過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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おまかせ

「分かりたい」と思うまえに「できるようになりたい」と思え。

この言葉が心にひびいた。
ふと、自分の頭にあることが、ほんとは何も分かってなかった
んじゃないかと思ったのです。
そして、これからも、分かることはないかもしれない。

だから、考えて答えを出そうとすることは手放そう。
だって、分からないのだから。

けれど、やるべきことは必ず目の前にある。
それが、どういう意味があって、なんて考えても分からない。
だから、やる。

Nさんがおまかせでいい、といったのは、こういうことだった
のではないか、と少しだけ感動した。

自分の不完全で未熟な頭で出した答えなんかよりも、
自分の体で感じ、自分の努力で築き上げたもののほうが
よっぽど信頼できる。
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by jengsauman | 2007-02-20 22:02

人のために

ひとのために、という言葉を避けていた。

それは、つまり、人のためと称して自分の責任を果たすことから
逃げているだけの行為、と思っていたからだ。

けれど、最近、自分の中で少し変化があることにきづいた。
私は、人のために生きたいと思い始めていた。
自分という存在を存在させてくれている他者の
存在を強く感じはじめ、それに対して自分ができることを
行動することにより、良いものが循環するのだと
実際に感じ始めたからだ。

やったことは返ってくる。
いいことも、悪いことも。

人を愛することで、人を信用することで、
自分がこんなに穏やかになるとは思わなかった。
悩みがなくなったわけじゃない。
依然として考えてばかりだ。

けど、今のこの自分で、とにかくアクションを起こすこと。
今は、とにかくやる、ことでどういう効果がでるのか
からだで感じたい。

Nさんはいった。生きている人にしかできないことって何だと思う?
それは、実践することだ、と。
私達は物事を動かすことができる。
生きていても、自由がない人もいる。
生きていても、自分が思うことを行動できない事情を持つ人もいる。
そういう人に対して、「それは自業自得」とか「悪いことをしたのだから
仕方ない」とか、「自分は自由を持っているから関係ない」とか、
思ってしまうことは、一見自分の利益だけを優先するから
効率が良いように見えるかもしれないけれど、
きっとそのうち、こけるのだと思う。

私は、社会的に悪いと思われていること、メディアの情報で
簡単にレッテル貼りを行われた人たちの声を聞けるようになりたい。
そのためには、こんなに世間知らずではいけないのだ。
自分が破滅しかねないから。
でも、自分の道が少しずつ、見え始めたきがする。

私の従兄が、無言で問いかけてくる気がする。
いや、従兄は私のほうを向いていなくても、
従兄を見守っている祖父が、私に問いかけてくる気がする。

正しさを追求しようとして、その純粋さゆえに社会の悪玉に利用された
従兄を、私はどうとらえたらいいのか分からない。
なぜなら、私は自分の思考だけでしゃべっているからだ。
彼に会わなければならないと思う。
けれど、会ったら私は何も話せなくなる気がした。
死と向き合って生きている彼を目の前にして、
張りぼてのような自分は、言葉が見つからない気がするからだ。

何がしたいのだ?
二度とこのような犠牲者を生まないために、って何をするのだ。

けれど、そうして従兄のことを考えている自分は、
人のためにといって逃げていたとしても、
間違った道を歩いているわけではない気がする。
従兄は間違いなく、私と血の繋がりがある親戚で、
私と比べようがないくらい頭が良く、誠実だった。
その彼が、今何を考えているのか、知りたい。
そして、彼の運命と自分の運命が繋がっていることを
もっと具体的に感じたい。
それが、人のために、という意味なのだとしたら
今まで、全然分かっていなかったのだと思った。
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by jengsauman | 2007-02-19 03:18

絶望のまえに

ここのところ、失望したことがたくさんある。
自分が関わっていることが、何の価値も生み出さないのではないかと
思ったりもした。
けど、絶望はしたくない。
超ミラクル世間知らずの自分が、ただちょっと現実に触れただけで
憤り、失望するのは、単に見るべきものから目をそらしていた自分
の逆ギレのようで、筋が違うんじゃないかと思った。

理想は必要だ。理念は大事だ。
けれど、仕事を進める上でも同じだと気づいたのだけれど、
高尚な理想を絶対的に掲げていると、それを崩せなくなってしまう。
また、それまでのプロセスを一つ一つこなすことよりも、
その理念を守ることに必死になってしまう。
だから、あるとき、ポキッと折れる可能性がある。

何事も常に変動しうるものだ。
けれど、それでも臨機応変に対応できるのは、
自分の中の指針がしっかりしていればこそ。
私は、それと絶対的な理想の妄信とを混同していたきらいがある。

稲盛和夫の本にかいてあった。
「人間として正しいことを追求するという、単純だが力強い指針があった」
それが、必要な根幹。そして、それをもとに、対話するということが
人間関係を作っていくということなのだろう。

それは、決して、細い体であるから正しい、善である。
だから人よりも優位にあり、人の関心をひける、
という前提に立った次元の話ではないと思う。
だから、善悪ではない。細かろうが、なんだろうが、
私は、私の創造性を追求することから逃げてる以上は
生きていないんだ。活きてないんだ。

そう思ったとき、私は愕然とした。
わたしには何もない、と。
ただ、こうしてここにあることしか感じられなかった。

けど、それが、なによりも大事なことなのだとも思った。
毎日、チェックしているブログに印象的な言葉があった。
「You are human being, not human doing」

ガーーーーーーーーーーーンときた。

私は、知るのがこわい。
世の中に、一体どれだけ恐ろしいことがあるのか。
どれだけ、不条理なことがあるのか。

けれど、知ることが第一歩なのだ。
知らなければ、動くことができない。
知らなければ、自分の絶対的な理想に固執したままで
楽に生きられるけれど、
それは現実ではない。

ぶつかるのは、当たり前なのだ。
正しさは人の数だけあって、
それらが主張しあうのだから。
対話はそこから始まる。
だから、調整することが必要なのだ。
ただ、自分の正しさを求めるだけじゃなく。

私には無理だと何度も何度も思うだろう。
怖くて怖くて、また立ち止まりたくなるだろう。
だけど、そうして簡単に絶望してしまうまえに
思い出したい。
自分が見ている世界は、自分が生み出したものなのだ。
苦しみも、不安も、悲しみも。
だから、その悩みは、本当に恐れるべきものなのか?
本当に苦しまないといけないことなのか?

その前に、やらないといけないことが
あるんじゃないのか?と。
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by jengsauman | 2007-02-19 02:59
今日は旧正月。
先生の家でパーティーがあった。
行かないつもりだったけど、電話してみたら奥さんが出て、
おいでおいでと言ってくれたので、行ってみた。

悩みに悩んだ結果、私の背中を押してくれたのは、
いろんな今必要な言葉たちだった。
私は、反芻した。
一番恐ろしいことは、逃げることになれてしまうこと。
どうせ失敗するなら、前のめりで倒れたい。
今何もしなければ、今のままだ。
動かしたいなら、やってみるしかない。

いろいろ考えることは重要だ。
けど、いろいろ心配して自分の歩みを止めることはよくない。

「今を一生懸命頑張ることだよ」
彼が言ったその言葉は、正にそのとおりだと思う。

何かを成し遂げることは素晴らしい。
けれど、私は往々にして、見えやすいその形を褒め称える。
その瞬間に、大切な本質を見ようともしていないという
傲慢な悲しい生き方をしているとも気づかず。

しかし、何かを100日後に得ると仮定して、
それまでに必死に頑張り、必死に勉強し、もがき、
悩み、迷い、語り、決定し、選ぶ、そうした
一日一日である99日間は幸せではないのか?
もし100日目に何かを得られたら、それまでが善で
得られなければ悪なのか?
そうした、分かりやすいものに乗っかって、
自分の一つ一つの反省点、乗り越えなければならない点を
チャラにするのは、ただの逃避である。
また、一瞬一瞬の出来事から、マイナスばかりを
引き出すこともまた、逃避である。
世界はそんなに悪い場所でもないはずだ。

そういう考え方を続けている限り、
私は何を手に入れても、不足であるとしか感じないだろう。

今がいつも最善で、今を一生懸命生きること。
そのためには、自分の現状を把握することが必須で、
情けないことも認めなければならない。
しかし、情けないのがなんだ!
これが今のあたしなのだ。
隠しても、隠れても、誰も見てないよ。
そんなことより、発信して、自分の使命を具体化させたい。
何が必要なのか、何が足りないのか、何を勉強しないと
いけないのか。

私は、今日、おもった。
本気で必要だと思うことには、理由が要らないのだろう。
何をどうすればいいか分からない。のが実情だが、
目の前にあることに血のにじむような努力を重ねること。
それだけなのだろう。
今年は、とにかく、死ぬ気で勉強し、休む時間を削っても
たくさんの人に出会いたい。
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by jengsauman | 2007-02-19 02:27