過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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ゲーム継続中

久しぶりに中国へきてみたら、自分が頭で作り上げてた「きらいな」場所とは違うことを痛感する。
きらいもくそもない。知らないんだから。
そのたび、やっぱり、世界がせまいなあっておもう。そしてアドレナリンがぼーっと出る。
自分の頭のなかで作り上げた世界にうもれてると、現実はそうではないということに気づくチャンスを見失う。
自分のすき、も、きらい、も、頭の中で作り上げたものなのだ。
とってもあぶないことだけど、日常はそんなことばかりしている。

またもや、拒食に近いことをやっていて(そこまでストイックでもないけど)、
若干ハイになってもいるし、すごくイライラしやすくもなっている。
小腹がすいたら、かむかむレモンかさきいかを食べてしのいでいる。
ほんとに、身体に悪いことばっかりしてるんだけど、1日の友達の結婚式でどうしても着たい服が
今の体重というか体型でもギリギリで、その規格に自分の身体をあわせようとしていることにすごく浅はかさを感じつつも、とりあえずはそれを来て、満足して から、もうこういうことをやめたい、などと思ってたりする。
もうとにかくなんでもいいから、やって満足して、これで終わりにしたい。

中国国際航空は、以前に比べて格段に綺麗になった。そして、サービスがましになった。
今回乗った便は、ANAとの共同運航だからかもしれないが、機内は日本の国内線とあまり変わらないかんじだった。
と思いきや、前のテーブルをたおして手前に引いたとたん、取れた!かろうじて片方はくっついてたから戻せば使えたが、
やっぱり裏切らないエアーチャイナ。

そんなこんなで上海について、リニアに乗って、地下鉄にのりかえて上海駅へいって、上海駅から無錫まで新幹線に乗った。
無錫までの新幹線、もうできてたんだー。しらなかったー。
チケット買う場所と駅が離れてると知らず、10分後の列車のチケット買おうとしたら、「もう無理だって」みたいなことを言われて、相当意味不明だったけど、駅へいってみたら意味がわかった。ホームまでめちゃ遠。道はさんでだいぶ向こう。

結局、1時間以上後に乗車することになったから、駅前のミスドでお茶をした。コーヒーのんだら、気持ち悪くなったが、あんなに空いてるミスドもはじめてみた。
ドーナツのラインナップは日本と同じだったが、カレーとかあった。
しかし、中国の火車(汽車)のとなりで、日本の新幹線とほぼ同じ形の和諧号っていうのがあるのがすごく不思議だった。つくりもほとんど同じで、私たちが乗ったのはグリーン車でした。
グリーン車だけど、46元。めちゃ安。めちゃ快適。監視がめちゃ厳しくて、となりの号車からあいてる席に乗りにきたおっさんが何人もおこられていた。

無錫駅についてから、うろうろして、タクシーに乗ってホテルへ到着。
ホテルについてから、出かけたけどもうほとんどしまってた。
コンビニで食べ物を買って、近所の屋台みたいなとこで串やらを買って、帰った。
ネットは使えないと思ってたけど、おばちゃんが来てADSLを設定してくれたので快適。
なかなか、新しい経験の1日でした。とにかく、つかれたー。何回イライラして、ぶちぎれたであろう。
これは、食べてないせいもあるんだろうなとふと思うけど、そんな時はそれを通したい。
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by jengsauman | 2008-10-30 00:12

ばら

昨日、バレエの日だった。
すごく、すごく、すごく、よどんだ気分で、仕事のこと考えるのもいやだったけど、
べと~~っとへばりついて到底離れない。
バレエに行くのもやめたいなとどこかで思ってしまうほどだったけど、私は先生のところに行くことで、かならず浄化されると信じて、足を運んだ。

また道に迷った・・・・。
どんだけあかんの、ほんまに。
先生に言うたら、「アハハハハ」とおおきいこえで爆笑された。
毎回道に迷う私をみて、「おもしろいですねえ」といっていた。

すごく、きもちよかった。
体幹を意識すること、背骨を意識すること、今まで感じたことのない感覚。
じーっとイマジネーションしてたらなんかビリビリした。(あぶなそう)
そうかあ、この身体、わたしの身体だったなあ、とおもいだした。
全然しらないね、ごめんね、とおもった。

かえりに先生は、バラの花を2本プレゼントしてくれた。
ピンクと白でかわいいですよ~。といって。

先生のような生活にあこがれる。
先生のようになりたい。
先生は、いつでも好きなだけ食べたらいい、と言った。
私は昨日の夜にお米を3合たべました、と言っていた。(驚愕!)
バレエの先生もそんなに食べることがあるのか、と目を丸くしたら、
「アハハハハ」と笑っていた。

先生は、やっぱり明日の心配をしないんだといった。
先生と話していると、自分が決めているいろんな決め事は、一体どこからきたんだろうと思う。
食事は一日3回とか、朝は早起きしないといけないとか、仕事は正規職員でないと安定しないとか、身体のことだけ考えて生きていけたらいいけど現実はそうもいかないとか、肉食べたら太るとか・・・。
もし、それが理にかなっていることでも、別に選ばなくたっていいんじゃないのかって思う。先生の家にいるときは、そう思う。

私「先生、なんでめざましかけないんですか?」
先「自分のこと、信じてるからですよ。ハハハ」
私「信じてても、ダメなときありますよね?」
先「とにかく信じるんですよ。自分を信じて信じて信じる。それでもだめなときは、そんなときもあるか~ハハハって思うんです」

自分を信じる、かあ。
要らないものをどんどん捨てていく、かあ。

すごく心に響くけど今の私にはまだ無理だなって思うこともふくめて、
いつか近づけるとどこかで思うことにしよう。

すばらしい時間でした。


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by jengsauman | 2008-10-25 12:03

100%の善

なんかいろんなことがゴロゴロ転がってるような、そうでもないような。

書こうと思ってるうちに、どんどん過ぎていって、あれーまーいっかー、という感じでもあるが
なんか切ないのでこうしてあがいてみたりする。

木曜は森さんと綿井さんのトークイベントにいってきたけど、道に迷って20分遅刻。
入ってみたら、すんごい人口密度が高く、椅子が最強に座りづらく、腰が辛かったが、
森さんの言葉でひとつすごくドキュンと来たものがあった。

テレビのニュースやワイドショーの報道の仕方の話をしてたときだったか、
それを額面どおり受け取る民衆の話をしてたときだったか忘れてしまったけれど、

---<文言の詳細は書きとめてないので、勘違いや間違いも入ってると思いますが>--------

最近はますます悪の純度が上がり、厳罰化が進んでいる。
テレビでは100%の悪(例えば、オウムや光市裁判)が伝えられ、
世の中の人もそれを額面どおり受け取る。
世の中の人は、あんなやつら死刑にしてしまえ、と言う。
しかし、そうして100%の悪があると言う裏側には、100%の善もあるという考えがある。
つまり、自分たちは100%善の無辜の市民。あちら側は100%の悪。
だから、自分とは関係ない他人事。だから、怖い怖いという。

100%の善なんてありえないですよ。
自分がいつ被害者になるかと怖がっても、自分がいつ加害者になるかと怖がる
人は少ない。(最後らへんは綿井さんとの会話)

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私は、それらを聞いて、ガツーンとなぐられたような、ザバーンと海に突き落とされたような、
自ら飛び込んだような、そんな感覚になった。

100%の善、どれだけこれをもとめてしがみついてきたのか。
そんなものありえない、と口では言ったかもしれないが、絶対的にそれを求めていた。
そんなもの目指しちゃったら、なんてあぶないんだろう。なんてあやういんだろう。
決めちゃったらそれで終わりじゃない。それ以外を排除しちゃうじゃない。
そして、その判断を間違ったら・・・。
100%のものなんてまずない。そして、善か悪かなんて決められない。
それなのに、それを頭では理解してるつもりで、私はどうしてそこにすがっていたのだ。

瘦身、ということは犯罪ではない。だからよかったのか、だから難しいことなのか、それは分からないけど、やっぱり思ってしまう。
わたしは、偶然犯罪ではない方法を選んでしがみついて、行動しているけど、もしこれがこの世の中でいう犯罪だったら、犯罪者なのだ。
世間法でいう犯罪を避けたんだよ、ということであれば、それだけの理性だけは残っていたというだけなのかもしれない。
どちらにせよ、正しいことがしたくて、善を求めたくて、行動した結果が犯罪であれば犯罪者だし、そうでなければ無辜の市民なのか。表面上は大きく2分割だけど、大して変わらないんじゃないのか。そんな気が、してしまう。
もちろん、犯罪はダメだ。やってはいけない。人を傷つけることは絶対的にダメなことだと思う。でも、私はそんな彼らを「あいつらは悪いことをしたから死刑だ」なんて言えるわけはない。
自分が安心するために、善悪を分けて、このステージではたしかに自分はダメだけど、せめてあの悪人よりは正しい生き方をしている、なんて考えて自己正当化するような利用方法をしていても、自分の本質は変わらない。いつか、加害者になるかもしれないし、なにがどうなるかなんてわからない。

間違ってもいい。NGでもBADでもアホでも勘違いでも浅はかでも思慮浅いでもいい。
なんで、そういう前提で生きれないんですか?
道徳って、「こうしましょう」っていうけど、裏返せばそうできなかったらダメってことなのかな。
なんであかんのやろう。なんで、こうしましょうって言われてることをやらんかったらあかんのやろう。
そんなことを、頭で覚えるんじゃなくて、なんで身体で覚えてこなかったんやろう。
頭で覚えたことなんて簡単に裏切れる。理性なんて自分を守るためなら簡単にふっとぶ。
だから、あるとき、突然無責任な人になる。口だけの人になる。自分でもびっくりするほど。
でも、頭で考えてるほど自分って正しいことしてないし、一貫性もない。人間なんだもん。

私は、そんな不完全な自分のために、あるときふと従兄のことを思い出して、
彼を救いたい、彼の生を生かしたい!なんて思ってたけど、そんなこと無理でした。
何をすれば彼が救われるのかは彼しか決められない。私がやることは私の思いつくことだけ。
まずは、救いたいとか活かしたいなんていう浅はかな考えを捨てよ。

のりちゃんにこの話をしたら、
「彼の望んでいることや彼の思いを全て受け入れることにより結果的に彼が癒されるとしたら、それが救われるということではないですか?」と返ってきた。

「まずは、貫くことです」とも。

ガツーン。

焦るな。早急な結果を求めるな。確かに時間は限られている。でも、続けることが一番難しいのかもしれない。たとえ微力でも、続けることでしか伝わらないものもあるだろうし、とにかく私は彼を想っているということを、誰かに示すんじゃなくて、まずは彼に対してずっと貫いていくことがなにより大事なんだろうと思った。


誰かのために自分が動くことで、自分が救われるってこともある。それはそれでよいし、自分だっていろんなとこで人に助けられているんだから、人のためにというのは当然のことだとも思う。でも、自分のすべてをそれに委ねて、自分の人生を意義あるものにしたいという願いは、自分本位で、やっぱりなにかをすっとばしている気がする。
自分の悪を受け入れる余地を放り出しているような。
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by jengsauman | 2008-10-25 11:05

大失敗

そもそも、答えを求めすぎる性格なんだよ。ほんとに、自覚しなければ。

一体何をやってるんだ。誰かのためになること、正しくあろうとしすぎて、なんの毒もなくなってしまった。毒があってもいいじゃないか。そこに情熱があれば、そんな人間でもいいじゃないか。
なんの熱もなく、正しくあったって、なんだか人間味がなくて、魅力がないね。
そんな気さえしてきた。万人から認められる仏陀になりたくてしょうがなかったけど、そんなこと、目指してる時点でやっぱりねじれてる。

人のために、といいながら、目の前にやるべきことがあるのにやってない。
目の前の人のために何もやってない。
会社とは、企業とは、組織とは、一般社員の立ち位置とは、そんなことにがんじがらめになって、仕事をやってるつもりになってた。組織の中ではそれなりに立ち回っているつもりで本質的にはなんにもやってなかった。

べつになくてもいいものなんてたくさんある。
その余剰のなかで、生活を立てている人もたくさんいる。
だから、それは悪いことじゃないし、必要なものでもある。
でも、すべては2つに綺麗に分かれるわけじゃなくて、
余剰の中にも、人間として損得勘定抜きに動くべきときがある。
私は、それをまったく怠っていた。

これまでの取り組み方について、めちゃくちゃ批判された。
面と向かってあれだけ責められて、あれだけ批判されて、
びっくりするくらい言われて、それでもまだ受け入れられない。
ありのままを受け入れられない。私は弱いから、自分の非を見つめられない。
でも、それをやらないといけない。
口でどれだけ言っても、失敗学こそ必要なんていっても、それがどれだけ苦しい
ことか。

なんでもできなくていい。だから、決めたことは、儲からなくてもお金にならな
くてもやる動きをできる人間になりたい。
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by jengsauman | 2008-10-24 00:14

一世朋友

最近の全日狂聴

『一世朋友』 阮民安
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by jengsauman | 2008-10-24 00:10 | 音楽

広東語はわたしの因縁

なんで突如、前述のように会社の中国人新入社員への見方が変わったかというと、広東語の先生からのメールが来たから。小島を探検しているときに、先生から半年振りくらいにメールが来たのだ。実は、私は、半年前にクラスから失踪していたのです。途中で出席しなくなるのは、今まで3回くらいやったけど、いつも先生はそのたびにメールをくれて、私の話を聞いてくれた。私はそのたびに、勉強よりもその日を生き延びることに必死であるようなメールを送って、自分のドロップアウトを正当化しつつ、先生に「真剣に悩んでいるからこそもがいている子」という印象を与えて、なんとか先生のクラスにいつか戻れるようにしていた。

先生の授業はいつも直球で、やさしくておだやかでゆっくりなんだけど、200キロ直球で、「人生は限られている。とにかく、聞いて聞いて覚えまくらないと何も身につかない。逃げるな」と言っていた。その通りだ。その通りです。私は、習い始めて2年目くらいまでは、親に経済的に支えてもらいながら、家に閉じこもって食べて食べて、運動して運動して、広東語の勉強だけをしていた。そんな中で今の会社で働くことになり、余裕がなくなって、広東語への思いだけ持ったまま、行動(=勉強、というかすべてを理解した上での暗記)がついていかなくなり、ドロップアウトした。入社してはじめのころは、直属の上司が役員だったためたいてい席にはおらず、てさぐりでいろいろやっていた。そのため、異様に時間がかかり、終電までに帰れないことも多く、タクシーで帰ったりしていた。別に忙しいからじゃなくて、自分ができないから遅くなっていた、というだけ。

先生には、「仕事が忙しくて残業が多い」と言っていたけれど、本当は、気持ちだけあるといいながら勉強しない自分をどうコントロールすれば元のように広東語に取り組めるのか分からなくて、考えと行動の乖離が激しすぎて、いつのまにか諦めて、逃げたという感じだった。それに加えて、社会のためになるようなことをしなければ!というただただ焦りのような正義感が空回りして、日々どう重ねていけばいいのか分からない不安で、広東語のプライオリティを下げてしまった。いつも教室では、暗記してきたものを発表することになっていたので、私は何も取り込まなくなってしまった自分は逃げるしかないと思って逃げた。家にとじこもっていたときは、自分の広東語への思いだけがすべてだったのに、社会へ出たとたん、「そんな使えない言語を勉強している場合ではない」という世間の声を受け入れて言い訳を作った。

先生は、上のようなことを3回やった私に対しても、励ましてくれて、戻れるようにとりはからってくれた。ありがたくて、もう地に頭をこすりつけてもなお、先生には何を言えばいいのか分からなかった。

でも、わたしはまた逃げてしまった。なんでだろう。私は、クラスに戻っても、全く暗記することが苦痛になってしまい、広東語への思いが切れてしまったのだと思った。まわりの人の行動が気になり、私がドロップアウトした前のクラスの人は私を冷ややかな目で見ていた。というか、一言も口をきいてくれなかった。私は、なんとか自分を奮い立たせなければならないと焦った。自分がどうするか、よりも、まわりのことがすべてだったように今は思う。どちらにせよ、所詮その程度のモチベーションだったんだ、その程度の縁だったのだ、と思うことにした。でも、この逃げ方はまたひどかった、恩を仇で返すような形になってしまった。どうせやらないなら、もうやりません、と言ってしまえばよかったのかもしれないのに、先生に連絡するたび、私は先生を踏みにじっていた。

もし、今死んだら、もしくは先生が突然死んだら、私は一生自分が先生を裏切って逃げたことを背負って悔やんでいきていくんだろう。と毎日思っていた。結婚しなかったことより、世の中のためになることができなかったことより、私のためにいろいろとやってくれた先生を裏切り、広東語をやりきらなかったことが一番の業になるだろうと思った。でも、それでも、戻る勇気がなかった。たとえ戻れても、また同じように先生を裏切るだろうと思っていたから。何より、もう先生にあわせる顔がなく、もう連絡できないと思っていたから。先生は、不誠実な態度で教室を去っていった人には容赦がなかった。だから、先生は私に対して激怒し、私を見限り、もう私は「戦犯」なのだと思っていた。

でも、先生は、メールをくれた。
あて先をみたとき、「貸してるテープかえしてください」のメールだと思った。
もしくは、すごい罵りの言葉が書いてあるかもしれない、と覚悟した。
しかし中身は、、
「○○さんが教室から消えてしまって、私に責任があったのかと自責の念に駆られています」
と書いていた。

その言葉に、私はまたクラクラした。
クラクラなんてもんじゃなく、そのときは小島で探検していたけど、しばしのあいだ他の2人の声がまったく耳に入らなくなってしまった。
ショックで、とんでもないことをしてしまった、と。半年間先生はどういう思いだったんだろう。

先生が、メールを送ってきた主な内容は、「英語発音クラスをやります」という内容だった。
実は、今の会社への入社直前、私は先生に英語の発音を習うことになっていて、
先生は特別に英語もやってあげる、と言ってくれたのだけど、先生があまりに忙しすぎて実現しなかったのだ。先生はもう3年くらい前になるそのことを覚えていて、このたび英語をやることになったから、○○さんにも声をかけました。と書いてあった。

昔、私が「なにもできない」といったら、先生は「広東語をあそこまでやれるなら、英語もぜったいできる」といってくれた。いまや、広東語さえドロップアウト計4回。それでもなお、こうして先生は宇宙並の寛容さで私にチャンスをくれた。そのことが、嬉しいなんてもんじゃなく、卒倒しそうになった。ショックでどきどきして、何より先生は怒ってないんだ!また会えるんだ!という自分勝手な思いで安心した。うれしかった。死ぬほど、うれしかった。このボキャ貧がくやまれるが、海に飛び込みたくなった。しかし、私が英語をはじめようと行動したタイミングで、英語の案内をくれるなんて、一体どうなってるんだろう。発音だけは先生からも習おうか、もうすでに申し込んだほうで習おうか、悩んでいる。同じお金を払うなら、先生からはやっぱり広東語を習いたいし、でも広東語と同じように英語の発音の基礎も学べることも有意義だ、などとぐちゃぐちゃ考えている。どっちにしても、一日も早く、先生に会って、頭を下げたい。頭下げてもどうにもならないし、そんなこと思って無くてもできるけど、でも、謝りたい。高齢で心臓が悪い先生にあとどれほどの時間があるのか、私だっていつ死ぬのか分からない。そんな形のことばっかりいってる暇はない。

私は、英語をはじめるにあたって、また同じことを繰り返すのではないかという恐怖をかかえている。いや、英語なら、受験にも、就職にも、実際に世界に出ても、使えるし、勉強する必要性が用意されているからダイジョウブに違いない、と自分に言い聞かせていた。そして、Aちゃんと会って、私は気持ち的にも、英語に対して広東語に近い感覚を持てるようになった。きっとダイジョウブだ、と。

でも、私は、広東語をドロップアウトした。毎日、広東語のラジオを聞いて、MP3の中も全部香港歌手で、Aちゃんとは広東語でやりとりするにしても、香港の番組や映画を見ることはあっても、私は基本的に広東語とは受身でしかかかわれなくなってしまった。どうせ、逃げたやつ、という思いが、広東語を語る資格などない、という感覚をつくっていた。実際、その通りだから。

なんで、先生は、私を許してくれたんだろう。
私が最初に広東語にめちゃくちゃ一生懸命取り組んだときのことを覚えているからだろうか。
そうだとしたら、あれは、もう今の私とは違うんです。どうしたらあのころに戻れるか私も知りたいけど、どうすればいいか分からないんです。と思う。

でも、でも、でも。

できない、できない、なんて嘆いてるだけじゃ変わらない。
また逃げてしまうかもしれない。でも、工夫しないと変わらない。
たしかに先生の教材はまともすぎてつまらない。
でも、前ならば、もっと工夫したのに、私は与えられたものしか見なくなっていた。
余裕を失ったから、と言い訳して、自分がどう向き合いたいかを全くもって捨てて、
与えられるものを受け取っただけだった。その中で、あれもない、これもない、という見方しかできなくなっていた。

それこそ、乗り越えないといけないものなんじゃないのか。
何か、大きな試練を、どこかから持ってきて、すごいことにチャレンジしている気になって、
それさえクリアすれば、自分のランクが上がり、あわよくば摂食障害さえも薄まるような感覚を持っていたけど、そんな借り物の試練だから、決して真正面から向き合わない。これは、私の因縁なんだ。誰の因縁でもなく、私が私だからやるべきこと。できないからといって、別のことをはじめる器用さを私は持ってないからこそ、だったら、もう1回やれよ、と思う。臨機応変に動くことが苦手なら、だったら5回失敗しても、6回失敗しても、何回絶望しても、それから離れてはいけない、覚悟が決められるまで何回でも失敗すればいいと思う。(人に迷惑かけちゃいかんけど)

先生からのメールをみたとき、私はすぐにあの言葉を思い出した。
「自分がやるべきことは、何度逃げても逃げても、かならず自分の前にあらわれる」
数時間、誰かが私にいってくれたことだったような気がするけど、誰に言われたんだっけ?と考えていたら、前述の社員旅行の宴席で急に思い出した。バレエの先生だ。

きっと、私以外のすべての人はおもうだろう。
先生は甘すぎる、と。私というだめなやつを甘やかしてるだけだ、と。
私だってそう思う。いや、私がそう思っている。

でも、これはもう確信に近い。私は広東語から逃げられない。
あれだけ、頭で計算して、「中国語といえば北京語ができないと使えない人材」というレッテルをかかえこみ、広東語を捨てて、今はやりの中国事業に携わって、適当な北京語を使い、残ったものは、「で?」だ。

北京語はアツイ、なんて自分のだした答えじゃない。
仕事なんだから、お金もらってるんだから、もっともっとできるようにならないと、と思うけど、
有る程度以上やる気がまったく起きない。心が震えないし、いやなことばっかり思い出す。
そんな私の心がけはなってないし、プロフェッショナルじゃない。正当化しちゃいけない。でも、北京語にしがみついて正当化することもまた、もう限界だ。「すごい先見の明があるね」なんていう言葉にだまされてはいけない。私は、気づいたらそこにいただけ。いろんな人の真似をして、いろんな人に決めてもらって、気づいたらそこにいただけ。何も自分の力でやってない。

私は、何をすべきか分からない!とずーーーーーーっと悩んでいた。
でも、何をすべきかなんて、めちゃくちゃ明らかではないか、と今は思う。
北京語を捨てるわけじゃない。仕事を逃げ出すわけじゃない。それをやったら今までと同じだから、続ける。でも、つかみにいく。そうしてなぜか与えられたものを続けながら、その中でもできることを探しながら、ふがいなさにへこみながら、やっぱり自分の因縁をつかみにいく。ぜんぶがつながっているんだろうと感じるから、私は先生の懐の深さを到底理解できないけど、やろう、やろう。

2003年に、はじめて先生に会ったときに言ったじゃないか。「私は香港人と議論できるようになりたいんです」って。私が広東語を勉強する目的は、日本人とはりあうためでもなく、先生を喜ばせるためでもなく、私という人間が、広東語というひとつの新しい回路を作って、それをもとに日本ではない他文化の人間と働きあい、何かをつくっていくこと。そうだったじゃないか。

いまだに、広東語にだけこんなに心が震えて、広東語に関する出会いに助けられて、それでもなお、どこかにある誰かが決めた正しさに乗るのは、時間の無駄でしかない。

苦しいもんだよ。いくらすきなことでも、続けるのは苦しいもんだよ。
仕事でさえ、これだけ続けられた。何も期待してなかったけど、いろんなものを得られた。本当に、いろんなことを教えてもらった。大嫌いな上司に対しても、いつのまにか感謝の気持ちを持つようになり(離れているから冷静でいられるだけかもしれないが)、いつだって不満を持っているときは、自分がもらっているものを見てないのだと、思う。

だから、続けなければいけない。広東語と死ぬまで一緒にいるのだ。やればやるほど、本当にこの世のどこかで話されている広東語に近づくような誠実な勉強をするのだ。

そして、先生が与えてくれた英語というチャンスもまたしかりだけど、どちらにしても、言語はツールだからそこにしがみついてはいけない。でも、過程がだいじ。迂回しても、迂回しても、また本線に戻ってくる。

与えられたことをしっかりやること。続けること。まわりの人の親切に感謝するなら行動すること。行動しないのは感謝してないということ。感謝してないなら感謝してるというな、ということ。自分をだましてわけわからなくなるくらいなら、不誠実な自分を認識するために正直になること。自分がやってもらったことに感謝してるなら、他の人へ同じことをすること。
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by jengsauman | 2008-10-19 14:33

伊豆しもだ

社員旅行へいってきた。
宴会の席は、入社以来はじめての和宴会で、座敷に舞台。舞台みたいなのの上には「歓迎○○ご一行様」と書いてあって、あまりのその図のシュールさに爆笑だった。素敵な老舗旅館なのに、あまりに似合わなくて、うちの会社が作らせたのだろうか・・と思った。ケーキを顔にぶつけて気合を入れるとか、クイズの罰ゲームが日本酒の一気飲みとか、相当下品でくだらない。こんな素敵な場所で、なんでこういうことをしないといけないのか。みんなで集まることに意味がある、なんて言われても、まったくしらけてしまう。

昼間から飲みに飲みまくってる人たちを横目に、電車の中では読書をする。
後で「なに真剣な顔して本よんでんの」って揶揄された。感じ悪かったという意味かもしれんが、そんなん知らんわ。いろんな話題に盛り上がってるふりするよりは、ずっと有益な時間を過ごさせてもらった、なんて思ってる自分がいた。私は、こういう場面が本当に苦手だ。そこにいるのがイヤというよりかは、そこで工夫することにすごく躊躇する。
「もし、今、自分が何か人に働きかければ、その場は盛り上がるかもしれないし、自分だけがよければいいという悪い癖を直せるかもしれない」とちらっと思う一方で、
「こんなアホな状況にまざるなんてまっぴらごめんやわ。あほくさい」とばっさり切り捨てる。切り捨てれば、らくちんなんやけど、なんか自分にたいして胸糞悪い。閉じてる感じがすごいいややし、何様やねんという感じやし、それでは成長ないよと思う。
でも、本読めば有る程度は自分が満足できるから、すぐに独りの世界に閉じるほうを選んでしまう。

読書中に気になった内容は、行動は気づきに先立つということ、そして、目では見えなくて耳から入ることの威力、そして、裁判の現状。

1日目は、駅から海沿いまでを散策した。途中でペリー来航時の場所を通り、海沿いを歩いて、釣りを見て、小島を探検して、海中水族館へいって、旅館へいった。なんにも派手なものが無い場所。だから、ふと、くもの巣とかに目がいって、よくみたらよくできてんなあ、と感心した。海の波を見つめていたり、空を見たり、大木の根を見たり。まずまず心の中が落ち着く時間だった。
宿のサウナがスパみたいになっていて、アロマオイルを自分で選べて、足湯などもできるようになっていた。

例のごとく、女同士ではスタイルいいとか、痩せてるとか、胃下垂がうらやましいとか、そういう話題が出る。体重は何キロとか、いつのまにか10キロやせて昔太っていたころの跡がついてるとか、そういうことを飄々と語る今は胃下垂の人の話に、「気にしてはいけない」と暗示をかけてるあいだにつかれた。胃下垂の人が2人もいて、ふたりとも170センチ以上あって、体重は私より軽いらしい。宿が貸切だったため、風呂で会う人も全員会社のひと。イヤだと思っていたが、脱いでみたらなんてことなかった。能の舞台みたいな豪華なつくりの露天風呂だったが、翌日になって宴会場のまん前だったことが分かり、おもしろかった。これほど豪快に丸見えの露天風呂って、はじめて見ました。それでキャーキャー不満を言ってる人たちをしれーっと見ていた。

何事も気にしない独りの人、になってしまえたら、なんてラクだろうと思う。でも、そうなる勇気などなく、気づいたらヘラヘラしていて、なんなんお前って自分で思う。私はみんなと違う、っていう顔をしているんだろうな、と思うと吐き気がする。こういうとき、単独行動で自分だけ満足する時間を過ごしたとしても、やっぱり違うんだろうな。と思う。なんなんだろう。

組織というのは、面倒くさい。私の部署は中国子会社とのやりとりが多く、日本国内のしがらみが少なくてとてもやりやすいけど、会社全体の行事になるたびに、普段ラクな分だけ、やりにくさが増大する。どうやって横と繋がっているのかもよく分からないし、日本国内の事業に興味がないからつなげようという気もなく、ポツンということも多い。ほんと、最低な社員だな、と自分で烙印を押しちゃっている。こういう人間は、組織としては、ほんとにダメなんだろうと思う。

しかし、ふと、最近入った2人の中国人社員への対応について、いろいろと話しているうちに、なにか働きかけて彼らを動すことができないか、と思うようになっていた。別部署だし、できるだけかかわりを避けていたけど、いつものような、「私ってじつは優しい人ですよ」の押し付けではなく、たとえ彼らが辞めてしまうとしても、ここで自分が何かを働きかけることで、自分もものの見え方が広がるかもしれない、とおもったのだ。彼らが私をどう思おうと、彼らの上司が私をどう見ようと、それをぜんぶ排除しても、なにか残るものがある気がした。

なぜ、彼らを避けていたかというと、「私はできるだけ会社には深入りしたくなく、自分のやりたいことをする時間を削りたくなく、もっと崇高なことに時間を使いたく、彼らに優しいフリをして逃避するという業をまた重ねて自己嫌悪になりたくなかったから」だ。どこかで、どんなに手をさしのべても、行動するのは自分自身なんだから有る程度放任すべき、と思っていた。自分のことはすっかり棚にあげて。

実際そうだ。自分で動いていかないと何もならない。でも、自分は一体どれだけ、周りの人の寛容さに救われてきたか。到達すべき目標があるとしても、有る程度こういう行動ができるようにならないといけないという目安があるにしても、いきなりそれをかざしても、できない時はできない。何をすべきかも、何を目指してどう日々を過ごしていけばいいかさえも分からないで答えを求めようとしているときに、それでも明確に「変わった」と評価してもらえるような行動へ切り替えないといけないというのは、相当ハードルが高い。ましてや、日本社会とは無縁の場所で生きてきた彼らに、言葉で見えないいろんな違いをふまえて、組織になじんでいけというのは無理があったのかもしれない。

私は、そのがけから突き落とし式教育方針をはじめきいたとき、納得した。組織は受身すぎて何も自分からしない人間はいらない。お金をもらうということの重さを分からない人間はいらない。そういわれて、それもそうだ、なんて思ってしまった。自分のことは棚にあげて。

でも、Cちゃんは、そんなのおかしい!と言った。そして、直接、2人の上司にぶちまけていた。結局、どっちが正しかったか、は分からない。でも、私は組織にいて、「普通」に仕事をして、でも頭の中では全然違うことを考えている。勉強の効率をあげるためのデータベースのこととか、身体のこととかがほとんどだ。あとは自分の将来についてとか。自分のことばっかりだ。有る程度頑張っている風を装っているくせに、一生懸命やることについて語っている自分がいる。おそろしい。頭おかしいんちゃうか。

「人をおもいやる」なんて到底できない。私は、昨日、そう痛感させられてクラクラした。べつに、やらなくていいんだけど、やらないなら、成長したいなんて思っちゃだめだよね。人に尽くしたいなんていいながら、眼の前にいる人たちには何もしない。日本らしさを押し付けて、そこに追いついてこれない人間はその人の自己責任、なんて、私が一番嫌っていたことのはずなのに、なにやってんだ。

結局、私は、目に見えやすい弱者を弱者と決め付けて、そういう人たちを「支援」することで、自分が「ただしいことをしてるひと」になりたいだけだったんだ。
一歩が踏み出せずにきっと悩んでいるであろう彼らに対して、何かをして、その部署の人に「余計なことすんな」と言われるのを避けるために何もしない、と言い訳して、ほんとは無駄に動きたくなかっただけ。石のように固まっておとなしい彼らに何をすればいいのか考えるのも面倒くさいし、他部署の管轄だし、何より自分の人生になんのプラスにならない、と考えていたのだ。役所か。

書いてみたら、すっきりした。まあ、これでも、かなり美化してると思うけど、そうか、どこにでもやるべきことはあり、自分がどこかでしてもらったたくさんの親切のお返しに自分ができることをやる、でいいんだ、と思う。

ただ、それが自分のためでなく、本当に人のためになるのかどうかの見極めが難しく、そういうことを考えているうちに、人の意見に流されるから、気をつけたい。気をつけたいけど、たぶんどうにもならないので、少しずつ働きかけをしていくしかない。

とりいそぎ、新大久保にでも連れて行って、ご飯を食べて中国カラオケへでもいこうとおもう。カラオケなんて意味はないもの、というのをとりあえず捨てて、思いつくことからやろう。押し付けはだめ、でも、基礎なき放任もだめ。自分がどう思われるかをできるだけ捨てて、なんでもいいから決めたら人と向き合う、やり方はいろいろいろある。誰にも見えないような方法でもいい。そっと支えてあげられるようなことがしたい。


ちなみに、2日目は、1日目にいった小島で釣りをしました。お昼くらいにいったから全くつれず、かなり風がつよかったので、2時間くらいで撤収したけど、海をみながら、何かいつもうごいてんだなーとか思いながらぼーっとできて、すごく気持ちよかった。ひざしうけまくりだけど、日焼けがきになったけど、いつものヘルメット形帽子とサングラスで、もうええやーと思って、小島にねころんだ。その後、磯料理やさんで、イセエビのおつくりと味噌汁、かんぱちとぶりのかま焼き、おつくり盛り合わせ、海藻さらだを堪能した。めっちゃくちゃおいしかったーーーーーーーーーー。

北京にいる上司へおみやげを買って、踊り子号で新宿までかえりました。駅ちかくでラーメンをたべて、帰途につきました。そして、帰り道で、スイートポテトとミルクティーとシュークリームをかってかえった。おなかははちきれそうにいっぱいだけど、それらを食べて寝ました。きっと、ふがいなさから逃げたかったのだと思うけど、それもまた必要だったと思う日がくるまで、がんばろう。
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by jengsauman | 2008-10-19 12:59

英語

だいすきな広東語ラジオを聴きながら、現実逃避。香港人にいわせると、わたしはとってもダサいラジオを愛聴しているらしい。ええのよ。1008ABCラジオというところか。

Aちゃんのメールは残念ながら、どういうニュアンスなのかわからない。でも、英語の先にあるものを本気で知りたいと思ったのもはじめて。
もちろんAちゃんのことは単なるきっかけだが、彼との出会いがきっかけとなって、英語の授業を受けることになった。また、わずかな1歩。やると決めることは誰でもできるが、必ず続けないとね。Aちゃんの英語を思い出すだけで、ほんわか気分。覚悟じゃーーー。何・・。

こういう方面では、自分の執着深い性格はプラスの力になると思う。でも、きっかけにはしても、目的にしたら、だめだからね。でも、Aちゃん、ありがとう。

目標の細か刻み化、日々タスクのリスト化、耳から入れる、出来る限りシュミレーション。
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by jengsauman | 2008-10-17 05:07

求められること

すごく小さなことだけど、今日、うれしいことがあった。

とある件で、会社と学校の間にはいって調整をしていた。
もう、いやでいやでしょうがなかった。
何かの間に入るということは、私は一番不得手であると日々痛感している。
なぜなら、私はいい人になりたい八方美人だからだ。
あっちにもこっちにもいい顔してると、とたんにうまくいかなくなる。
こっちの主張もあれば、あっちの主張もある。自分の会社の立場もある。
有る程度、答えを用意して舵取りをして、ひっぱっていかないといけないのだが、
ついつい、いい顔をしたくなる。
「その八方美人をやめろ」と、また指摘された。

しかも、うまくいかなくなると、あの自分の発言や行動でああなったから、きっとこうなっていて、
という例のごとく思い込みによって勝手に壁をつくり、次の行動を迅速に打ち出しにくくなる。
時間がたてばたつほどまずいのに、ついつい勝手に疲弊する。

今回も、ほとほと嫌気がさしていて、自分のせいじゃないのに・・ってどこかで思いながら、
両者の意識のずれをうまくおさめないといけなかった。
できればふれずに今週を終えようともしたが、契約が間に合わないので、上司に相談したら、
今すぐ電話で連絡するように、と言われた。

オウノウ!いやだっつーの。
という自分のわがままをぐっとこらえて、電話をした。
その後、あっち側に電話して、こっち側に電話して、を何度かやっているうちに、
なんとか方向性が見えてきて、明日社員旅行いってる間に、ことが進みそうな気配がしてきた。

この舵取りをうまくやらなかったせいで、こんなに時間がかかってしまった、と思っていたが、
「必要以上に自分に非があると思うな」とまた上司に言われて、それでもやっぱり自分の過失が
頭から離れず、つかれたなあ、と思っていたら、あっち側から「実はもう一件もお願いしたいんですけど」と新たな申し出をしていただいた。

これはこれは、めっちゃくちゃうれしくて。
べつにたいしたことではない、かもしれないけど、何かをやったことで「次回もお願いします」といわれるというのは、なんなんだ、めちゃ嬉しいではないか!
早速上司にメールした。ムフフ。

いい顔ばかりしてちゃいけない。でも、最大限に、双方にとってプラスになる方向にもっていきたい。何をやるにしても、いつも調整調整裏ネゴ。もっと、うまく、迅速に、プロジェクトを管理推進できるようになりたい、とおもう。

ああ~週末の夜に、うれしかった。小躍りしながら、帰途につきました。単純。。
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by jengsauman | 2008-10-17 04:49

知覧

週末三連休で、広島⇒松山⇒宮崎⇒鹿児島へいってきた。
特に、鹿児島の知覧の「知覧特攻平和会館」と「富屋食堂跡の史料館」は壮絶だった。あの街全体が壮絶だった。知らなかった、全然。

知覧は、太平洋戦争時の沖縄戦の特攻機地として、1035人の若い命が飛び立った場所。
広島のように、被爆した場所だと、あまり遺品が綺麗に残っていなくて、それがまた悲惨さを語っていたりもするのだが、知覧は特攻基地だったので、彼らの遺品や遺書が綺麗な形で残っていたりして、それはそれですさまじい力で訴えかけてきた。特攻20分前に食事をしている写真、特攻前日に腕相撲をしている写真、犬をだっこしている笑顔の写真、遺書、遺書、遺書・・・。

彼らは愛する者と國のために、特攻した、とされている。わたしたちが今平和に、そして栄えているこの日々を送る裏には、そういうことがあった。そして、いろんな思いをもって、突撃していった人たちがいたんだ。遺書を読むと、国のために、というより、最後は母や恋人への感謝や愛情を書いている人が多かった。みんな、すごく、達筆だった。あの字力は一体なんだろう。

彼らは、笑顔で特攻した、と書かれていたりもするけれど、やはり人間として、疑問を持つこともあっただろうと思う。新聞は愛国主義を報道したくて、わざわざそういう写真を使ったりもしたんだろうと思う。今も昔も、マスコミは有る程度そういう部分があるもんなんだろう。明日自分が飛行機に乗って突っ込むということが分かっている、というのは一体どういう状況か。それでも、特に、特攻の母こと島濱トメさんの食堂「富屋食堂」跡の史料館にあった、上原良司さんの「所感」には衝撃を受けた。彼の文章は、自由主義者として、帝国主義、大日本帝国の敗北に言及しており、また、次世代への願いも書かれていた。この時代に生きる日本人として、あまりに恥ずかしい気持ちになった。

どんなに未練があっても、特攻しなければならなかった彼らを強く感じてしまったから、私は苦しくてしかたなかった。被害者であり加害者でもある、そんな重荷を背負わされた彼らの使命を、到底理解することができない。でも、ただただ、胸がくるしい。こんなに感じたのは、プノンペンのツールスレンとここくらいだ。でも、特攻、とはいっても、当時は太平洋戦争末期で、日本の戦闘機もかなり不備があったらしいが、それでも、整備する余裕がなく、墜落したり不時着したりした戦闘機も少なくなかったらしい。生きて帰って来た人が入る施設もあったようで、そこでは、なぜ生きて帰って来たのか、死んだ仲間に悪いと思わないのか、ということを毎日言われたと聞いた。

そして、現在はどうなのか。日本はある程度平和にはなったけれど、彼らの死を無駄にはしていない、と言えるのだろうか。また、ソマリア、イラク、アフガン・・・。同じことじゃないのだろうか。広島で見た悲惨さが、核ではないとはいえ、世界で現在進行形である。知覧で見た悲惨さが、たとえばイスラムの自爆テロや、アフリカの少年兵で現在進行形かもしれない。でも、いつの日か、その国々も、平和を!という日が来るのだろうか。なぜ、ヒトは戦争をするのか。そうつぶやいてると、そんな題名ののりちゃんに教えてもらった本を思い出した。

私は、これだけ平和ボケの中にいたせいで、平和を感じることができずにいた。自分の見たいものだけを見て、ありきたりな言葉を吐いて、考えているふりをするツールにして。
でも、正直、知覧では、もう勘弁してくれ、と思ってしまった。適当に見れなかった。もう見たくない、と思ってしまった。正視なんてできない。でも、なんていうんだろう、金縛りのような。彼らが、見てる。彼らの字が、脳裏にやきついている。どうせすぐ忘れるんだろうって、自分に言ってもいる。でも、忘れたくない。あの写真、遺書。

「必死」という言葉が、どれだけの重みをもって存在してきたかを、私はしらなすぎた。
よく見れば、かならず死ぬ、と書いてある。
「必死」「必沈」、力強く遺書に書いて、「父上、母上、ありがとうございました。最初で最後の孝行をするため、笑顔で征ってきます」という彼らは、どれだけ苦しかっただろう。葛藤、苦しみ、覚悟。。10代後半~20代の若者です。今の自分よりも年下がほとんど。

なんなんだろう。日本人として、何をやってきたんだろう。これは、教育のせいか?それとも、戦争を語りつぐということはやっぱり簡単なことじゃないからしょうがないのか?それとも、自分のせいか?どうすれば、戦争を語りつぐことができるんだろう。大学のゼミでやっていたのはそんなことだった気がする。今になって、はじめて、疑問を持った。

また、特攻でないにしろ、現代につながる問題、もしくは人間として抱え続ける問題というものがある気がした。テロとか。宗教によるマインドコントロールとか。なにか正しいことを求めてどこかで疑いながらもやはりそれにすがってしまうこととか。勝手に考えているだけだけど。ただやみくもに「国のためにやるぞ、おー!」というのは、いつか破綻する。宗教も、瘦身も、同じなのかな。なんのために、を考え悩み実践していかないと、だめなんかもしれない。現代はそれができる自由があるのに、なぜか、勝手にがんじがらめになっていたりする。

知覧は、今も脳裏にあります。いつまでも忘れないようにするのは無理だけど、忘れないようにしたい。
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by jengsauman | 2008-10-17 04:45