過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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どうしても

どうにもならないことってきっとたくさんあるのだろう。
身体がいくつにも裂かれてしまうような気がする苦しみとか、
胸が締め付けられる想いとか、いろいろ。
でも、そういう思いはやはり何かの使命と繋がっていると思っている懲りないバカ。

人を痛いくらい恨みたい思いに駆られると同時に、
人を痛いくらい救いたいと思う。
私に何度も何度もそう思わせる貴方は、私の人生に必要な登場人物なんでしょう。
そして、それを痛いとさえ思わなくなるより、こんな自分でいいじゃんって思う
自分に気づくためのきっかけでもあるのかもしれない。

週末、大阪の友達の結婚式に出るため関西に戻った。
5年か6年ぶりに会った彼女は、美しすぎて見とれてしまった。
人間ってこんな笑顔ができるんだ・・・、というのが正直な感想でした。
自分の生かされ方をしっかりと受け止め、しなやかにそれを一生懸命
生きている彼女は、誰をも幸せにしてしまうようなオーラを持っていた。
それくらい彼女は美しく、輝いていた。
きっと、これからもあれほど素敵な結婚式に出席できることは稀だろうと
思うくらい、いろんな愛がつまった式でした。本当におめでとう。

その席で、私は4人の友達と再会しました。
二次会では更に多くの友たち。
怖かった。けど、会った瞬間に、何も頭で考えずに体がその関係を思い出した
かのような心地よさが流れた。あまりに嬉しくて、あまりに幸せで、私は
とても口が悪くなって、何でもかんでも突っ込みまくって、怒られた(笑。
会わなかったこの数年を埋めるかのように、ずっとずっと話していたかった。
「こんなに久しぶりに会ってそれはないやろ」と何度も言われた(笑。
「あんた、高校の時からなんでそんなに自虐的やねん」と突っ込まれて
爆笑したりした。
ほんとに幸せだった。
私が、ずっと逃げ続けていた最後の壁は、やっぱり今までと同じように
私の心が作ったものだったと気づきました。
周りのどこにも私を陥れる人なんていない。私を無視する人や
疎ましいと思う人はいても、そういう人と私は憎みあうほど深く付き合ってもない。
そうして、「敵はここ(己の心の中)にしかない」
という答えに辿り着いた。
ほんとに、仮想敵が全員目の前からいなくなってしまったような感覚だった。

みんな、いろんなことがあっただろう。
5年や6年って、もう何があったか自分でも思い出せない。
でも、ここにいるあたしたちが事実であり、真実であると思う。
だから、それでいい。
なんて幸せな環境にいるんだろう、自分は。
と改めて思った週末だった。

二次会の入り口でばったりIくんに会った。他の友達からよく話は
聞いてたし、昔と変わってなくてすぐに彼だと分かった。
が、向こうは「同じ学校の人?」と隣に居た友達に聞く始末((爆。
その後「いやー、昔と感じが全然違うから分からんかった」と
何度も言われたけど、「そうか?みんな全然かわってへんっていってたけど」
と返していたわたし。後々考えると、前なら間違いなく「太ったね。ぶさいくになったね。
だからわからなかったよ」ととっていたに違いない。実際、彼はそう感じたのかも
しれないし。でも、私はそんなことを忘れていた自分を少し落ち着いて喜べた。
それが善とか悪とかじゃなく、そうある自分が快だからそれがいいのです。

金曜日、会社の飲み会を抜けて最終で品川から新幹線に乗って
帰阪したけど、渋谷駅までフラフラな私を駅まで送ってくれた
先輩や、心配して電話してきてくれた同僚、新大阪まで迎えにきてくれた親友。
そして例のごとく心配してじゃんじゃん電話してくる母親。
私は一人で生きているのか?否。
私は一人で生きれるのか?否。
私は誰にも愛されてないのか?否。
私は誰も愛してないのか?否。
わお、超幸せだね。もっと感謝しなよ。

私の周りには愛がある。たとえその数がたくさんじゃなくても、
その深さがそれほど深くなくても、私の心が忘れかける感謝を思い出させてくれる
愛が存在している。だから、私も愛する。
恨みたくなったら愛を、なんてただの綺麗な言葉だと思っていたけど、
それは真理なのではないかと感じ始めた。
愛と憎悪は表裏一体であり、愛、愛と思っているだけでは愛することはできない。
むしろ、憎悪を感じたときこそ、そのすぐそばに当たり前にあると思っていたものが
とても有難い愛であることに気づけるのではないか。
だから、私は憎しみを否定しないし、そういう感情をくれる人にやはり感謝したい。
今は無理でも、後々、自分のためになるのは絶対にそういう感情を乗り越えた経験
ではないかと思ったりする。

上司がよく言う。
「綺麗な言葉なんていらんねん。何が重要か、それだけでいい。
そして、信念を持て。」

私はよく綺麗な言葉に逃げてしまう。それが半分くらいは本音だとしても、
あとの半分は思考停止の楽したいだけのよわっちい逃避の自分だ。
だから、今、思う。
苦しさをくれて、ありがとう。苦しさは、何度も何度も自分にめぐってくるはずだ。
向き合わなければ、一生ずっと同じものがカタチを変えて。

しかし、それを一つ乗り越えれば、きっと全然違う場所にであっても、
今までもらった愛を返すことができる気がする。
だから、私は今、笑顔なのだろう。泣いていても、笑顔なのだ。
「何かいいことあったの?」と聞かれるほど、笑顔なのだろう。

ごめんね、なんて謝ってもらわなくてもいい。
大丈夫?なんて言葉をかけてもらわなくてもいい。
表面的なことは要らない。
それは重要なことではないし、そう気づけば気づくほど、
そういうものに触れるとむなしくなる。
でも、人ってやはり善だと思う。
それが私の信念。
何をされても、何があっても、信じることをやめない。
だって、自分がつらいときに、助けてくれる人がいるから。
自分も一回でも多く、人にそうすることから始めればいい。

「人間は大きなことなんてできません。
小さなことを大きな愛でやるだけです。」
マザー・テレサのその言葉がとても心にしみる。

不器用だ、なんて言葉で自分を逃げさせない。
傷ついても、求めろ、と言ったじゃないか。
人と向き合うことと、人を見ること、は違う。
向き合うには覚悟が要る。でも、考えている時点で可能
なはずなんだ。苦しめ、苦しめ、そして今日も諦めるな。

大阪の友達たちや家族や近い友達が私にくれる安心感は
本当に有難いけど、そこにとどまっていてはいけない。
「あーやっぱここがええわ」なんていってそこから出ない自分は
挑戦すること、自分が成長するための試練のスタートラインから
逃げ続けている状態に過ぎない。全然うまくいかないこと、こそ
今の殻やぶりのスタートだ。そして、それに挑戦していくうえで、
信頼できる関係をずっと心の中に感謝とともにとどめておきたい。

行動した自分が好きだ。
お人よしでバカな自分が嫌いじゃない。
人にものを教える時、妙に血が騒ぐ自分もおもろい。
私とは、こういうおめでたい単純でアホな人間だけれど、
ここで止まるわけにはいかない。
だって、あたしにはやるべきことも、やりたいことも山のように
ある。そして、いつか、私に痛みをくれた人のために
少しでも力になれるような今よりちょっとだけ大きな自分になりたいのです。
言葉にするととってもうそくさいし、とても偽善ちっくだけど、
本音で、心からそう想います。
人を救うことなんておこがましいことはできない。
でも、人っていいな、そんな気持ちを伝えるくらいなら
ちょっとしたきっかけでできるかもしれない。
ほんとに、そんな自分になりたいです。
きっと、だからこそ、そんな人と出会えて、
そんな出会いに地団駄をふみ、それでもやはり
そんな出会いに感謝する自分がいるのだと思う次第です。
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by jengsauman | 2006-04-26 23:49

活着的人應該好好活下去

自分の人生である。

それを生きるうえで、必要でないものはいっぱいある。
それを排除し、本質を見、自分のやるべきことに邁進すること。

ぬるま湯は入ってるときは気持ちいいけど、出たら風邪をひく
ので、結局それが億劫に思えて、出られなくなる。
そうしているうちに、思考であたかもそれが意味あるもののように
自分を納得させてしまう。
それは人間の弱さ。習慣は恐ろしい。

自分の夢を信じる、可能性を信じる。

今の自分が、現在を輝かせることから逃げているなら、
まずはそんな自分を認めよう。そして、それを今、変えればいい。

未来のために現在をすっとばした先には、今と何ら変わりない自分がいる。
過去にひきずられた現在は、あってないような現実。幻想を生きている。

過去を捨てる勇気も必要。

今日が人生最後の日かもしれないよ。
私は、今、何をしている??
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by jengsauman | 2006-04-16 16:29

ニーズ

クライアントニーズについて考える研修。
正直、商売には興味を持てず、よく分からない。
しかし、最近思うのは、何だって大切なことは同じではないか、と。

素敵な部長が聞いた。
「クライアントニーズを引き出すにはどうすればいいと思う?」

私は、頭で考えた。
「多角的な提案をして、クライアントが・・・」

部長は言った。
「みんなが言ってくれたことはぜんぶ正しいです。
でも、僕が考えることは以下の通りです。」

以下には
「クライアントを継続的に愛すること」
とあった。

信頼、コミュニケーション、相手軸になる、相手の細かい嗜好を知り、
相手の生活パターンを読み、相手になるだけ心地がいい接し方をする。
自分の利益にならなくても相手が求めるものを提供する。

あー、人間関係だ。とやっと気づく。

何をするにしても、相手が人間である限り、
自分から、相手の立場に立とうとしなければ失敗する。
独善的、一人で悲劇のヒロイン、押し付け、孤独、壁、
傲慢、逃避、恐怖・・・いろんなことは人に助けられ、
大きな力に生かされていることを忘れるから発生すると感じる。

超興味がないことでも、自分のとらえかたですごい気づきの
時間にすることはできるのだと感じた。

長期的目標、ゴールを定めることの大切さ。
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by jengsauman | 2006-04-15 09:33

謝謝

ふと、謝謝とか多謝っていい言葉だなって思った。
カムサハムニダも感謝ハムニダと書きたい。
そして、有難う、という言葉もとても素敵だ。

その言葉を、心から感謝をこめて言ったことがあっただろうか。。。

会社で出会った中国人のCさん。
まだ出会って2週間しか経ってないのに
すごく心地がいい。中国人だから、日本人だから、なんて
感じたことない。お互い助け合って、2人で1.5人前くらい(笑。
彼女の笑顔に毎日どれだけ支えられているだろう。
不動産屋と問題が起こったとき、私にも非があると指摘してくれた上で、
でもこれ以上どうしようもないから下手に動かないほうがいい、と
とても心配して、見守っていてくれた。
今日は歯が痛くて歩くのもつらいくらいだったのだけど、
しゃべってるほうが気がまぎれていいよ、と言って話してくれたり、
心配してくれたり、研修中痛いーと思った瞬間、そっと横から
手を握ってくれたり。

Yくん。同時期に入社したから一緒に研修を受けている。
彼らは私とCさんを受け入れてくれ、そして適度に距離を保っている。
その空気がとっても心地よく有難い。
Yくんはその中でも年が私と一つしかかわらず、ちょっと閉じ気味で
プライドが高く、一番関わりにくそうだと思ってたけど、
話してみたら、かなり自分の考えをもっていて、いつも自分の頭で
考える癖を身につけていると気づいた。しょっちゅう思考停止になる
私とはえらい違いだ。尊敬できる場所、発見。いろんなことを経て生きて
きていることを耳にした。そんな彼が今日の帰り際に言ってくれたこと。
「○○さん、頭いたいん?」←歯痛が頭全体痛にひろがり、怪しい動きをしていた私。
「いや、ちょっと歯が・・」
その心配した顔にまずびっくりしたが、続いて
「じゃあ、今日の飲み会やっぱり無理なん?」
「うん。。ごめん。また今度参加させてね」
と言ったら
「そしたら、ちょっとでもましになって、何か食べられるようになったら
すぐ言ってや。ちょっとでもましになったらすぐやで」
と急かすように言うから
「なんでそんなギリギリやねん」とセンスないつっこみをしたら
「いや、だからちょっとでも早く一緒に飲みに行こうや、ってことやん」
といわれた。

おお!すげー歩み寄り!
8年付き合ってる彼女がいるだけあってか、
人と一緒に生きるということをとても分かってる人だと感じた。
私は単純だが、自分からこうして距離を縮め、相手のことを
思う姿勢を見せてくれる人を心から尊敬する。
彼だけじゃなく、他の誰もそうだけど、私の姿勢一つでその出会いは
意味を持つことに気づける。
社長の言葉「全ては自分次第で世界を変えることができる。感謝
の心を持てれば、世界の見え方が変わるはずだ」
まさにそうだと思う。
年下だから、趣味が違うから、考え方が違うから、国籍や文化が違うから、
と思って線を引いた時点で自分の宝を一つ失ったのと同じ。
違うけど、学べることがぜったいにある。

環境のせいにしているうちは、きっと何をやっても成し遂げられない。
与えられた環境は、縁や運命のめぐりあわせで手にした器にすぎない。
それをどう生きるか、毎日どう実践するか。それが私を作る。
どんなにすごい人が周りにいても、すごい組織にいても、それでも自分は
自分の人生を作っていくもがきを続けなければいけないのだから。

もしかしたら、幸せかもしれないと思う。
最悪なことが笑えるほど次々と身の上に起こるのに、
それを冷静に「何のメッセージだろう」と思う癖が少しずつできつつある。
たくさん動揺して、たくさん涙を流して、悲しんで、孤独を感じて、
それでいいじゃないか。それに一人で耐える必要なんて皆無だ。
つらいから、大人げないと思っても、人に言ってしまえば、
それだけで楽になれる。「負けんとこうな」っていう言葉をもらうだけで
よしって思える。エネルギーを使う場所はそこでの強がりではないと思う。
いやなこと、つらいことが起こった時、過食に走らないように、
男や感情のことに逃げて本質をぼやけさせないように、
今までの思考・行動パターンを守らないように、
そこでのメッセージから逃げないようにすれば形はぐちゃぐちゃでも
いいのだろう。

大好きな友達がいて。
大好きな家族がいて。
毎日出会いと別れを繰り返し、
期待と失望と反省と情けなさを繰り返し、
それでももっとうまくはまるパズルがあると信じ続ける。
どこかにパラダイスがあるのではなく、
今のカタチの先だからこそありえるより良いもの。
今をすっとばしては意味がないもの。
今を精一杯生きること。

すべては信号だ。
すべては動かされている。
今、歯が痛くなることさえそう感じる。

反省なくして成長なし。
痛いところ、見たくないところを、もういっちょえぐろう。
絶対に、成長の鍵がある。
Yくんのような人、今までなら私は歩み寄りを感じた瞬間に
見方を変えて、その人の下に自分を設定した。
尊敬できる人は自分より上であると思うと、
それ以上自分で努力し、その人とのかかわりにおいて
自分を主張し、ぶつかり合い、自分の可能性に挑戦することを
してこなかった。
だから、今は、それをしないように。逃げないように。
恥かいても、ばかにされても、絶対二度と同じことを
繰り返さなければ、自己満足でも自分に勝利である(笑。
そしてそれが自分の人生のスタートでもある。
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by jengsauman | 2006-04-14 21:36

みんないろいろ抱えている。いつも、それを忘れそうになる。自分のことで頭がいっぱいになる。

今週から始まった会社。結果を出さなければならない、その思いで空回りしそうだけど、実際は何もできない自分がいる。目の前を積み重ねていくこと、一期一会を大切にして学ぶこと、起こることすべてを謙虚に必然として受け止めること、焦らないこと、いろんな思いがうずまくけれど、正直どうしていいか分からない。とにかく、毎日やるしかないのだろう。ただ、覚悟が足りない自分が腹立たしい。

好きな人と離れて、毎日何度も思い出す。彼に怒りを感じそうになったら思考ストップ。恨みを持とうとしたらストップ。それは、責任や壁をのりこえる辛さのすり替えにすぎない。前にNさんが、三悪の一つに怒りを挙げていたことを思い出す。当時は、怒りは必要だと思っていた。怒りを封印してきたから、こうなってしまったんじゃないか、怒りは感じるままに感じるべきだと思っていた。それはきっとそうなんだろうけど、今は怒りを感じるべき箇所ではない気がする。怒りを抑圧するんじゃなくて、怒りが発生するメカニズムごと変えるのだ。感謝できていればそんな簡単に怒りは生まれない、と思ったりする。

この状況をどう見るか。友達に同情を得るように悲劇のヒロインばりに話せば、大丈夫?と心配してくれるだろう。でも、それは今までも使ってきた逃避方法だ。今こそ、逃げたくなったときに楽な方法で目をそらすことをやめなければならない。本質を見なければ成長はない。

彼と向き合ったことは、プラスだった。私は自分が甘いことを思い切り痛感させられた。人に頼って生きていこうとする心の甘さがあだとなったおかげで、「自分で責任をとれ」「自分の足で立て」と自分に言えたのだから。ただ、時々恋しくなるだけ。時々寂しくなるだけ。彼の温かさが欲しくなるだけ。いろんな不安に包まれた時、抱きしめてほしくなるだけ。でも、その抱擁にはなんの力もない。だから、私はもう誤魔化したりしない。そうして思い出すたびに、私は自分を冷静に見る訓練をすることができるのだ。「ほら、また逃げようとしてるよ」「また自分から目をそらして他者に責任をなすりつけようとしてるよ」と。

一緒に住もうとした部屋、あの街は当分忘れたい。でも、きっと、平気になれる。私は、神様に大きなヒントとチャンスをもらったのだろう。こうでもしないと私は現実を見ようとしない頭でっかちだから。あなたの現実はずれてますよ。あなたはここを見ないとダメですよ。あなたは人に頼ろうとしてますよ。あなたは実践できてませんよ。そんなメッセージが少しずつ聞こえる。

家に帰ったら姉がいた。泣いてた。親と話をしたらしい。
貯蓄があまりに少ないことを姉が指摘して、喧嘩したようだった。
姉は私の計画性の甘さを指摘した。
お金のこと、親の介護のこと、海外に行っている間にもしものことがあった場合のこと、
すべてにおいて私は曖昧だった。
大人になるということはそれらに全て対応できるようにリスクマネージメントしておくことだ、と言った。
仰るとおりだ。ほんとに、あたしは何もできてやしない。お金もないし、介護のことも考えてない。親に何かがあったら介護するつもりではいるけど、今急に親が倒れたら、私はきっと大阪に帰ることを選びそうで、自分の計画性も主体性もないこの無責任な姿勢に恥ずかしくなった。仕事は?やりたいことは?結婚は?・・
どれももしもばかりで、考えてもどうにもならないことだと棚に上げて逃げてたけど、それこそしっかりと考えなければいけないことだ。海外に行くとか、自分の夢を追うとか、やりたいことをやるとか言うなら尚更、何があってもきちんと対応できるようにしておかなくてはそんなことを言う資格などないじゃないか、と恥ずかしくなった。

姉は私がどんな状況かということに興味はないことは摂食障害のカミングアウトの時点で悟ったことだ。それがいいとか悪いとかじゃない。彼女の人生観はそこにはないというだけで。だからこそ、気づかせてもらえることがある。耳が痛くて、できればその場から走って逃げ出したくなるようなリアルな話を、私は自分ひとりで突き詰めて考えられない甘い人間だ。

でも、だからといって介護、貯金、年金、将来、結婚、出産、それら全てがあんなに暗黒に語るものなのだろうか。親の金銭感覚がおかしいなら、そっとフォローできないだろうか。どうしていつもああ直接的に変えようとするのだろうか。姉の指摘することは確かに正しいかもしれない。でも、彼女の姿勢にはどう見ても、思いやりが感じられないと思うのは、私がまた自分を守ろうとしているからなのだろうか。

親が姉とやりあうたびに電話してきて言うのは、姉は人の気持ちを汲むということを知らない、という話。それは分かる、けど、私は間に立ってどういう方向に何をすべきか、頭がグルグルする。そうだ、もっと私がしっかりしなければならない。親にいつ何があるか分からないという想定のもとに、金銭的にもその他のケアについても、考えておかなければ、できるように稼がなければ、自分の夢ばかり見ていてはいけないのだろう。でも、それだけに追われて自分がしっかり生きている気になるのはまずい。

親には親のプライドがある。親には親の人格があり、価値観がある。
それを尊重した上で、子供として何ができるだろうか。
今考えるべきことがあまりに多すぎて、やるべきことが多すぎて、
そして姉と価値観があわなすぎて、
そして、あまりに孤独で、とても不安だ。

そんな時、ふと彼に連絡して会いたくなる。
けど、ぐっと我慢。
一人でなくても、友達に意見を聞いたりしてもいいから、
感情のことに逃げるのはやめよう。
自分の不甲斐なさはここにあるのだから。

姉は「わたしは大学の時からずっとこのことを不安に思ってた」といった。
あたしは正直、びっくりした。
同じ環境で育った姉妹なのに、本当に全然違うんだなと思った。
私が彼女に感じる違和感は、同じように彼女も持っているだろう。
どっちがいいか悪いかではないが、とにかくバランス感覚を持たなければ。
人に正しさを押し付けても、どうにもならないよ。
でも、思いやりという名のもとの無責任なら迷惑だろうし、
自分が正しいと思っているときこそ危ない。
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by jengsauman | 2006-04-06 00:24

押し付け

過食症で、食べ物を詰め込んで詰め込んでいたとき、そばに居たはずの人はとても遠くに見えた。彼らは違う世界に生きているように見えた。自分はこの一人の世界で完結し、苦しみ、出られないんだと思っていた。

自己処罰はいまだに完全には抜けない。
けど、生かされていることを感じる瞬間があるから、私は今日も生きる。
周りの人に感謝してもしてもしきれない。

だから、とっても大切な人に
「ごめんね。一緒にいられない。」と言われたら、私は他のひとよりも
あなたのその痛みを感じられる気がするよ。
好きだけどどうにもできない事情ってよく分からない。
でも、他人に理解できないことってたくさんあるとおもうから、
私はあなたを責める気も起こらない。

あなたの胸のつっかえが少しでもとれるなら何だってするよ。
でも、そんな問題じゃないことくらいわかってる。
おかあさんが
「なんでこんなに愛されてるのにあんたはそんなに苦しむの」と私に言って
とてもつらそうな顔をした時、もしかしたら今の自分のような絶望的な無力感
を感じていたのだろうか。
「自分を責めないで」といったおかあさんの気持ちが分かる。
自分が大好きな人が自分を責める姿ほど見たくないものはない。
そしてそれをどうにかしたいのに、どうにもできない。
おかあさん、ごめんね。ほんとにごめんね。
どんなに愛されても、その愛が痛く感じるときもある。
人にはどうにもできないこと、時期がある。
それを思い出した。

一番訳が分からなかったころ、私は何を求めていただろう。
ただ、そばにいて、抱きしめてほしかった、という記憶しかない。
ただ闇雲に言葉で肯定するんじゃなくて。
そんな存在になれる自信なんてないし、第一彼が何を求めているか
なんてわかりません。

わたしは自分の気持ちを言った。
きっと、伝わらなかっただろうけど、
少しでも彼に何かが伝わっていることを願いたい。

いつか、彼も生かされていることに気づいて
少しでも楽になったらいいなあっていうのが私の今年の願いの一つ。

不動産屋さんの兄ちゃん(39歳:恋愛経験豊富らしい)に言われた
「いろいろあるだろうけど、結局最後は、好きか嫌いか、だと思うよ。
ポジティブにね。前向きにね。」

経験を積んできた人の言葉はとてもシンプルなのに説得力があると思う。
私は、思い残すことなんてない。
だいすきだった。
それでも、ダメなんだから、仕方ないじゃん。
どうにもならんこともあるさ。でもそこで終わりじゃない。
そこから得られることを、自分の夢につなげていきたい。
あなたは人と関わる勇気をくれた。

ところで、2日家をあけて、帰ってきたら・・・・
鍵開いてた!!!??
こええええーーー!!!
私かけ忘れたのかな・・。それとも・・・。
でも金品はとられてないし、大掃除でひっくりかえしたまま出かけた
から泥棒の後かどうかも分からない(爆。
自分、しっかりせえよ。

蜷川実花さんという写真家。とても素敵なのだけど、
ふと彼女が父蜷川幸雄氏から言われたという言葉がよぎった。
「男をふれる女になれ」

それは強い女になるということではなく、
いつでも自分の意思を行動にうつすためには、
経済的にも精神的にも自立している必要がある。
女は男よりも強いなんてさらさら思わないけど、
一人間としてしっかりしなければ、と思った。
鍵あいてるのを見て、さらに思った(苦笑。

母から荷物が届く。
中に本が二冊。
「小さいことにくよくよするな①、②」
母は偉大だ。
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by jengsauman | 2006-04-01 12:35