過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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ふらりんこ

ふらふらしている。

あいかわらず、脳の一部だけが焦っていて、私の身体は全くそんなバカな脳をムッシング中。

ねばならない、はうそっぱち。
だから、ムッシングしているからだのほうがやっぱりかしこいんだなあ。っておもう。


あれだ、っとすぐに決めたくなるが、そういう考えをしてるときのあらゆる選択肢も、
たいしてかわりゃしないとおもう。究極の選択的な気持ちだが、カンチガーイ。
自分だけ、すごい一生懸命考えた気になってるけど。ギャボー(ノダメふう)
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by jengsauman | 2009-01-29 01:30

勘弁して、とおもう

去年出産した友達が、メールを送ってくるたびに、子供の写真を添付してくる。
ただの連絡でも、最近元気~?でも、なんか用事あっても、添付している。

いや、べつにええねんけど、
まあたしかにかわいいねんけど....

迷惑じゃ~!ちょっとは人の都合もかんがえろ~。
っていうか、とにかく、勘弁してくれ!


はーすっきりした。

わたしってめちゃ器せまいなって思うけど、もうためてたら悶々として、
そんなとこに労力をつかうのはいややー。(だったら、本人に言えよ。小心なオレ)

いやー、うちの姉は私にはあまり送ってこないけど、妊娠中もエコーの写真を友達に
送りまくっとったらしいし、そんなんいややで、まじで。

母親にいうたら、「それはな、しゃーないわ。アハハ。あんたも子供うんだら分かるわ。
でもな、毎年年賀状に子供の写真つけてくる人、ほんま意味不明やでなー」という話を
してたので、ちょっと気がまぎれた。

こういうことにイラっとするのは、わたしが「安定したい!居場所がほしい!生きてる証が
ほしい!守るものがほしい!」という願望を持っているから、うらやましいっていうのも
あるんやろうけど、それだけでもない気がするよ。

仕事中に、子供の笑顔の写真とか送ってこられても、「こっちはそんな気分ちゃうねん!」と
いうときもあるよ。
もし、わたしが子供産めない体質やったらどうしようとか、迷惑かなとか思えへんのかい!と
思っちゃうときもあるよ。
自分がかわいいと思うものはみんながかわいいと思うのか?と半ば押し付け的な行動に
辟易してしまうときもあるよ。

いうても、わたしはひとりものやから、自由やし、好き勝手できる。
でも、だからこそ、ひとりでも(物理的に)生きていけるようにならなあかんねん!って肩肘はってあほみたいってよく思う。
とにかく、表面的な「最低限の社会人」をクリアすることに必死で、イライラして、組織の中で打算して、こんなことしてる場合じゃないって自己嫌悪になって、それでも毎日出勤して。
きっと私にとっては今なにも手元に確固たるものがないから、それだけは握り締めてたいんだろう。尊重してほしい、でも、「あいつは仕事だけのしょうもない女」って思われるのがいやで、
軽いノリのメールを入れたりする。またもや、人の目線に自分が合わせにいってるんである。
そんな自分に「あかんって」って気づきながら、とりあえず放置しているときに、相手の都合も伺いもなく、毎回ああやって強制的に見せてこられると、受け入れられないときもある。

なんかドラマの中のつまらない人生送ってるサラリーマンみたいな状況になってしまい
自分で自分が嫌になり、余計にイライラする。つまり、自分があかんのやん。

でもな、私は心に決めたよ。
もし、いつか子供を産んでも、子供がいない人には、最多でも1回しか写真をおくらないよ。

だって、それで人を傷つけてしまうかもしれへんもん。
私かて、もし子供できたら、見せびらかしたい気持ちを抑えられない状況になるのは
目にうかぶけど、そんなとき、ほんまにええんかな?って思える自分でいられるかな。

いうても、結婚の予定もあらへんのに、杞憂やねえ。アハハ
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by jengsauman | 2009-01-29 00:07

今年の目標

先日、とあるNGOのセミナーへ参加した。
そこで、私は失敗をした。

私はそのファシリテータに対して頼りなさを勝手に感じ、「大丈夫か、こいつ」と思っていた。
その人は、最初から「○○は許されることではありません」と言っていた。
その人とほかの職員のやりとりで、延々と数字やデータを言って、確認しあいながら、
自分はあたかも正しいことをしているかのような顔をしていた。
この人たちは、本当に考えているのだろうか?と思っていた。
私は自分のことをたなにあげてそう思って、吐き気がした。本当に、具合悪くなった。

私は、終わった後に、彼に質問した。
その答えは、彼の側の答えだった。あたりまえだけど。
なんていうんだろう、用意された正しい答えという感じで、葛藤のかけらが垣間見えなかった。

NGOやNPO団体はあまりよく知らないのですが、たとえば扱う案件に5つのファクターが
絡んでいるとしたら、団体によって、目を向けるファクターが違うのだろう。
もしくは、扱う内容は同じ方向性なのに、派閥争いみたいに2つも3つも同じような団体が
あったりするのかもしれない。
それはともかく、私はこないだのNGOに対して、完璧を求めてしまったのだ。
その5つのファクター全部を網羅してないことを批判したくなってしまった。

第三者が当事者になることは不可能で、また近づく必要もあるのかどうかも分からない。
もしかしたら、5つのファクターのうち、1つだけを押さえ込んでしまえば、法律が変わったり
名目が変わったりするのであれば、それはそれでいいのかもしれない。
私はそこのところを、自分の中で全然考えないまま、そのイライラを人にぶつけた形に
なってしまった。大人げなかったし、忍耐ないなと思った。
それは、私の「他人を責めて自分がまっとうなことをしている」症候群でもある。
今年は、人を責めることで自分が何かをしているつもりになることを直したい。
考えてないとか、正しそうなものに寄っかかってるだけとか、他人のことは分かりゃしないし、
そういう批判をすること自体が、自分のコンプレックスの裏返しであり、未熟さのごまかしだ
と思わずにはいられない。芯のないものは、放っておいても淘汰される。


ずいぶん、長い間、ピースフルな世界を夢見ていて、それは今も同じ。
わたしは、感情的で、情動的で、温室育ちで、へたれで、「みんな大好き」と言って、
みんなと抱き合いながら、生きていけたらどんなにいいだろうっていつも思う。


人って手をとりあって赦しあって生きていけるかもしれないけど、
利害関係の絡みで、決して一筋縄にはいかないんだなと、最近おもう。
人は間違ってしまうし、人は大事なものを守りたくなるんだもの。

すこしずつ、ぐちゃぐちゃの中にこそ、ぴーすふるなものがあるんじゃないかって
シフトしてきた。よーわかりません。でも、やっぱりわたしはすっごく実務的な人間で
世俗的な人間なんだと思う。いや、たんなるイラチなだけか。
だから、精神的なものや、宗教的なものや、学問的なものに対する尊敬(憧れ)はあるけど、
やっぱり、この場でできることをしたい、と思う次第です。
なぜなぜなぜなぜなぜと問うて、分からない・・日々を過ごしても。


今年の目標3つ立てました。
①粘る。
安易に答えを出さない。人を責めて楽をしない。できないと逃げない。粘り腰。

②自分を主語にする。
先生や著書や理念のそれらしいものを拝借しない。言葉を発するときは、私がこう考えるというステートメントである。言動に責任を持つ。

③引き出し増やして、おもろい女。
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by jengsauman | 2009-01-11 16:44

carpe diem

おじさんから来た年賀状に、「carpe diemです」と書いてあった。
カーペディエムって、ラテン語でseize the dayの意味で、今を生きるとか、今を楽しむとか
そういう意味なんだってとおかんが辞書片手に言った。ふうん、と思った。

昔から姉がロビン・ウイリアムスがすきで、その中でもとりわけ「いまを生きる」という映画が
だいすきだった。

ふと、オンデマンドで「いまを生きる」が見れるようだったので、ああこんな映画あったなと
見たら、その中でロビンウイリアムスが何回も「カーペディエム」って言うので、
びっくりした。

この映画は、すごいね。この先生がすごいね。
私が高校のとき、こんな先生おったらどうなってたんやろ、なんておもう。
英語(日本でいう国語?)の先生で、詩についての授業をしているのだけど、
常に物事をほかの視点から見るように、なんていって、教壇の上に土足で上がって、
生徒にもみんなにやらせたり、いろんな突拍子もないことをしていた。

私はちいさいときから、詩とか文学とかそういった「一見どうでもよさそうなこと」に触れる時間が
もったいないと思って、ひたすら回答を得てそのまま数字を得るいい子ちゃんゲームに
没頭していた。

でも、教育ってほんまはこういうことやよなあって、理想論としてもやはりそう思う。
進学校だからって、大学の合格者数だけで選ぶのって、おかしいと思いつつも、
自分が親になると、失敗することを恐れ、確実な道標を求めてしまうのかな。

映画の中では、優等生の学生が、ろびん先生に影響を受けて、芝居に目覚めてしまい、
医者になれという親との確執を乗り越えられず、自殺してしまうというシーンもあるのだが、
確かに命を奪う結果になったことは悲惨だけど、これって100%悪と言い切れるのだろうか。
何が悪いと言い切れてしまうのか。と思いつつ、自分の死刑廃止の根拠だって、人は変われる
という人間の可能性への期待というおそろしく感情的なものであって、もしそうならば、
可能性を0にしたという点で、やっぱりこの教師は責められてしまうのか?
そのあたりにはっきりとした答えを明示せず、ろびん先生は責任を取って辞めさせられて
しまうのだけど。

この映画の前に、録画してあった情熱大陸を見て、小学校の音楽教師を取り上げていた
から、余計に、思うのだろうけど、おそれちゃうと自分が見えなくなるから、
保身してても自分では正当性あること言ってるつもりになっちゃうので、
自分は誰のために働いているのかっていうことを、経営側の都合を100%飲み込まずに
いられる人間でありたい。ろびん先生だって、普通にカリキュラムをこなしてれば、
誰も見た目は傷つかずにすんだかもしれない。けど、彼は生徒に伝えたかったのだろう。
いまを生きることを。
そう思うと、傷つかずにいまを生きることなど、そもそもできないのだという思いに
身が引き締まる。いつかは死ぬんだから。

何事も、賛否両論で、批判もあれば評価もある。
だからこそ、しなやかな軸が必要だと痛感する。
あるときは、どっちも正しく、どっちも否定できない。でも、その中から1個を選ばないと
前に進まないこともある。
そんなときに、背中を押してくれるのは、自分の中にためこんだいろんな余計なものや
自分の師匠のもとで学んだことや、自分が決めたという覚悟だろう。

どこかにあるものを求めるのは悪くないけど、
今あるものをどうやってそこに繋げるか、を実践してこそ、意味があると思うようになった。
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by jengsauman | 2009-01-05 16:22

2009年

2009年になりました。
正月は好きです。でも、年がかわっても、たいしてなにも変わらない。
あいかわらず、大きなことを考えては、目先の小さなことに執着しているという
悪癖をひきずったまま、また新しい年をむかえました。

今年の年越しは、がきつかの笑ってはいけないを見てから、DVD『デッドマンウォーキング』を
見ました。

そこで感じたことは、みんなにいい顔はできない、ということ。
何かを選ぶということは、何かを選ばないということを宣言したに等しい。
そして、その選択によって、人を傷つけてしまう可能性は大きい。
なぜなら、どちらが正しいか間違っているかを簡単にいえないから、どちらを選んだにしても
みんな傷ついてしまう。そんなことが多くこの世にあるのかもしれない。

それでもなお、こうしたいという思いをもとに、努力する1年にしたいと思う。
粘り強く。
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by jengsauman | 2009-01-02 02:23