖が染み付いた。

結局数年ごまかし続けて、とうとう今日姉がそのことに触れて切れた。
最近、姉とは言い争いばかり。というか、姉があたしのダメなところを言っているに過ぎず、
あたしが悪いのだけど、姉妹であるからこそあそこまで言えるのだと思う。
いろいろ言って、あたしはいつも自分の発言が全然折れてないことにも、
全然悪い部分を認めてないことにも、まだ言い訳していることにも気づいた。
痛いところをぐっさりと突かれた時に、くうう~という思いをかみ締めながら
「そのとおりだ」と潔く認められるようにならなければ、進歩しない。

そして、思った。あたしは、親は子供を護ってくれるもの、姉は妹を護ってくれるもの、
そう都合よく思い込んで、自分のしたい放題だったのだ、と。
苦しさや辛さを都合よいときに出してきて、問題をうやむやにすることなんて
客観的に見ればとっても情けないことなのに、あたしはそれを崩す勇気がなかっただけだ。
姉はあたしよりも早く生まれただけなのに。
わかって欲しいと願うことも、傲慢なんだと気づいた。
彼女は彼女の人生があって、線をひかないといけない部分はしっかりとしないと
いけないのだ。親しき仲にも礼儀あり。

姉がどうしてあそこまで怒るのか、その貸し物のこと以外に関しても
理解できた。罵声をあびせるのも、きつい言い方しかできないのも、あの人の
やり方であって、あたしが憎いからではない。ただ、その甘さを気づかせるために、
言ってくれたのだと思う。

親が、ありのままのあたしを愛してくれることも、
姉が、不甲斐ない私に容赦なく思いをぶつけてくれることも、
どちらも愛なのだと、悟った。

不完全さは消せない。でも、人に迷惑をかける不完全さと向き合おうとせずに、
グダグダと自己弁護を続け、誠実に謝ることをしない人間はどこに行っても
信用されない。それは体型とは関係ないことだ。

清算するべきことは全部清算しなければ。
行動するって言っただろ。
金輪際、「例外」なんて作るな。
清算するなら全部やれ。行動するなら全部やれ。
あれはやるけど、あれは無理、などと言ったら、いつのまにか何もできなくなる。

*************************************************

最近、まわりで親御さんが亡くなったという話を時々耳にする。
親がいつまで元気か、なんて誰も知りえない。

私の友達は、いろいろと問題があり、現在家と絶縁状態にある。
それでも、その子はしょっちゅうこう言うのです。
「私は親不孝だからバチがあたる」
「少しでも親孝行したいから・・」

その子はとってもヘビースモーカーだったのに、親にもらった身体を
これ以上傷つけるのはやめる、と言って、禁煙セラピーという本を使って
結局禁煙に成功した。たとえ親が見ていなくても、感謝の気持ちを
もちたい、そういっていた。禁煙できたねん、と言っていたその笑顔が
寂しそうだったけど、うれしそうだった。

親にしろ、兄弟姉妹にしろ、いつだって別れはおとずれうる。
人生は意外なことだらけだ。
明日もう居ないかもしれない。

あたしは、自分が自分の世界でしか生きてなかったことを思い知った。


高校の英語の先生が、親の介護のために、通訳を諦めて
教師になったという話を思い出した。
私は、先生のような生き方だけはするまい、と思っていた。
先生は、厳しさとやさしさを兼ね持つ素敵な人だったけれど、
いつもどこか寂しそうだった。
若くして自分のやりたいことを諦めて、親の老後を見守るというのは
どういう思いだったのだろう。

でも、今自分の親が何か病気をしたら、あたしは「自分」を突き通す
自信なんてないし、そうすべきでないとも思う。
それが当たり前だろう。

今まで、自分が与えられること、救われること、そういった
外から自分に向かっての矢印しか思い描いてなかったのだろう。
親には、何をしても返せないほどいろんなものを与えてもらったのに。
罰当たりにも程がある。

先生は苦しくても幸せなのかもしれない、と今日思った。

みんなが健康でいる今こそ、あたしは暴れまくって、スポンジのように
吸収するべきなのだ。何をえらそうに考えていたのだろう。
精神的に自立する。いつ何があっても、行動できるように。
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by jengsauman | 2005-12-23 02:46

説到做到

土曜・・・母を見送った後、銀座に行った。街はクリスマス一色。友達と話すたびに、みんなクリスマスに言及する。去年はどうやってすごしたっけ?と思いかえすと、あたし一人で清水寺(爆笑!!けれど、今年は別にどうでもいいや。そんなことに気が回らない、というほうが本音か。。(哀)ToT。25日はパーティーがあるけど、ボーっとして忘れてしまいそうだ(ゴメン)。まあどうせ行った後は「楽しかった~」なんて言うに決まってる単細胞なのだけど(笑。その後、新宿のジュンク堂に行く。本屋ではあそこが一番好きだ。椅子あるし、そこまで人が多くないし、在庫が多くて、とにかく落ち着く。そこで、ずっと探していた本を見つけて買った。身体を知るための本。読めば読むほど、この本を読んでいる自分も同じ構造を持っていると信じられなくなる。身体は神秘的だ。不安だけど、やる。

日曜・・・大阪の親友が友達の結婚式で東京に来たので会う。夏以来だけど、その前の5年以上のインターバルがあまりに長すぎて、「あんたに会ったのこないだやったよな?」と言われて爆笑した。たしかにこないだやわな。ぎりぎりまで一緒に居られるように品川で会ったけど、結局羽田の搭乗口まで送っていった。彼女は、私からは想像できへんくらい大変な状況で、とっても孤独なはずやのに、まっすぐ過ぎるくらい行動することで人生を切り開いている。

「あんた考えすぎや」「あんた、それは自分のことしか考えてへんからやろ」「あたしは考えたらもう死ぬしかないから動くしかないねん」「今より幸せになることなんかないから、自分が信じたことをやるしかないやろ」・・・そういった言葉を発するあの子は、あたしなんかよりずっと傷ついてボロボロになって、それでもまた立ち上がって毎日を生きてるんだと思う。そういう言葉は決して自虐でも他者非難でも自己憐憫でもなく、だから死ぬ気で生きるしかないという彼女の生き方をそのまま吐き出した言葉だ。あいつにはうそも表面的なええかっこしいも偽善もない。だから、あたしはいっつも痛い気持ちになると同時に、あいつと一緒に泣いて抱き合いたくなる。そこから離れると、あたしもやらなきゃ、という気持ちでいっぱいになる。友達なんてそんなもんだ。何ができるわけでもない。わかることもできない。でも、あいつが一生懸命生きてるからあたしも今日をあきらめない。

自然にいろんな話になったけど、あいつはあたしにごちゃごちゃ聞かない。避けるのではなく、多分本当にどうだってよいんだと思う。あたしが何をしようと、あいつはあたしをあたしとしてしかとらえてなくて、世間でいうところの価値あるとされるものは、あたしたちの間では全く無意味だ。意味があるのはお互いの存在だけ。あたしたちは、お互いに刺激しあったりとか、そんな洗練された関係では全くない。お互い何でも言ってしまうから、喧嘩にならないかとほかの友達が心配するくらい素の関係で、あいつはあほやとか理解不能だとかお互い言いながらも、いつも一番にあいつの話をしたりする。今だって、もう違う話をしようと思ってるはずなのに、あいつの話でこんなに行を費やしている。笑ってまうわ。あたしはそんなあいつが一番幸せになって欲しいと思う。

「今度大阪帰ったとき彼氏に会わしてな」って言ったら「あんたの話ようしてるから彼氏もあんたのことよく知ってるで」と言われてハハハって笑ったけど、あいつ何を吹き込んでるんやろうか(笑。きっとこんな感じやろうと想像。。。「○○はな、近寄りがたくて、人見知りで、怖いオーラ出して、クールぶって、あほみたいに頑固で、自意識過剰で、考えすぎの頭でっかちで、人に壁作って、わけわからんことばっかり言ってるけど、なんかおもろいやつやで」(←実際あたしに言った(笑))

夜、中国出張から帰ってきたNさんとひさしぶりに話す。結局朝5時半まで(←あほやろ)。そして、あたしはまたあいつの話をしてた。「いやー聞いてくださいよー。今日会ったあたしの親友、めっちゃあほなんですよー。でもなかなかおもろくてねー、ええやつでねー、素でねー・・・・(延々つづく)」。親馬鹿ならぬ、友馬鹿ですわ。

Nさんとは、何か繋がりがあるんだろうなあとよく思う。それを縁というのだろうか。朝までしゃべってたけど、今日の夜、家に帰ってきてポストを見たら、Nさんが10日程前に中国から送ってくれたらしき絵葉書が届いていた。なんだか面白いタイミングだなと笑った。それにしても一行目が「生きてますかー?」って何じゃい!でも、どこか遠くで自分のことを思い出してくれる人がいるのは幸せなことだなと思う。

人とかかわると、自分が人とは違うんだと痛感する。近しい人であればあるほど。だから、結局自分が生きるとは、自分にしかできないことなのだと思う。誰も答えをくれない。けど、社会で生きていく以上は、一人で完結することは良くないしそんなことは不可能だ。自分の感覚に素直になることは大事なことだし、自分らしさの感覚を自分の中心に据えることは課題でもあるけれど、それを意識しすぎて、社会の流れを見失ってしまうのは自分のためにもならない。どんな気づきや知識があっても、それを使って自分を含めた誰かのために行動して始めて意味があるのではないか、と思ったりする。人のために何かをすることが、自分の責任放棄で、偽善者で、思考停止の正当化だと気づいてからは、それに恐怖心を持っていたけど、目的がそれになるのではなくて、それを目指しながら自分も共鳴し、成長したいという気持ちでいればいいのではないか。と思うようになった。

いろんな人に、「自分のことしか考えてない」といわれたお陰で上のようなことを思った。自分のことばっかりで頭がいっぱいになってる自分にストップをかけるべきだと思ったのは、他者による批判や意見を妥当だと思ったからだ。自分の欠点を認識するのは気分のいいことではないけど、自分の現況を正確に認識することが、前進への一歩だと思う。考えることは悪いことではないし、内省は必要なことだけど、結局は行動しないと何も変わらない。自分は思考で少しずつ変わってるつもりでも、「つもり」に浸らないためにも、行動至上主義を。

mp3プレーヤーのシャッフル機能が、以前は全然シャッフルされてなかったけど、今日いきなり思いっきりシャッフルされるようになった。なぜかは不明だけど(壊れてるだけ??)、人生だってよくわからないことがよく起こる。決めつけは自分の可能性を閉じる最大の敵だ。そんなことありえない、と言ってしまったら、ありえなくなる。人間は、自分が思い描くことができることは、必ず実現できるはずだ。願えば叶う。願わなければ叶うものも叶わない。

新しい世界に飛び込んでいったり、人と出会ったりかかわっていったりすることが怖いのは、そこで「お前なんかダメだ。」とダメだしされ、笑われることを恐れているからなのだけど、本当にダメな部分ほど、長年の正当化によって麻痺していて、人から言われて初めて気づいたりする。としたら、ダメ出しされることは財産なはずだ。いろんな自分に気づくための学習の機会。考えて分かるのは、自分が信じたい範囲の自分でしかない。人の本音、厳しい言葉、批判、提言、これほどありがたいもんはない、と思うこのごろ。やっぱりちょっと怖いけど、自分を認めてくれる場所だけに留まっていてはいけない。

2ヶ月ぶりくらいにSさんから電話がかかってきた。Sさんは、香港行きの飛行機で偶然隣になって友達になった人です。ほんとはフライトの間中香港を想ってドキドキしてるはずだったのに、Sさんと話が盛り上がりすぎて、気づいたら着陸してた(爆笑!そんなSさんは、とある新興宗教を信仰しています。私はそのことを極力気にしないようにしていたし、個人の自由で、それは彼女の一部に過ぎず、その点ではどんなに何を言われてもちゃんと線を引いてきたけれど、どこかでモヤモヤがあったことは確かだった。なぜなら、どんなことを議論しても、相談しても、返ってくる答えは、その宗教での教えであって、彼女自身の答えじゃない気がしたから。そうして疑ってしまう自分が嫌で、個人としてはとても行動的で魅力的な彼女を、その宗教への偏見というフィルターを通して自分が見ている事実を恥ずかしくも思っていた。だから、連絡が遠ざかったこの2ヶ月の間、自分から連絡することはできたはずなのに、迷っていた。このまま疎遠になれたら楽なのに、という気持ちがあったことは事実で。きっと私は自信がなかったのだ。何があっても、天地がひっくりかえっても、彼女とその線を引き続けられるのだろうか、という自信のなさ。ある点では完全に相容れないという決心が根のない脆いものだったから。つまり、思考停止は、彼女ではなく、自分だったのだ。しょうもないことばっかりぐちゃぐちゃ考えてる割には、本質的なことに関しては思考停止状態。私が彼女を魅力的だと思ったのは、その新興宗教に自己を潰されていない点だったのだと思う。かたや、あたしはそれぞれの宗教の学ぶべき教えは尊重するとか、そんなに素晴らしい教えならば、別に団体に属さなくても、それを個々で大切にすればいいじゃないか。そういった組織はいったいなんなんだ、などと言ったり、とにかく自分が宗教組織への恐怖を隠すためにキャンキャン言っていたけど、心では怯えていた。いつかこの根の無さを見破られて、いつの間にか自分が支配されるのではないか、と。そんなリスクのある人ならば、そこまでして付き合わなくても・・・とも。けれど、昨日Nさんと話していて、思考停止と宗教組織の関係に気づき、自分で考え判断し責任を持つことがなければ、いつかまた破綻すると気づいた。それは宗教かもしれないし、その他のあらゆる依存対象かもしれない。結局は自分の依存的性質にびびっていただけなのだ。そうしてSさんを想うと、別に彼女を避けても、何もならないと気づく。むしろ、自分が、ある部分ではとても尊敬するし、共感する人を、そういった理由で遠ざけることのほうがよっぽど危ういと思った。新興宗教自体は別に何も悪くない。そうして、Sさんに連絡をとった。彼女は喜んでくれた。あたしもうれしかった。むやみに近づきすぎない。けど、むやみに遠ざけない。それは、誰に対しても同じ。いちいち誰かの信仰や価値観に過敏になってるのは、自分が思考停止の証拠。

自分の関心のある道を驀進してる人に突然メールを送ってみた。めちゃくちゃ忙しそうなのに、すぐに返事を下さった。参考文献やその使い方、どういうことを勉強したらいいか、今後自分が教えられるかもしれない、など詳細に教えてくれて感動した。謙虚に本気な人ほど、自分の持っているものを人と共有することを惜しまないのかと感じた。先生も同じく。自分にはそんなものさえないが、いつか誰かと何かを共有できるようになれたら嬉しい。「自分もまだ未熟です。だから、自分が一番学ぶつもりですし、共鳴しながら、お互い高めていく仲間だと思ってください」といわれて、その姿勢に頭が下がりました。

今日、2ヶ月前に受けた試験の結果がきたが、目指したレベルに届かなかった。次の試験は5月。そのときには、最低3レベル上げる。それは、悶々と考えても仕方ない。勉強するしかない。具体的に目的とやることを決めて、余った時間で思考する。どんなに失敗しても、「自分を甘やかさなかった」と言える生き方をしよう。

迷ったときは前に出ろ。
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by jengsauman | 2005-12-20 01:22

たった一部

姉が言った。

「世の中で腐るほどある会社の中で自分を必要としてくれる会社はそのうちの
ごくわずかしかない。でもあるねん。」

「人間も同じや。こんだけ人がいる中で自分のことを必要としてくれる人は
本当のごくわずか。でもいるねん。」

それに出会うためには、自分が動くしかないよ。
傷ついても、悲しい思いや理不尽な思いをしても、動かなければ
永遠にそのごく一部と接触することさえできない。
傷つくのが怖くて閉じこもってては、「私を愛してくれる人なんていない」
「私を必要としてくれる人なんていない」と思ってしまいがちだけれど、
本当はいるよ。絶対にいるよ。自分が輝ける場も絶対にあるよ。
それと出会うためには、自分の可能性を信じて動くしか道はないんだ。
汚くても、ぐっちゃぐちゃの格好でも、今日も何かを動かす。
心にうそがなければ大丈夫。きっと見つけることができる。
涙を流しまくって、それを力にする。

母が突然東京に来た。
姉と三人で話し合いをした。
思いっきり泣いた。
格好を捨てて現実とぶつかれ。
何を言われても、何を批判されても、反駁しようとなんてしない。
何を言っても言い訳になる。
私ができることは行動で結果を出すことだけ。
厳しいことを言ってくれてありがとう。
心配かけてごめん。
絶対に1ヶ月以内に自分の立ち位置を変えるよ。
自分からも誰からも逃げない。
泣いても泣いても、足を前に出せばよい。

無理だ、と言ったらもう終わりだ。
それに、やってもないのに、探してもないのに、ぶつかってもないのに
あきらめてしまったら、もう二度と立ち上がれない。
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by jengsauman | 2005-12-16 02:16

五月天

五月天(メイデイ)が大阪でライブするらしいー。
昔、GLAYのライブにゲストで出てた気がするけど、
あのころよりももっと台湾が身近になってうれしい。
メンバーが兵役で活動休止しつつもまた復活して台湾で大人気。
歌うまいし、結構好きだから、あーいきたかったなあ。
さっきも『知足』聞きながら泣いちまった。
華流とやらに関係なく、もっと積極的に行き来しようよ。
五月天もいいが、陶喆もきてネ♪
さあ~熱烈歡迎!!
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by jengsauman | 2005-12-15 01:56

春を想う

明日のことだってわからないはずなのに、なぜ絶望してしまうのだろう?
きっと、目の前のことでいっぱいいっぱいになって
また季節が廻って春が来るってことさえ忘れてしまうからじゃないかな。
数ヵ月後にどんな自分かはわからない。
でも、先のことを視野に入れながら動けるようになろう。
きっと素敵だ。きっと輝いている。きっと今よりも自然体で居られる。
笑顔で生きてるイメージを持とう。

しょうもないことだけど面白い感覚があった。
友達がメールしてきて、
「Mの結婚式も近づいてきたねー」と言ってきたので、
「ほんまやな。でもあたしは5年以上会ってないから(←なぜ呼ばれたか甚だ謎)
会ってわかるかな~」と返したら、
「Mはめっちゃ綺麗になったで。高校の時はかわいいって感じやったけど
今は顔もめっちゃ小さくて、めっちゃ白くて、めちゃめちゃ綺麗やで」と来た。

あたしは、別にそんなこと聞いてねえよ、と携帯片手に半ギレだった。←心せまっ!!

そうした外見に関する発言に対して、思いっきり過敏に反応しているわけで、
我ながらうけました。

不快になった理由は、強くなるんだと息巻いて大阪を出た自分が、暫定的な結果としては
こんな弱さ爆発の孤独な状態になっている一方で、友達は大阪に残って家族や恋人と
人間関係を深めながら幸せを積み重ねてきたのだなあと思ったからです。
いろいろ大変なこともそれぞれあったのだろうけど、
見えなくても、きっととってもいい表情をして生きてるんだろうと想像がついた。
私は一人間としてとっても恥ずかしくなった。
あたしは大阪を出て何をしてきたのだ?と。

しかし、その後、あたしは笑いが止まらなくなった。
ふてきな笑みを浮かべてからは、ゲラゲラと泣きながら爆笑。
あたしは、ラッキーじゃないか、と思ったのでした。
あたしは、なんてアホでなんておもろい奴なんだと思ったのでした。
こんだけアホなネタがあったら死ぬまで退屈せーへんな、とも。
なぜかはわからないけど、人との単純比較を乗り越えた気がしました。

そして、このままでは終わらんぞーという気持ちが沸々とわいてきたのです。
だって、これはあたしが選んだ道だもん。それに後悔は全くない。
だから、あたしの幸せは、この道の先にきっとあるはずだ。

そして、遠くからものごっつい声で
「おまえ、しれ~~~~~~~っとしてんなよ!」という言葉が聞こえてきた。
そうだ!友達の口癖。~~~~が超長いねん。よくまねして遊んだけど、
これ言うとなにげに心が晴れるんよね。ワハハと笑える。

なんかさ、しれ~っとしてたら、口角が下がるんよね。
口角が下がるとつまんなそうで、悲しそうで、幸せもよってこないね。
よってきても自分で気づかないだろうな。

あたしは負けねーぞー。

気になる、いやだな、と思うことは、自分のコンプレックスなのだ。
あたしは、自分が外見至上主義からまだ抜けきれていないだけ。
でも、このままとどまってるわけがない。
絶対に、もっとずぶとくなってみせる。
要らないものは笑って流せるようになる。

以前、あたしは大地震や戦争で死ぬことをよく考えた。
明日、大災害が来るのではないか?と思ってるうちに、
それがほんとに起こるような気もして、受身で逃げられる方法を求めていた。
でも、今なら、かぁぁ~~つ!と大沢&張本ばりに叫びたい。
そして、何が起ころうとも、手を尽くして絶対に生き延びてやる!!と
思う次第です。
生きてれば何かできる、と思うから。
とにかく、しぶとく生きる。

来年の桜は、きっと大切な人と一緒に見れますように。
「こんな変なアンタでも奇特な人が絶対どっかにおるで」という
母親のありがたいお言葉を心にメモしとこ。

「とにかくしれ~~~~~とすんな!」
へんな自分もなかなかいとしいもんよ。
せっかくなら、変人大王になりたいね。
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by jengsauman | 2005-12-15 01:13

リアル

数ヶ月以内にアメリカに行こうと決めた。
目的①自分のしたいことを進めるための下見
②大切な友達に会う

<今の信条>
人間関係をリアルにする。
傷つくのはリアルな場で。
行動したことが実になる。
思い立ったが吉日。

その友達は、とっても素敵な人です。
いろんなしがらみや常識を打ち破って自分の道を切り開いている人。
あたしの憧れであり、だいすきな人です。

でも、それ以上考えない。
メールしたりするけど、その人のことを想ったりもするけど、
人間関係はリアルでないと。
ただ想像、ただ想念して、目の前の現実から逃げる結果に
なるのは御免だ。
目の前の現実を、目の前の人を大切にしないと。
ザ・リアルだ。

とにかく、行動することを考える。
もしくは、行動するためにどうするかを思考する。

<今大嫌いな言葉>
齋講(口だけ)


昨日、友達5人で火鍋(←大好物)を食べにいった。
とにかくたのしかった。
店員さんにオープンに話しかけまくる友達。
常にいろんなことを発見して笑ってる友達。
あたしが当分東京に居るよ、と言ったら、
「よかった~」と言ってくれた友達。
初対面なのにとてもきさくで、あたしの脚を褒めてくれた友達。
↑100%お世辞でも気にせず心の中で喜んでみた(メデタイやつ。

そして、肉を残すことをどうしても嫌だと言う友達。
だって、少し前までは命だったんだよ、って言われて、はっとした。
私たちの命は、いろんな命の犠牲の上に在らせてもらっている。
そう思って満腹でも食べた。罪悪感も後悔もない。

一体どういう価値観を自分は信じたいのだろうか。
と思った時に、命うんぬんはともかく、自分の身体をコントロールすること
が大事という価値観よりも、少しくらい自分の決まりからは外れることがあっても、
一回一回の食事で生命への感謝を感じられるようになりたいな、と思いました。
たとえ、それで身体を筋肉化することに多少の影響があろうと。
そういう食事の仕方をしたい。いつも「いただきます」と手を合わせることを
すすんでできるような。

みんなが居て、楽しい空間がある。
みんながそれぞれだから、今まで感じたことないことを感じられる。
自分だって自分でしかない。みんながそうだ。でもみんなが全く同じ人間
だったらあんな新鮮な気持ちにはなれない。人の数だけ個性がある。
人間関係に無駄はないなあと思うし、必要以上に人に期待を
することをやめれば、いろんなことに感動できる。
そして、ちょっと苦手と思っていても、その人から逃げなければ
必ず得るものがある。

人が自分に向けていってくれるプラスの言葉を、ありがとうって受け取りたい
と思う。それでどうなるわけでもない。ただ、それを否定することなんて
ないんじゃないか、と思う。
人の言葉で自分が変わることはない。自分が変えるか否か、だけ。
だったら、プラスの言葉は自分のエネルギーにしたいなあ、なんて思った。

動いてナンボ。
脱・齋講。
決して夢を捨てない。
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by jengsauman | 2005-12-14 08:59
あることをやるのに、他の人の何倍も勇気が必要だったとしても、
それを恥じることなんてない。
自分のことを弱虫だなんてさげすまなくてもいい。
ただ、足を地につけることが必要だ。
見たくないことも、痛みを伴ってでも変えなくちゃいけないことも、
自分にしか変えられないのだから。
人に言われてやるのは先が見えている。
強迫観念や誰かの価値観でやるのも先が知れている。

今、逃げることもできる。なあなあにすることもできる。
それなりで満足して満足したふりをすることもできる。
けど、その先に自分はいない。
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by jengsauman | 2005-12-12 07:18

自己処罰

何だこれは。
楽や快を止めようとする自分。
また友達との集まりを極力避けようとする自分。
オープン(と思われる)な人に自分もオープンになろうとして
すぐに挫折する自分。ひょんな言葉にがーんとする自分。
全部が情けない。

開こうとして、すぐ閉じて、また開こうとして、また閉じようとして、
そんなことを続けているうちに、周りはどんどん変化する。
Aは結婚するよ、といい、Bは彼氏がかわったよ、といい、
Cは帰国していた。。。。
あたしが一つ躊躇すると、たくさんの人やものが視界から消える。
いや、自分を護るために消すのか。
そしてその余ったぶんを、自分の思考にあてるのだ。
でも時にはその行為が致命傷になる。
その重大さにまだ気付けない情けないじぶん。

自分を処罰したくなる。
自分の存在そのものは悪くないのに。
何か楽しいことを考えるのが悪であるかのようで。
よりよいものを追求することを諦めると生きることが許されないようで。
また正しいことを探している自分にきづく。

でもやはり動かなければ。たとえ、間違っちゃっても、やっぱり人と関わらないと。
自分が現実を変えないと。
勇気がいるし、しんどいけど、あたしを変えられるのはやはり自分だけ。

今日、かいものしてて、ふと周りの人がみんな同じに見えた。
きっとみんなそれぞれ家族が居て、大切な人がいて、それぞれ
の世界があるんだろうし、ぱっと見でもいろんな風貌だけど、
あたしにはみんなが「人間」としか見えなかった。
細い人、綺麗な人、ではなくて、みんな一生懸命生きてる人間。
そして、今や誰のことも覚えてない。
人の目なんて、あるようで、ないのかもな、と思う。
自分だって人のことちゃんと見てない。
自分ばっかり神経質になってるつもりでも、実際は違う。
自分が話したことは覚えてても、人が言ったことをすっかり忘れたりする。
何か落としたのでは?と何度も振り返ったり、外見に不安を持ったりしつつも、
整理整頓が苦手で、掃除がへたくそだったりする。
あたしの中にはたくさんのちぐはぐがある。

自分を救ってくれそうな理論に簡単に乗っからない。
そうしちゃうと、事実が歪んじゃう。
悪いことを悪いと自分で今以上に気づけなくなる。

だからといって、簡単に自己処罰を考えない。
自分をせめても何も変わらない。

人と関わる時間が圧倒的に少なすぎる。

あたしのいいところってどういうところだろう。
あたしの悪いところってどういうところだろう。
ちゃんと、両方を見たいな。

外見で誤魔化すからっぽの人間になりたくないよ。
踏みとどまり、飛べ。
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by jengsauman | 2005-12-10 01:51

不安

侍のようだといわれるほうが、女っぽさについて言われるより嬉しかったりする。
前者も後者も褒め言葉なのかどうかは人それぞれかもしれないけど、
あたしは何気にすきだ。

自分の理想は、自分でも分かるようで分からない。
でも、そうして考えるうちに、自分の善悪二元論に度々出会う。
友情のあり方、人生のあり方、恋愛のあり方・・・
全て答えは一つではないのに、あたしはすぐ一つに決めたがる。
あらゆる形の友情があっていい。だからこそバランスがとれる。
どれが本当の友情とか、どれが本当の愛情とか、そんなの考えても分かるわけがない。
それらの多様性を認められれば認められるほど、自分がそういった拘りから
離れられているということなのかもしれない。こうしてわざわざ話題にしてるうちは
まだ変化しちゃいない。
自分がそういう人間だと分かり始めても、ニ分割思考を変えるのは容易ではない。

しかし、そんなことを言ってたら、人生終わってしまう。
時間が経つのはあっという間。誰も助けてくれないし、誰も変わりに人生を
生きてくれないし、誰もかわりに責任を取ってくれない。
そこがスタートで、そこが岐路。
自分の意思を持たない人間を助けてくれる人なんていない、と肝に銘じないと。。

「自意識過剰にもほどがある。周りはあんたが思ってるほどあんたのこと見てへんで」
といわれて、はっとした。それは思いっきり事実。そして、なぜ見てないかといえば、
私の外見がどうのではなく、あたしが自己欺瞞を隠すためにセコイ生き方をしているからだ。
人はそんな人間を気に留めるほど暇ではない。
目標のある自分と、セコイ自分の間は紙一重。でもどちらも自分。
前向きな自分は容易にセコイ自分に移行する。が、逆は難しい。
難しいのは、今までそこに浸ってる時間が劇的に長かったからだ。
そして、一度そこに浸ったら、その場所から自分の意思で出ようとしてこなかったからだ。
過食したり、思考で逃避し続けたり、言い訳し続けたり、物語を勝手に作ったり。
その時間が長かったことを忘れてはならない。
そして、負けちゃいけない。

目標を持って自分のために頑張っている人は、周りのことを気にしてない。
いつも、自分が敵。いつも自分がどう生きてるかが評価の対象。
そして、目標がすごく高いところに設定されている。
それを、無理かもと思うのでなく、絶対やってやると自分を信じている。
そのために努力を重ねている。人生を懸けている。
少なくとも、今の自分にはそう見える。とてもまぶしい。
そう見えるということはつまり、あたしはまだ人を見て生きてるということか。
そうして生きてる限り、自分の中で自分が真ん中に来ることはないとおもう。
誰かに負けている感覚。誰かより劣っている感覚。誰かより醜い感覚。
それがあり続ける。

本当に必要なことは、努力した自分を愛することではなくて、
ありのままの自分を受け入れた上でベストを尽くそうと努力することなんだろう。
前者では、努力しなかったら終わりだ。努力してない以外の自分は認められない。
でも、それは自分を受け入れていることにはならない気もする。

母が言った。
「あんたは、寝起き悪いし、掃除が苦手やし、変なとこでめっちゃルーズやし、
欠点もいっぱいあるけど、それも含めてあんたやねんからな。全部ひっくるめて
あんたとして受け入れて、愛してんねんで。ありのままをな」

母は偉大だ。多分、分かり合えないこともたくさんある。でも、あたしが思っている
以上に、母はあたしのいろんな面を見て、受け止め、それもあたしらしさだと思って
大きく構えているに違いない。きっと、それを隠そうとチョコマカ誤魔化そうとしてる
あたしは、ただの孫悟空なのかもしれない。

自分を誤魔化すと、欠点が見えにくくなる。でも欠点は存在しつづける。
でも、欠点は隠すもんじゃなくて、自分をベターの状態にするために必要なもの。
見たくなくても逃げちゃいけない。あたしのたくさんの欠点。
隠しても隠さなくても、他人にとっては多分大したことなくてどないでもええんや。
でも、誤魔化して後々困るのは自分自身。
あたしが闘うべきなのも、見るべきなのも、受け入れるべきなのも、全部ここにある。
あたしが今まで大問題だと思っていたこと、絶対人に知られてはいけないと
思っていたこと、それらは多分他人にとっちゃどうでもいいことだったんだろうな。
体型じゃなくて、自分(身体含め)と向き合ってない自分が問題。
太ってることじゃなくて、毎日の生活を大切にしてないことが問題。
不細工じゃなくて、現状に悲観して逃避してる自分が問題。
アホじゃなくて、自分らしさを追求することを怠ってるのが問題。
そして、自分を愛することから逃げてることが問題。
外から愛されることを求めても、満たされることなんてないのに。


ここ数ヶ月、しょっちゅう頭の中で流れるんだけど題名が分からない歌があって、
歌手名は確信があったから、かたっぱしからその人の歌を聴いて、調べてみたけど
見つからなかった。間違いなくこのCDのはずなのに・・と固執して何度も何度も
聴いたけどやっぱりない。もしかしたら他の歌手かも、と思うことはなかった。

そして、昨日、全然違う歌手のCDを久しぶりに聞いて、「あれっ・・?」と思い、
とあるCDを聴いてみたら、ビンゴだった。
よく考えてみたら、どうしてその歌手のそのCDだと固執しつづけたのかが思い出せない。
それこそ、自分の思考パターンではないかと思った。
いくら確信らしきものがあっても、固執するとそこで止まってしまう。
自分の記憶はそう信じたいように作られている。
だから、いつも自分を疑う余裕が必要だ。
そうすれば、この曲もすぐに見つかったかも?ハハ。。

形に満足するな。もっと自分の性格を知れ、とおもう。
あたしは何にしても、ちゃんと揃えないと気持ちが悪い。
参考書とか、続きものの小説、シリーズ化された単行本、CD、辞書・・・
しょうもないものでも、全部がちゃんとないと気が済まない。
1から10まで全部頭に入れないと次に行きたくない。
そしてそれが広がっていくと、あれも必要、あれも要る・・となり、
しまいには、どこまでいっても何かが足りてない気がしてしまう。

けれど、それは本当に自分に必要なものか?
絶対に必要なものだけを選んで、他のものを捨てられることが必要だとおもう。
あたしの性格は、そういった表面にこだわってるうちは、それらをきちんと
消化することにパワーを割けないしょぼい性格だ。
本当に本気になったら、必要なものしか見えなくなるはずなのに、
すぐに余計なものに目がいって、それが自分の視野を広げている行為だと拡大解釈
して勘違いする。それはただの逃避。そして自分が真ん中に居ない証拠。

思い込みや決め付け等の逃避思考や形ばっかりの本質無視は自分の中に溢れている。
いかに、それを排除していくか。
「ヤバイ、何も見えない。どうしていいか分からない。不安だ。」
そういう思いは、変化するために必要なものだ。
そこで恐怖に負けないで自分の頭で考えて動かないと、一千年生きても何も変わらない。

もっと普段から頭動かさないと、と思った。そして、それと同時に感じないと、と思った。
自分を欠点を挙げて諦めたり責めたりするためではなくて、
唯一無二の自分を愛するために。
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by jengsauman | 2005-12-08 01:21