過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

<   2008年 08月 ( 24 )   > この月の画像一覧

東京体育館

森さんの講演の後は、東京体育館(初!)でプールの授業をうけた。

東京体育館といえば、もう聞いただけで背中が凍りつくようなイメージで、
泳げないやつは来るな!という場所だという偏見を持っていたので、相当怖かった。
キョロキョロして、そわそわして。

で、入ってみたら、ティップネスとの提携ということで、めちゃ綺麗やん!余計に緊張する。。

しかし、しょうがないので、着替えてプールへいってみると・・。
あれ、はしっこのほうに25メートルのレーンがあるではないか!
たしかに、ガシガシすごいスピードで泳いでいる人たちが多いけれど、
なんだ!私もいけるやん、と早速胸をなでおろす。

こういうことって多いんよね、ほんまに。
自分ひとりやったら、一生近づかなかったであろう東京体育館が、こんなに快適な場所で
あるとは・・。クゥー何をしてたんだ、ワシは!
びびりはほんとにだめだなあ。

で、30分ほどレッスンを受けて、少しだけコツをつかんで、気持ちよく泳げた(全然進まんが)
「頑張れば、4種目制覇も半年くらいでできますよ」という言葉に、エー005.gif

まあ、セールストークではあるだろうし、考えてみれば練習すればできるようになって
当たり前だろうけど、具体的に目標設定して何かができるようになるっていうのは、
ほんとにすごい気持ちがいいんだろうな、と思った瞬間でした。

水泳と聞いたら、暗黒のイメージしかなかったけど、できないんじゃなくてやらないからだ。
できるできないじゃなくて、やるかやらないか。そんな言葉をかみしめながら、ノロノロおよいで
おりました。

あがってシャワーをあびようと思ったら、お風呂もあるやん!
しまいには、「東京体育館、最高やわ」とつぶやいている自分がいた。単純・・。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-31 19:36

おもいこみ

昨日、森達也さんの講演会へ行って来た。
いろいろ本を読んだけれど、実際に話を聞くのは初めてだった。

話の中で、すごく腑に落ちたことがある。
「善良で純真な人は、悪意なきままに、正義や愛するものを守るため、人を殺すことができる」
という話だ。
殺人というのは、到底想像できることではない。だからこそ、とても怖いし別次元のことである。
でも、その一方で、人は何かを守るために、何だってできるということを、もっと想像しなければ
ならないと思う。本当は、別次元のことではないのだろうと思う。

殺人者=悪
自分=善
⇒自分は大丈夫。殺人者は異常。こんな事件が起きるなんて怖い。みんなで管理社会へ。

この二項対立の裏には、自分は絶対に人を殺すことはないという確信がある。
自分は、殺人をするような悪人とは別の次元にいるということを、確認したいという願いがある。


森さんの話を聞いた範囲でまとめると、
--------------------------------------------------------------------------------------
・オウムへのマスメディアのトリックは、「①凶暴凶悪、②洗脳された人たち」だが、実際に
接してみれば同じ人間であり、至って普通の(どちらかというと純粋な)人たちである。

・しかし、マスコミは「善良な人が人を殺せる」とは報道できない。スポンサーからの批判や
視聴率の低下(視聴者へ恐怖を煽ると視聴率が上がる。北朝鮮報道と同じ)など。

・オウムに対して、あれほど人々が異常に反応した理由は、「動機が分からないから」。
人は動機が分からないと不安に陥る。

・しかし、マスコミは「なぜオウムがあれらの事件を起こしたのか」について、本当の意味で
動機解明を行うことができなかった。(①②のレトリックのみの繰り返しで、本質は見えず)
動機解明をするためには、オウムが普通の人であることを報道しなければならない。
でも、マスコミは、異常者として報道し、一般人に対して「自分たちと違うひとたち」という
安心感を与えた。

・不安を感じるこの社会は、管理化、セキュリティ化、厳罰化、そして集団化し、
どんどん安心できない社会になる。

・厳罰化が進み、「悪」をより純度の高い「悪」にしたてる。オウム事件以来、死刑判決は
約3倍。オウム事件以来、厳罰化を求める中、「死刑」は国民の願いとなった。

・しかし、大半の人は、死刑のことをよく知らないまま、死刑存置を主張している。
しかも、死刑には問題がいくつもある。
①犯罪抑止効果がない。
⇒みせしめのつもりが、その効果はない。アメリカでは、わざわざ死刑のある州へ行って殺人をする人もいる。本当に見せしめにするなら、もう少し公開すべき。
②冤罪の恐れ。
⇒一度判決を出した事件を再審するのは、組織の名誉にもかかわるため、ためらう傾向あり。
③感情
⇒被害者遺族はもっと政策でフォローされるべきであることは明らか。しかし、一般人には
被害者遺族の苦しみなど分かるわけないのに、社会全体で憎悪を共有しているつもりになる
ことが恐ろしい。「あんな悪いことするやつが生きてたらダメ」。

・政府が「治安悪化」というのは、警察の天下り先確保やメディアの視聴率のためが大きい。
データで見ると、殺人件数は減少している。
メディアのすりこみ。

・人は、正義や愛するもののためならいくらでも人を殺せる。
しかも、よかれと思って、自分たちを守るためにやっている。
しかし、そこでわれわれが考えるべきことは、厳罰化や死刑執行ではなく、
どうすれば自分たちを守ろうとする意識を中和できるのか、ということ。

・日本人の特質は集団に同調すること。そして、集団になると暴走しやすい。

・まずは、裁判員制度が始まる前に、死刑について知ることが必要である。
-------------------------------------------------------------------------------------

講演を聴いていて、自分も人を殺すかもしれないなあ、と思うと戸惑いを感じた。
でも、同時に、安心した。
そうなのだ。人は、時にはとっぴょうしもないことをしてしまう生き物なのだ。
頭で考えて、判断してすべてが割り切れるわけがないということを、すっかりと
勘違いしていたのだとわかった。

そういう勘違いこそが、レッテル貼りの第一歩であった。
往々にして、自分は情報を取り込むとき、「自分は大丈夫」と安心するために
ゆがんで受け取ってることが多い。それをどこかで意識しながらも、自分は犯罪おかして
ないし、少なくとも法律はやぶってないし、とか思って斜にかまえてニュースを聞き流し
したりしている。

でも、待てよ。そのニュースがどれだけ偏向報道であるのかさえ分からない人間にとっては
マスコミの恣意的な結論(≒世間が求める方向)を疑うことができない。

「マスコミを疑え!」などと頭で理解したところで、どういうことなのかが分からないから
そう言いながら、ニュースを自分の都合のいい様に利用して終わっている。

異常な人が多くてこわいね、なんていう会話をしながら。
ほんとは、明日はわが身かもよ、と思う。

森さんの話を聞いていて、すごく「人を信じる」という姿勢を感じた。
わたしからしたら、すごい勇気がいるし、こわいことだと思う。
それでも、「人は変われる」という言葉に、首がふりきれるくらい心の中でうなずいた。

私にできることはなんだろう。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-31 19:24

会社の人のおかあさん

1ヶ月前くらいに、群馬県にキャンプにいったとき。
キャンプ場へ行く前日(金曜夜)に、栃木から通ってる会社の人のおうちに泊まった。

そのおうちのおかあさんは、ソースカツ丼がめちゃ得意で(っていうか料理全部最高)、
その日も、夜遅いのに、ソースカツどん人数分作って、待っててくれた。

その味といったら、ほんとになんか、あたたかかった。


数日前、またソースカツどんが食べたいという話になり、その人からおかあさんへ
連絡してもらった。そしたら「了解です」との返事で、翌日のお昼はソースカツ丼弁当に
なりました。

その人は栃木から通ってるから、朝5時台にはもう家を出るため、おかあさんは
朝の3時に起きて、わざわざ5人分のソースカツ弁当を作ってくれたらしい。

会社でそれを食べたとき、じーん007.gifとした。

こんな勝手なやつらのために、早朝からありがとうございましたと本当に感謝だ。
しかも、そのおかあさんがまた、めちゃかわいらしくて、親しみやすい。
また遊びにおいでね~と言ってくれた。

ありがたいありがたい。本当においしかった。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-30 04:33

痩せたい

実は、最近、また食べることをどこかでセーブしている。
こないだまでは、何も考えずにバカバカ食べて、顔も丸くなったなーアハハーと
思っていたのに、何でまたこうなったんだろう。

今日は上司の駐在壮行会で、しゃぶしゃぶ食べ放題@しゃぶ禅だったのに、
結局肉を3枚くらいしか食べなかった。いつもなら10枚~15枚は食べるであろうのに。
だいたい、こんな枚数を数えている時点でアウトだ。
大好きな牛寿司も食べなかった。
はしっこに座って、アクをすくう係をいいことに、野菜ばっかり食べて、お酒も極力のまず、
途中でトイレへ行ったら、おなかがポコっと出てるのを見て、「ガーーーン」として、
またもや何をやっとんのよ、アンタは、と自分へつっこんで、今に至る。
めちゃおなかすいたけど・・・。

水泳やらヨガやらもいいけど、結局私は踊りたいんだよ、という声を無視してました。
ごめんなさい。そして、バレエを踊ることを口に出すのが怖くて、できなかった。
ごめんなさい。すべてが、バレエの下にあることを、自分が一番分かっていました。
ごめんなさい。

バレエを踊るには、余計な贅肉はいらず、筋肉が必要で、今の自分の体型で
チャコットとかにいくと、もうショックで倒れそうになる。ぶよぶよ。
でも、だからといって、食べないでおなかぺっちゃんことかにしても、あかんのよ。
食べたら、ポコってなるんだから。食べないでいると、痩せることへの期待が膨らむから
ポコってなったらもう憎くて悔しくて悲しくて・・。不毛ですよ。

1日を有意義に過ごそうなんて考えることも捨てよう。
とにかく、気になることをやる。やりたいことをやる。べき、を捨てる。
やりたいことからやる。順番を守る。
あれもこれもは無理。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-30 04:26

自分ができることをやる

従兄へ手紙を送った。
私は傲慢で思い上がっていたので、2年くらい何を書いていいか分からなかった。
100枚いりくらいの便箋パッドを無駄にした。
彼を救うためにとか、彼の能力を生かすためにとか、彼は何を求めているだろうか、とか。
あたしはあほかっちゅうねん。わかるかっちゅうねん。
そして、「そうか、なんもかも捨ててみよう」とおもって、一から書き直したらさっと書き終えた。
そこには、私はあなたを想っていることを伝えたかっただけかもしれません。とか書いた。
きっしょーと我ながらひいた。
でも、ほんとのことだし、結局私はそういいたかっただけでした。
だから、ほんとに言いたいことを書こうと思ったら、すっと書けた。

考えてわかりもしないことを延々と考えて、いつか思いつくかもなんて未来の自分に
期待するとこういうことになるんだと学習した。

所詮、無力です。
手紙も、のりちゃんに助言をもらってかけたようなものだし、
結局、自分は周りに支えてもらってやっと1行動できるようなへたれです。
でも、それでもいい。人にしてもらったことを、自分ができる形でほかの人へ返す。
それが自然なことなんだろう。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-30 04:17

たんじょうび

先週、28歳になった。

誕生日の日は、私が一番好きなお店である『助とら』へいってきた。
あそこのおねえさん2人は、ほんとに笑顔が素敵で、出すぎず、さりげない気遣いが
到底凡人にはまねできないプロフェッショナルさをかんじる。しかも、常に柔らかい雰囲気。
さらに、何が好きで前に何を頼んで、どんな服装をしてて、とか全部覚えてる。
ああ、誕生日におねえさんたちに会えたことが本当にうれしかった。

それにしても、あいかわらずおいしすぎた。おいしいと50回くらい連呼したのではないか。
ボキャ貧だろうがなんだろうが、とにかくおいしくて、幸せな時間だ。

そして、「誕生日特典ってなんだったんだろうね」と話しつつ、最後まで何も出てこなかった
ので、「きっと今日のシャーベットはいつもより大きかったんだ」というわけのわからない
結論に達したころ、おねえさんは突然「おめでとうございます~」といって
渋谷駅前のお花屋さんで買ってきたお花を一輪くれた。

何かをもらって感動することは多くない。でも、このときは本当にうれしかった。
おねえさん(かほかのスタッフ)が、わざわざ一輪だけを買いにいってくれた姿を想像する
と、泣けてきたよ。。しかもその花は、一週間たった今も、とても元気に咲いている。
28歳はとても幸先がいい、なんだか今までと違うと感じた。

そのあと、日比谷のペニンシュラホテルへ泊まりにいってきた。
誕生日だから、特別に贅沢ざんまいだ。
香港のペニンシュラといえば、超高級ホテルやけど、その前に旧日本軍が占領していたこと
を思い出してしまい、あまり泊まりたいと思えなかった。(その前に高すぎて泊まれない)

しかし、ペニンシュラ東京、とっても質の高いホテルでした。
いままで、こんなサービスがよく、なおかつかゆいところに手が届くようなホテルは初めてで
キョロキョロして、そわそわして、感動しました。

備品のペニンシュラという文字を見るたびに、なんともいえない複雑な感覚と、
強烈ないとしさ(香港への思い?)がこみあげ、ほとんどのものを持ち帰った。
ほんとに持って帰ってよかったのか不明なかんじも若干ありつつ・・。

しかも、部屋についたら、ルームサービスがきて、誕生日祝いのチョコレートを山盛り。
これ、高いで!とすぐに計算する自分がかなしい。
ルームサービスを持ってきてくれた人が、クリスタッカーの超丁寧で温厚バージョンの
ような人で、めちゃくちゃ印象よかった。出すぎず、でもきちんと仕事をする、それがほんとに
プロフェッショナル。ああ、こんな人たちが日本を支えているんだなあ、と感動する。

生チョコケーキをたべて、シャンパンを飲んで(確実に食いすぎ)、広い部屋で
大の字になっていると、メールが入った。
ひろちゃんからのメール、それかられいちぇる、そして母と父と姉。それから、カンボジア
にいる友達と、高校時代の友達。昼間は中国時代の友達(のりちゃん、レジーナ、ヒクソン)
からも1年ぶりとかに連絡がきた。誕生日を、おぼえていてくれるひとがいる。
そして、毎年毎年、香港から電話してくれる友達。

私って友達少ないな、って思う一方で、こんだけの人がまわりにいてくれることは
ほんとにありがたい、とかんじた。なんとなく、自分がここにいるような感覚というか、
斜にかまえて「べつに誕生日なんか」とどこかで思っていた今までとはなんとなく違って
改めて、生きるということは、一人でないことに気づくことであるのかもしれないと思った。

ないものを考えたり、マイナス方式で考えることは、時には自分に厳しいという褒め言葉
になるのかもしれないけど、やっぱり苦しい。いつもいつも否定して、いつもいつも
達成感を感じずに、いつのまにか自分を信じられなくなるのはもういやだ。

だから、28歳は、やりたいことをやろう、そして1個1個をきちんと結果を出していこう
と思う。どんなにしょうもないことでも、決めたら結果を出すまでやる。
でも、決めるときに、自分が頭で正しいと考えたことなら、さっさとポイしてもいい。
きちんとポイしないと、だめなんだ。
自分の体幹へ向かって、どんどんシンプルになりたい、とおもう。

物事バランスが大事、と頭では思う。実際にいろんなことをこなしている人を見ると
とてもうらやましい。でも、私がそれをまねしても、ただただ苦痛に満ちていて
顔がゆがんでいるだけ。だから、バランスが大事とどこかの誰かが言ったことは忘れて
1個1個にワクワクして、どきどきして、心が震えるような時間を増やしたい、と思う。

会社員として働くことは、ある意味とても楽であると思う。
自分で考えることをやめ、疑うことをやめればやめるほど、その環境は素晴らしく心地よい。
何もしてなくても、少なくとも仕事はしているということで、何もしてないことを
ぼやかす力が「常識」にはある。
とにかく経済的に自立していることが最優先事項で、そうでない人は何をしようが
大人になりきれていない無責任なやつ、と思っている。(私が)
だからこそ、私は経済的自立に躍起になって、埋没している。
裏を返せば、それにしかすがる方法がないから、強くそれに依存している。

しかし、試行錯誤して、今に挑戦している人を前にすると、なんと滑稽なことか。
私はいつかをいつも心配して、今を生きることができないやつ、でした。
自分が一番したいことをしたいと口にできないやつ、でした。

格好悪いにんげんやなあっておもっちゃうし、なによりおもろないね。

たしかに将来は心配だ。でも、今日とてつもない爆音をたてて落雷があったとき、
これって何かのミサイルなんちゃうんか!と思ってめちゃ怖くなった。
今、世界の多くの場所では実際にこういう恐怖を毎日感じている人たちがいて、
わたしはただただ型にはまるのに精一杯。
なんだか、本当に滑稽だ。

友達が、2年くらい働いたあとに、「最近感受性が鈍ったのがショックや」と言っていた
のを思い出す。私もまさに今そう感じていて、もうちょっとしたらそんなことさえも
感じないのではないかと思う。おそろしや。

28歳は、人と繋がりたい。自分がやらなくていいことまでやろうとして、むやみに
孤独を感じたりして、ほんまにアホやねん。アホすぎるねん。
でも、ほんまにやりたいこととちゃうことやってたら、変なプライドばっかり先走って
人と比べることに力を注いでしまう。反射的に。

仕事でいろんな教育機関の人と会う機会があるけど、みんなすごいプライドを背負ってる。
自分の仕事にというより、組織に。別に悪いことじゃないけど、なんだかしらけてしまう。
でも、みんなそれにプライドをかけて当たり前なんよね。
私だって、仕事を否定されたら何にものこらへん生活してるから、余計に敏感に
反応してしまう。「いややわ、こういう人たち」って思いながら、自分も同じやで。

こないだ朝の朝礼であった話に、
「人がどうこうと言って、人を指さしたとき、残りの3本の指は自分のほうを指してる」って。
これはほんまにその通りやなと思った。人をとやかく言うやつに限って、自分の問題を
棚にあげている。って、あたしやけど。

で、とにかく、自分が自分をどう思うか、ということに焦点をあてるいきかたをしたいな、と
おもう28歳です。

ペニンシュラの続きやけど、無料でプールに入れるというので、2回くらい入った。
前に、なんとか体重を減らしたくて躍起になってプールに通ってたころ以来で、
あいかわらず全然泳げないので、入るのがためらわれたけど、入ってみたら気持ちよかった。
以前にちょっと習った方法で泳いでみたけど、手と足がばらばらで全然進まなかった。
考えすぎて、何もかもがダメなかんじだった。

一回、リセットしようと思った。身体を尊重しよう、と思った。

ほんとは全然しらないからだのことを、少しずつ知っていく28歳にしようと思う。
とりいそぎ、明日はプールへいって、30分くらい習ってくることにした。
頭で考えるためではなく、身体を知るための時間をふやすのだ。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-27 08:54

広東語への思い

広東語に対する情熱が少しずつ戻ってきた。
ひさしぶりに、MYバイブルである、吉川先生の『香港粤語』がしっくりきた。
たのしい、興奮する、やっぱりこれだー!

はやく先生に会いにいきたい。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-20 01:11

四面楚歌

今日の全日狂聽

關楚耀 (Feat. 謝安琪)  『四面楚歌』

難道攀不到青雲 便在愁城自困

の「困」が最高の響き。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-19 23:23 | 音楽

過去は美しい

人間の頭が欠陥だらけのおかげで、私は自分のおかしたいろんな失敗や過ちを忘れて、
綺麗な思い出とともに生きることができる。
ほんとに、忘れるということは、悲しくもあるけれど、なくては苦しすぎて生きていけない。
生きているんだから、そりゃいろんなものを抱えて背負っているのは当たり前だ。

九月の旅行先をずっと考えていて、ふと、ラダックを思い出した。
チベット、医学、仏教、インド、山、人、輪廻・・なんだかすごく心が動いた。
そうだ、私はここへいきたい。
とにかくたくさんの旅行先へ数を稼ごうと動き回ろうと思っていたけれど、
これからは心の動きをしっかり大事にしたい。
いかに自分が感動し、心が動き、自分がこれだという直感にしたがう。

てさぐりばかりであたりまえ。でも、きっと信じる、いつか点と点がきっと線になるんだ。
それは20年後かもしれない、30年後かもしれない、もしかしたら現世ではないかもしれない。
でも、信じる。信じないと、すべて何もできなくなる。今までのように。
分からなくて当たり前なんだ。分かろうとするから苦しむんだ。
私だけが脳に欠陥があるんじゃないかだの、私だけが蚊帳の外にいるんじゃないかだの、
私はいつまでも小学生レベルの知能じゃないかだの、考えるほうが無駄。
そうでもそうじゃなくてもどっちでもいい。

もしかしたらそんな開き直りは、自分の歩みを止めるかもしれなくても、
それでもいいと逆に開き直る覚悟を決めた。

だから、今何ができなくて、何ができて、結局何がしたいか。それを知るだけ。

見つからないならいつまでも探し続ける。心が動く瞬間を増やそう。

たびたび昔の綺麗な記憶に心を侵略されても、私は笑顔でその侵略を受け入れる。
でも、その侵略は、長くは続かない。私は、そのうち、今を取り戻す。
それでいいんだ。

失ったものばかりに目を向けたら、すぐに過去の記憶の侵略を受ける。
でも、過去の記憶は、今の心の動きには勝てない。
私が、今を受け入れて、何かに取り組む限り、侵略に負けることはない。
絶対に負けない。

ここの数日、落ち込んでいた。
結局、私は何にもやりたいことをしていないし、やりたいことのやり方がわからなくて
後味の悪さで初めて気づくということばかりだ。こんな自分に何ができるのだろうという絶望。
あげくのはてに、まわりをみまわしてみたら、結婚、結婚、出産、出産、栄転・・・。
完全におしつぶされていた。
誰もがうらやましくて、なさけなくて、自分の話を避けるいつもの癖をつづけていた。

一番ショックだったのは、親友ひろちゃんが新しい彼氏ができて、その男がいままでにない
まともな男で、彼女が私から離れていったことだ。
今までは、どんなに深夜になっても、どんなに疲れていても、私が大阪に帰ることがあれば
必ず会っていたのに、今回は当日に体調わるいねんごめん、って断られた。
きっと彼氏といるんだろうと思った自分もやな奴だけど、それを頭では喜びながら、
心がついていかなかった。親が娘を取られたような感覚なのかな。
それにあわせて、彼女はとうとう自分の手で自分の夢(家庭を築く)へむかって歩き出した
ということが私の焦りを絶頂にした。

今までなら、どんなしょぼい悩みも、確実に自分に非があることも、いろいろと相談して
いたけど、今は「こんな話題したらあかんかな」とか「こんな話してもどうせ幸せでまともに
考えてくれへんやろな」とか思ってしまった。最低や。ひろちゃんにあたらないように、
少し距離を置いている。それは、一時的なものだとは分かっているけど、自分の心の狭さ
爆発で、しょぼんとなった。ほんまにしょぼいやつやな、という思いばかりがめぐる。
きっと、私はその彼氏に会っても、嫉妬するんだろう。
「私のほうが長いねんで!」とか言いそう。
ひろちゃんのことがだいすきで、ひろちゃんが幸せになるのがうれしいのに、
ひろちゃんが遠くへ行くのがさみしい。自分もがんばらないと、そんな思いだろうか。
幼稚園児並の精神年齢。(どんどん幼稚化)

しかし、こうやって書いてみたら、ほんまにアハハってかんじや。
だいじょうぶ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。

もうどこにあるか分からないものをつかんで固執して依存するのは絶対しない。
たとえ時間がかかっても、しっかり消化して、自分の内なる声にそって歩く。
それが負け組みでもいい。私が器用にやろうとしたら急いではりぼてのものをつくるだけ。
そんなの、社会にとっても無益だろう。
それなら、自己満足であっても、地に足のついた自己満足が1個でもあったほうがましだよね。

失ったばっかりじゃないよ。今だからできることがある。
過去が贅肉も筋肉もついてないまっすぐな脚を必要としているならば、
今のあたしはトレッキングにもひとりで荷物を運ぶにも踊りにもたえうる
立派な筋肉をつけて応戦しよう。
美しい過去に負けた瞬間、わたしはわたしの人生の舵をやすやすと他人に渡すことになる。

わたしはひょろひょろな弱いおんなのこになりたいんじゃない。
たとえ自分が好きな人がひょろひょろが好きだといっても、ひょろひょろになろうとしない。
ひょろひょろを押し付けてくるような人とは一緒にいない。
わたしは自分の体力で自分の歩みを重ねていける亀のようになりたい。
そんな私をおもろいやつと思ってくれる人と一緒にいたい。
相手の欲に自分の現実をあわせたりしない。
私の現実に相手の興味があえばそれでいい。
それは傲慢かな、開き直りすぎかな、かわいくないかな、とも思うけど
美しい過去とたたかうためには必要なのだ。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-19 23:18

うだうだ

過去は美しい。人間の素晴らしく欠陥満載の頭脳によって、
とっても綺麗な物語に書き換えられる。人間ってすごい。
そしてロクなもんじゃなかった恋愛が綺麗な物語になってて、
時々夢に出てきたりする。かなりドン引き。

過去は過去でしかなくて、現在手に入らないからこそ、美しい。

でも、脚色された美しい過去でさえ、やはり自分を築いているものであるが、
しかし、それはしがみつくものではない。

そして、過去のある時点での選択への後悔により、
今もう一度その選択ができるようにもっていきたい衝動に駆られるのだが、
今それを選択したところで仕方がないのだ。たとえ、それを選択して
それっぽいものを手にいれたとても、きっと10年後はまた後悔の念を抱いているだろう。
なぜなら、もうそれは私の今とは違うものだから。

あれはああだった、これはこうだった、と解説できるほど私は自分のことを
理解していないと思う。
私は何がしたくて、今は何ができて何ができてないから、今何をするか。
ただそれだけの簡単に見えることができないで27年生きている。
それを見失うことに慣れすぎて、それを見つめることができないでいる。

遠く離れたどこかには、それを克服した自分がいると思っていた。
まるで、すごろくのように、さいころをふっていけばいつかゴールがあるような。
でも、足元を見ないとな、と最近感じる。

自分がすごしている日々は、「死んでない状態」なだけであって、
「生きている」わけではない。そう気づくと、たとえ帰り道で見つけた小さな虫や
空の夕焼けなどでさえ、自分がしっかりと見つめて、発見したことならば、
とても尊いことに思える。

いつだって、「今、ここ」しかないということを、もっと感じたい。

誰かが見つけてきた素晴らしそうなものに乗っかったり、おしゃれっぽいことの
まねをしても、ぐるぐるここに居続けるだけなのだから、
どんなにださくても自分の心が震えるような感動を1日に1回したい。

そういいながらも、Mの嫁のような生き方を、ついつい意識してしまう。
私には、きっとできない選択。今はそう勝手に思うけれど、
5年前くらいは、正直シメシメと思った。この人はキャリアをあきらめたんだ、と。

でも、ちがったね。
わたしったら、自分が何をしたらいいか分からなくて、バリバリキャリアの人間に
なれば価値が高いなんて思っていたから、その道からさっと外れた彼女を
到底しんじられなかっただけ。葛藤しても、自分に正直に生きるとはそういうこと
なのかもしれない。どちらにせよ、私は彼女のこと知らないから、知らない。
何も知らない。そうはいっても時々勝手に考えるバカタレです。分かりたい。
ほんとはどうすればいいのか、頭で分かりたい。分かりたくて分かりたくて、もだえている。
日野先生の顔がうかぶ。「頭で考えて分かるか!」
はい、そうなんですけど。けど、が情けない。

私は、なんでこんなに頑ななんだろう。
なんで、こんなに頑なに、わけのわからないものにしがみついているんだろう。
そんなものポイと捨てて、自分の身体でしっかりと感じればいいのに。
どうして、立ち止まるのが怖いの。
どうして、誰かに認められないと不安なの。

男友達との関係が、とても依存的なことに気づいた。
私と仲良くしてくれる人は、とても面倒見がいい人か、あまり物事を気にしない人が多い。
私が望む範囲の「認めてほしい」「甘えたい」という願望を、満たしてくれる人たち。
別につきあってるわけじゃないけど、妹みたいなのが一番楽ちんで、かつ
不安に対する即効薬だ。でも、薬がきれると、結局意味が無い。
まるで、麻薬みたい。自分は蝕まれ、出口を見失う。

男友達のうち何人かはもう結婚して、何人かは彼女とべったりで、
そうして私の入り込む隙間はなくなって、
わたしは、また自分を認めるためのツール探しが必要になった。
そうだ、きっと、私は人を人として見ていない。ずるくて、アホなやつ。
自分にとってどういうメリットがあるかばっかり考えてる。

だから、私は男友達の嫁の話は聞きたくない。
それって、ほんまに致命的やなと感じる。

そんなやつに対して、ほんまの意味で叱咤激励してくれる人って
いるわけないよな。

ゆきこが私にあの手紙を書いてくれたのも、きっとあの時だからで、
あの時は、私は必死やったからやとおもう。
今みたいに、斜にかまえてるふりして、自分のことばっかりで、
傷つくことを恐れてばかりで、えらそうなことばっかり言うやつやったら、
きっとあんな風には言ってもらえなかっただろう。

だから、私は、必死さをとりもどしたい。
でも、そのときに、必死になるために、何かを妄信してはならない。
本当に足元をみつめて、自分の身体で感じるままに、前へすすむ。
今、ここ、のプレゼントを大事にする瞬間を、はじめるときなのだ。

私A「もはや、正社員じゃなくてもいいじゃないか。何がしたいねん」
私B「正社員だったら当面経済的にどうしても困るということはないし。」
私A「そんなんで生きてるって言えるんか!」
私B「でも、お金を稼がないと生活できへんやろ。お前は夢を食って生きるんか」
私A「待て待て、そもそも、正社員どうこうよりも、組織の中でのうのうと生きて
今日も明日も同じように過ごしていくのが嫌なんや」
私B「それなら、なんかやれよ。仕事しながらでもできることいっぱいあるやろ」

毎日このやりとりだ。
足を前へ出すだけなのに、無理やり出すことを戸惑う。

ふと遠くに目をやれば、翼が見えるようで、
それを口にだしながら、鎖にがんじらめになっている。
そして、なんで私は飛べないんだろう、と言っている鳥のようだ。

足元を見よ、なんだよね。

足元を見る。そうすると、今の現状で変えたい何かがごそごそしている。



疑うことからはじめるために。
[PR]
by jengsauman | 2008-08-19 00:55