過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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道具

何をやるか、というのは大して関係ない気がする。
そして、身体は知っている。
そんなことをうすうす感じる今日このごろ。

「何をすべきなのかまったく分からない」「私の運命や使命はどこにあるのか」
そんなことばっかりずーーーーーーーーーーーーーっと考えていた。
わたしはいつもその前で立ち止まって、いろんな情報を人知れず集めては、ハアとため息をついて
それ以上足を前に進めることはなかった。

どれもこれも、違う、と思ってしまう。そして、やらない。
そんな日々が続きました。


ある日、わたしは自分を殺して、それなりに生きている自分に気づきました。
それでも、どうすればいいのか頭で悩むばかりでした。行動は変わっていなかった。

そして今、目の前にある選択肢がそうなのかどうなのか、またうんうんと考えています。
でも、それが、違うかどうかは、答えがあるようでないのかもしれない。
2年分の積み立て貯金を投入して、その後自分の人生に活かされなかったら
という恐怖で足を進められずにいたけど、たとえ明確に誰が見ても分かるような活かされかたで
なかったとしても、必ず自分自身が変わることができる。
そのためにも、その道具をつかって、自分がいったいなにをしたいのか、なにができるのか、
どんなアライアンスをつくりたいのか、それを発信しながら探し続けることが大事だとおもう。

物事は錬金術によって、かたちを変えるのだよね、きっと。
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by jengsauman | 2009-03-31 23:42

アライアンス

アライアンスの本をよんだ。すたーあらいあんすじゃなくて、
仕事をする上でアライアンスがどれだけ大事かという本。

・一番無駄だと思うのは、ひとりで悩むこと

・助けてもらえる人になること、情報が集まる人になること。そのために自分が発信すること

・限界の枠をつくらないこと


そんなことが書いてあった。

ふむふむと思う。

父親が同じようなことをよく言っていたなあと思った。

どんなに出会いの場にいっても、自分が何がしたいのか、何について情報がほしいのか
何も発信しなければ、ただの気持ちいい自己満足でおわってしまう。

そう思って、早速明日から実践しようとおもって、
明日行く予定のトークショーで、講師の人に話しかけてみようとおもう。
とはいうものの、どうしよう、著書を持参してサインをもらうか、何を話すのか・・。
いやいや、飾ったところで、中身ないのはまるみえ。
そんなことをおろおろと考えている。

でも、やっぱり、わたしの大好きな人なので、とりあえず本持参しよう。(低レベル)

アライアンスかあ。
ほとんど、ないなあ。今は。
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by jengsauman | 2009-03-31 23:22

からだの真の力

きのうはバレエだった。
仕事の後始末があって本当はいけなかったけど、無理やりいかせてもらった。
キャンセルの電話を留守電にいれたとき、悲しくてションボリなった。
当日キャンセルはチャージがかかるということのせいかと思ったけど、そうでもないみたいだった。
わたしにとっては、数少ない美しい自由な生活の一部なのかもしれない。

一転いけることになって、ぴょんぴょんしてレッスンに向かう。
先生は、「よかったね~」といって迎えてくれた。

先生はしきりに「そろそろ来るよ」という。
からだの覚醒らしいが、いまだにとっても胡散臭いとおもう。
でも、なんとなく、身体が動きたがっているような気がして仕方が無い。
先生が言っているのは、身体が目覚めるというよりかは、抑圧していたものを解放して本来の動きを
取り戻すというだけなのかもしれぬ。なんだか、意識のもっと深いところで、ジタバタしている自分が
いるようないないような。でも、その意識というやつは、とってもガンコでずうたいがでかくて、まだまだ
動いてくれそうにもない。そんな感じがする。かすかに、遠くに、存在が見えるそのものといつか
出会える日が来ればいいなと思って焦らないことにする。しかし、こう書いていても、とっても胡散臭い。

昨日も大して身体は動かなかったが、首が通常はありえない動きをしたらしい(記憶にない)。
せんせいはそれを見て、「今さっきね、自分で頚椎を調整したよ」といった。
ギョギョッ・・。
身体の英知とはそういうことなのか?もしかしたら、すごい力を持っているのかもしれない。
それとも、先生が怪しいのかもしれない(笑。

先週の北京でも動きたくてしょうがなかった。北京の田舎で、なにもない大きな青空のしたで
走り回ってみた。
わたしは動けないんじゃなくて、動きたくないんじゃなくて、動くことを抑えすぎて忘れているだけなの
かもしれない。

とにかく、昨日は、身体のことは、頭には到底分からない、と思った。

過食のときをふくめて、わたしは自分の身体はおばかさんと思っていた。
大して食べなくても済むからだになりたくて、ほそいほそいからだになりたくて、それでも孤独で
どこにからだがあるのか、わかりもせず、わかろうとする暇があればやせたかった。
とにかく、あせっていて、絶望していて、それでも浮上したかった。やせたかった。

それから数年たったいま、わたしは、自分のからだの持つ力を信じるかけらを、頭ではなく
身体で感じようとしている。それが結局なんだったのか分からなくてもしょうがない。
でも、できることならもっと近づきたい。そんな気持ちだ。

先生は、「踊るということは、心からわいてくるものだよ」というけれど、
そのことが本当に自分の一部となる日は、まだまだ先のようだ。
でも、その種が手のなかにあることだけはうっすら感じている。
もしかしたら、それも勘違いや思い込みである可能性も高い。
そしたら、また探して、感じて、待てばいいんじゃないかとおもう。
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by jengsauman | 2009-03-31 07:52
人を糾弾するのは簡単だ。
人を決め付けるのも簡単だ。
人を恨んだり、バカにするのも簡単だ。

でも、そこからは何も生まれない。
それでも、それに気づかずに、自分たちこそ正当性のかたまりと勘違いしている人もいる。
自分だってよくそういう言動をする。

でも、やっぱりそこからは何も生まれないと思う。
だから、必要以上に傷つかない。反省はしても、傷つかない。

また、自分自身も、善か悪かを二分していたら、それは同じことだ。
そんな決め付けられるようなことなんて、きっと存在しない。

どんなに悪く見える人でも、ものごとでも、自分が見えない背景があるのだ。
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by jengsauman | 2009-03-31 06:16

なかざわさん

テレビ録画していたものを見た。その中に、先々週くらいのNHKプロフェッショナルがあって、
サッカーの日本代表のなかざわさんだった。

「過去は変えられない。でも、未来は変えられる」

というメッセージだった。


なかざわさんは、10代のころサッカーがうまくなかったらしい。
練習して、練習して、練習して、それでもオファーはこなかった。
常軌を逸する練習量だったそうだ。

そして、母校でコーチ(?)をしていたとき、
川崎ベルディのユースとの試合があって、なかざわさんは年齢を偽って
出場したらしい。そのとき、先方の目にとまって、声をかけられたそうだ。


ふと、雑草、ということばを思い浮かべる。


わたしは勘違いしていなかったか?
世の中には天才という人種がいるとおもう。
才能があるとは、努力しつづけられること、という人もいるけど、
やっぱりもって生まれたものは必ずあると思う。

だから、ちょっとやっただけで出来てしまう人もいれば、そうでない人も。
昔からわたしは何をやってもうまくいかない子だった。
それはモチベーションの問題もあるけど、やっぱり「不器用」なのだ。

それを自覚した上で、自分を卑下するか、追い込むか、虚勢をはるか、そういう動きしか
できなかったのが過去の自分。そして、1つ(やっと)できたら、それで「自分はできる」と
思い込んでしまったふしもあった。

しかし、わたしは雑草なんだった。
不器用で、やってもやってもできやしない。
それでも諦めない心を持つことが第一。それでも諦めないのは○○のためという動機を明確にするのも
大事。そして、いつまでも続けることが大事。

なかざわさんは、いまだに「自分はまだまだ下手だ」と思って人一倍練習しているらしい。
そして「サッカーが大好き」だそうだ。

なんだか、とても心に残る番組だった。
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by jengsauman | 2009-03-29 13:26

身の丈

身の丈を知るということは、「自分はたいした人間でもないのだから多くを望まずこれくらいで満足する」
ということなんだと思っていた。まるで自分の可能性をあきらめるような。
本来の意味はどうなのか分からない。

しかし、ふと、それは「ジャンプアップしてレベルアップしてすごい人になる」というような甘いことを
考えていた自分の解釈であって、まず自分の実力やできないことを知るというのは、
その後どうすれば成長できるかに絶対的に必要な要素であると思う。

・自分ができないことを知る⇒すぐに分かるわけないから長年積み重ねようと決心する。
・まずは情報がなければ何も出来ないので、型を学ぶ。
・師匠がいれば・・。

死ぬまで分からないかもしれないけど、隣の人もその隣の人もなんだかすごく世の中を理解している
ように見えて焦っても、自分をごまかさないように、足を地につける。が必要だとおもう。
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by jengsauman | 2009-03-28 12:37

ながれ

月曜から金曜まで北京出張へいってきた。
今日は最終便でかえってきて、11時半に家についたが、その後かばんをあけて洗濯をし、
シャワーをあびて、こまごまとやるべきことをして、今1:45。
ひとりだったら、結構がんばれるんだなあ、と時々思う。
ひとりじゃないと、だらーと甘えが出てしまう&「明日でいいや」とか「やってよ」となり、
自分が動かないで済むほうへ流れてしまったりする。

今回はろくにたいした仕事もしなかったけど、個人的には感じるところが多く、
有る意味すこし一区切りできたのかもしれない。

帰宅してポストをあけたら、従兄からの手紙と、定額給付金のお知らせと、簿記の結果がきていた。
簿記3級は、合格していた(驚)。

あの試験の日、自分は、
「どうかこの試験に合格させてください。もし合格したら、わたしは法曹になるため死ぬ気で勉強します」
という全く関係のないわけのわからん神頼みならぬ、他力本願なことを祈った。

そしたら、奇跡的に問題が超簡単だった。完全に網羅してない状態だったのに、有る程度解けた。
そして、結果、合格した。今回の合格率は相当高かった。
たかが簿記3級、大学1年で多くの人が合格するたかが簿記3級。
それでも、簿記3級について主体者でもないのに「誰でも合格する試験」と語るだけだった自分は、
「自分は体験した」という主体者にはなれた。
一番だめなのは、ただ知りもしないのに判断し、語ることだ。
わたしはそれを長い間やりすぎて、まだまだメッキだらけである。
次は、体験したうえで、簡単に答えを出さずに、掘り始めることだ。

偶然かなんなのかよく分からないけど、おどろいた。とにかく、祈ったかぎりは約束は守ろう。
とりあえず、1つ、決めたことを実践した。形だけで中身が伴ってないとはいえ、少しだけ自分を
信じる糧を増やしていけばいいのだ。


この出張の間に、感じたことは、たくさんのメッキをまだまだ抱えているということ。
でも、それは、動きながらはがしていくことができるし、そうしようと思った。
満を持して物事にあたりたいという強い願望はあるけれど、それは単に自分が恥をかきたくない
という要素がとても強い。それに、時間がかかりすぎても、なお、スタートラインの近くでうろうろと
しているだけだったりもする。

以前、北京子会社で働いていたBと飲みにいった。
彼は、もう辞めてしまって今は独立したが、いまだに1人の日本本社社員のことを強く覚えていた。
その人は女性で、Aさん。
Bは、「Aさんは本当に優秀な人だった」と連発していた。
Aさんは英語が堪能で、なにより事業推進力が半端なかったらしい。
わたしはその話を聞いて、ため息をついた。
自分は何をやっているんだろう、というより、表面にこだわっていると、自分の分野をほっていくことが
できないのだと改めて痛感した。
どうでもいい内容で、とりあえずの対応で、それっぽく話しをして、しったかぶりをして、
おどろいたふりをして、冗談をいってみたりして、コミュニケーションをとっているつもりでそれはむなしい。
私は、初めて、外国人や日本人と自分の興味のある分野で議論したいと心から思った。
Aさんのようにはなれないけど、私は私の興味のあることをやらなければ、一生このどうでもいい
それっぽい国際交流で終わってしまう。たいしてなにも残らない。

わたしにとって、外国というのは、逃げ場を確保した上での現実逃避や即席の付加価値として
しか使ってこなかったのかもしれない。
だから、覚悟、がなかった。
でも、今回Bと話をして、本気で思っていることをぶつけてみたいと思った。
どうでもいい世間話じゃなく。
外国にいると、日本でがちがちに固められている「私はわきまえている人間です」モードを
すっと手放すことができる。そんなもん、いらんのに。一生井の中でほえとけってかんじやのに。
なにがわきまえてるや、そんなことを無言でも有言でも主張するやつほどにせもんや。
ちゃんちゃらおかしい。

その後、会社の人とBと、後海という繁華街へ行った。
とあるバーで、歌を聞きながらお酒をのんでいた。
そのバーでは、歌のリクエストが自由にできるので、好きな歌を頼もうとなったが、
考えてもあまり思いつかない。
やっぱり、私は北京語が好きではないんだと改めて思う。(「北京語=仕事」からの逃避もあるが)

そしたら、隣の席に座ってたグループが、広東語まじりでしゃべっていた。たぶん広東人だろう。
彼らは、結構マナーがない感じだったが、「次の曲は??」としきりに聞いていて、
バンドのかたがたは、ちょっと嫌そうだったけど、「Beyondの海闊天空!」と言った。
広東人が「広東語版?普通話版?」と聞いたら、「OK、広東語!」といって、歌い始めた。
わたしは、それまでしれーっと酒を飲んでたが、突然のBeyondに完全に魅了されてしまった。

この歌は、本当に大好きな歌なのだ。

私は、鳥肌で、半泣きで、心がゆさぶられた。
どうして、広東語はこんなにわたしをゆさゆさ揺らすんだろう。
心から、血がドクドクするような思い。

好きなことを、好きにやればいい。
役に立たなくても、マイノリティーでも、好きなことをやればいい。
だけど、やるからには、何十年も積み重ねていく覚悟が必要だとおもう。
誰かに答えを欲しがったり、何かあっても誰かのせず、自分でリスクを受け入れるという覚悟。
自立だ。

格好良くはないけど、歌が素晴らしく上手なバンドの人たちの広東歌のなかで、
わたしは、自分がいかにめっきにまみれて他者に依存して生きてきたのかジンジンと感じていた。
甘すぎる。まだ、自分の保身のため。それでも、ジャンプできないから、1歩1歩しかない。
それでも、道は遠い。いや、それが人生なんだ、とふと思う。

答えなんて与えられなくて、模範解答ももらえなくて、キョロキョロして、おろおろして、
正しいこたえや確証をのどから手が出るほど欲し、とりあえず飛びつくものはあることはある。
でも、そこにはホッカイロのような刹那的な暖かさしかない。
それにヌクヌクして生きている時もあってもいいけれど、自分の感性はそれを拒否している。
不安で仕方が無いけれど、それでも、自分の道を切り開いていこうとすること、
何かを決めて、とことんやってみること。その中で見えてくることを血肉とすること。
もしかしたらそれが生きるということなんではないか。

そういったことを感じれば感じるほど、今の組織の中で今の業務を続けていくことが
苦痛でしかなくなってきた。それは逃避だと思って今まで続けてきた。
自分で働いて、税金をおさめて、「仕事は?」と聞かれたときにそれらしく答えて、
自活して、甥に何かを買ってあげたり、友人や家族に買いたいものを買ったり、
自分が「それなりの大人」を演じるためには、「とりあえずこの場所で働き続ける」というのが
ベストな選択肢と思い込んで、言い聞かせてやってきた。
いや、自分が頭で望む環境でない場所で、どう自分が変えていくか?ということが必要なんだと
思って続けてきた。
でも、今の自分は、そういう状態からは程遠い。そして、依存している。
それが責任ある大人なのかというと、そうではない。
なにしろ、「夢を持て」だの「自分の決めたことをとことんやれ」だの、甥っ子にいえるわけない。
「じゃあ、お前どうなんだ?」といわれたら撃沈だもの。
「えっと、わたしは生活のために働いています」で終了。

それはそれで大事なことだ。
でも、もうそんな押し殺し生活は耐えられない。
何とかしなければ。
切り開いていかなければ。
そんな思いが日々心の中で大きくなっている。

じゃあ、どうする?なのだけど。

自分の心の中に大きくデーンと存在している「人のために」の欲求は、いかに胡散臭いか
うすうす感じてきた。
「やっと見つけた逃避に見えないそれらしいもの!」というただの自己満足。
結果や影響を考えるな。

厳しい道を選びたい。それでもなお、甘く優しく責められずにいる道を選んでしまう。
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by jengsauman | 2009-03-28 01:54
教育だ!とおもって、前から気になっていた自然学校へ連絡をしてみた。
ゴールデンウイークの前に、2日くらい休暇を取って、見学に行こうと思った。

でも、先方の都合が悪く、今回は断念、リスケとなった。

こういうタイミングって、きっと意味があるんだろうなあとおもう。
それでも、また後日改めて連絡すればいいんだけど、何となく、縁を感じてしまう。

最近、教育と法曹で迷って、少しずつアクションを起こし始めている。
なぜか、今のところ、法曹のほうはタイミングが良く、教育のほうはタイミングが悪い。
とはいえ、それほど多く行動を起こしているわけでもないけれど。


のりちゃんから、バレンタインのお返しが届いた。
中身は、布のバッグ・・。maison de famileというブランドで、有名なのだろうか?
いずれにせよ、のりちゃんからは全く程遠いかわいらしい雰囲気である。
布って書いてたから、てっきりネパールとかインドとかの布かと思った。
結婚すると、くれるものもがらっと変わっておもしろいなあ。
「奥さんは趣味がいいですね」と半分冗談で言ってみたら、「いえいえ」とかいって真に受けられたので
ギャボーと思って流した。
わたしって器がちっちゃいやつだ。

のりちゃんは、手紙を入れてくれて、そこに「文殊が純陀に負けたのは、いくら仏教の理論を理解し、
悟っていたからといって、実践には及ばないということです」、というような内容が書いてあった。
改めて聞いて、我ではない道で実践をするのは本当に難しい。
最近わたしは、「ねばならない」や「人のために」に固執していて、どこか曲がっているんだろうなと
思っていたけど、ばっさり言われた。

けど、「教育はビジネスでやって、残るのは利益だけじゃないやろ。でも、株式会社はそれしか見ない。
そもそもビジネスで教育っていうのは無理がある」なんていわれた日には、そんなことわかっとるわ
と思ってむかっとした。

でも、まあ、それはその通りなので、おいといて、「そろそろ、次のステップへ行動をうつすときじゃない
ですか?」というので、全く話すつもりもなかったけど、今2つの選択しで悩んでるという話をしてみた。
そしたら「いままで自分で考えたので、そろそろ自分とは別の次元で意見を求めたらどうですか?」
というので、また宗教勧誘されるのかと思ったが、のりちゃんはそういう点ではあまり押し付けがましくない。
結局、のりちゃんのいとこ@東京に会ってみたら?ということになって、早速メールをしてみた。

わたしは「でも、彼女になにをどう話せばいいのか・・」といったら、「思ってること言えばいいんですよ」
といった。言ってはいけないことなどない、かあ。

なんだか、少しらくになった。
なんでのりちゃんにこの話をするつもりがなかったかというと、ええ格好したかったからかなと思う。
いろんなことを考え出すと、自分で抱え込むのが一番ラクな方法になる。
アホな部分をさらけ出さずに、本音を隠して人に迎合し人から頼られ、効率よく良い結果が得られる、
と思っていた。

でも、本当はちがうんやろうなあ。
アホをさらけることは、時には失敗もあるけど、それなしには突破できない壁がある。
自分の考え以外のものが必要になるとき、アホをさらける習慣をつけてないと、どうしてもできない。
結局、自分で考えよう、となって、それまでと同じ思考を繰り返すだけになる。
自分だけの世界は、ほうっておくと、我の方向へ進みやすい。
独善的で、反省のない、自分だけの思考の世界。
わたしはそうなりやすい。

親やきょうだいに対しても、少しずつ、自分の思っていること、日々の行動を言っていこうとおもう。
今日は、姉に対して、身の振り方を考えている、転職もふくめて悩んでいると言ってみた。
別にだから何の返信をまつわけじゃなくて、自分が今変化の中にいることを、前までは隠して隠して
いたのが、今はそれを言っていこうと思えるようになった。

変化の中にいることを嫌う、特に親はむやみに心配するから。
それでも、言っていこう。ちょっとだけでも。

どこに答えが落ちているかも分からない。
一生てさぐりかもしれないし、バカな見栄をはって失敗続きを繰り返すかもしれない。
それでも、いまは、自分が考える選択肢をもって、いろんなところへ足をはこんでみよう。

まずは、のりちゃんのいとこ。
それから、おねえちゃん。
そして、いとこのともだち。
そして、いとこ。
それから、もりたつさんのトークショ。

東京stampedeを読んだけれど、まるでもりたつさんが主人公としてわたしに話しかけている
ような気がしてしょうがなかった。
でも、いくつかのキーワードが、数年前の読書と繋がった。
創発、相転移、群集心理、メディア。
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by jengsauman | 2009-03-18 00:28
もうそろそろ「r」の発音にも嫌気がさしてきた。
「どうせわたしはできないんだ」という思いが、顔をだす。
先週は、1週間ずっと「r、r」と仕事中もモゴモゴ練習していたが、今週はぜんぜんしなかった。
「報われない」という思いが少しずつ台頭してきたのだ。悪い癖だ。

そういえば、昨日、社長主催の研修会にて、「クレクレタコラはいかん」とぽろっと社長が言った。
「クレクレタコラ・・?」
調べてみたら、昔のアニメキャラクターだった。
なんでも、ほしがる人のことを指したらしい。

なんでもほしがる人は、確証を求める。
自分で決断しないで、すでに存在する正しいものを、あわよくばひょっともらえたら、なんて考えている。
でも、決断せずに、リスクを負わずに、失敗して学ばずに、我慢せずに、継続せずに、得られるもの
なんて数年たったら忘れている。

自分の血肉にするものだけが残る。残ったものだけが財産だ。
それらしいいただきものや借り物は、1シーズンくらいはごまかせても、2シーズンはもたない。
めっきがはがれて、使いものにならなくて、ぽいと捨てられて、存在すら忘却される。

そんなものもたくさんあるだろうけど、そんなものだけのために人生を費やしてはもったいない。
だから、くれくれになろうとする自分を制止し、まずは自分で決めたことをやりきるのだ。
ちょっと休憩してもいい。でも、簡単に自分を裏切って「どうせ無理」なんて言わないようにしよう。


今日、少しだけいいことがあったから、そんな前向きなことを書いている。
1つは、3ヶ月ぶりくらいにオーストラリアのAちゃんからメールがあった。
所詮、旅中の出会いだ。適当に表面的な話をして、縁が切れるのが9割以上。
Aちゃんもそうだと思って、「メールこないなあ」という思いも捨てつつあった。
Aちゃんは、メールのなかで、
How is your English going? It would be great if we can chat someday. Do you use Skype?
と書いてた。somedayはいつですか。わたしゃ、英語発音の勉強をはじめて4ヶ月くらいだけど、まだ母音の「r」で、これだけでもうすぐ2ヶ月足踏みだよと知ったら、きっとAちゃんは驚愕するだろう。自分でもびっくりだよ。somedayは20年後くらいでっか・・。みたいな。

でも、私はしんじている。
たとえ、基礎を獲得するのに3年かかったとしても、それは忘却しない。それは、血肉になる。
ほかのひとより大分おそい歩みだけど、きっとsomedayはくるよ。
広東語もふくめて、先生にもらったいろんな財産を、自分の力で財産にかえていくための
訓練方法を考案中だ。
先生に頼り過ぎない。先生がいなかったら何もできない人間から脱却するときなのだとおもう。

モチベーション激低下のタイミングで、Aちゃんからメールがきたので、また少しがんばろうとおもえた。


今日よかったことの2つ目は、「r」の発音が、前に「a」がついたときのみできるということがわかった。
今までは、雲をつかむような状況だったのに、1つできれば、少しだけ希望が持てる。
あいかわらず、「ar」以外はできないんだけど、あきらめちゃいかん~。

なんでここまで盛り返したかというと、先生が延々とあきらめずに信じてくれているからだとおもう。
もういい加減、クラスの中にも「もういいだろ」的な空気がある。
わたしだけが確実にできなくて、ほかのひとたちの時間を無駄にしているようでつらい。
でも、先生はまったくのKYだ。
先生は、絶対にあきらめない。
頭をかかえて、どうすればいいんでしょうか!といいながら、それでも私ができるようになると
信頼してくれている。
それでもできないんだけど、先生の存在に救われている、毎週毎週。

やっぱり、発音や文法を単独で勉強するのは効率が悪い。
効率悪いし、「できない」という思いにすぐやられて、「どうせできねーよ」なんて思ってしまう。
なにより、つまんない。
そこで、広東語のときに考案した、「シュミレーション勉強法」だ!とおもいついた。

先生のテープを聴いてるときは、広東語が出てくるのに、なにもなくてふと言おうとするといえない。
つまり、夢の世界で勉強してるつもりに浸っているため、それが現実的にどう使われるかを意識してない。
そうではなく、常に、自分と相手(ネイティブ)を想定して、会話をする。

あれはかなりよかった。
マイナス点があるとしたら、リアルの世界でその言語のネイティブや先生との交流がなければ、
おかしな発音や言い回しを定着させてしまうので、危険ではある。
あと、会社とかで、おもわず広東語でしゃべってしまうので、まわりの人に変な子と思われる。

でも、それくらいの強力なパワーがある。


で、英語については、完全に言語学視点になっていて、つまらないことこの上なかった
ので、今日を境に、シュミレーション勉強法を取り入れてみよう!

arが言えるということは、hardとか、carとか、farmとか・・は言える。
言える単語を増やしていけばよいのだ。

いつか、birdとかbearとかもいえるようになるように、ひきつづきモゴモゴ練習をがんばろう!


今日よかったことの3つめは、バレエの先生からのメールに、「菜虫化蝶」という題名がかいてあった。
きっと、自分自身の身体を信頼していき、バレエをとおして、今までとは違う身体感覚を感じられる
ようになりますよ、というようなことらしい。


あいかわらず、大して状況はなにも変わってない。
でも、少しずつ、なにかが確実に変わっているとおもう。
あいかわらず、へたれですぐあきらめたがるが、諦め切らないようにしたい。
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by jengsauman | 2009-03-14 20:56

テーブルサンゴ

あまりに発音がひとりだけ遅れているため、先生が1時間だけ時間をつくってくれた。
うすうす気づいてはいたが、私は舌を自在に動かすことができない、この点においてはほかの人よりも不器用なんだということを自覚した。
そう認識すれば、とりあえず続けてみるしかないと素直におもえる。
広東語は、偶然私の苦手な舌の動きをしなくてよかったに過ぎない。
英語は、とてつもない高いハードルなんだなあ。。
遠い目になるが、できなかったものが諦めなければできるようになったという経験をどうしても作りたい。

先生は、私の口の中の動きを見ながら、「○○さんの舌は、テーブルサンゴみたい」といった。
なんですか?それ、といったら、絵を描いてくれた。
まっ平らだった。

こんもりドームとはかけ離れた悲しい舌の現実。
くそおーー。
とにかく、後ろへ、高く、そして幅つめ。

1週間でどこまでできるようになるだろう。花粉症でマスクをしているから、歩きながらでも、仕事中でも、練習しても変態と思われないのはラッキーだが、すでに絶望したくてたまらない。シュン。
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by jengsauman | 2009-03-01 13:59