過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

<   2007年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

過程

毎日、いろんな人といろんなことを交わしながら過ぎていく、気がしていた。

私は、心のどこかで「正常」に日々を過ごしていることに安心し、
食べ物との距離を保ちながら、一歩一歩、とつぶやきながら足踏みしたりしていたけれど、
今の自分には、理解すること、思うこと、ではなく、感じることが必要なのでは
と思うようになった。

姉が妊娠しました。とてもおめでたいことだと思ったけれど、
私は不安になりました。姉の子に何ができるのだろう、いや、何ができるのだろう
とそのころになっても悩んでいるのではないかという不安。
生き辛い世の中と言われるけれど、本当に必要なものを見極め、
自分と違うものを知り、自分の大切なことを継続的に続け、
学んでいくことができれば、少なくとも自らを傷つけるような行為は
しないのではないかと思います。そうあってほしい。
でも、具体的に何をしてあげればいいのか、あと8ヶ月くらいのあいだに
私はきちんと考えておかなければならない。
きっと、子供と接することで学べること、気づかされること、もたくさんあるだろう
と期待と希望に胸がいっぱいではあるけれど、軸のないただの口だけおばさんには
絶対になりたくない。しなやかに、でもしっかりと、受け止めてあげたい。
とってもかわいいだろうなあ、と想像しただけで目尻が下がるけれど
そこで自分の生活の不満足さを埋めるような、思考停止だけは避けなければ
いけないのだ。そう思いながら、病気もちの姉がぶじに出産することを切に願う。

取り急ぎ、今考えていることは、
①一緒に海にいく
②動物園にいく
③バレエや歌舞伎をみにいく
④中国サバイバル旅行にいく
⑤子供には、人の美しさは内面や日々の取り組みから
あふれるオーラなんだよ、ということを伝えたい。というか、
自分の行動で、子供がそう感じてくれるよう、自分も努力する。
⑥野球観戦にいく
⑦○○姉ちゃん(わたくし)の家を面白い館にする。意味不明(爆
⑧だきしめる
⑨チューする
⑩ほめつつ、応援団長でいる。

あと、恋愛相談とか、なんかあったとき、とりあえず相談してみるかー
という逃げ場になれたらいいなあ、っていうのは望み過ぎかしら。ムフフ。

すでに、キャラクターもののお店とか、おもちゃとか、ウヒヒという目で見ているが
心のどこかで、病気の関係で何か問題を持って生まれてきてしまったら
何か問題があって、生まれてくることができなかったら、
ということもたびたびよぎる。

ひとつの命が存在するようになったということで、少しだけ広がる想像力。
でも、やっぱり、私たちは、思うということだけでは、変われないのでは
と思ったりする。頭で考えて出した答えは、実感や共感が伴ってはじめて
自分の行動に移そうとするものではないかと思う、というか私はそれくらいしないと
動けない人間なので・・(恥)。
だから、いつだって未来の不安や予測できないことの不安から逃げることは
できないし、今ある幸せをかみしめることから目がそれてることの
言い訳にもしちゃいけないんだったなあ、とまた感じたのでした。

私は、これまでの過程を思い返すと、決して生産的だったとはいえないし、
人に胸をはって言えるようなこともない。
でも、その過程こそ、私が「治ったから今となっては過去である」と遠い目で
見てはいけなくて、その過程こそ、自分の今と繋がっているすべてであり
これからの未来のためのすべてでもある。
そう思ったのは、家に閉じこもって外に出ることが怖かったころ、
よくメールやmessengerをやりとりしていたTが、
日本に3ヶ月ほど研修でくることになったこともきっかけとなった。

私はTに、摂食障害のこと、食べ物がこわいこと、自分が醜く思えること、
理想はあるのに動けない自分がにくくてしょうがないこと、
いろんな話をした。Tも、いろんな話をした。
何もかもが、解決して自分の中からなくなることなんてありえない。
だから、私たちは、何もしない時期を共にしながら、そんな自分を恥ずかしく
思いながら、社会に顔向けできないと焦りながら、それでも
話をした。目の前のひとつの壁を、ちょっとでも崩すことしか
今はできない、という気持ちから。

あれから、時間が経って、Tは大学院で勉強の毎日を送り、9月から
私たちの憎くて愛しい香港という場所で駐在する、という人生を
送るらしい。いろんなことがあるけれど、もがき身動きが取れない自分・
思考停止の自分を認めてから、動き出しても決して遅くはない、という
ことを私は毎日の少しずつの歩みで築いていきたい。
それが希望でもある。

もう、仕事がいやで、無秩序でめちゃくちゃで言ったことも守らない
中国現地の社員に腹を立ててみた。もう、逃げ出したい、と思ったが、
そんなときに頭によぎった言葉は
「自分が遭遇することに決して落胆してはならない」
それはすべてが必然であるということだからだが、絶望するのは簡単なのだ。
「世界の悪といわれているものをただ批判することをやめて、
それをどのように変えるか、まずは具体的に何を行動するかを考えなさい」
そうだった。苦しいようで、私は苦しんでない。
単にビジョンがなくて、行き詰っている自分の自分への不信感の矛先を
見えもしない場所で、自分なりに頑張っている(らしい)人へ向けただけだった。
パパに何度も、何度も言われたことを思い出す。
「物事が成功するかいなかは、とにかく我慢すること。忍耐や」
時機というのは、忍耐の後にしか来ないらしい。
というわけで、私は無力ながら、明日も出社します。

今、「神との対話」という本を読んでいる。
自分は見つけるものではない、創造するものだ。という言葉がすっと落ちた。

こないだホットヨガにいった。形を追いかけているばっかりで何も深いところに
届かなかった。と思ったら、空腹にあつすぎて貧血で立ちくらみがした。
私の体はどうなっているのか、見ようとしてなかったなと思った。
そういえば、「いっぱい汗かいてやせるかも」と思った心は否定できない。
最近、また、痩せたいと思い始めたのはなぜだろう。

ヨガは後何回かいってみようと思うが、自分のここという改善すべき点は
そういう精神的な活動の中でもアプローチできるのかもしれないけれど、
それと同時に、毎日の、普通に流れているように見える時間のなかで
きちんと気づいて、変えていかねば、と思ったしだいです。
[PR]
by jengsauman | 2007-05-30 23:09

おいこみ

いそがしかった。なんか、とってもいそがしかった。
4月最後の連休は、草津・軽井沢へ。
その後2日出勤して、今日から両親が東京へ来ました。

とっても楽しい日々だった。

でも、私は、必死に予定を詰め込み、親孝行らしきことをし、必死に表面的に
日々を充実させようとしている。そんな感がぬぐえない。
なぜなら、日常で実践していないからだわな。

私は、今、とても矛盾したことをしていて、とても後ろめたさに耐えられず、
必死にそれを肯定しようと、プラスマイナスゼロにしようと、模索している。
でも、それを消したところで、何も動かさない日々は変わらない。
だから、その行く末を頭で考えるのはやめて、とにかく、成長するために
勉強と学習と実践をかさねていこう。と思った。

今日は、憲法記念日だったので、日比谷公園の近くや銀座など東京の
あちこちで各党・団体が街頭演説やデモを行っていた。
そこには、改憲!護憲!いろんな言葉があったけれど、
その人たちの多さに驚いた。テレビで見て、いろんなことを考えているつもりで、
私は自分の意思を表明していないことを痛感した。

おととい、とってもおいしい水炊きを食べました。
その場で、私は、自分の理想論があまりに現実性を帯びていないことを痛感しました。
中途半端な格好だけの正義は、逆に迷惑である、と頭をぐるぐるしました。
代官山という素敵な街、にいても、自分は不相応な気がしました。
ファッションにしても、言動にしても、私は自分らしさ、のつぼみを
そのままにして枯らしているように思えたからです。

人と話しながら、私は、自分の自分無視行為を意識しました。
もっと格好よい女になりたいのに。
もっとクールでいられたらいいのに。
もっと仕事ができるようになったらいいのに。
もっと人前でうまく話せるようになったらにいのに。
もっとお金を稼げるようになったらいいのに。
もっとやせたらいいのに。
もっと目が大きくなったらいいのに。
もっともっと・・・・

しかし、そう願うことは、私を自分無視行為に追いやっているだけでした。
私は、たとえば、今抱えている背中の痛みや、緊張してすぐにてんぱる性格、
世間知らずで無知まるだし、すぐに正しさを求めようとするキャパの狭さ、
いろんな格好わるい自分、を抱きしめていないことをかんじました。

私は、人を愛するということは、どういうことなのか説明しろっていわれても
わからないけど、人を愛することとには自分を愛することなのだと思いました。
私は、今、過食と一緒にいきていたころよりも自分のことを抱きしめられる
ようになったけれど、まだ上のような自分無視行為をしています。
それを乗り越えるためには、私は私としてスタートに立ち、
日常を批判し、愛し、応援して、無知をさらし、恥をかくことなのだと思いました。
その過程でそばにいる人が、私をきちんと批判し、応援し、愛してくれることを
心から願いながら、もしそうでなければ、そういう関係に甘える自分をきちんと
制する覚悟が必要なのだと思いました。

チャンスが来ないと思うのは、日々きちんと準備していないからだ、と読み、
そのとおりだと思いました。
結局、日常の中に自分の気づきに基づく実践を入れないかぎり、
何にも変わらないのだ、と。改めて。

今日のニュースで、街頭で憲法9条について街の人にアンケートをとっている
人を見かけました。彼は、「自分が聞く立場であるということは、自分が答える
意見を持っていないといけない。いつもそういう立場に自分を追い込むために
こういうことをしている」というようなことを言っていました。

自分の疑問は、わからない状態をさらすところから始まるのだと思いました。
私は、昨日、無知をさらしまくって、自分が嫌でしょうがなかった。
でも、結局その経験だけが自分の血となり原動力になるのだ、と
今はわからないなりに感じています。

明日は、早朝から鎌倉にいってきます。きっとすごい人なのだろうな。
今日のモネ展もすごかったです。
[PR]
by jengsauman | 2007-05-04 01:36