過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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オキナワ

会社で沖縄にいってきました。


ハア~。予定とは全然違う過ごし方になったけれど、行ってよかったです。
ここのところ、仕事で悶々が増えすぎて、いつもにもまして一方通行な思考しか
できず行き詰っていた。それもこれも、自分の未熟さゆえ、なのだけれど、
どこまでがそれで、どこからが自分の違和感を感知しなければならない点か
判断できない。きっと時間が必要なのだろう。そんな気がする。

旅では、だいぶずるい過ごし方をしてしまったけど、
感じたことがひとつ。うれしかったことがひとつ。あとは反省だらけ。

プライベートビーチを目の前にして、ベランダにあるジャグジー付きお風呂
に部屋の人2人と足湯をしながら、パイナップルワインを飲んで、語らっていた。
ほんとに素敵な時間だった。
ひょんなことから、私が自分の考えを話すことになったのだけれど、
話しながら、途中で違和感の塊、というか、行き止まりを感じた。
この先道なし、みたいな看板に出会ったかんじ。
あーそうか、私、この先を実践したことがないからわかんないんだな、
と素直に思ったのです。
人に対して、何かためになることをいえたら、人の力になれたら、
嬉しいのだけど、ないもんをひねり出すよりも、今ないことに気づいて
今から作っていくことにエネルギーを向ける生き方をしなきゃ、人と力を
あわせて生きていくうえでも、社会全体を視野にいれても、意味ないなあと
感じて。

バカを見ても、ちゃんとやってれば見てくれる人は見てくれている。
それに、そんな認定がなくても、私は自分で自分の経験を
外に発信していけるようになりたいなあって思った。
名誉や、自己防御のためではなく、人と生きていくために。

遅刻しそうなので、また夜に書きます。
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by jengsauman | 2006-10-31 08:24

己所不欲,勿施于人

中国にいってきました。
はーヘロンヘロンだー。
あたし、ほんとヘタレですわ。
でも、いろんな勉強になった。一歩一歩、という常務の言葉が重い。

中国出張前日は大阪出張だったので、実家に戻りました。
父といろんな話をした。
父と母とごはんたべに行って、父はあたしにこういった。
「しゃーないな」と言われる人になれ、と。
「○○さんが言うんやったら、しゃーないな」って言わせたらこっちのもんや。って。
でも、その意味はもっともっと後にならんとわからんやろうけどな、って。
もっともっと父から学びたい。少しでも多く何かを吸収したい。
いつ誰が居なくなってしまうかも分からない中で、私は本当に大切にしているのかな。

最近感じる。「真っ直ぐに生きたい」と言いつつ、私はただ我を通そうと
していただけなのかもしれない。
自分勝手というか、周りを無視した自己完結的自己満足?
少なくとも、わたしが描いていた真っ直ぐさ、とは真っ直ぐではなかった、そんな気がする。
父は処世術に長けている。だからといって、そのまま真似しても全然真似できない。
なぜなら、私は、人と向き合ってないからだ。小手先で外見だけを真似してすぐ剥がれる。
人を信じることも、裏切られることも、人と助け合うことも、騙されることも、
いろんなことすべてが自分と一線を置いた向こうのことのように感じていた。
どうすれば、その線のあっち側にいけるのかも分からなくて、
けれど、私は中途半端な正義を振り回して、「こっちに来ないで!」と
自分から人を遠ざけていたんじゃないか、と気づき始めた。
何かが人と違わないと不安でいられない。けど、それは本質じゃないから
何かを振り回すしかないのだ。

今回、出張にいって、私は自分の汚い部分をいっぱいみた。
逃げるわ、無視するわ、都合のいいことばっか考えるわ、
そして、お客様に頭を下げて、お客様第一で、お客様のために動くことが、
有る程度張りぼてでできても、ある一定以上は付け焼刃が効かないことも
知りました。本当に熱望してないから、本当に尊敬していなくて、本当に感謝してないから、
言葉も行動もすべてが厚かましい。そして、タイミングを逸する。
自分が正しいということを証明したくて、正しさの追求を手放すつもりが、
いまだにどうしてもそこに居たい。そこであったかいお湯につかっていたい。
だいすきなヌイグルミを抱いて眠りにつくように、私はどこにいっても
自分の気持ちよい空間を手放すのが怖い。

けど、それが現実ではないことに気づき始めました。
仕事のことばかりではなく、恋愛も、友人関係も、趣味や勉強。いろんなことは、
今を生きている、それしかないんだ、と。
いつか、いつか、いつかのために今を犠牲にする自分の生き方を
見ました。あたしは、いつかの理想のために、ずーーっと自分にNOをつきつけた
ままです。今も、ダメ、なんです。いろんな、ほんとにいろんなことが重なり合って
自分という存在があるのに、わたしはたった数個の自分の中で完結する項目によって
いとも簡単に自分にNOという答えを出しています。でも、それは、時間を止めているだけ。

今回の出張は、少しきつかった。
けど、だいぶリアルだった。自分の中にはこんな汚い部分があるんだ、と
眼を覆いたくなった。人にされて嫌だなと思っていたことを、同じように他人にしていた。
北京の社員にこの言葉を教えてあげる、と言われて見たら、
「己所不欲,勿施于人」と書いてあった。
「おのれの欲せざるところ、人に施すなかれ」である。
鼻血がでるかとおもった。なぜ、この言葉を教えてくれたのかは分からないが、
肝に銘じました。そういうことなんでしょう。

あれだけ人と一緒にいて、だからこそ見えた自分の汚さ。
自分の甘さ。だからこそ、逃げてはいけない。
そうだ、結局は人と居なければ見えないことだらけなのだ、と感じた。
時間がないから、忙しいから、やることがあるから、勉強したいから、
それらをすぐにかざしてあたしは人から距離を置く。
または、らくだからといって、アホみたいに笑ってるときもある。
どれもこれも思考停止&刺激や未知への恐怖。
ここで、ふんばれ、となんども自分にいった。
それでも逃げてばっかだったけど、どうしていくことが必要であるか、
具体的に見えた瞬間がちらほらあった。

北京についたその日、あたしは眼がめちゃくちゃ痛かった。
めばちこではないが、まぶたがすごくはれていた。
瞬きするたびにすごく痛くて、そのとき気づいた。
cafemmeちんが感じている不安はこんなもんじゃないんだ、と。
あたしは、車から空を見上げながら、この眼がずっと痛くてもいいから
彼女の眼が良くなりますように、ずっとずっと目の前のものが見えますように、
と心のそこから思ったのです。
そのときに、あたしは人の苦しみや不安に共感しようとすることが
どれだけ難しいことか、自分のいっぱいいっぱいな状況があっても自分の
大切な人のために思うことがどれだけ難しいことか、知りました。
彼女のことはずっととっても大切に思ってきたはずだったのに、どこかで
私は自分を護り、眼やいろんな当たり前の幸せがどれだけ恵まれていることか
気づこうともしなかった。それよりも、自分が抱えている負を数えることに必死で、
そしてずっとNOを出し続けていたのです。
けど、なんかいろいろ感じて、涙がでた。
何も分からない、けど、とても言葉にならない気持ちでいっぱいでした。

今日、ときどき読んでいるブログの方が突然友人を亡くされたという文を読んだ。
忙しいからこそ、周りを気遣わなければならない、自分に余裕がなくても
そんなときこそ、周りに温かい言葉をかけることに意味があるのだ、と
彼は書いていました。
私は日々、家族や友達を亡くすことを恐れています。
けど、そんなこと恐れたって、100%来るんだなあと思い直す。
けど、その時にどういう気持ちで送り出せるかは、自分の心次第なのではないか、と。
いつその日が来てもいいように心の準備をしながら日々を過ごすことは、
とてもしんどい。いつも急襲に備えて、傷つかないためにいろんなことを
シュミレーションしながら生きている。けど、そっちに力を使いすぎて、
現実を置き去りにしたまま。それが、これまでの自分。

これからは、私はいつ居なくなるか分からない自分の人生を、
いつ居なくなるか分からない大切な人たちに本当に感謝しながら、
いつ出会えていつ居なくなるか分からないこれから出会う人たちを求めつつ、
生きていきたい。

今じぶんに必要なことは、「自分が自分であることを感じ、慈しみ、愛する」こと
なのだろうと思います。でも、まだ頭が先で、どういうことか分かろうとしてるから
分からないんです。どうして私の魂が不安定かは、安定になろうとしてるからです。
そして、正しさや認定を求めて、誰かの目で生きているからです。

先生がメールをくれました。「夢を描いてください。できるんです。」

いつ、誰ができないと言ったのだろう。どうして「不可能」という重圧を
勝手に生み出し、素直に努力することを躊躇しているのだろう。
いつこの歩みが止まるかは分からないけど、
足元を見て、理想を重視し、現実を直視する、そんな人間になりたい。

親友Hにメールを書いた。あたしは、中途半端な正義をかかげて、
いつか会いたい人を理想にかかげて、目の前のたくさんの人を見ているようで
見ていないのだ、と。いろんなものを振り回して、心の中のものを美化して、
結局選んだものではなく、そこに残ったものを結果的に選ぶ、そういう状態なのだと。
だから、今はとにかく、いっぱい失敗しても立ち上がる、苦しいけど立ち去らない、
そうしてチャレンジして、自分の手で何かを選んでいく癖をつけるしかない。

私の理想を言ったら、上司に「木を見て森を見ず」といわれた。
そうだろうか?そうかもしれない。けど、それがあたいの信念だ。
なんていってるから、頑固で融通がきかない、といわれるのか(笑
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by jengsauman | 2006-10-27 01:16

オバハン

今日、上司の家に遊びに行った。
週末まで仕事の人に会うのはしんどいな、と思いつつ、やはり行きました。

行ってみると、まず奥さんが若くてびっくり。
そして、都心からちょっと離れただけで自分の実家に戻ったような空気のよさと
不安感の払拭、また走り出しそうな気持ちになった。
あーやはり私はイナカモンだなとおもふ。良い意味で。

ついたら、みんなもう食べて飲んでた(遅れていったので)。
そして、子供たちが、なんと自由でマイペースであるか、驚いた。
私はいまはハッタリで通しているが、小さいころはもうお客さんが脅威で、
同じ場所に出て行くのが嫌で嫌で、台所のストーブの陰に隠れ、
親に無理やりつまみ出されて、ワアーンって泣いてた(笑。
正直、この子たちは心の中でどういうことを感じているのだろうか、と
不思議でしょうがなかったし、無理してないのかなと思ったりもしたが、
きっとそんなこと杞憂なのだろうなと、彼らの笑顔を見て感じた。

子供と遊ぶのは苦手だけど、子持ちの上司たちが遊ばれていたので(笑、
適度に楽しく遊べた。上司たちは、きっと明日筋肉痛だろう。ハハ。

いやー、親って大変だなあ。お母さんってすごいなあ。
久しぶりに家庭にもぐりこんで、強くそう感じた。
自分が普段頭で考えていることでは、全く対応できないことばかり。
改めて、家庭を持って、子供がいて、仕事をしているお母様を
心から尊敬しながら、Cちゃんと帰途につきました。

それにしても、その正直かつ無邪気な子供に言われた大ショックな一言!

「はい、これオバハンの服」・・・・。

「オバハン」!?

もう、眼が点であるが、笑わざるをえない。ヒヒヒと笑い声だけ出すものの、
眼が笑ってなかったことは間違いない。
大阪人のアタシにとって、「オバハン」ほどリアルに大阪のおばちゃんを思い
起こさせるものはなく、また決定的パンチのように私に効くものであると、なぜ
彼女は知っていたのか!

しかも、オクサンけっこう笑って「こら、何てこと言うの!」ププ、って感じで。
それもガアアーーーン。
上司は、「しょうがないよ、7歳児にとっては年齢3倍以上はみんなオバハンだよ。ハハ」
とかいうが、わたしとあまり変わらないCちゃんには「おねえちゃん」と言っていたのを
聞いたぞ・・。ハハ・・。

オバハンかー。と思いつつ、しみじみと考えた。
オバハンとは、一体なんだろう。肌の問題か、それとも女を忘れた仕草の問題か。
それとも、髪型か、感覚的なものか。。
なんとなく、自分が体型にしばられて、小さいもの、薄いもの、細いものに拘ってた
くせに、現実は全然違うよ、アンタ現実が見えてないよって子供に言われた気がして、
そんなものに実体はないt思いながらも、やはり喉から手が出るくらい欲しい
「細い薄いからだ」が望むほど遠ざかることに絶望し、また冷静になり、また渇望し、
それを繰り返している間に、人と単純に笑いあうことを忘れ、それがどうすればいいのか
分からなくなり、そして一人で思考循環を繰り返し、歳を重ねていっているのかもしれない。
自分では、同じところで立ち止まっているつもりでも、そんなわけはない。

最初に、上司の奥さんが若くて驚いたということを書いたのも
非常に違和感を感じる話で、要は自分は10歳若いのだから、自分のほうが
無条件に良いとされる状態にある的なことを考えていたに違いないのだ。
それは、体重にも同じことが言える。少ないほうが無条件に善であり、優なのだ。
しかし、それは、何度も感じたように、その中にある本質に蓋をして単純化して
楽をしたいがためにする逃避にすぎない。
だから、私が年齢をアドバンテージにできなくなることを潜在的に恐れているのは、
体重を手放すことを恐れているのと同じなのではないかと思った。
その人の、その時は、他の人とは何も比べようがないのに。

なんだかリアルだなと思って、少しへこんだ。
自分の生き方と、自分を見る見方、価値観のゆがみ、を感じた。


いえに帰って、ふと片岡の引退式の様子を見た。
阪神に来て、5年。彼は確かに期待されたほどの結果は残さなかったかもしれないが、
やはり野球ファンとして、寂しいものがあった。
そして、彼のことばをきいて、私はもっと泥まみれになろうとおもった。
「思ったような結果が残せなくて、何度も何度も悔し涙を流しながら、
この球場を後にしたこともありました」(←こういう内容)
私はそれをきいて、ひたむきに練習して、人を思い遣って、人望があっても、
結果を出せないことがあるのだ、と思いました。
いろいろと注目されるのは、数字や分かりやすい結果が出た場合が多いけど、
その裏では涙を流している人がいったいどれだけいるのだろう。
けれど、それは失敗でもなければ負けでもないのではないか。
そんなこと、誰に判断できるのだろう。
最初から負けを恐れて、分かったようなこと言ってるのが一番ずるいし、
何も分かってないということなのだとおもう。
それでも、やはり「無理かもしれない」という自分と闘わないといけない。
自分で決めた以上は。

たいてい、会社を出る瞬間、私は無力感におそわれ、泣きそうになる。
けど、泣いても仕方ないと思って、ひっこめて、違うことを考えている。
できるようになるにはどうすればいいか、そこでもう一歩つめれば
できるようになるかもしれないのに。
なんていうか、「もう見たくないー」っていう瞬間を、もう一秒ずつ我慢して
長く見られるようになりたい。現実の苦しさにタフになること。
自分の頭で解決できることなんてわずかしかないという諦め。
そして、泥まみれになっても、泣きまくっても、できないかもしれないけど、
やらないと。ありがとうございますって思って。

片岡が最後に、中日・阪神両軍から胴上げされてるのをみて、
その人望の厚さをかんじました。
おつかれさまでした。
金本の厳しい表情が印象的だった。


一つだけあった良い前兆らしきものは、
某放送局のQさんからの電話。
上司の知り合いで紹介されて何度か会ったことがある、本当に尊敬する憧れの人。
なんとかもっといろいろ話を聞いたり、勉強させてもらいたいのだが、
いつも上司がゴジャを起こして、私のところに連絡が来ることが多く、
そのたびに「もうー」と怒っていたら、金曜は自分がやっちまった。
まずい行動を指摘されて、しゅーんとなって、金曜の夜はまたいつもの夢
を見てしまった。
けれど、昨日の午前中、非通知電話に出たらその人からだった。
「あ~モシモシ~?」って超普通で。
前日のことを謝ると、「いやいや、いいですよ」とおっしゃる。
どうやら、その後うちの会社に来て、私の机のところまで来たが、いなかった
ですわーという話だった。シマッタ、失敗をひきずってきったない走り書きとか
そのままにして帰宅したんだった・・・。
そう、いつもきちんとしてないと、すぐに信用を失うのだ。
誰が見てるとかじゃなくて。
Qさんに思い切って言ってみた。
「会えると思って楽しみにしてたんです!今度また会ってもらえますか?」
そしたら、快諾してくれた。

そして、Qさんは、私が前に毎日聞いていた中国語ラジオニュース番組のキャスター
であることを教えてくれた。「ええっ!あの声Qさんだったんですか!?」
というと、「そうですよー。生放送だから緊張してるのがよくわかるでしょ。」
と笑って、「今日もまた放送あるからよかったら聞いてくださいね。」といった。

私は、Qさんに本当にあこがれている。
それは、Qさんのいろいろな業績だけではなくて、肩書きでもなくて、
なんというか、そのしなやかさとでもいうのだろうか。
しなやかに、物腰柔らかく、厳しく求める姿とでもいうのだろうか。
そして、彼との縁を有難く思い、もっと自分から求めていきたいなあと思う。
所詮、私なんて相手にされないよ、って思うし、それは事実だと思うが、
Qさんが私に言ってくれたことば「あなたは遠慮しちゃいけませんよ」を
実践してみたいと思う。
どこまで何が広がっていくかなんて、分からないのだから。
誰かのまねじゃなくって、誰かとの競争じゃなくって、でも自分に与えられた
試練に100%誠実であれば、それは「それっぽいもの」と全く違うことが
言わなくても伝わるはずなのだ。それは、Qさんの姿勢を見て学んだこと。

最近、周りの人にやりたいことや自分の予定を少しずつ話すようにしていたら、
方々から「あれはどうなった?」と聞かれる。
そのたび、「あ、ワスレテタ・・」とあせるのです。
それは、自分の日々にきちんとつなげてない証拠で、口先だけの証拠。
そして、現実と理想が繋がってない証拠。
ちゃんと、それのために今何をするかをやっていかないと。

今日はNさんの従妹Kちゃんと、お寺参りしてきます。
さーなにか発見があるかしら。
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by jengsauman | 2006-10-15 10:57

d0062933_132334.jpgプハー。しんどー。けれど、なんか要らん力を使うのを減らしていけたらいいなあ、と思う。今日、遅刻していった。出勤時間だけが売りだったはずの使えない自分が、遅刻。もうどうしようもない。何も良いところがなくなった、と思うが、もう考えない。すいません、以後繰り返さないようにする、しかない。

数日前に健康診断があったのだけど、それが最悪だった。私は、数年来の背中痛というか神経痛というか、意味不明な痛みを何とかしようと思っていて、いろいろ相談しようと数日前から意気込んでいたのに、診察10秒で終了。「へー忙しいんだー、気をつけてねー」以上。おーい、そんなんわしでも言えるぞ。医者としてどうやねん。ってか、こっち一瞥くらいしてよ。

そして、思った。こういうことをする人間になりたくない、と。立場は違えど、それぞれ何かしらの役割があって、責任感もプロ意識もなく、自分を求めてきてくれた人の期待を裏切り、そこから生まれたであろうプラスの種を摘み取るような行動をするような人間にはなりたくない。

なんとなく、自分の違和感の種が分かってきた気がする。私は、今、誰にも+の役割を果たしていない。自分が成長することが、長期的に何かに繋がるかはしれなくても、今、誰のためにも、社会にとっても、実質何も生み出してないのが、申し訳なくて、また簡単に自分を認められなくて苦しいのだと思う。

けど、今日いろんな人と話して、そして自分の感覚でも、もっと夢中になっても大丈夫だよ、って思う。もう、毎日、いろんなことがぐちゃぐちゃになる局面に対するたびに、眼をそらしたくなって、胸がむかむかするけど、それこそ自分から率先してなんとかまとめていかなければならないのだろう。綺麗なものを最初からあると思うのは間違いで、ぐちゃぐちゃのところから、どうやって整理していくか、それが何かを変えていくということなんだろう。だから、自分の単純化習性や弱さに負けてはいけない。気負う必要はない、けれど逃げたくなっても絶対にその場から去らない、ってかそれしかできないだけなんだけど(笑。

今日、高校の友達に電話したら、もう引っ越して新居に移ってたー。
入籍はもうしているけど、結婚式は来月の予定の友達。
いつ引っ越すのかなーと思って電話したら、もう引越済(笑。
改めて自分が日々狭い狭いところで生きていることを実感する。
また、4月に結婚式に出席したMに赤ちゃんができたという新情報を聞いて
卒倒しそうになった。まじでーー。すげーーな。
でも、みんなそれぞれの人生を、一生懸命生きていて、いろんなものを
毎日生み出している。自分は自分のことをまずはしっかりやらないと
いけないんだけど、いろんな人に自分から連絡していかないと
偏っちゃうなあと思った。何がいいとか、すぐ思っちゃうから、いかんいかん。

働く前は、海外出張とか、接待とか、いろいろ思い描いて、
スケジュール帳がいっぱいになっていることが、当たり前で、
仕事をしているということなのだと思っていた。
いつも動いて、いつも何かを動かして、いつも違う場所にいたり。
けれど、それ自体は実際何の意味もない。
「やりがいがあるね」「充実してるね」そういう言葉に一番敏感に違和感を感じる。
なぜなら、私はちっぽけなプライドを守るために責任から逃げてたからだ。
自分が間違った外国語を放つのがいやで、できるだけ日本語で話したり、
メールにしたり、やったことをわざわざ知らせたり、全部が「演出」でしかなく、
かたちばかり。

今ある試練が、無駄だという意識がずっと捨てれなくて、どこかで
放置してたけど、これはこれからの自分に繋がることなのだと、
今日感じた。力の出し惜しみをやめる。ちょっとずつやめる。

一番上の写真は、私の友達Nがスペインから送ってくれた葉書です。
これを見て、私はSantiago de compostelaという場所を知り、
サンチアゴの道の存在を知り、そしてパウロコエーリョを知り、
星の巡礼を知り、日々の中で前兆を見つけて生きていくことを
より強く意識しはじめました。Nは、今私とはあまり近くにはいないけど、
私にとってこの場所を知れたことは、きっととても大きなことです。

下降しても、またあがればいい。
大地を踏みしめて踏みしめて、それを見た未来の自分は
もしかしたらその踏みしめた地を有難く思うかもしれない。
まるで猪木だな。その一歩が道となりーとかいう。
私は、毎日逃げてばっかりだけど、少しずつ軌道修正して、
もっと流れに素直に反応できるようになりたい。

来週、またシュッチョー。しんどーい。でも、ありがたーい!
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by jengsauman | 2006-10-13 02:09

えぐるえぐるえぐる。
パソコンに向かって思考を止めようとする。
何も見えないように。
何にも傷つかないように。
閉じちゃいけない、閉じられない段になっても、
物理的に眼を見開いて自分を甘やかし、行動は無理やり殻をかぶろうとする。
それが自分が本当は望んでないことだからか、
殻をかぶろうとすればするほど、胸が左右に裂けそうになる。

今の環境は、楽をしようと思えば楽をできるし、
細かいことは何も責められないし、
能力を生かそうと思えばいくらでもできる環境だ。
でも、私は日々、胸の中にある息を止めないと抱えていられない
きゃべつかボールかはたまたダンボールか、そういう「違和感の蓄積物」
に参りかけている。

疲れたなんていえない。
誰かを責めることもできない。
すべては自分の能力のなさのせい、で片付けれられる問題でもないけれど、
私はどこへ走っていけばいいのか分からない。
いつも胸の中にある自分が勝手に作った爆弾が爆発するのを恐れているから、
口だけで言葉を放つ。
正に、口だけで。だから、声もなんとなく甲高くて、小さい。

こんなの、見たらすぐ分かると思う。
けど、誰も私に興味ないから、バレないだろう。とも思う。
人に期待しすぎだから、自意識過剰になってるだけ。
そんなこと思いながら仕事して、一体何が生産的なのだ。
自分を守る域から出られないままじゃないか。

親から電話かかってくると、一番苦しい。
口だけで話すのが、耐えられない時がある。
昨日も、夜中の帰り道でおかあさんと話しながら歩いていた。
いろいろ心配してくれるのは分かるけど、
もう聞きたくなかった。

「ちゃんとごはん食べてるの?」
「外食ばっかりでしょ」
「栄養とらないと」
「ちゃんと掃除して」
「洗濯もちゃんとして」
もう、分かってるよ。分かってるけど、今は何の食べ物を食べるか
なんて、どうだっていいよ。むしろ、そんなところで自分をいたわったところで、
余計に自分を恥ずかしく思うだけだよ。
やるべきこともできないくせに、いっちょまえに自分を守ることには必死。
そんな自分が憎いだけだよ。

自己処罰、またそれで逃げようとしている。

おかあさんに言った。
「仕事の帰り道にもうそんなこと聞きたくないよ。」
いつもぐちゃぐちゃ言ってる母が
「そうやね。ごめんね。もっとええ話すればよかったね」
そう聞こえたとき、もう涙が止まらなかった。
久しぶりに、涙がゴーと出た。
おかあさんは泣いてるのに気づいてなかった。
言い難かったらまたメールしてね、といってくれた。
わかってるよ、自分がこうして抱えてることは本当にちっちゃい
ちっちゃいこと。でも、それをひょいと超えることができない。

生きていかなければならない。
自分の足で立って、生きていかなければならない。
だから、働くのだけど、それだけでは死んでしまう。
働くこと、それは自分を騙すためでもなく、逃避のための
切り札である地位や名声や権力を手に入れるためでもない。
けど、綺麗に生きようとすればするほど、この世の中において
バカを見る。本質本質と言ってるあいだに、この周りに
何ら大したものなんてないじゃないか、という結論を簡単に下してしまう。
それは本質が見えていないということなのだけど、
一体自分は何を分かったつもりでいるのだろう。

考えながら、やらなければ。決めたのだった、考えるために立ち止まる
のではなく、考えながら動き続けるんだと。
分からないことも、ちょっと刺激したら簡単に全壊しかねない自分の
日々も、ぜんぶ抱えたままで、今日も生きるのだ、と。

毎日毎日自分がしぼんでいくことを感じる。でも、それはただ自分が
自分を膨らませていただけで、私は地に足を向けているに過ぎない。
そんなところでショックを受けるのは、現実逃避でしかなく。
そこで、じゃあ今日は仕事において、そして仕事以外に
何をしましたか?それを問うていくしかない。

「自分を活かすために、私は働くんです」
その理想と信念に少しでも近づけるような生き方を、諦めず、
ちゃんと学ばないと。
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by jengsauman | 2006-10-12 00:25

韓国

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はりきって画像デビュー(笑。
上の写真は、韓国で先生に会ったときに連れて行ってもらった
店の名前は忘れたが「模範店」(←国から認定?)の冷麺とデジカルビとその他。
これが超うま。一気に詰め込みすぎて、思いっきりおなかこわした(爆。
先生に気を遣わせてしまい、大後悔。
でも、本当においしゅうございました。
どこかは全然覚えてないけど、たしか사당と言う駅の近くだった気が。

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↑バナナ牛乳。これがうまいっちゅうかなんちゅうか、はまるねん。
この写真は帰国直前の金海空港@釜山ですが、そんなぎりぎりまで飲みたいか
っちゅう話。うんうん、飲みたいねん。うまいねん。

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↑プデチゲ。これ、ほんまに鼻血出るかと思うくらい辛かった!
しかも食べたの真夜中(爆笑。
インチョンついたら22時くらいで、そっから車でソウル市内で23時、
そっから道に迷って24時。その後荷物置いて出かけて25時に食った!わははっ!
ありえない㌍。ありえないカラサ。ありえないハイテンション!
しっかしおいしかった。
しまいにKまで「俺あんま辛いもんたべられへんねん・・ヒーヒー」とか言い出した。
辛いけど、痛いけど、おいしい。

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↑漢江(ハンガン)の上のバー。陸につけている船のように川の上にあって、
座ったら水面がそこに見える。めちゃんこロマンティック!
しかもソファーが皮のやつでめっちゃきもちいいい。
これは勝負デートに要チェック!
が、私はそこで寝そうになるロマンティックのかけらもないKと一緒に寝そべって
Kの恋愛相談を受ける。。はは・・。
そらあかんわ、アンタ>自分

あの場所はなんていうんだろう。調べたところ、ハンガン市民公園、っぽい(←あやふや)。
ほんまに真夜中やのに、広い駐車場がいっぱいで、川沿いを走ってる人もいて、
花火してる人もいて、デートしてる人もいて、電話でキレてる人もいて、
川を見るとなんともいえない落ち着いた気持ちになれた。
素敵な場所でした。

このハンガンを境に、ソウルは北と南に分かれてるんやけど、
何度も何度もわたるたびに、あー今ソウルにいるんやよね。
淀川じゃないよね。と思う。
というのはずっと感じてた違和感と疑問。
というのも、K-POPがかかってようと、Kが韓国語でしゃべろうと、
看板がハングルだろうと、一体何が自分が韓国にいる証なのかが分からなかった。
恥をしのんで言えば、いつもコリアタウンをうろついていて、韓国語には慣れていて、
韓国人がいることも自分にとっては日常だ。その上で、韓国とは?というリアルさを
私は体で感じられなかった。
つまりは、今回私はそれくらい薄いかかわりしか持てなかったのだろう。
そんなこと言ってしまったらおしまいだけど。
私は、現地に入っていくことを恐れ、Kがフィルターのようにそのリスクを
和らげてくれることをそのまま受け入れていた部分があった。
DMZも行った。第三トンネルも行った。板門店も行った。
先生にも会って、日本と韓国の話もした。
たくさんの軍隊を目にした。韓国語で話しかけられまくって意味が分からなかった。
独立公園にある歴史館と獄舎も見学した。
3年ぶりにルームメイトのSにも会って日本と韓国のことをいろいろ話した。
けれど、自分に課した課題は達成できなかった。
どこに行く、ではなく、どこで何をして何を感じて何を行動し何を伝える、なのに。
箇所箇所では感想はある。けど、そうではなくて・・。
いつも思うが、これってただの勉強不足じゃないの?と。

なんともいえない気持ちのままKTXに乗り、釜山に向かう。
ソウル駅のテレビには安部晋三のニュース。何を言ってるかは分からないが、
新しい首相が誕生したこと、その首相の考え方について、非常に重きをおいて
いるのは分かった。
今回は貧乏旅行だったのだが、一番奮発したのがこのKTXだった。
ただ単に、セマウル号は以前も乗ったことがあって、プサンまでの時間を
短縮したいというだけの理由だけど、3時間でついたのにはびっくりした。
その電車の中で横に座ったのはおじさん。(←素敵な韓国男性をひそかに期待してた)
そのおじさんは、日本語が片言で話せるらしく、私の読む日本語を見て話しかけてきた。
有名なよく目にするコチュジャン(ヘチャンドル社)の広告を担当したらしい。
写真を見せてくれた。そして、テグにきたら遊びにおいで、と言ってくれた。

釜山についたら、なんともいえない故郷のような感じがした。
駅から見える風景は神戸の電車から山手を見るような感じで、
心の中で意味もわからず叫んだ「釜山サイコー!!」

とはいえ、行く場所も決めてないのに、感傷にひたってるわけにもいかないので、
地下鉄の駅を探す。が、ぜんぜんわからずきょろきょろしていたら韓国人男性登場。
私:「おっ、なんだなんだ(ひそかに期待)」
と思ったら・・・、「アンケートかよ!」。しかも、困惑してるのはシャイと思われたせいか、
グイグイ押してくる。やっと韓国人でないと通じたのはだいぶ後の話で。
顔が韓国人ぽいと言われることが多々あるが、それにしても釜山人はよく話しかけてくれる。
まさにオオサカ!釜山-大阪-香港のトライアングルを勝手に作ってしまうほどの
熱さであった。それにしても、私の祖先はもしかしたら釜山と繋がりがあるのでは?と感じた。
(いつもの激しい思い込み)

その男性に地下鉄を聞いて、地下鉄のりばのおっちゃんにも助けてもらって、
ゲストハウスにたどり着く。ついたら、日本人がご飯たべてた。(←てっきり住人かと・・)
その人たちは広島の人で、いろいろと教えてくれてよくしてくれた。
また、部屋にはイギリスから来た男2人とオーストラリアの女性2人がいた。
おーい男女混合かよ!
挙句の果てには「君の英語は僕の日本語よりはまし」と言われた日にはもう
ガアーーンでしたわ。なぜに韓国で英語の試練ばかりなのだ。
ソウルでも何度と無く英語フリーズ状態に陥ったけど、これはまさに前兆に違いない。
英語を先延ばしにしてる自分へのメッセージだと思った。

それはともかく、プサンの友達に電話して、ジャガルチ市場で会うことに。
駅前の映画館とかがある新しいビルね、といわれたのに、どこか分からず、
道すがらの韓国人男性に「シネマ、シネマ、どこ?」とかぬかすと、
「@%&$#シネマ?」といわれたので、「ネー」と適当に答えたら、
ぜーんぜん違う映画館に到着。違うともいえず、カムサハムニダー。
結局、友達にそこにきてもらった。
いやーほんと、たすかった。
でも、こういう話しかけまくるの、大好きだ。
全然知らない人に、一瞬でも繋がる瞬間ってワクワクするね。(←迷惑なやつ極まりない)

無事友達と会って、ホットク(黒蜜入り揚げ餅みたいなのにヒマワリの種をかけて食べる)
を早速屋台で買う。ウマー。新大久保にも売ってるけれど、その見た目の
「カロリー超高いでーす」的な風貌にやられて、一度も食べたことがなかったけど、
とてもおいしかった。その後、名前忘れたけど、今回の旅で一番美味しいと思った
素晴らしいプサン名物(名前わすれた・・・)を食す。
平素より、練り物大好きの私にとって、これは本当に感動的であった。
とにかくあのダシと練り物とネギが忘れられない。ウマカッター。
これがなんという食べ物か御存知の方がいたら、是非教えてください。
心からお待ちしております。
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食べまくりの旅はまだまだ続く。その後、プサンタワーに行き、バナナ牛乳を飲みつつ、
友達が仕事の課題をやるというので、私はソウルのKとポハンのSに電話した。
公衆電話でKに「プサンめっちゃいいでー」としゃべっていたら、
途中からとなりの電話でおばさんが電話しだした。
したらば、なんと混線して、私はKの声とおばさんのどなり声の両方を聞きながら、
プサンの熱さについて語るものの、気になってしゃーない。
これ混線してますよーと韓国語でいえないのでそのままにした。ゴメン。
ソウルからたった数時間はなれただけなのに、とても遠く感じた。

その後、下におりて、トッポギを食す。これがもう辛いなんてもんじゃない!
痛い!痛い!痛い!超痛い!韓国人のMも痛がっていた。
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味はおいしいねんけど、もう痛くて痛くて。と思うそばから、おばちゃんはさらに
コチュジャン投入~。ヒイ~勘弁して~。その横にあるおでんの汁がおいしいけど、
痛いときに飲んだらさらに痛くなった。

そんなこんなでいろいろうろうろして、Mと別れた。
その後、ゲストハウスに戻ったら、さっきのイギリス人男性たちはトランプをしており、
女性たちは語っていた。私は疲れすぎていたのか、荷造りしていつの間にか寝ていた。

次の日の朝、早い便だったから誰も起きてないうちにゲストハウスを出る。
バスで空港を目指すも、ラッシュ時のコミコミ具合に負けて、タクシーに変更。
窓から見える山の手の景色が、なんともいえない気持ちになった。

ソウルでもゲストハウスに泊まっていて、そこの客はみな外国人で英語。
ゲストハウスから出ても、韓国人に話しかけるのはやはり英語。
Kと一緒にいたら日本語で、Sと一緒にいたら中国語。
結局、私は韓国を感じられなかったのは、そういう問題ではないだろうと思いつつも、
もしかしたらそうなのかもしれない。
とにかく、あまりに近すぎるからなのか、あまりに慣れすぎているからなのか、
リアルというものがよく分からなかった。
それは、私が韓国を単純化し、矮小化しているに過ぎないのかもしれないし、
現実に飛び込まなかっただけ、なのかもしれない。
ファッションとか、女性と男性の関係とか、家族の関係とか、年上年下の関係とか、
歴史とか歴史認識とか、教育とかナショナリズムとか。いろいろ違いはあるだろう。
けど、「楽しかった~♪」では済まないのがどうしようもない違和感の出発点で、
今後どう行動すればいいのか、に繋がることでもあると思う。

韓国に行くまでは、いつかソウルに一年くらい留学しようという夢があったけど、
このままではいけない、と危機感を感じた。
私は頭の中でリアルを感じる前に自分の知っている知識に置き換える作業をしている。
確かに感じることもあるのだけど、一定の範疇を出ないようにしか感覚の冒険をしない
という痛い習性が。
だから、最近中国出張しても、あまり感じなくなってきている。
そして、全く何も感じないわけじゃないのがまた厄介なところであり、私の逃げ場でもある。
そうしてこれまで正当化してきたのだ。

傷つくのが怖い。

けど、今日出会った本『何でも見てやろう』(小田実)に引き込まれて、
土曜日にNさんに会った後の動揺をふまえて、
私はこの連休でひどく落ち込み、動けなくなっていたのを、
きちんと受け止めて、泣きながらも歩こうと思ったのです。
本当に、どうしていいか分からない下沈に陥ったのは、
Nさんに紹介してもらったNさんの従妹に対して、
自分がありのままの自分を見せざるをえない状況になったからです。
もう隠すことなどない、過去のすべては私そのものである、と受け止めたはず
だったのに、過去を話すことで容易に崩れそうになり、違うものにしがみつきそうになり、
隠したくなり、逃げたくなる、そんな自分を目の当たりにして、激しく動揺しました。
そして、私は食べ物にすがり、ここ数ヶ月感じたことのないほどの満腹を通りこした
吐きそうな感覚を感じました。
顔がむくみ、浅い眠りで同じ夢を何度も見て、自分が肉の塊であることを感じました。
何も変わってない、私はまた過食してしまった、と落ち込み、
外に出るのが嫌になって、私は口だけじゃないかと思い、Nさんにも会いたくなくなり、
自分から連絡もしなかった。
信用を失うことが怖くて、取り繕うような言葉を投げるのも嫌で、
でも自分の我侭を通すわけにもいかない。
結局、私は自分を守ってしまいました。
Nさんだけじゃなく、会おうよと連絡してくれたJさんも断り、
アンジェラアキのライブの人にも連絡してないまま。

落ち着け、と自分に言う。とにかく、落ち着け、といった。
そして、めがねをかけて、いつものように、新宿に向かう。
歩いていたら、また食や痩身に雁字搦めになってる自分を感じて涙が出た。
同じことを繰り返しているのか?という不安。
けど、泣いてもいいから、とにかく歩くのだ。
新宿の人ごみは嫌いだけど、どうしても今日手に入れたい本があって。
それは、『何でも見てやろう』という本。
私が勝手にあこがれている国連職員の女性が、その道を決めた際のきっかけと
なったという本だと聞いた。
彼女もまた、ブログの中で日々書いている。「リアルを見るのだ」と。
その姿勢に触発されて、私は自分の姿勢の甘さを改める覚悟を持ったはず
だったが、何度も何度も容易に崩れるその軸を固めるために、
受身ではなく自分が動く覚悟を持つ必要を感じた。

そして、「本当にすごい人」に教えを請う勇気と謙虚さを持つこと。
それが今までできなかったのだ。
くだらないプライドか、自分でやらなければという強迫観念か。どちらもか。
だけど、もう、同じところを循環してる暇はない。

Nさんの従妹に聞かれた。
「やりたいことははっきりしてるんですよね?」
私は、まだ迷ってることを言えなかった。
Nさんに知られるのが嫌だった。
そんなことどうでもいいのだ。

プライドも、保身も、習慣も、逃避も、楽も捨てたとき、
がむしゃらに目の前にあるものと闘うとき、
「今なら死んでもいいかもしれない」という幸福を
感じるのかもしれない。

動揺して、逃げたくなって、過食して、逃避して、
そしてまた冷静になる。その時が前に進むチャンスだ。
リアルから逃げない生き方と、人へのアプローチを諦めないように。

なんか、食べ物の写真載せるだけのつもりが、
プサンの旅行記になり、はたまた内省になり・・。

けれど、私はきっとまた韓国に行くだろう。
その時は、「私は韓国のことを少しは知っている」ではなく、
「私に韓国のことを教えてください」という現実をわけまえた姿勢でありたい。
そういう面でも、近々入社して私の前の席に来るという
韓国人との繋がりも大切にしたいと期待してるし、
また、自分が孤独であるという勘違いを少しずつ自分の努力で
変えていきたい、と思う。

自分が眼で見た北朝鮮と韓国の国境でまた銃撃戦があって、
北朝鮮が核実験を行う。
世界の現実はどこへ向かうのか?自分が食べ物を詰め込んで
いる間にも、刻々と動き、変化している。
南北統一は遠いものとなり、北は体勢維持のために暴走する。
その世界で、リアルから逃げ続ける一人の日本人として、
まず自分の無力さを認めなさい、と思う。
自分は何も知らないことを、知ることから逃げていることを知れ、と思う。
そして、できるだけ多くの情報を取り込みなさい、と思う。
本を読んだり、新聞を読むことは、知性のためじゃない。
リアルに対峙するために必須のことなのだ。
その上で、人と対話を重ねること、それが必須なのだ。

体を言い訳にしたい気持ちは我ながら痛いくらい分かる。
けど、それをしてるうちは、私は井の中の蛙。
そして、毎日何度も思いを馳せるアメリカも現実と
繋がっていなければただの逃避でしかない。
自分が信じたい信念があるなら、それが実現可能かどうかは分からなくても、
やってみる価値があるし、やってみるしかないのだ。

幸せとは、その人それぞれの人格を生かすところにしかありえない、と
以前姜尚中が言っていたことを思い出した。
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by jengsauman | 2006-10-09 23:27

ひとの話

昨日、姉に呼ばれて行ったら、姉の会社の飲み会だった。
べつにええけど、なんでやねん。

その場はとてもフレンドリーに満ちていたが、
どうしても気持ち悪いなあと思っていた。
なんでかというと、みんな人の話しかしない。
そして、自分と違うものや表面的なことを面白おかしく話して笑ってる。
べつに知らない人の話をされるのはどうでもいいが、
その人の頭の髪の毛がどうとか、太ってるとか、ふけてるとか。
他に話すことないんかよ。

それはうちの会社でも似たようなことがしょっちゅうあって、
誰かの話をして、しかもそれは極度の単純化に基づく話で、
何の生産性もないし、その人を傷つけるものでしかない。
本当に人と向き合おうなんて面倒くさいし、少しでも知りたいという空気もない。
私もよくそれに逃げ込む。だから、こういう自分もまた、単純化してるだけだろうし、
私もそれに加担してる。
けれど、本当に、なんていうか、悲しいなあと思った。

途中で、私の横に座ってた男性が私に向かって、
「あれ?○○さんって卒業してから何してたの?」と聞いた。
私は、ひさしぶりにその話題をふっかけられて動揺した。
姉が「試験の勉強してたんですよ」と言った。
そしたらその男、私に向かって一言。
「ってことは、もしかしてニート?」

張り倒してやろうかと思った。

こいつは一体、私に何の返答を期待したのか。
ただその言葉を発したかっただけだろうと思った。
だいたい、そういう風に人を何かの言葉でまとめないと
何もとらえられないのは悲劇だ。
姉の上司じゃないと聞いて安心した。

どこにだって思考停止はいて、そういう人間に限って
すごい威力の無責任な言葉を投げてくる。
しかも、何の罪悪感もなく。自分もいまだに思考停止であり、
思考停止に逃げようとしつづけることは、周りの人をどれほど
知らないあいだに傷つけているのかと思うと、恐ろしくなった。
それだけじゃなく、黙っていることで、誰かのそれに加担していることも
きっとあるだろう。
例えば、姉の会社の人だから、姉のために良い子にならないとって
それも必要かもしれない。でも、それを続けていくと、線引きができなくなって、
結局誰に対してもそれをしてしまう。
私は何なんだ。何を考えてるんだ。何を恐れてるんだ。
ずっとモヤモヤ考えていた。それから逃げる一番の楽ちんな方法は、
気づかないふりして、他のことに問題すりかえて、そこで完璧になろうとすること。
たとえば、体を削ったりとか、試験とか、高価なものとか、権力とか。

自分は、痩せているということ、説明しなくとも人が勝手に凄いと思ってくれる
肩書きを手にいれること、そこにやりがいや歴史や政治や正義やいろんな
ことを絡めつけて正当性を自分に対してかざしていたために
自分こそが思考停止の無責任者であることに気づけなかった。

けれど、私は昨日、動揺しながら、「あんな男の言葉になんて傷つかねえ」
と思った。体型のことや、見た目のことや、職業のことや、
いろんなことを言われても、それらはすべて空虚に感じた。
だから、傷つく理由などなく、また動揺する自分を責める必要もない。
一気になんとも感じなくならなくても、一日一個は何かあるはずだ。

そこで、もう少し痩せてればと全く思わなかったわけではない。
というより、毎日あらゆる場面でその思いが蘇る。
けど、それでいいのだ。それでも、やっぱり何かやってみればそれでいい。
相手の土俵にひょいひょい自分を持っていくことをやめて、
もう少しだけ、自分の感覚を信じるために、
自分に説得力を持たせる行動をすればいいのだ。

そういえば、中国子会社の社員Qが大層おもしろいやつで、
仕事は適当なことが多くて怒られ、でも人懐っこくていいやつで、
デザインに関してはすごくて、でもどこにいってもいじめられ、
いじられるかわいいやつ(5歳くらい上のはず。。)
そのQが、今回出張にいったとき、私にメガネをくれた。
正確には奪ったのかも(笑。
そのめがねが、大層気に入っている。

色合い的にも、形的にも、忘れもしない大学3年のゼミ合宿の前の日に
購入して意気揚々とかけていったら、
とあるゼミ男に
「姉さん、それ二時間ドラマで最初らへんに殺される
エキストラとかがかけてそうなおかしなめがねだよね~ヘラヘラ」
といわれたおぞましい過去があるめがねにそっくりだったのだ!
今思えば、私が好きでやってんねんからお前に関係ない!と一蹴すれば
よかったことなのに、私はもうあの時の大ショック以来、めがねを手にとった
こともなかった。

「そうだ、私はめがねが似合わないんだ。」とその瞬間に思い込んでめがねの
話題を自分の中で終わらせた。

が、しかし、今回Qがくれためがねを恐る恐るかけると、みんなが
「おお、似合うじゃん!」と言った。私は「ぜったいうそや」と思った。
しかし、お世辞を言わない上司のSさんも、「おーいいねえ」といって、
その場がメガネ祭りのごとく盛り上がったので、あれっ?
もしかして本当に二時間ドラマの殺される人でもないのかもしれないと思い始めた。
というか、二時間ドラマのエキストラであろうが何であろうがええやんけ。
私はメガネが好きである。以上。

人に認定されないとそう思えないというのは、何とも情けなく、悪癖のままだけど、
私はQのおかげで、少し楽しくなった。
なんだかなあ、と思う。本当に、何が怖いの?何を避けようとしてるの?
メガネが似合わなくても、好きならかければいいのに。否定されても、
その否定が妥当かも分からないのに、
ちょっと変えるだけでいいかもしれないのに、
自分で全否定してなかったことにする。
どうして今までこうしてきたのだろう。
どうしてそうせざるをえなかったのだろう。

前に北京でQとふたりでご飯をたべにいったとき、
Qは「水煮魚」という四川料理を御馳走してくれた。
これは、魚の水煮ではなく、
川魚一匹を油と唐辛子と山椒、ラー油などで煮たもの。
すごい辛いし、カロリーも低くは無いはずだけど、
私はこの料理がほんまにめっちゃ好きで。
あーヨダレが。。

中華料理はカロリーという面では脅威であるものが多いかもしれない。
けど、今の私はお菓子やパンを過食したり吐いたりして、全然まともに
その土地の料理を味わわなかった留学時代とは全く違って、
出張で行く場所の料理を、おなかがポンポンになるほど食べまくり、
一緒に食事する仕事関係の十何人の人と
「カンパ~イ」←(中国式乾杯=一気)
をしまくり、ビール飲めないくせにへべれけになって、いっぱい(ビールを)吐いて、
また「カンパ~イ」。誰かも分からないけど、「カンパ~イ」。

アホである。完全にアホである。
しかし、中国には中国のやり方があって、そこでやっていくには、
結局やってみるしかないのだと、今は思っている。
どうせ騙されるよ、どうせ問題山積だよ、どうせもめるよ。
そうかもしれない。それでも、私はあのカンパ~イをするたびに
「ビールは太る」
「自分は仕事できない使えない奴だなあ」
「形を一つ一つ守らないと」
「中国人はどうのこうの」
「あたしはデブだ」
「ぶさいくだから彼氏がいない」
「その上偏屈だからもっともてない」
「こんな仕事のやりかたはこりごりだ」
「中国はもう疲れた」
「勝手なことばかり言いやがって」
「上司も金のことしか考えてない」
「がりがりになりたい」
 ・
 ・
 ・
等の逃避言い訳を少しずつ捨てて、
自分の国と違う国にいること、
その文化に触れること(「カンパ~イ」のことではなく)、
自分と違うものを尊重すること、
やってみること、
人と生きていくこと、
そうしたことを思い浮かべていた。

そう思いつつも、リスクのことは考える。
が、あのエネルギッシュな酒盛りは、私は嫌いではない。
もしかしたら日本以上に建前かもしれないが、
これ以上は無理!という日までは、私はこの環境を「合わない」という
逃避の理由を掲げて去らないようにしよう。
このままで逃げても、どこに行っても同じだもんね。
その酒盛りの中で、一番飲まされていたのは、やっぱりQでした。

ちなみに、さっき言及した「水煮魚」ですが、とある歌手がそういう題名の歌を
歌ってるくらいおいしいんです。
「わたしは~♪水煮魚を食べるのが好きなくらい、あなたが好きよ~♪」
っていう歌詞。そんなオチャメな歌もある中華圏の食文化を
今後要研究ですわ!

これから、デジカメでとった写真を追々載せてみまーす。
ではでは、素敵な週末を☆
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by jengsauman | 2006-10-07 12:46

尊いこと

韓国から帰った次の日から中国に行って帰ってきました。
今回の出張は、一体何をしたんだろう、というのが正直の感想。
いつも頭の中では「逃げるな」という言葉を掲げるものの、
からだは今までと同じような行動をとろうとする。
分からないことを分からないと言えない稚拙な自分。
知ってることをむやみに発信して自分を保とうとするズレた自分。
人と向き合うことが怖くなったら、国籍や文化や言語の差異を盾にする自分。
それもできなくなったら、性格の不一致を引き合いに出す自分。

私は、日々嫌悪感で吐きそうだった。
一緒に行ったCちゃんとSさんがいろんなことをしていくのを横で見ながら、
私は逃げ続けていた。一度信用を失ったら終わりなのだ、と思うのに、
それでも逃げたい。
韓国のKがくれる優しさや、Sの笑顔が頭から離れなくて、
以前のようにぬるま湯に守られていたい衝動に駆られる。
自分を包み込んでくれる場所を探していた。
本質的な問題に直面すると尚更、逃げたかった。

今回持っていった本は、『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』という本。
逃げ続ける自分が、この本をかざしていること自体がちゃんちゃら可笑しい
ことではあるが、それでも、私はこの本とここにいることを感じた。
きっとこれもタイミングなのだ、と思いたかったり、感じたり。

危険を冒さなければならない、という言葉が自分の中で響いた。
そして、役を演じてはいけない、ということ。
私は、どこかに行ったら、そこに行きたかったという自分を示し、
そこにいることを楽しまなければならない、意義ある時間を過ごさなければ
ならない、と思ってしまう。今までそうして、演じてきたことを
しっかり認識し、もう誤魔化すのは少しずつやめようと思った。

そして、自分がしていることが、思考の変化はあれど、あまり変化していない
ことを痛切に感じた。そこで、私は「危険を冒す」ということがどういうことかは
分からないけど、どにかく何かを択ばねばならないと感じた。
今までとは違うというだけではなく、自分の感覚を信じる選択肢。

欺瞞だらけのまま帰国し、最初に連絡したのはNさん。
以前からずっと誘ってくれていた仏教の話を聞かせてくださいと頼んだ。
ただ、Nさんが好きな場所に一緒に行って、話を聞こうっていうだけなんやけど、
私は、答えが用意されているということに頼って思考停止に逃げ込む自分を
繰り返すのが怖くて、ずっと断っていた。
宗教とは、恐らく自分を破滅させかねないものだと思う。
それは、自分の従兄のこともあるし、自分の狭い視野や執着心の強さからも
ずっと恐れていたことで。
けど、私は最近少しずつ感じるのは、人のために生きるというのは、
人を愛するというのは、人のために良いことをすることでもなく、
人が喜ぶことを見越して何かをするのでもなく、
人のために自分を犠牲にすることでもなく、
自分が生かされていることを本当に認識した時に起こるもの、
なのではないかと。
話を聞いたからって何も変わらないと思う。
だけど、私は頭で循環することを止めなければならないし、
その無力さを本当に認識しないといけない。

昨日の夜、Nさんから電話がかかってきた。
「何かあったん?」って。
何があなたをそうさせたの?って聞かれた。
私は、自分の中にあり続ける違和感、はちきれそうな違和感、
そして、このままではいけないという危機感、
ずれているという感覚。
それらと本当に対峙するには、動かすしかない、と感じたのだと話した。

私は、もう自分が嫌で嫌で、会社からも消えたいと思っていた。
けど、話を聞いて、Nさんは今週末東京に行くから会おうといってくれた。
そして、あなたは思考することをやめて、何かを変えようと動いたことで、
進んだんですよ、といった。
それは前進か後退かは分からないけど、立ち位置が変わったのだ、と。

電話を切った後に、メールをくれた。
「あなたが苦しみながらも、正しい道を求めて生きていく姿勢は尊いこと」
と。私は、なんとも言えない安堵感に包まれて眠りについた。
分かり合えるとかじゃないし、第一私は何もやってはいない。
Nさんがそういってくれたから、そうだとも思わない。
けど、自分が今信じられるものは、自分の違和感しかない。
そこに突っ込んでいく勇気がなかったのを、Nさんはすーっと後ろから
押してくれた気がした。何が良いとか悪いとかじゃなく、歩いて行こうね、という。

Nさんは「人を変えるには、自分が変わらないとね」といった。

毎日、毎日、自分に伝える。
怯えて、人から逃げようとして、ええ格好をしようとする自分に対して、
「無条件に与えられる評価に逃げようとするな」と。
誰かが勝手に考える素晴らしいことの概念にはまろうとするな、と。
痩せてるとか、モデルみたいだとか、ファッションがどうとか、
何を持っているとか、頭がいいとか、仕事ができるとか、
あったらあったでいいかもしれないけど、それが善と想定して、
そこに自分から迎合していくな、と。
そこには何の実体もないよ、って。

Nさんはいつも言う。
「あなたがそれ程感じる違和感は、もしかしたら貴方がよく思い出す誰かが、
あなたに求めていることがあるという印なのかもしれませんね」
今していることではなく、その存在が私に伝えてくれる光への道なのかもね、と。
生きていようと、亡くなっていようと、自分の頭に浮かぶ存在は、
きっと貴方に対して何かの願いを持っているんだろうね、と。

私は、おじいちゃんのこと。両親のこと。アメリカにいるOのこと。Bのこと。
いろんな存在を思い浮かべた。考えたって分からないけれど、
もしかしたら、今「このままじゃいけない」と思っておろそかにしている現在は
そこに繋がっているのかもしれない、とわずかに感じた。

何かをしなければと焦って空回りするとき、私はいつも我を通している。
自分が認められたくて勉強しようとして、仕事しようとして、人と出会おうとする。
けど、存在する繋がりというのは、そんな単体で存在するものではないのではないか
と思ったりする。
だから、誰かのために動くことを本当に理解したとき、私は今までのような
自己完結的な人間関係を捨てていけるのではないかと希望する。

けど、理想だけじゃなく、思想だけじゃなく、やはりそれを現実の中で
生きていくことが一番の望みだ。お金も必要。勉強も必要。理想だけでは生きれない。
痛いし、寂しいし、不甲斐ないけど、でもやっぱり理想を捨てないような生き方。
それを貫ける愛情。

中国にいて、一番感じたのは、出会ったたくさんの女性の輝き。
以前の自分が無意識的に求めていた「庇護」を求めるような、
生きていない女性はとても少ないと感じた。
そう、これがいい。私もこれがいい。心から感じた。
守られなくていい。でも、尊重できる関係を築きたい。

そんな話をしたら男友達に制された。
もっとずるくならないとダメだよ、といわれた。
けど、そんなのあたしには無理だなあって思って笑った。
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by jengsauman | 2006-10-06 00:29