過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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もの

たとえば、渋谷の雑踏にいて、ぶつかってきた人に腹をたてる。
傘を横向けに持って歩いている人に対して「あぶねーな」とおもう。
あのひとはいいな、あのひとはかわいそうだな、
あのひとは自分勝手だな、あの人は人に迷惑かけてるな。

いろんなことを勝手におもう。

そんなとき、私はその人を人として見ていない。物としてみている。
自分の枠に収まる形のものとして認識している。
だから、そう勝手に思えるんだろう。

あるとき、その人が背負っているものを垣間見たとき、
自分の前に、人が現れる。
その人が物じゃなくて、自分にはわからない悲しみや深さを背負って
生きている人間なんだということを知る。

そうしたら、世界が一変して見える。

「どうして、いつもそうやって人を人として、向き合おうとできないんだろう。」
そういう思いがわきあがるとともに、「ああ、少しだけだけど、見えてよかった」
そんな思いでいっぱいになる。

人は、人がいないといきていけないということを、どれだけ口でいっても
頭で理解しても、文章で書いても、だめなんだ。
言葉に表せない気持ちであふれたとき、それが、人とコネクトすることへ
1歩だろうが、半歩だろうが、1ミリだろうが、見えないくらい小さかろうが、
少しでも近づいたということなのかもしれない。

やっぱり、大事なことって、わけがわからないことなのかもしれない。
これってどういうことか?に答えられない状態。
それをあえて目指すんだ。答えがないけど、感覚がはっきりしている状態。
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by jengsauman | 2008-11-26 21:37

なるようにしかならない

先週、ひさしぶりにバレエの授業をうけた。
とはいえ、1時間ちょっとの時間で、半分以上先生とお話をしていたので、身体を動かしたのはそれほど多くはなかったけど。先生は私が話したいように見えたのだろうか、無理やり身体を動かそうとはしなかった。

私はずっとつっかえているもの、を先生に伝えた。
「どうしても、何か人のためになるようなことをしないといけないという強迫観念があるんです」

せんせいは、こういった。
「あのね、自分が人のためになると頭で考えたことをやったら、ほんまに人のためになるかっていったら、それはあまりに不自然でしょ」

はっ!そうかあ~。

頭で理解することは意味があまりないかもしれないけど、そのときまさに腑に落ちた。
私は、やっぱり自分で完結することの範囲の中で、できるだけ効率よく人のためになることがしたいなんて思ってたんだな、すげーエゴ。と思った。

先生はつづけてこういった。
「ほんとにやらないといけないことはね、どんなに逃げても追いかけてくるんですよ。もうね、すごい急展開でね、いつのまにかそれをやっちゃってるの。ハハハ。だからね、無理して人のためになんて考えなくてもね、自然とそうなるから。毎日やりたいことをやればいいんです。今のままでいいんですよ」

今のままでいい、というのは一番苦手な言葉だが、なんとか素直に受け止めたい、などと考えてると、先生は続けた。

「あのね、出会いだっておんなじなんですよ。出会おう、出会おう、と思っても、出会うべき人とはすっと出会うようになっているんだから。私のクラスを受けたいと言ってくれている方がいますけど、その方半年前くらいから何度も連絡くれてるんですけど、今まで1度も予定があわないんです。そういうことなんですよ、縁というのは。むりやり自分から行ったら、遠ざけちゃうだけですからね、そのままでいいんです」

ほお。。。


「あとね、迷ったら、その行動は愛なのか恐れなのかを考えてみて、愛なんだったら間違いない。おおよそ、いつもその2つのどちらかなんです。だから、愛をえらべばいいんですよ」


なんていう話をしてくれた。
わたしは、それらの話を受けて、結局はなるようにしかならんのだとおもった。
浅い理解で恥ずかしいが、別に私が先生のようにいますぐならなくたっていいんだし、
今はがつがつして、美しさがなく、出会い出会いとひょこひょこ外国へ出て行って、
自分が世界をひろげるつもりになって、そんなんでもいいんです。

綺麗な平坦な整備された道じゃなくて、ごつごつでいいんだ、とおもう。
あれもこれも含んで、時にはあれが悪い影響を与えるものであったり、狭いものだったりしても、これは捨てたもんでもないというものも含んでればそれでいいんだとおもう。
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by jengsauman | 2008-11-25 23:51
先月、松山へいったとき、素敵なおばちゃんに出会った。
とある料理屋のおばちゃん。

松山について、とくにあてもなく、ホテルのロビーにあったパソコンで調べてみつけた1つの小さいおみせ。
おばちゃんは、「よくこの店見つけたね!」とびっくりしていた。
すごく、かわいくて、きれいで、すてきで、いっしょうけんめいな女性だった。

おばちゃんは、私が「ジュースください」といったら、目をまんまるくして「う、ウーロン茶にしてね」といって、ペットボトル2Lのサントリーのウーロン茶(あけさし)をどんと置いてくれた。好きに飲んで、と。

で、私のおなかに手をあてて、「おなかすいたでしょ。すぐつくるからね」といってくれた。

おばちゃんの料理は、とてもおいしかった。

そして、おばちゃんはいろんな話をしてくれた。

「私は、ただ働きは全然平気よ!私ができることでお返ししたいの」と言うていた。
その顔は、誠実で楽しそうでまっすぐで、綺麗で軽快だった。

そう、おばちゃんは軽快なのだ。

わたしはそんな姿をみて、「そうかあ、それも1つのやり方だよね」と身体で感じたのだった。
儲け主義なら到底評価されない無駄な部分を、「人が喜んでくれればいい」といってとってもとっても大事にしているのがすごく美しかった。

おばちゃんは、いろんな苦労をしてきたんだと言っていた。
むかしはとある料亭のおかみで休みもなく働きづめだったこと、上の人にいびられたこと、姑との関係、モデルみたいなことをやらされて自分が自分でなかった、夫が亡くなってひとりでお店をやってきたこと、など。

それでもおばちゃんは、「今はすべてに感謝している」と言っていた。
それは、しめくさくなく、それでもとっても複雑で、なんともいえなかった。

夫さんが亡くなってから、ひとりでお店を続けてくるのは大変だっただろう。
でも、やはり、専門(おばちゃんの場合は料理ともてなし)があるって、おおきいことなのかもなあとおもう。それを全身全霊でやっていくことはもっと大変だろうけど。

おばちゃんは、お店が居場所なんだといっていた。
あまり外で活動はしないらしい。
人と一緒にいないと寂しいんじゃないかって、私は思ってしまうけれど、
いろいろなことを経て、たどりついた場所で、ただただいとおしい仕事をしていることが
おばちゃんにとって幸せなことなのかもしれないと思うと、
私ってなんて頭でしか判断できない浅瀬みたいな人間なんだろうと思ったりした。

おばちゃんは、初対面で、もう来るかどうかも分からないわたしたちにとても親切にしてくれて、
いろんなものをくれた。

私「おばちゃん、この漬物おいしいね」
お「これねえ、とっても有名な鹿児島のね。あ!1袋あげるからもっていきなさい」
私「え・・こんなにもらっていいの?」
お「いいのいいの。ふふふ」


私「おばちゃん、お肌きれいだね」
お「あのね、私ほんとは人に言わないようにしてるんだけどね。これなのよ(といって最高級こんぶをとりだす)。これを水につけてね、顔にぬるとすごくいいのよ。もっていきなさい」
私「えーーこんな高級なの、もらっていいの?」


こんなやりとりばっかりして、あげくの果てにおばちゃんは、わたしたちが帰ろうとしたら、
「ねえ、コーヒーのんでいかない?」といって、隣のカフェへいってコーヒー頼んできた。笑

そして、おばちゃんは、松山で有名なおせんべいをあげたかったのに、今ストックがなくて
残念~~~。と何度も何度も言うので、「おばちゃん、またくるよ」といっていたら、
やっぱり気になったのか、紙をだしてきて、「ここに住所と名前かいて。送るから」といって
後日、ほんとにおくってくれた。

おばちゃんは、ほんとに今年であった女性の中でNO.1のすてきな人だとおもう。
ものをくれるからじゃなくて、そうして人に尽くすことがしあわせなんだと言えることが、
そして、それがほんとに口だけじゃないようなのが、
すごいな、と圧巻だった。尽くすということを、実践しているひと。
オーラがあって、やわらかくて、深くて、うつくしい。

おばちゃんのことが頭から離れない。
やっぱり、人ってすばらしい。と思わずにはいられない出会いだった。

いろんな意味で、プロフェッショナルだった。
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by jengsauman | 2008-11-25 23:31
去年、バナナりぱぶりっくでコートを買った。
バーゲンで買ったので、シーズンオフに近い時期だった。
数ヶ月着て、クリーニングに出した。
いつも出している信頼しているクリーニング屋さんだった。

半年以上たって、出張先にそのコートをクリーニングから上がってきた状態のままもっていった。
あけてみたら、ベルトの金具のとこの黒色がはげて白くなっていた。
アゴーーンだった。
半年間確認もせず、そのまま出張先にもってきた自分もアゴーンだが、この状態は一体・・。
あまりのひどいはげ方にしばし途方にくれた。

わたしは、クリーニング屋さんを信頼していたので、これはもともと不良品だったのではないかと思った。そう思ったら、頭の中では、すでにバナナさんに対してあまりよくないイメージを持ってしまっていた。不良品だから直してもらって当たり前、というふうに考えていたようにおもう。

でも、実際に持っていってみたら、マネージャーの方が出てこられて、
「これはお客様の過失ではないことは分かります。でも、この商品について同様のクレームはこれまでありませんでしたので、不良品という可能性は高くないように思います。しかし、クリーニング屋さんはどうして、お客様の大事なものをこのような状態にしてしまったのに何も言わずに返されたのか理解できません」というようなことをおっしゃった。

最初は、自分らの過失をたなにあげるために、クリーニング批判か!?と思ったが、
途中で、はっとした。
決め付けていたけど、クリーニング屋の過失という可能性だってあったのだ。
たしかに、実際はどうなのかわからない。
でも、これが私の悪いところであり、狭いところなんだなあとおもう。

そこのクリーニング屋さんは、いつもすごく細かくチェックして、「これは、手洗いさせてください」と言ってくれる。「これはどうしますか?」と言ってくれる。だから、この色はげは、きっとクリーニング屋のせいではないと思い込んでしまった。

よいか悪いかじゃなくて、クリーニング屋でなんかあったのかな?と思えない自分が、あぶない思考の持ち主だなと思わずにはいられない。思い込みが激しい。ひとはいつも100%完璧ではないはず、と思えないのは、こわい。

バナナさんのマネージャーさんは、苦しいなあという顔をして、すごく言葉を選びながらも、
最終的に、「うちが負担して修理させていただきます」といってくれた。

私は、なんだか悪いことをしたなあという気持ちと、良かったという安堵感がまじっていた。

1週間後、マネージャーさんは電話をしてきてくれて、
「ヤマトで送らせていただきたいと思いますので、ご都合の良いお時間帯を教えてください」とのことだった。

コートのベルト1個のために、ヤマトで配送!?
しかも、私が無理をいって、バナナさんでなおしてもらったものなのに。
びっくりした。しかも、そのときのマネージャーさんは、お客さんなんだから当たり前です、とでもいわんばかりの対応だった。
押し付けがましくなく、腰が低く、でも、しっかり対応する。

プロフェッショナルだなあと思った。

私は仕事をしながら、とかく、「これは私の仕事じゃない」、「こんなことまでしなくてもよい」、「お金出すからってどんだけ好き勝手言ってんだよ」、「これやっとけば有る程度認められるか」、等々をよく思うのです。

ほんとは、お金をいただいている相手に対しては、出し惜しみしてるとばれるのに、
適当に自分のためにそれらしく仕事してんなと見え見えなのに、
そのせいで相手との関係がすごく形式的になってしまってるのに、
自分の態度を改めることでそれをなんとか変えようとしない。

今回の件だって、バナナさんにとってみれば、もしかしたらバナナさんの問題だったかもしれんけど、バナナさんが責任を負わなくてもよかったのかもしれない。
でも、バナナさんはそれも含めて、受け止め、責任をもって対応してくれた。
誰のせいか、誰の仕事かをぐちゃぐちゃ言わずに、お客様のためにやるべきことをやる、という当たり前のようでとっても難しいことを、バナナさんはやってくださった。
尽くす、なのかなあ。

私と同じくらいの年齢に見える女性だったけれど、かっこいい女性に出会えて、ありがたくうれしかった。

そして、バナナさんの商品を、また1つくらい買おうと思った。(高いけど)

こういうサービスが、長期的には利益につながるんだなあ、と改めておもう。
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by jengsauman | 2008-11-25 22:54

芸術

言葉もふくめて、ひとの想像力を培うのは、机上の理論をおいたとこにある、とおもう。
なんで自分がこんなに想像力が乏しく、物事を決め付けてしまうのかと考えたとき、
きっと自分には引き出しが少ないからなんだろうなとおもう。

文学なんかキャリアに役に立たないと思っていたから、
本を読むなら、実益につながるものか自分に響くものだけだった。
なんでそんなに悠長に文学なんて楽しめるのか、と不思議でしょうがなかった。

クラシック音楽は、やっぱり好きになれなかった。
ピアノやバレエ音楽は好きだけど、やっぱりその深みがどこにあるのか
想像もつかないし、分かりにくさというのだろうか、そういうものにしっぽを巻いていた。
庶民からすると、特権階級のものというおもいもあったと思う。

でも、今、ふと気づいたことに、
今自分を苦しめている根源は、自分がそういった深みを軽視していたことにあるのではないか、
ということだ。

人はどうすれば視野が広がるのか。
本を読むより人と会った方がいい時もあるかもしれない。
でも、そういう劇的な刺激や変化ではなく、自分の毛穴の中へじわーっと入っていく感覚、
自分の臓器がびっくりしてどう消化していいか分からないけど、なんとなく体内に残って
いる感覚、そういうものこそが、じわじわと想像力の枠を広げていくのではないかと
かんじたりする。

バレエやダンスもそうだ。かかわること、つながること、みせること、そんなことを
学べるすごい機会なのだとおもう。

人は人を裏切るもんだ、と言い切ってしまうのも悲しいけれど、
人は人を裏切ってしまうときもあるし、人によって救われるときもある、というのは
しかたのないことだし、ほんとのことだとおもう。
だから、私は自分に子供ができたら、決して押し付けることなく、
いろんなものを見せてあげたいと思う。

私たちが食べているお肉はお魚が、命であるということ。
野菜も果物も、命であるということ。
人に裏切られることもあるし、自分が不義理をしてしまうこともあるかもしれないけど、
人にしてあげたことは忘れて、自分がやってしまったことは誠実に謝罪し行動する。
そんな、ほんとは特別でもないことを、1つ1つ見つめる機会を持ちたいとおもう。
重要なのは後からのフォローだ。
んでから、どうしたら魂がよろこぶかを、どんなにつまらないことでもいいから
自分に対して誠実にもちつづけること。

無駄なことと思われることこそが、自分を救ってくれる鍵となるのであれば、
そのことに少しでも多くの時間向かえるように、効率的に仕事をすすめて、
メリハリをつけることが大事なのかとおもう。
ほんとは、24時間そんなことを考えていたいけど、自分だけが良ければいいのでは
すぐに頭打ちになる。やっぱり、考えることも大事なんだろうな。

で、今気になったピアニストは
アリス=沙良・オットさんと平原誠之さんです。CDをみてきます。
あと、ショパンのピアノコンチェルトの第二番第二楽章に胸うたれました。
フジ子さんがひいているからだろうか、とても感情深いものがかんじられる。
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by jengsauman | 2008-11-16 18:42

香港男など

謝霆鋒、しゅっとしてるねえ~。(タイプではないが、夜中に見ると、かっこいいかもしれんと思う)

こないだおとんとおかんと3人で『レッド・クリフ』みにいったけど、
トニーレオンはあんなにどこにでも居そうなかんじやのに、映画での存在感は絶大なんよねえ。
金城武はすきやけど、諸葛亮には合って無いと思う。軽い印象。
映画自体はまあまあ良かったが、最後の結末は・・・。
チャンチェンは美しい。トニーとチャンチェンといえば、やはり『ブエノスアイレス』。

なにはともあれ、現実逃避はやめて、日常での出会いを探そう・・。



Beyongの歌で「amani」という題名のものがあるけど、
ふと調べてみたら、スワヒリ語で「平和」の意味らしかった。
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by jengsauman | 2008-11-16 04:16

あかんたれ

こないだのりちゃんと会ったときに話したことと、
最近読んだ本のなかで「そうそう」と思ったことから、
今、強くおもってることが2つある。

■自分の「あかんたれ」さと「まちがってるかもしれへん」さをいつまでも持っていること。

■最終的に日常・世界へ還元できないなら、何をいってもだめ。


いろいろ、いろいろ、考えてはみたけど、何でこんなに前へ進めへんのかなっておもたら、
100%の答えを求めてるからなんやなときづいた。
そんなもんあらへんねん、んで、とりあえずやって修正するという姿勢がなければ、
逆に自分がまちがったことをやってても止められへんねんから、あぶないねん。
だから、100%の答えをもとめようとするのを捨てればよくて、いつでも自分は
間違ってるかもしれへんっていう謙虚さが必要なんやと思う。
しょうもないことも、軽いことも、なんでも含んでていい。

そして、どんなにきれいなことでも、すごい壮大なことでも、正義でも、
それを実践できてへんねやったらなんの意味もないといまは思う。
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by jengsauman | 2008-11-16 04:10

おかん

今日は、おかんがおばあちゃん家へいく予定だったので、一緒にいって、
私だけ日帰りで東京へ戻った。

おかんとあんなに自分の話をしたのはひさしぶり、というか、はじめてかもなあとおもう。
以前おとんにちらっと話した受験のことを、やっぱりおかんにしゃべってて(口止めしたのに!)、
何勉強するのん?って聞いてきた。

「え・・・」と相当躊躇したけど、言うてみた。

そしたら、顔面蒼白。

「やめとき・・」って。

やっぱりね。だから言いたくなかったんやって、と何度も言うた。

できない理由なんて聞きたくないし、言われなくても分かってる。それでも、やっぱりひっかかるから、こうして中途半端に持ってるんだという話をした。

相当ショックを受けていたが、母にとっては、私が数年前の国家試験の失敗(実質、受けるにも至らずだが)のころと同じことを繰り返してると思っているようだった。

それは、その通りかもしれない。
第一、わたしは、「何者かになりたくてしょうがない」のだから。

おかんは「あれは、あんたは病んでたからやっていうけど、あれがあんたの実力かもしれへんで」というた。

直球やけど、ほんとにそうだとおもう。

でも、ほんとにやるべきことは、時間がかかってもいい。
だれかに見せ付けるためじゃなく、やるしかないようになっている。
そう思うから、あせらずに、今できることをやっていこうと思う。

あせりはしないけど、無駄ははぶいていきたい。


おかんは、だいぶたってから「なんでもはなしてね」というた。
なんだか、おかん自体も前より動じない風になってる気がした。
前は、少しなんか言うただけで「いやー、お願いやからやめて」っていうて、
その後はそのことで頭がいっぱいになって、話もようせんかったのに。
うれしかった。

そうか、言うてしまえばいいんか、とおもて、
言わずにいようとおもってたこともべらべらしゃべった。
ボランティアのことも、言うつもりなかったけど、いうた。
そしたら、おかん、寄付したいと言い出した。

そんな小さいことでもいいから、人とつなげていくことで
お金なり、気持ちなり、行動なり、なにかが動いていくっていうことが
必要なんかもしれへん。

わたしがひとりでかかえこんでるふりしてることは、自己満足と覚悟からの逃避
なのかもしれへん。

おばあちゃんにあえて、おじいちゃんのお墓参りもして、買い物もして、
親子孫3代で食事もして、短い時間やけどすごい楽しかった。
でも、それ以上に、母親との関係が、今までの良い子ちゃんから少しだけ
変われる気がしたのが、何よりもうれしかった。

神戸空港から羽田に戻った。
あ~現実だあ。。
東京で楽しみなことといえば、JRのジュースバーくらいか(笑。
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by jengsauman | 2008-11-16 03:56

ジョイ

今日の全日狂聴は「阿門」

容祖兒
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by jengsauman | 2008-11-16 03:37 | 音楽

出張

週末、おおさかへ出張した。

いろいろ勉強になった。

自分の準備不足、話の進行の甘さ、資料のしょぼさ、相手のかわしかた、本当に見ないといけないもの、等々。

すごく腹立たしい対応をされたりもしたけど、我慢した。

「無責任でリスクヘッジにばかり必死で結局なにもしてない」といわれたりもした。


いろんな人がかかわって、なにかを進めていくと、必ずいざこざがある。
自分の過失もあれば、コミュニケーションミスもあれば、利害摩擦もあれば、いろいろだ。

そんなとき、弱い立場になるとつらい。
でも、だからこそ、学べることがあると知った。

自分の平素の行いとは別に、自分はすごいんだぞと思う理由は本来はないはずだ。
自分が属している組織がどうであれ、それは個人の人間性の証明にはならない。

相手の役職によって態度をがらっと変えるひとたちもいる。
ハコの名前ばっかりにこだわってるひとたちもいる。

でも、そんなもんあったって、生きる力とは何の関係もないぞ、とおもう。
ただしいもの、があるって楽やけど、かなしい世界。

決め付けは怖いのに、
糾弾や批判は簡単なのに、
歩み寄りがないと何も進まないのに、
そんな思いを持ちながら、
自分の反省点を見つめようと思った。

自分しか変えられないんだった。
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by jengsauman | 2008-11-16 03:25