過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

<   2006年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

正しさ

自分の中のある一部は、正しさにとらわれすぎだったのだろう。
でも、だからこそ、その他の汚さを見落としがちなのだと思う。
私は欲深い、汚さもたくさんもった、ただの人間。

菩薩や如来ならともかく、
仏陀やキリストならともかく、
私はただの私なのに、頭で考えて正しさを導けるわけがない。

だから、「凡人は、日常生活の中で実践を繰り返し、
自分の体とこころで実際に感じて学んでいくんだ」という
当たり前じゃんと思えることが、実際にはいかにできてなくて、いかに大切か、きづく。

難しい本を読んで、頭で分かったつもりでも、実際はなーんにもわかっちゃいない。
実践してないから、自分の言葉じゃないから。
自分の体で感じたことなら、自分の言葉で説明できる。
人の言葉を借りてるような違和感、なるほど!と思ったことを忘れないように
必死で書き記すこと、それらは自分が楽をしようとしてる証なのかもしれない。

邪まな気持ちで見返りを期待して何かをすると、返ってこなくてあたりまえ。
でも、そこで自分がそうだと気付くことができれば、自分の生き方、運命は
必ず変えられる。

自分を守ろうとすると、きっと人を傷つける。
すぐに楽をしようとしてしまうから。

人は関係性の生き物であることを忘れると、そういう行動をしてしまうのだ。
人間は、その個だけでは無であり、人との関係性において有となる。

できないんではなく、やろうとしてないだけなのだとおもう。
どうして先輩は、世界を見て、自分を見て、イラクを選び、映像という方法を選び、
人の生死と向き合うことを諦めないのか、どうして自分にはできないのか。
いや、そうじゃなかった。
私は、やろうとしてないだけだった。ギリギリのところに自分の身をおくのがこわかった。
責任を負うのがこわかった。だから、才能というのは、きっと、自分の可能性と運命を
背負い、信じ、諦めない力のことをいうのではないかと思う。とても苦しいこと。
でも、人生はきっと楽しい。そんな気がする。

正しさを探すとしたら、目の前のことにぶつかること。
大切な人をまもること。
自分のいのちを活かそうとすること。
後世のために、何か一つ残すために自分の譲れないものを捨てないこと。

今はそれくらいしか思いつかない。
自分だけが正しいと思ったら終わり。でも、自分を信じられなくなったら終わり。
そんな気がする。
だから、人とかかわりつづけることが大切なのだろう。
そんなことに25歳でやっと気付いてる自分が可笑しい。
でも、これからのほうがずっと大切。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-27 11:58

覚悟

大阪に帰ってきた。
親友に会った。自分の現状を話す。素でダメだしされる。嬉しかった。

本当に他人を心配するからこそ、思っていることをぶつける。
そういう関係が、ここにある。
それがないと、気付けないことがたくさんある。
本当にありがたい。ありがとう。

大阪城公園に行った。とても広い梅林に梅が満開。
友達と写真をとりまくった。
桜のケーキを食べる。
いえで土筆の煮物を食べる。
菜の花の漬物を食べる。
いえの庭の梅も写真にとった。
おかあさんと金柑ジャムを作った。
帰ってきて数時間で花粉症になった。

季節を感じた。ずっと麻痺していた季節感。
意識して、今ここに春を感じる。
完全に手を広げて楽しめるわけではなくても、
いつだって手を伸ばせば、季節はそこにある。
日本の素晴らしい四季。

神戸の友達に会いにいく。
一緒にごはんをたべて、帰りに家まで送ってくれた。
帰りの車の中でずっと話をしていた。
私が頭でっかちで理解したつもりになっていることを
実践しているとても心強い友達。

人はそれぞれが生かされ方を持っている。
だから、自分が目の前のことをまずは一生懸命やる。
自分を護ったりしなくても、自分が納得して正しいと思った
実践を重ねることできっと自分は自分の人生をまっとう
できる方向に歩ける。というか、そうするしかない。
だから、怖がることもないし、表面的に絶望的だと
思われること、困難と思われること、それらから
必ず前に進むチャンスをつかめる。
だから、もっとおまかせ、でいい。自分の生かされ方を
気付くことがまずは第一。そして実践。そして更にそれを深める。

そんな話をして、友達は帰っていった。
彼に会うたびに、私は彼と会えたことを幸せにおもう。
私は今の状態では何も返せない。けど、誰かにいつか
違う形で返せたらなと思う。もちろん、その人に対しても。

「人生覚悟というものが必要だよ」
その言葉の意味が少しわかった気がした。

家に帰ると、父の具合が悪化していた。
風邪をこじらせて、咳が止まらない。痰に血がからんでいると
母が言ったので焦った。

まず思ったことは、「今自分にできることは何か」。
咳に効果抜群の香港の咳止めシロップの存在を思い出し、
明日日本に帰ってくる人に連絡する。
それとは違うものだけど、咳止めの薬を
持って帰ってきてくれるといっていた。
東京から大阪まで持っていこうか?といってくれた。ありがとう。

MRをしていた親友に連絡して、内科でいい病院がないか聞いた。
夜中なのにすぐにレスがあって、いくつか紹介してくれて、
うちの近くの担当の人に明日聞いてまたメールをくれると言ってくれた。
ほんまにありがとう。

ネットでいろいろ調べたが、うちは田舎なので市内に出ないと
大きい病院がないようだけど、近くに国立病院がある。
そこに私たちの高校の同級生が働いていると友達が教えてくれた。ありがとう。

週末に出張に行く友達が、咳にいい薬を買ってきてくれるといっていた。
ありがとう。

みんな、自分のことで本当に大変なのに、人のことなのに、人の父のことなのに
すごく心配してくれて、ありがとう。本当に心が熱くなった。


帰りの車の中で友達が言ってた。
家族と大切な人たちが元気でいれば、それ以上に大切なことってないよね。

本当にそう思う。
父がもし何かの病気でも、そうでなくても、私は自分がもっと責任を持つべきで、
もっと責任を持てるんだと思った。もっと自分が背負えるものがあると思った。
大切な家族のために、偽善でもなく、自己正当化のためでもなく、
自分が何か力になりたいというこの思いは、自分が幸せに暮らすことと
繋がっていると思う。

どんな状況でも、自分の心のもちようでなんぼでも笑顔でいられると思う。
たとえ、表面的にはあまりよくないように見えても、それはただの表面。

私は、自分がもっとできると思った。
今まで自分は護ってきてもらったけど、これからは私ができることはして、
少しでも親を守りたい。親の力になりたい。
ただ、健康を願うだけではなく、もっと現実的な力にもなれるように。

そう考えたとき、経済力、それは絶対的に必要だと思う。
だから、私は頑張る。というか、頑張りたい。
ただがむしゃらにやるんじゃなく、冷静に、智恵をしぼって、行動する。

父に何もありませんように。
たとえ、何かあっても絶対に負けませんように。


ずっと心の中にあった人が、私のほうを向いてくれるようになった。
それを信じられなくて、価値観が合わないことを盾に逃げようとしていた。
でも、友達がいってくれた。

「感情は大切だよ。そして、本当にその人と向き合いたいなら、
時間をかけて、自分の思いを伝えるために尽くす覚悟が必要じゃないかな」

友達には中国に行くことを伝えてなかった。
というか、自分自身あまり実感がなさすぎて、東京にもかえってくるし、
別段取り立てて言う必要もないかと思っていた。

けど、帰ったあと、メールがきて、
「東京と中国、どっちも関西からは遠いから同じかもしれない。
でも、そう聞いて少し寂しくなってしまったよ。
でも、その仕事はきっとあなたを成長させてくれると思う。」

人って、熱い。
人って怖いけど、熱い。
いやな人も、悲しい人もいるけど、人ってあったかい。
だから、私は人を信じる。人とかかわりたい。もっともっと。

仕事。何ができるか分からない。でも、父が応援してくれた仕事。
自分が成長できるチャンスがある仕事。経済力をつけるために頑張りたい仕事。
だから、体当たりしたい。きっとすぐ壁にぶつかる。そんなとき、その現実を
受け止めて、人に相談しながらも、また足を前に出そうとしつづける自分でいたい。

恋愛。うまくいかないかもしれない。でも、チャンスがある以上は覚悟を決める。
彼と向き合うと決めたんだ。うまくいかなくても、「ほらね、合わないって思ったじゃん」
なんて自分の外側のことのせいにして逃げない。本当にちゃんと尽くしたの?
ちゃんと自分ができることはやった?与えてもらえないと思う前に与えたの?
人と向き合うなんて口で言うのは簡単だけど、めちゃくちゃ怖い。
でも、こんな縁、一生に何度あるかわからない。
だから、覚悟を決めたら、最後まで突き通したい。

家族。絶対にまもりたい。絶対に絶対にまもりたい。絶対に絶対に。

友達。本当にありがとう。私も自分のことで大変だとしても、人のことを
考えられるようになりたい。助けてもらったことを絶対に忘れないで。
人に生かされている。

友達は言った。
何かがうまくいかないときは、自分本位に考えている時だと思う。
真心、真の心というのは、尽くせば必ず通じる。
だから、今自分に与えられた状況を最大限に生きよう。
感謝を忘れないように。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-27 03:24

まざりあう。

人と一緒に生きていくことなんてできるかな。
とても不安。
だけど、せっかくのチャンスだからやってみようさ。

今まで自分の生活の実態を隠し続けてきたけど
せっかくだから、人により多くをさらけ出してみよう。
きっと知られるだろう、自分の弱さや食への距離感や
運動への強迫観念や体型への固執、自信のなさや
汚さや無責任さ楽しむことの欠如。ええ格好しいの張りぼて。
いろんなことを知られて幻滅されるだろう。
でも、仕方ない。これが今の私であって、それで開き直るわけじゃ
ないけど、それを隠すことはしたくない。
でも、それを言い訳や自己防衛の材料にはしたらあかん。
ただただ、ありのままとは何かを知り、行動すること。

何を知っても一緒にいたいと思ってくれるような
何かが私たちの間にあればいいんだけどな。
それはやってみないと分からないから、やってみる。
まあ失敗しそうだけど(笑、何よりいやなのは、
やる前から諦めちゃうこと。

あなたと一緒に居て、私は私を愛せるようになりたい。
1人で完結する自己中心的な自己愛じゃなくて、
世界の中の自分を。

交差点をわたるとき、車に轢かれないように気をつけるけど、
今ほど「絶対に今死にたくない」と思ったことはないのかもしれない。
流されるのでもない、寄りかかるのでもない、でも無理に1人で立とうとするのでもない。
そんな凛とした女性にあこがれる。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-20 23:52
一昨日。大学のときの一番仲良かった友達と1年半以上ぶりに会った。
会うまでは、何を話そうか、どう接すればいいか、とても変わっていたらどうしよう、
などといろいろ考えた。きっとすごく成長しているであろう彼女を目の前にして
何も話せなくなってしまったら、私の成長のなさっぷりを軽蔑されたら、と思うと
連絡できなかった。けど、偶然のタイミングで会うことになった。

会った瞬間、あのころに戻った。一緒にロシア料理のお店にいって、
モスクワで一緒に食べたものをたのんで、お酒もたのんで、
あーもう楽しい。何も説明しなくってもよかった。
そうだ、友達ってこういうものだった。
今度はわたしが大好きなマレーシア料理のお店に一緒に行く
ことになった。会わなかった間がそんなに長かったなんて信じられない。
それくらい私たちは違和感なくそこに居た。

昨日、大学のゼミの仲間の家でみんな集まったので行った。
こちらは多分2年か3年かぶり。
張り合って、負けたくなくて、どうしても会えなかった。
「今なにやってるの?」と聞かれるのがあまりに恐ろしく。
でも、マンションの下でピーンポーンとやったら、
「おもしろい顔して」と指令が・・。
あいつらあほや。全然かわってへん・・。と思った。
部屋に入ると、めちゃめちゃ広いし、良い部屋だったが、
そこにみんなが我がもの顔ですき放題している。
こいつら全然かわってへん・・・。
プロジェクターがあって、壁に映画が映されていた。
すげーなーと言ってたら、
「あ、もういっかい下行って!」と言われて、
ぶーぶーいいつつ降りたら、
向かいのビルにプロジェクターでサザンのおかしなDVDを
うつした。超特大。さすがに感動して「すげーすげー」と田舎もの丸出しになってしまった。
上のベランダからキャッキャ言ってる友達の声が聞こえる。まじであほだが可愛い。
全然変わってへん、と思った。

自分が驚いたのは、あった瞬間から関西弁。
バロメータとして、私は関西弁をしゃべる時はかなり素の時か、
リラックスしている時、もしくは相手が関西弁の時で、
普段は標準語もどきである。ところが、ドアを開けた瞬間から
自分がどんなに取り繕おうとしても(してないけど(笑))、関西弁しか出てこない。
それに、おもいっきり素である。。

あれーこの子らと一緒にいるとき、自分はこんなに素だったのか、と
初めて知った。
別に何かを共有しあう程の仲でもないかもしれない。
でも、なぜかゼミで一緒になって、ありえないほど歩み寄りがないように見えて、
なぜか卒業してからもこうして集まっているひねくれへんてこ集団である。
そんな彼らが大好きな自分に気づいた。

カードゲームで朝まで戦う(←あほ)。
終電や始発で数人帰り、他の友達は寝てしまい、その家の子と2人で話し
はじめた。私はこうしてこの子と話すのは初めてだった。
ずっとあった負い目。ずっとあった劣等感。彼の目を見るのも怖かった。
けど、やはり頭がいい。話していて、私がこれからやることを聞いて
いろんなことを提示してくれたりした。
彼のこれからのことも聞いたけど、「分かりやすく言うと・・○○で」
という○○さえ聞いたことない自分に愕然とする。
東南アジアのどこかの国の貧困層サポート政策らしいが、
私は頭の上に、「世界や宇宙の流れを無視して自分の世界だけで
完結して生きている」という言葉がうかんだ。
勉強すればいいわけだけど、それを日常でできるようにならないと
私は変われないのだと感じる。
気張って無理してやるのではなく、自分の人生の一環として。
やっぱり、こいつらすげえ。成長してんなあと思う。

ソファ占領して寝て、起きたら9時だったからそのまま不動産屋に行くため
友達とばいばいして、帰った。

今まで会わなかったことは勿体無かったけど、なんかこの流れが
とても何かの意味がある気がした。今だからこそ。

「この縁は私に何を気づかせてくれる縁なのだろう」
そう考えることも必要かもしれないけど、仲間とはそんな小難しいものでも
ないらしい。結果や意味はあとからついてくる。とにかく、そこにいる快適さ。

最近、とてもよく感じる。
自分よりすごい人というのは、自分よりすごいことをしている人ではなく、
自分よりも真剣かつシビアな姿勢で自分のやりたいことに向き合っている人だ。
そしてそれを楽しんでいる人だ。
だから、そこには必ず学べることがある。
そういう人に接することができる幸せ。
それを劣等感の材料にしかできないなんて、とても勿体無いなあと
自分に渇を入れたい。

自分はどういう生かされ方、どういう流れを背負ってこの世に生まれてきた
のか、それを考えれば、いろんなことが動き、そこにあるけど、停滞していた
縁がまた復活する。


大切なものは変わらないままそこに存在し、
変化してリニューアルしていくべきことはどんどん変わる。

あー楽しかった。その一言につきる。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-20 10:22

宇宙と一体

最近、少しずつ動いている。でも、自分を騙して逃げてる感はぬぐいきれない。
でも、動いている。そんな感じ。
いつか、宇宙の一部に通じる感覚があることをどこかで期待している。そんなかんじ。

昨日は、広東語関係の集まりに参加した。全員初対面。
すげー発音綺麗!どうやって勉強したんだ!?
すげー博学!口語だからなんて言い訳封印・・。
もう眼が@@って感じでした。
おるんよ。やってる人はちゃんとやっている!
そして、見てる人はちゃんと見ている。

ほんま、すべては場所じゃない、環境じゃない、条件じゃない、気持ち次第。

その後授業があったのに、なんか抜けにくくて、というか抜けたくなくて、
というか、授業に行きたくなくて、遅刻した。
今日までに文全部暗記してこいって言われたのに、しなかった。
しかも、先生がそれを言い出さなかったので、しらんぷりした。
あほか?誰のために勉強してんの?なにがしたいねん。

集まりから授業へいく間、思った。
「アンタ、自分の頭つかってないね」
「アンタ、何がしたいの?」

完全な方法論などない。何にしても、「こうすれば完璧」というものなどないだろう。
だから、自分で、自分にあった、一番効率のいい、楽しい、リアルに基づく、
そして「つかう」ことを前提に置いた方法論を、常にチェックし、常に改善し、
更新しつづけなければならないはずだ。
いつもそのことに気づきながら、先生に言われることをやっていれば大丈夫だ
という甘えと、それさえもこなしきれない自分を諦めていた。

しかし、今日「井の中の蛙」とはっきり悟った。
絶対に譲れないものを持ちきれないけれど、自分にとって広東語はとても
大切なものなのに、それさえも護れない。自分らしさを持てない。
お前、ラクをしすぎだ、と自分に思ったのです。
今のままでは、奴隷だ。

友達の「○○ならできるよ、いつか一緒に記者会見の通訳しよう」
という言葉をリアルに考えてみた。
今まで広東語を使うことなんて考えたことなかった。
自分はこんなにまじめに取り組んでいるという独善的な自己完結。
めでたい。めでたすぎる。何とも、誰とも相容れない自己防衛。
でも、最近思う。行動や挑戦をするのは、人と関わる場で。
そして、いつも問いたい。「本質を知ろうとする勇気を。そして行動を」

自分の可能性を知るためには、自分が今までやったことない
ことに挑戦することからはじまる。んよね。

友達が言ってくれたことは、お世辞だろうが冗談だろうがどうでもいい。
でも、私はきっと諦めないし、彼もそうだろう。
それが私たちの縁だと、絶対に信じているから。
人がくれる勇気、人がくれる広さ、ありがたくもらって頑張ろう。

数年後、たとえ自分が何の仕事をしていようと、私は絶対にやります!
あいつは忘れてるかもしれんけど、あたしは絶対一緒にやりたい。
そして、言葉を発することがこんなに幸せなんだと感動した2年前
から、変わってない自分の愛情を大切にしたい。ずっと。

まず、「べき」ありき、は私には無理です。
でも、まず愛情ありき、なら馬力を出せる。本気になれ。

中国に行くことが決まって、正直広東語を自力で精度を保ちながら
向上させる自信が皆無です。「どうせ北京語に流されるんでしょ」とどっかで
思ってる。北京語さえろくに使えないのに、新しい仕事に、
しかも資格の勉強もしなきゃいけなくなって、そこに広東語に
英語に解剖学に踊り?また始まった、欲張り。新しい環境。
誰も知ってる人いないし、日本人だってどこにいるかもわからない。
そんな状況で、こんなよわっちい自分に何ができるのだろう。
また殻に閉じこもり、井の中にいることに気づかないフリをするのが怖い。
しかし、チャンスを捨ててたまるか、という思いがなければ100%失敗する。
だから、ここに残すんだ。

私は実力をつけにいくんだ。会社や地位に護られることじゃなくて、
自分が自分を信頼できる、そういう生き方がしたいねん。


水泳をはじめた。
生まれてからこれまで、最も大嫌いなスポーツナンバーワンだった水泳。
でも、やりたくなった。
私は「できない」と思い込んでいただけで、「どうすればできるよう
になるか」を考えたこともなかった。恐怖心と嫌悪感に不戦敗。
だから、「できるんだ」と自分で自分を信じるために。

そう。何事もそう。
今までできなかったなら、今までと方法を変えろよ。
何もしないでできないとうずくまってたってできるわけないよ。
今までできなかったなら、今できるようにすればそれでええやん。

少し教えてもらって、少しラクに泳げるようになった。
「アホになれ」といわれた。
自然の前では人間の思考など無力だといわれた。
まさにそのとおりだろう。それに、水は好きなんだ、あたし。
からだの一部と感じられないだろうか。

というわけで、昨日も授業終わってからプールによった。
体型のことは、もう気にしてもしょうがない。
私は、私と闘わなければ。
何がいいかって、泳いでるときは頭の中が泳ぐこと100%になるから。
超遅い。超へたくそ。でも、やる。やりたい。
人が気になったら、自分に叱咤。「人の人生を生きるな」

昼に食べた飲茶に罪悪感を感じたことに嫌気がさしていた。
でも、およぎまくってたら、どうでもよくなった。
またおなかはすくし、また脂肪もつくし、でもまた脂肪を減らせるし。
もっとボンネットの先を見られるようになりたい。
ハンドルの遊びが必要だとおかんにいわれた。

授業中、台湾人の友達から着信があった。
かけなおしたら、「突然ですが、クルーズにいくことになりました」
っていうから、ピースボートにでも乗るの!?と勘違いしたら、
今晩のことだった。
「7時、オンボードだから」と6時50分に言われても・・。
1人で行くのもなんだから、と思って電話したけど、
また今度誘うよと言ってたけど、突然貸切クルーズて!??
ドタキャンでもされたのか・・。そういう思考な自分が悲しい。
どんな事情にしろ、その友達が私を思い出してくれて誘ってくれた
のがうれしかった。台湾人じゃなくて、英語ネイティブじゃなくて、中国語
の会話相手じゃなくて、その人をその人としてかかわりたい。もっと深く。
ほんまに出会いを大切にしたい。

最近、香港人に対する固執がなくなった。
どこの人でも、その人とどう生きてるかを交換しあいたい。
そして、捨てるべき無駄なものはいつか捨てるときがくる。
だから、これからもどんなことも無駄じゃないと信じていきたい。
そんな勇気を持てないときもあるけど、魂の叫びは案外単純だ。

大学の友達、大学の親友、大学のゼミ仲間、
昔のバイト先の人、高校時代の友達から連絡が。

みんな私がどうしても弱音を知られたくない人たちでした。
でも、どうしてこうも一気に連絡がきたのだろう。
神様が再度チャンスをくれたのかと思ったりします。
みんながあまりに違う人生を歩んでいて、
それぞれから学べること、もらえるもの、を素直に受け取ったほうが
いいに決まってると思うようになりつつある。
連絡してくれてありがとう。


肝心な問題の一つはいまだ微妙なまま。
でも、チャンス到来か。ある意味。
どうせ6月から会えないんだし、今のうちに無茶してもいいか。
モノより思い出。プライスレス。
社会的体裁より自己信頼の感覚。


今大切にしたいこと。
フットワークの軽さ。
いつも85%は目の前のことに
10%は新しいことに
5%は遊びに
目を向けたいなあと思ったりしました。


「SPIRIT」まじすごい映画だ。
ジェット・リーのカンフーがすごい。
それに内容も濃い。
ますます武道に興味がでてきた。

そして、「教育」への思いが熱くなってきた。
人の可能性ってすごいかもしれない。
最近、強くそう思います。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-12 04:14

怖いものは何?

最近、発信することが少しずつ平気になってきた。
ええ格好しいの表面取り繕いの癖は大分捨てられるようになって、
思ったことをアホ面のまま「えへへ」といいながら言ってしまえるときもある。
結局、大切なのはそんなところではなく、それでも自分自身は日々どういう
風に生きているかというだけなのだと思ったりする。
それが難しいのやけど(笑。

大阪から友達がきた。高校時代の親友2。
二日泊まっていったけど、家にいる間はほぼ9割私がしゃべりまくって
いるのをずっと聞いてくれた。
ほんとはもう少し遅い時期にくるはずやったのに、わたしが
変なメールしたら心配して「行くわ」といってほんまにきた。

「あーこのままでいいねんなあ、あたし」。
普段東京にいてそう感じられることはほぼ皆無だけど、
全てをさらけ出せる人がひとりいるだけで街も暖かくみえて
こう感じることができる。
結局、人なんだよなあ、と思う。
どこにいるかじゃない。

最近、ずっと世界との調和を考えていた。
目指すところは自立だと思っていたけど、その先は個ではなく、
調和なのではないかと感じ始めている。
「世界は既に存在していて、すでに始まっていることを忘れて
はならない。自分勝手に世界を解釈し、自分の人生を解釈しては
ならない。私たち人間は全て生かされているのだから。」
そう読んで自分を恥じた。
めちゃくちゃ自分で完結しようとしていたし、
独善的になっていた気がした。

友達からメールがきた。
そこにとても有難いことがかいてあった。
「人間関係は善悪では測れない。
もし自分の欺瞞を理解しつつも思うように動けないとしたら、
それはまだ自分が満たされていない部分があるからだよ。
今はただその選択肢が最善ではないことを理解していればいい。
長期的に続くことではない。きっと答えは自然に出るから。
とにかく卑下だけはしないで。」

その言葉に甘えていいのかどうかは分からないけど、
そうとらえていけば、前に進みやすいかもしれないとは思った。

結局は、自己を持った自分が現実社会と少しずつ調和し、
次世代のためにどんな世界にするかということに1ミリでもかかわり、
大切な人と一緒にいられたら、それが幸せだと思うこのごろです。

怖いのは・・・行動しないこと。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-08 03:25
まるで心の中でいろんなことを整理して随分前進したように思えた後に、
また思いっきり過食をしてしまったような心境。

会っても平気だと思ってた。でも、平気じゃなかった。ははは。何しとんねん。

でも、それは素だと思う。
いろいろ思考で気づきがある自分よりも、そっちのほうがリアルだ。
だから、行ってよかったし、動いてよかったと思う。
そして、これからもっと行動至上主義になりたい。

一人の世界で整理するよりも、人の間でずれながら、ぐるぐるなりながらも、
少しずつ自分を微調整していくほうが自分に近づいてる気がする。
だから、同じことを繰り返してるように見えても、きっとそうじゃないし、
そのたびに小さいことでも何かを変えていれば、きっと大丈夫。

悔しすぎて、沸々とした思いや憎さに心が悲鳴をあげてるけど、
それでもいいねん。感じていいねん。敏感すぎてもいいねん。
心の中が重過ぎて寝れないなんて久しぶりだ。
でも、いいじゃないか。そんな日もあるさ。

つらい。自信なんてない。こんな自分なんて誰も必要としないだろうと思う。
けれど、そう思うなら、今日も外に出よう。そして、人の数倍努力しよう。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-05 08:36

下りのエスカレーター

なんだか面白い流れに乗っているのだろうか。

ずっと連絡しなきゃと思っていた人からぽろぽろ連絡がきた。
ほとんどが大学の友達。
ずっと合わす顔がないと思って逃げてた。

でも、今。今。今。今。

とは思うものの、後ろめたさと劣等感はありまくる。
が、それでも行きたいという思いがある。
あたしはあたしだ、という思いがある。

もう嘘はつきたくない。
もう格好だけで逃げたくない。

その価値観が通じない人もいるけど、
自分はその価値観で生きるしかないんやもん。
そうしようって自分が言ってるもんな。

ずっと会いたかった人もいて、
ずっと誤魔化してた人もいて、
ずっと雲の上のように思えてた人もいて、
彼らのやっていることのすごさにしり込みしていて、
精神論だけを展開して縮こまっている自分は
ダメな人間だと思っていたけど、
そう思って止まったら終わりなんだった。
自分のいのちを活かすこと、忘れてないか?

でも、自分を落とすことはない。
でも、努力を怠る自分は責めて直すべきだ。
私は私のやることの延長線上でしかありえない。

ってか、このタイミング、おもしろいなー。アハハ。
何だ、一日や二日でこの流れるような感覚は。。。

と思ってたら、Nさんから電話かかってきた。
いろいろ話したけど、途中でNさんが言った。
N:「あのねえ、○○さんね、ぶっちゃけ得体が知れんくて実体がつかめんのよ(爆笑)」

私:「ハアア????」

N:「だってね、人に知ってほしいなんて思ってないでしょ?
人が自分のとこに来て、話そうって思ったら話すけど、
そうじゃないと話さないでしょ?(爆笑)」

私:「ああ、まあたしかに・・」

N:「それがね、うちを知ってくれーーって思ってないように見えるんよ。
それに得体が知れない。そう、あなたは絶対に自分を売り込めへんよね」

私「・・・(図星)。」


なるほど~~を通り越して、あまりのなるほどに倒れそうになった。
自分が多分、一番いろいろ話していると思っていたつもりのNさんに
「アンタは実体がつかめない」といわれたことが、
ショックというより、実践してない証拠だと痛感した。
「自分を売り込まない」というあまりに図星なことを指摘してもらえて
嬉しかった。だから、やっぱり人ってありがたい。

己を知ることは全ての基本だとしても、
そこで止まったら意味がない。その自分を出さないと。
その自分をさらけ出さないと。その自分で実践しないと。
何も気づいてないことと同じだ。

「日本人に生まれて、こうしていろいろと考えられることも徳なんやで。
知りたいと思ったらすぐに知れる。勉強したかったらその環境があり術がある。」

あれもこれも欲しい。
そんな夢を捨てることなんてない。
でも、人間時間も必要、継続も必要、順番も必要。
だから、まずは一個を全力でやる。そしてもう一個もこつこつ積み重ねていく。
その過程で人はとても有難い存在だ。
何年もかかってやっと一人で気づけることが、たった一瞬で気づかせて
もらえるかもしれない。全然思いもしなかったことを教えてもらえるかもしれない。
人は勝負するもんじゃない。自分と勝負するために味方にするものだ。

人生は下りのエスカレーターに乗って、上に上がっていくようなもの。
前に進むべきときに恐れて立ち止まったら下に流されていく。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-04 17:29

自分の生き方

眼を閉じて、自分に必要なものを整理した。

いらないもの。
大量にあるDVDやCD。
洋服、TPO別に最低限でいい。
テレビなどの家電。
書籍も、読もうとさえしてないのがほとんど。
化粧品も、使うものだけでいい。
なんたらイオンとか、そんな美容関係のやつもいらない。
ぐちゃぐちゃ予測して躊躇すること。

今ほしいもの。
実力。
信頼に基づく人脈。
一眼レフカメラ。
経済力。
パートナー。
行動力と知識。
藝術に触れる空間。


所有することにとても無頓着になりつつある。
身軽がいい。
でも、絶対に必要なことは自分の部屋の片隅に輝くような空間をつくりたい。

形にこだわるのは全く意味はないけど、
まずは中国全省を訪れたいと思っている。その先の隣国も是非。
あんな広い大陸で、私がいったことあるのは沿岸地域の北側に集中
しすぎている。それで何が分かるというのだ。何が語れるのか?
行っただけでは何もならないけど、行かないのはもっと何もならない。
だから、イラクのこともとても後ろめたい。
お前なんぞに何が語れるのだと。
でも、一人でも多くの人に伝えることならできるんじゃないか?
自分の言葉で、自分の撮ったもので。この乏しい知識と思い込みの
激しい怠け者の性格を総動員して、できる限り生産的に。
何を提起できなくとも、少なくともそのきっかけを発信するくらいなら
できるだろう。Nさんいわく、人間の中の良心が麻痺したら終わりだ、と。
他人が誰かにする悪に、触れずに知らないふりをすることで業を積んでいるんだと。

あ、話がそれた。
今したいことは、旅。
それも、知る旅。感じる旅。考える旅。広げる旅。
旅というのは、楽しいものでなくていいと思う。
「旅楽しかった?」と聞かれたら、楽しくなければならないかのようだけど、
私はトラブルがあるほうが好きだ。
多分、人にふれて、少しでも自分の中にその土地のリアルを刻みこめたら
それこそ旅の意義ではないだろうか。
だから、何も知らないまま、何も調べないまま、その土地に行くようなことは
失礼だし、あまり意味がないと思う。

友達と香港に行ったときの記憶がないのが最たる悲惨な例で、
あれはどこでもよかったのだ。香港という場所をえらばなくとも。
でも、これからは、誰と行くにしろ、自分に違和感が残るような
すごし方はしたくない。

ネット上の地図で、行ったことのある地域を赤でぬれるやつがあるのだけど、
自己満足であほらしいとつっこみつつやってしまった。
すると、アフリカ、中南米、オセアニア、ヨーロッパの大部分がまっしろ。
南アジアもまっしろ。
自分、真っ青。

そうかーこうやって視覚的に知らされるとリアルだなと思う。
こんな小さな範囲でこちょこちょしてるだけで何を知った気になっとるね。
何を絶望しとるね。この白い場所に未知なる可能性があるってことでしょ。
もちろん、赤い場所にも。

あいつ変なやつやな、と言われても、
自分が楽しんでたら笑えると思う。
あいつおもろいやつやな、と言われても、
自分が楽しんでなければ笑えないと思う。

その笑顔に敏感でいてくれるパートナーがいつか見つかればいいな。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-02 17:53

情熱と技

父にアドバイスをもらった。
そして、そのとおりにやってみたら、思った以上にスムーズに事が進んだ。

父は管理職として、いろんなことを経験している。
でも、なんでこれまで父からもっと盗もうとしなかったのか!と思った。
最近思うことは、経験がないうちは、思い切り盗めばいい。
もともと何もないんだから、盗まないのは自分に損だし
何ができんねん、と思う。型がないと応用もできん。

あーそんな簡単なことすら気づかなかった。
自分で全部生み出し、全部処理しなければならないとか、
アホか。そんな労力を他につかえばもっと効率いいのに!

バランスとはそういうこともいえるかもしれない。
人と人の間でうまく吸収し、自分の労力を最小限に抑えつつ、
最大限の努力をできる人。

うちの父には、タイミングが見えるらしい。
今行動すべき!という勝負の時が。
それは経験で培ったものかもしれないし、もともとの才能かもしれない。
そんな父の娘なのになぜ正反対のこの不器用キングなのだろうと思うが、
そんなの分からない。諦めるには早すぎるし、何より、私はまだ
何も身に着けちゃいない。余計なものをできるだけとりはらって
人から今自分に必要なものを吸収しまくりたい。
自分の人生のために。

先生が言ってくれた。
「あなたはとにかくまず自分の人生を歩きなさい。
自分の道をつくりなさい」と。
結婚やら、なんやら、そんなことは自分が自分の道に
邁進している過程で、出会う縁があれば考えればいいことなんであって、
そんなこと今考える必要など皆無だよ。

そうそう。友達もそうやけど、友達になろう!って友達になった人って
大抵続かない。何か共通点、特に自分が興味あることや
目指していることを共有できる人の中で、気が合う人との縁が
結局は残るわけで。だから、人間関係!!と焦るのは本末転倒だ。
とにかく、自分の目の前のことと自分の夢に驀進する。
そして、そこでの縁を十二分に大切にする。
そして、腰は低く。

昨日、NHKで見たプロフェッショナルはWHOの医師。
子供さんもいてはって、仕事と子育てを両立している。
彼女いわく、「プロフェッショナルとは、情熱と技だ」と。
激しく納得した。
たしか、似たようなことを、阪神大震災のときの消防士
の方が言っていたような気がします。

それぷらす、経済力だと思う。
今、自分にはありえないほど経済力がないし、
今まで避けて考えてきたこと。
でも、自分の思考が少しずつそっちにも向いてきたとき、
先生にも言われた。

「親は子供に期待してはいけないんです。
子育てする楽しみを与えてもらっただけで満足しないと。
でも、あなたが唯一してあげられることといえば、
老後親が困らない程度に、あなたが経済力を持っていること」

一人間として、一女性として、一娘として、
筋の通った、言動一致の人間になりたいです。
[PR]
by jengsauman | 2006-03-01 06:05