過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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非効率もまた効率

効率化は、損しないためにやるんだと思っていた。
まるで、この世の中も、それが一番素晴らしいことであるかのようだと思っていたのです。

たとえば、「○○大学在学中に○○試験に合格」とか、「○○語と○○語をやりながら、今は○○語を覚えている」とか、「たった○時間しか勉強してないのに受かっちゃった」とか、「仕事をしながら、○○資格をとった」とか。

いかに少ない労力で、結果を出すかというのは本当に素晴らしいことなのだろうか。


いやいや、そもそもそういうことができる人というのは、普通に動いているだけかもしれない。
それで、結果がでましたっていうだけなのかもしれない。

んで、私にはそんなすご技はできないと降伏したら、すこしラクになった。


こないだかつまさんの本を読んでいて、効率化ってぎすぎすしたものじゃなくて、
自分がやりたいことをやるための手段だというようなことを書いてあって、
なるほどなあとすこし思った。

つまり、私は、いかに少ないコストで大きいものを得るかという世界の中で
行きてみたかった。なぜなら、それは世間でもてはやされていて、ラクだから。
でも、そんなことをして得た結果は、もしかしたら3倍くらいの時間がかかって
なしとげたことよりも、内容がうすっぺらいものかもしれない。数年後、何ものこらなくて。
得たところで、「で?どうするの?」がないから。
そんなんだったら、ゆっくりで時間がかかっても1個ときちんとむきあったという
歴史を残したほうがずっといいんじゃないかとおもう。


わたしにとって、いろんな数字や試験は全部横並びで、どれでもよかった。
どれもがどうでもよくて、それらが社会とどう繋がってて、どういう人が実際に
その価値観や世界と繋がっているのか、考えようともしなかった。
もし、考えたり調べたり、実際に触れてみたりしたら、自分のぼろが出るから。


効率化しても、その分あいた時間をささげるものがないんだったら、
効率化なんてしなくてもいいんじゃないかとおもう。
いや、してもいいけど、効率しなきゃ!と苦しむほど、効率化ってきびしい
ものではないんではないかとおもう。


ほんとにあれがやりたいんだと思うものが見つかったとき、
どうやってもそれに時間を割きたくなるんだからそのとき、どんどん工夫したら
いいのではないかとおもう。


誰かにとっての価値ある過ごし方は、誰にとっても価値あるわけじゃない、と
あたりまえのことを感じました。
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by jengsauman | 2008-12-29 12:36

東京

10年間、一度も好きになったことがない街。一度もここが自分の居場所と思ったことがなく、
いつかは2~3年であっても一度関西に帰ると思って生きてきました。
そもそもから、私は東京に入ろうとしていなかったし、都会は嫌いだと思っていた。
いけすかん街と思っていた。でも、情報が集まり、便利であることを手放せずに、
もんもんと居た。

でも、数人でも、心から信頼できる先生にであえて、ここで生きていくんだと思った、昨日。

たとえ、来年や再来年に東京を離れることになっても、そんなのは今考えることでもない。
今を、受け止めて、ここにだって大切な人がいることを、想いたい。


昨日は、バレエでした。
今年最後ということで、お気に入りのたぬきせんべいを持っていった。
先生は、喜んでくれて、ツリーの下に置いた。めちゃ、不似合い!めちゃ、和やし。

昨日はあまり話を長くせず、すぐレッスンに入った。
風邪で鼻がずるずるだったので、先生が気功をして、ほめおぱしーというのをやってくれた。
なんかようわからんけど、粒の入った小瓶を左手で握って、右手の親指と人差し指で○をつくり、
その○のしっかり度で相性を見ているようだった。いろんな瓶を持つと、全然力が入らなかったり、結構しっかり力が入れられたりして、おもしろかった。
先生は「はい、じゃあこれね」とあっさり決めて、終了した。なんだったんだろうあれ。
ひさしぶりにきちんとプリエをやった。
気功でかなりりらっくすしていたので、肩の力が抜けて、地に足がついている感覚だった。
その後、少し反りをしたが、かなり背骨が伸びた感覚だった。

いろんなことを考えながら、いろんな負の感情を手放しながら、自分の前に見えるぼんやりと
した道を喜びながら、心で身体を動かした感じだった。

昔習っていたときのように、単に足を右に出したり、足をあげたり、まわったり、なんて
決してやらない。それが、すごくしんどい。楽できない。でも、うれしい。

先生はいつもいう。「心で踊る、が踊りの本質ですよ」って。

「ダンサースイッチがONになりましたね!来年はもっとおどりましょう」と言ってくれて、
もううずうずして、明日もレッスンに来たい!とおもった。

2009年は、もう少し踊りたい。
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by jengsauman | 2008-12-27 11:58

アムステルダムから

Hotmailをチェックしたら、ポールさんという人からメールが来ていた。
最近、かなりセキュリティを強化したので、迷惑メールは来なくなっていたけど、
ハテ、迷惑メールか?と思ってごみ箱へ移動した。私には西洋人の友達はほとんどいないし。
と思った瞬間、「もしや・・」と思い出したポールさんがいた。

添付メールを開けなければ大丈夫だよね、と思って、開けてみたらやっぱりそのポールさん
だった。

私の恩人・・。オランダのポールさん。


今年の9月にラダックに行ったとき、私はいくつか無謀なことをしていた。
外国人の多くは、タクシーやジープをチャーターして、2~3日移動するんだが、
私は、ゲストハウスの主人に運転してもらって、車で半日かかるラマユルまで行き、
帰りにアルチまで送ってもらって、そこからバスやらヒッチハイクをしようと考えていた。

しかし、ラマユルまでの道中で、そのおっさんに「君はオレと結婚するんだ!」とおかしいことを
言われ、「キスしないと運転しない」とかなんとか、砂漠みたいなどまんなかでだーれもいないのに、運転をやめられた。こいつは頭がおかしいのか、と思って、ブチ切れてみたが、
私の英語が通じないせいか、都合のいいことしか聞かないし、えらい大変だった。

そのおっさんは、お寺のお坊さんとも仲良しの様子で、かなり年配の威厳のありそうな
お坊さんが「ビューティホー」とか軽々しく言っていたのが、もう幻滅というか、
ああラダックにもこんな僧もいるんだなと思った。

一旦レーという中心街を離れてしまうと、タクシーもつかまえられず、バスも1日1本あるか
どうか。バス停もないし、時刻表もない。そんな状況で、リスクを承知でおっさんを使って
途中まで移動するしかなかった。おっさんとは言い合いした結果、「もう何もいわない」と
言わせた。それからは、ひたすら沈黙の中、がけ道を走っていた。

緊張の時間。さすがにこいつも小賢しそうだし、自分の身を傷つけるようなことはしないだろうと
思いつつも、もし思い余って突然がけにつっこんだら、死ぬなと思った。
こんなやつと2人で死ぬなんて、本当に嫌だけど、自分のせいでもあるし、ハア・・
とにかく無事アルチの近くまでいけることを祈ろうと考えていた。

ずっとビクビクしていた。こわかった。でも、怖がっている顔を見せると、何を要求してくるかも
分からないから、怒っているふりをしていた。内心、半べそ。いや、全べそ。

おっさんは、アルチの近くまで来ると、ここからあっちの道へ歩いたらすぐだから、と私をおろした。んで、タクシー並の値段を要求されたが、もうもめたくなかったので払った。
もともと、タクシーをたのんだら、このおっさんが来たのだから、タクシーと思えばなんてことはない、と思いつつも、くやしかった。

そこで、おろされて、私は安堵でいっぱいだった。自分のバカさにもあきれて、さっきまでのあの空間をとにかく忘れたくて、前へ歩くことにした。
そこからアルチまではすぐだというので、2、30分で着くと思っていた。
坂を上り始めてちょっといったところで、タクシードライバーが居た。その下の川で遊んでいる西洋人がチャーターしているタクシーの運転手らしかった。

運ちゃんは、「どこいくの?」と聞いてきた。
でかいバックパックとリュックサックを前後にせおった半べそ女ひとり、爆な図だ。

その矢先、後ろから、幼稚園のバスが来た。
運ちゃんは、そのバスを止めて、私に乗れと言い、中の人もどうぞーっていうか、
気にせずっていう感じだった。
幼稚園児にまじって、ワシ、スクールバスでいざ行かん!

その坂道で、西洋人夫婦の横を通っていった。それが、ポールだった。
そのときは、後に助けられるとも思いもせず。。
とにかく、恐怖と後悔と安堵でいっぱいだった記憶しかない。

バスで走っていると、アルチまで、めちゃ遠いじゃんけ!と知った。
20分か30分走ってやっと着いた。これ、歩いてたら・・・到着は夜でした。
あのおっさん~~~~!!!!クソーーーー!どこがすぐやねん!と思いつつ、
バスに助けてもらって感謝でした。

バスの終点(というか原っぱ)は泊まろうとおもっていたゲストハウスのすぐ横で、
「ジュレー」といって、別れた。
そのまま、ゲストハウスへ入って、しばしボーっとした。
私以外、客は誰もいなさそうだった。

ガイドブックを眺めていると、ギリギリ、アルチゴンパの参拝時間に間に合いそうだったので、
走って向かったら、入ることができた。ああ、バスに乗せてもらえなかったら、
1日後ろ倒しになるとこだった、ありがたい、と改めて感じつつ、中へはいった。

アルチゴンパのお坊さんは、私が最後の客だったからか、私が日本語で書いた
ガイドブックを見つつブツブツ言っているからか、いろいろと親切に教えてくれた。
曼荼羅やタラーが、あそこにもあるよと教えてくれた。

ゴンパの中を見ていくうちに、砂曼荼羅を見つけた!!
うおーーーー。とうとう、出会えた砂曼荼羅。でも、作っている途中ではなくて、
もう出来たものが飾られていたのがちょっと残念だったけど、
ほんとは撮影不可なのに、10分くらいじーっと見てたら、写真とっていいよ、と
いってくれた。めちゃいい人やった。

アルチゴンパを見終わって、アルチの街を回ろうと思ったけど、
思ったより小さい街で、すぐに終了。
しかたなく、ゲストハウスに戻ったが、電気がまだ来ていない。
その時点でお部屋まっくら。
聞いてみたら、あと1時間で電気くるとのことだった。

めちゃ、さみしい。。。

まさに蛍雪の功状態で、窓の外からわずかにもれる光で、次の日の移動について
ガイドブックを見ながら考えていた。
まっくらだよー。こわいよー。はやく電気きてよー。うおーー。このまま来なかったら
どうしよう。などと考えていたら、予定よりも15分早く電気がついた。

パッとついた瞬間、うおーありがたき幸せ!と感動した。
電気さま、ありがとう。

が、お湯はなかったので、お風呂入らず。顔だけ洗って、就寝。
外で、おっさんたちがしゃべってる声が聞こえて、こいつら酔っ払って私の部屋に
入ってきたらどうしよう、とか思いながら、タヌキのぬいぐるみを握り締めて寝た。


アルチからの移動は、バスしかなかった。
1日2本あるバスの1本目は、朝の7時。
乗り過ごしたら、大変だと思って5時半くらいに目が覚めて、用意して、会計しようとしたけど、
だーれもおらん。仕方なく、部屋にお金と手紙を置いて、出た。

まわりのちびっ子に、「バス停どこ?」と聞いたら、「ここ」っていわれた。
なんもない道の途中やけど、、と思ってたら、ぞくぞく人が集まってきた。
7時にほんまにくるんかいなと思ったが、キターー。
ちびっ子がバックパックを屋根の上にのせてくれて、バスへ乗り込む。

レーと明らかに反対方向に走って、大丈夫か・・と思ってたら、山の中腹みたいなとこまでいって
そこにすむ住民を1人1人乗せていく。運ちゃんは、ちゃんと把握してるのだ。
途中までいったら、引き返して、レーへ向かって走り出した。
私の横に座ったおじいちゃんは、ずーーっとお経をとなえていた。
チベット仏教徒は本当に敬虔な人が多い。お経を唱えながら、お寺を通ったりするたびに
深く頭を下げて、声が大きくなった。

おじいちゃん、ラダックの言葉しか話せないようだけど、私にどこで降りるのか?と聞いてきた。
私は、途中のリキルゴンパへ行きたかったので、「リキル、リキル」と言ったら、
すごく嬉しそうな顔をして、近くまできたら教えてあげるね、というようなジェスチャーをしていた。

実際、リキルが近づいてきたら、おじいちゃんは、山のほうを指差して、「リキル、リキル」と
言っていた。と思ったら、バスが止まった。
なーーーんにもないし、どこがゴンパかも不明だし、どうやってリキルゴンパまでいけばいいかも全くもってわからないところに、ポーンとおろされた。

ポツーン・・・。

と思ったら、もう1人のおばあさんが降りた。
そのおばあさんは、「ゴンパまでいきたいのなら、途中まで一緒だからついておいで」というようなことを言って、歩き出した。

なんにもない道をテクテク歩く。途中まできたら、集落が見えてきた。
おばあさんは、私はあそこに住んでるから、あっちに歩いていったらゴンパがあるよ、といって
バイバイをした。

こころぼそー。でも、ジュレーといって、別れた。

よっしゃー、歩くぞー!と歩きはじめて、約20分、まだまだゴンパはどこにあるかも見えない。
たぶんこっちの方向だろうと、なんにもない道をひたすら歩いていたとき、突然空模様が怪しくなった。ラダックは雨ふらない、と書いてあったのを鵜呑みにして、カッパを持っていかなかったのは最大の失敗だった。雨どころか、あられがゴーーと降ってきた。特大あられで、痛い痛い!!

しかし、なんにもない道だから、避けようがない。木もないし、なんもない。
まともに直撃しながら、なんとか歩いていたが、もう前を見るのも無理になってきたころ、
「もしかして、やばいんじゃ・・・」という思いが脳裏をかすめた。

リキルへのバスもあるらしいが、1日2本くらいしかなく、いつ通るかも不明。
周りを見渡せば、誰も通りそうな気配さえもない。
誰もいない、何もない、砂漠のような場所で、前からあられがドバーと降ってきている状況。

なんでこんなピンチばっかりやねん!と思ってもしょうがないので、
とりあえず、ちょっとずつ後ろ向きながら歩いていた。
服びしょびしょ、傘折れそう(なぜ傘をもっていたのだろう・・バカ)、バックパック重たい・・、前見えない。。

その状況でさらに10分くらい歩いて、そろそろ限界になってきたころ、
後ろから、ジープが1台!!!キターー。

もうこれを逃したら、本気でやばいと思って、ヒッチハイクした。
運転手は、ムリムリっていうジェスチャーをして通り過ぎたが、ちょっと前で車が止まり、
中から西洋人の女性が出てきて、私に乗るように促している。
ヤッター!!!と心底思った。

その人たちは、自分たちの席をつめて、私に広い場所をあけて、座るように言った。
とにかく乗せてもらったことがありがたくて、車ってすごいよ、人ってすごいよ、と思って、
半べそだった。

彼らは、オランダから来た5人組だった。
大丈夫だった?と私をねぎらってくれ、とても親切だった。
となりの女性が、「あなたもしかして、昨日、幼稚園のバスに乗ってなかった?」と言った。
そこで、あ、あのすれ違った夫婦だ!と気づいた。

なんていう偶然。そして、彼らが私を乗せると自分たちの席がせまくなって荷物も置けなくなるのに、それでも、乗せてくれたことに対して、本当にありがたく思った。

リキルゴンパまでも、また、すごく遠かった。あれを歩いていたら、3時間はかかっただろう。
リキルから、どうやってレーへ戻ろうかと思っていたところ、
「この次はどこへいくの?そこまで送っていくから、荷物置いておきなよ」と言ってくれた。
ポールたちは、まったく恩着せがましくなく、普通に助けてくれた。

ひととおりリキルを見終わるころ、別のグループに出会った。
その1人が中国人で、私に写真を撮ってほしいと言って来た。中国語で話しかけたら、
えらい盛り上がって(ラダックにはアジア人がほとんどいないせいもありうれしかった)、
もしレーに戻れたら、夜に一緒にご飯食べよう、ということになった。
8時にラマユルレストランで、とかいう超アナログな約束。

そのやりとりをみていたポールグループの1人が、「実は昔北京へ留学したことがある!」と
中国語をしゃべりだした。んで、そのオランダ人女性は、ひさしぶりに中国語がしゃべれて
かなり楽しそうだった。そんなことから、ポールたちとも話が盛り上がり、ブラックティーを
のみながら、たのしいひとときをすごした。

その後、私はバスゴというところで一人でおりて、ポールたちと別れた。

もしあのとき、ポールたちが通らなかったら、私はどうなっていたんだろう。

自分の不注意で、いろんなことをやらかしてしまったけど、
たくさんの人に助けられた旅だった。

そんなことを、また簡単に忘れてしまって、自分にないものばっかり考えていた。
ポールからのメールは、人に助けられて自分が在るということを
忘れていたわたしにとってのクリスマスプレゼントだった。

添付ファイルには、リキルゴンパの写真にメリークリスマスとかいてあった。
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by jengsauman | 2008-12-27 11:39
昨日、従兄に会いに行ったけど、拒否される夢を見た。
わたしは、彼のことで頭がいっぱいで、彼に拒絶されることをとても恐れている。
なんでだろう。きっと、私がやっと見つけた生きがい、としがみついているからかもしれない。

今日、広東語先生からメールが来て、ありがたくも戸惑う。
先生は、私が○○○になることを、心から望んでいて、良い選択だと言っている。

先生は、私がちょっと信仰チックな発言をしただけで、「宗教ぽい」と心配してくる人なのに、
今日の先生からのメールには、こんなことがかいてあった。

「○○さんが○○○になれば、沢山の人たちの救いになるだけでなく
○○さん自身にとっても、魂の救いになると確信します。
最善の、最高の選択です。」

先生、怖い。先生こそ、宗教じゃんか、と思った。
魂の救い、て。こわすぎるよ。

でも、うれしかった。

理論という面でいえば、私はとっても感情的で理論などない。
学問という面でいえば、私は学問を重んじていない。
忍耐という面でいえば、私はすぐになんかのせいにしてあきらめる。
議論という面でいえば、私はすぐにしっぽを巻いて逃げるか、感情的になる。

でも、先生はなぜか、私を応援してくれている。
これが欲しかった「正解」なのかどうか、分からないけど、
とりあえず、乗っかっている。
なぜなら、今は、その仕事をしている自分を想像することもできないけど、
適性なしという理由づけは、いくらでも努力で跳ね返せる、むしろ跳ね返すために
何をするかを考えろ、ということをしないと、死ぬまで同じ思考にとらわれる。

誰かや何かのせいにした生き方を早く捨てたい。
いや、持ったままでいいから、前を向いていきていきたい。
ここに留まる理由を一生懸命さがすんじゃなくて、せめて目だけは前を向きたい。


そこで、今日は定時間日だったので、1番に会社を出て、予備校へ相談へいった。
(誰もまだ帰らないから私ももうちょっと仕事をしようなどという考えはポイ。時間もったいない)
予備校に入る可能性は5%くらいしかないけど、情報収集のため。

そこで、「で、一体どうなりたいの?」と聞かれた。

おそるおそる、でもはっきりと、答えてみた。


でも、その答えは、私の中にだけあるときは、とっても確固としたものに思えていたけど、
口に出して、人に伝えようとした瞬間、とってもフニャって感じになってしまった。
冷蔵庫に1週間いれっぱなし後の青ネギみたいな。しょぼー・・。

しかも、その後、速攻で「あー。それなら別の道のほうがいいよ」といわれた。
ガーン。

強く思っても、思うだけじゃだめなんだ。と知った。
世の中じゃ、いろんな常識があって、それを知っている人に教えてもらうことで
現実の世界を知ることができる。それがすべてじゃないにしても、私が理想として考えている
ことは、門から見える程度のことに過ぎない。
でも、いつかは、そこに到達したいと思ってはいても、その過程に固執してはいけないんだと
思う。いくらでも取り入れて、いくらでも工夫して、でもぶれない目標。それが必要な姿勢
ではないかと感じた。
こういうのって、みんな就カツのときに、経験することだよね。
オレ、28歳。しかし、これが現実なので、人と比較してもしょうがない。

ハア。人に相談すると、自分ってなんて浅はかでバカなんだろうということがわかる。
話し方も質問のしかたも、バカだなあと自分で何度も思う。
でも、それを受け止め、受け入れ、前へ進む。それがなければ、意味ない。
一生ぬるま湯にいたほうがずっとしあわせ。

楽しいことをやろうとしてみても、たのしくない。
その理由は、私がやるべきことは、そこにはないからであって、それが楽しくないことである
わけではない。
やるべきことに向かって動いていれば、多少の余分に思える行動さえも、
生き生きみえてくるのかもしれない。

しかし、戦略を立てなければならない。
仕事をやめるか、関西にかえるか、なんとか仕事を続けていくか。
ふう。道は険しい。
でも、すこしだけ、ワクワクする。
私の思い過ごしであっても、勘違いであっても、きっとここに通過ポイントがある、とおもう。


ひさしぶりに夜更かししました。
ってか、もう朝です。
それでも昨晩食べまくった沖縄料理はまだ消化されておらず、腹パンパン。
生まれてはじめて、PCで年賀状をつくりました。
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by jengsauman | 2008-12-25 04:55

脱執着、脱馴れ合い

大切な人とはどんな人だろうか。

いろんな思いがぐるぐるする。
多くは、自分を弁護するためのいつものものかもしれない。
けど、少しずつ、少しずつ、変わってきていると思いたいし、少しだけそう感じる。

人はひとりでは変われない、と思う。少なくとも、わたしはそうだ。
従兄に実際に会えたことによって、私のなにかが動いた。
でも、だからって運命だの使命だのなんて信じちゃいけない。
いつも宙ぶらりんでいるくらいがちょうどいいんだろう。とっても難しいけど。
それでも、わたしは、ひとりでいくら考えても、いくら決めても、できないということはよう分かった。

だから、人との関係を、馴れ合いにしたらもったいない。
甘えだけの関係になったら、もったいない。
せっかくできるかもしれないチャンスの芽をつみとってしまうから。

今回、中国出張して、ある日トイレで無意識につぶやいた。
「自立したい」という自分のことばに、そうかと思った。


失うものはたくさんあるように見えて、そうでもない。
必要でないものは、手から離れていくようになってるんだから、
いくら執着しても、無駄な抵抗というところなのかもしれない。
でも、やっぱり執着したいときもあるから、なるようにしかならなくて
今のこの混乱や矛盾や葛藤を、ぎゅーと抱きしめられる人間になりたい。

人は変われる。それが私の信条だったはずだ。
だから、まずは、自分だね。
今日から再スタート。
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by jengsauman | 2008-12-20 02:58

天職

以前、のどから手が出るくらいほしかった言葉は、
「あなたの天職は○○ですよ」という言葉だった。

私が将来の道をどうしたらいいかと何もせずに考えてばかりで進みあぐねているとき、
広東語の先生へ毎日のようにメールを送っていた。
先生は、いろんな話をしてくれたし、いろんな話を聞いてくれたけど、
先生は私の道を示してくれなかった。

私は、先生に言ってほしかった。「○○になればいいよ」と。
私は、先生に正しい道を教えてほしかった。
正しいこたえがほしかった。
まちがえたくなかった。

先生は、私が何になれば、正しいといってくれるだろうかと考えていた。

でも、先生は、なにひとつ言わなかった。
ああ、これが先生のスタンスなんだと気づいて、私は先生に答えを教えてもらうことを諦めた。


それから、3、4年くらい経った今日、授業が終わったあと、先生と話していたとき、
先生は、私に「○○があなたの天職だ」と言った。

私は、あまりにその内容のすっとんきょうさにもびっくらこいた。
んなわけない、と自分に言い聞かせた。
私にはできない。私には向いてない。私はまた分かりやすさを求めてしまう。

でも、私は、90%「ありえない」と思いつつ、残りの10%は「うれしかった」。
そして、ああ、時間が経ったんだなあ、としみじみ感じた。

全く求めて無いと、突然降ってくるもんなのかもしれないし、
それは的外れなのかもしれないし、でもバレエの先生のいうように
やるべきことは、何度拒否しても、何度逃げても、必ず眼の前に現れるんだとしたら
これだ!と決め付けないで、答えから入らないで、今できることをやって
また振りかえってみて、考えるのもいいかもしれない。

しかしせんせいの授業は、やっぱり超スーパーミラクルたのしい。
今は、「毎週出席する」というかなり低いれべるの目標をかかげているので、
いろいろやらないようにしている。
絶対に1回も休まないんだ、と決めて、それを達成するのだ。
自分との約束。ちっちゃい約束をあつめていくべし。

今日から、中国出張。
なるようにしかならんのう~。ハハハ。

おかんが送ってくれたクリスマスプレゼント①。(れっぐうおーまー)
めちゃきゃわゆい!
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あー、ラプソディーインブルー、リピートリピート。夜中にノリノリ。
このおじいさんにほれたよ。素敵すぎるうー。
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by jengsauman | 2008-12-14 01:36

クラシック

のだめかんたーびれ、を見た。
めっちゃおもろかった。

ガーシュインの『ラプソディインブルー』が頭をぐるぐーる。
そして、ベートーベンの『悲愴』が頭をぐるぐーる。

んでもって、ラフマニノフのコンチェルトが頭をぐるぐるぐーる。

バレエもそうだけど、私はやっぱり緻密な型があるクラシックが好きだ。
細かいことなんてよく分からないけど、好みです。

図書館には、クラシックのCDもたくさん無料でおいていて、貸し出し可能だった。
ウホホ。ゆんでぃーりーさんのCDもあったので、今度かりてこよう。

youtubeみてたら、どこかの国のおじいさんが、オーケストラと一緒に
らぷそでぃんいんぶるーを弾いていて、めちゃかっこよい。
日本にこんなおじいさん、いるのだろうか。
いたら、素敵やなあ。
こういうのを見ると、歳を重ねる重みを感じるなあ。
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by jengsauman | 2008-12-13 23:35 | 音楽

新大久保

昨日、ひさびさに新大久保にいった。
のりちゃんが東京に来たので、のりちゃんの友達が集まった。

中国名物(?)の羊肉串を自分でクルクル焼く店だった。
これ、めちゃうまい。
孜然というすぱいすがめちゃうまい。さいこう。
あーこういうときだけ中国に行きたくなる。

なんできづいたら、中国ばっかりなんやろ。。
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by jengsauman | 2008-12-06 14:05

記録

自分無自覚にを甘やかすのは、自分を過大評価してるからだなと思った。
そんな緻密にやらんでも、できるわな、とどっかで未来の自分に期待を丸投げ。
そんなんでできとったら、今頃とっくにできとるわ。

というわけで、記録を残すことにした。

1日の始まりに、今日やろうと思うこと。
1日の終わりに、今日やったこと。

こういうの、だいっきらいやし、めんどくさいし、第一書いてるあいだに、
綺麗にまとめようとして、全然自分の感じたニュアンスと違うことを書いてしまう。
ええかっこして、全然できてないのに、できたみたいに書いてまう。
だから、いやなんやけど、まずはそんな自分を見つめることから。
できるだけ感じたままに、少しずつやっていって自分の習慣をかえていきたいとおもう。

悪しき習慣とか言っちゃって逃げるんじゃなくて、私の今までのやりかたを見つめて、
何をどう変えるかを自分で決める、というかんじで。
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by jengsauman | 2008-12-06 13:50

問題解決

問題というのはどこかにあると思っていたので、
わたしはそれを探してきました。

世界にはたしかにたくさんの問題が存在する(らしい)。
だから、その中の、どれかについて、自分がかかわっていけば、
わたしは正しいことができるんだと、無意識的に思っていた。
だから、いつも、国際協力やらボランティアやら社会貢献やら教育やら
いろんな情報を集めはするけれど、それをどうしても自分の問題として、向き合うことが
できず、2、3日したら忘れてしまっていた。

体裁を整えることに精力を使い果たしてきたので、本当の専門性や知識などなく、
自分にはなんにもないと気づけば、余計に焦って、そういう情報を探した。
なんとか、はやく、プロフェッショナルと認められる人間になりたかった。

でも、その日常といえば、惨憺たるもので、
体裁をととのえることに必死なばかりで、自分の足元を見るということが
どういうことなのかもよく分からなかった。
めちゃくちゃやっていても、なんとか形にしてきた期間が長すぎて、
それが自分を見誤らせた部分でもある。
「これでも、今までなんとかやってこれたじゃないか。間違ってはいないよ」と
現実から目をそらすいいわけを、ずっと与えてきた。

けど、仕事をするようになって、いろんな余計なものが見えなくなり、
会社以外では、会いたくない人とは会わなければいい話だし、
いやな空間には行かないし、やりたくないことはやらなければいいし、
そうしているうちに、だんだん、どうでもいいものが手から離れていった。

今なお、いろんなコンプレックスや、他人との自分勝手な比較もあるけど、
なんだったんだろう、と思うこともとても多く、それ以上に悩んでいたこと自体を
忘れてしまったことも多い。

今になって、それらは、私の問題ではなかったんだろうなと思う。
私の問題ではないのに、自分の面子に影響がありうるから、必死に気にしていたけど
それが見えなくなれば忘れてしまうなら、そもそもどうでもよかったのだ。
そんな問題も、そんな面子も。

例えば、飲み会の幹事とか、雑用の作業とか、人と人の調整事項とか、
そんなこと、めんどくさいし、やりたくない。
学生時代もできるだけそういうことを避けていたけど、会社に入ればなおさら、
もっと分かりやすく、「問題を解決する自分」になりたいと思っていた。

でも、そんなどうでもよさそうなものでも、やっていけば見えるものがある。
もしくは、感じる疑問がある。

もともとはどうでもいいと思ってたことかもしれないけど、きっかけはともかく、
自分が身体で得たその感覚こそが、問題や解決との出会いであって、
そこらへんに落ちてるように見えるそれらしい「問題」は、たやすく手をすりぬけていくもの
なのかもしれない。

そんな簡単に問題に向き合えると思うな、といわれている気がした。

なるようにしかならないし、出会える人にしか出会えないんだから、
無理してもしょうがないなと思うし、
だったら、出会えた人や、与えられた場や機会を活かして
自分の問題とは何か、自分がひっかかるこのことを追求しよう、というスタンスで
いるしかないし、いればいいのかと感じた。

答えを見つけることより、問題を見つけることのほうが難しいのかもしれないなあ。
でも、それで諦めたら、自分を勘違いさせ、甘やかせてしまう。
ふう。。
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by jengsauman | 2008-12-06 13:33