過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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この2日間

25日(土)
朝から、NPOのお手伝いにいった。10:00~15:00まで休憩もなく一心不乱に事務作業。
声をかけてもらえてとにかく嬉しい。なんだか爪先のはしっこだけでも居場所を見つけたような錯覚で。
でも、それは違う。違わないけど、人に判断してもらって自分が安心する立場のままではだめである。
その後、雨の中、歩いて英語授業へ移動。何も食べてなかったので、ちょっとふらふらっとしてみたけど、
ふと、土曜日に朝からこんなに集中して時間を使ったのは初めてか10年ぶりくらいではないか、と思い
自己満足する。こんなのだめだけど、仕事よりも集中していた。
ここには尊敬できる部分を持つ大人がいる、と思う。
NPO団体に対して、一概に否定的な考えを持つ人もいて、私もその傾向はあるけれど、そんなあやふや
な思いを持ったままでも、できる部分で関わっていって、感じて考えて交流することで判断すればよい。
すぐに答えを出さなくて良い。とにかく、来た波に乗るのが良い、と感じる。
でも、こんな消極的な関わり方で果たしていいのだろうか?という不安を抱えつつ。焦らない、焦らない。

何も期待していなかった場所での雑談から、自分が以前やろうとしてやらなかったボランティアをやって
いる人にも繋がったりした。壁が高そうと勝手に思って行動しなかったけど、私にでもできるかもしれない
という可能性を勝手に感じる。縁があればやってみよう。
こういう出会いがあるから、何でもいいから人がいる場所に出て行くのは可能性∞だ、なんて
おもってしまう。

英語授業は、あいかわらず楽しかった。けど、これをどう使えるようになるかが重要だから
たのしかった、イエーイではもったいない。

授業が終了後、最近マンションを買ったという会社の友達の家へ行く。
すでに4人が集まっていて、中華料理を作ってもらい、wiiをやって食べて飲んだ。
いかにもな過ごし方、と思いつつ、たまにはこんなのもいいだろうと思うことにする。
ほかの人は全員かえって、私だけお泊りした。夜中までwiiをする。



26日(日)
朝おきたら、とっても良い天気だった。
うさぎをつれて、近くの河川敷で散歩&すわり話をした。とっても気持ちよかった。
私もこのへんに引っ越そうかなと思ったくらい。治安も良いし、河川敷にもジョギング用の道があるし。
2時間くらいで家へ戻り、ベランダから景色を眺めていたら・・・・
見覚えのある建物が見えた。

こうちしょである。

位置的には近いことは知っていたけど、まさかベランダから見えるなんて、びっくりして倒れそうになった。

とともに、このマンションに住みたい、と思う。
このへんに住みたい、と思う。

こうちしょを日常の中でよりリアルに感じたいと思う。
それは、私の甘えかもしれないけれど。
そして、そういう方法でリアルにしてはいけないのかもしれないけど。

少なくとも、私にとっては非日常(=有休をとってわざわざ訪れるイベント的な場所)であるけど、
本当は、毎日、あの中にも日常があるんだということを、休日にベランダにて目の当たりにした。

その後、19時くらいまで、自分がやりたいことや会社のことについて話をした。
また、理想論爆発の世間知らずをやってしまったと思いつつ、いいのだ、いいのだ、と思う。
意志あるところに道は開ける、とおもうことにして。

帰り道、Hさんに紹介してもらった勉強法の本を読んで、ふと気づく。
試験対策は、合格する答案を徹底的に書ける回答マシーンになるための訓練なのだ、と。
機械的、ということばがすごくいやだけど、試験とはそういうものだと割り切ったほうがいいのかもしれない。
かんとんごの先生も、合格しないとやりたいことをする資格さえないのだから、それまでは辛くても
試験合格に徹底的に照準をあわせたほうがよい、と言ってたけど。
いまいち、割り切れない。

もっと迷いたい、学問として取り組みたい。刑罰についても考えたい。なんて、甘いのだ。
合格してからやりたいことをやればよい。なぜなら、合格せずにあれこれ考えたいのであれば、
法曹のことなんて考えちゃいけない。違う道を探すべきだからだ。
そんなに甘くない。

そうは思いつつも、機械的に数年勉強した自分は、数年後果たして疑える人間でいられるのだろうか?
もうつめこんだ知識を適用するだけの人間になっているんじゃないかという不安で、覚悟できない。
それなら、少なくとも、定期的に強制的に疑う環境を残して、あとは徹底的に取り組めば良いんじゃ
ないのかって思うけど、そんな環境が見つからないと嘆いている。

ああ、もう。うっとおしい。

けど、帰宅して、広東語や英語の教材が山になっているのを見て、ふと、
これらについての取り組み方も、どれだけ中途半端に斜に構えていたのかと気づく。
私の目的はあくまで、「使えるようになること。回路を作ること」であって、学者になることじゃない。
もっと、日々の鍛錬や繰り返しにフォーカスすべきだった。

潔癖を捨てよう。こわいけど、おそるおそる、機械的な部分を8、そうでない部分を2くらいにして、
取り組んでみる覚悟を持つのがスタート。
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by jengsauman | 2009-04-26 22:00

この3日間

水曜
ゼミの友達の結婚式に送るとらっきー電報に声をふきこむため集合。かしわなべを食べる。

木曜
おねえちゃんの家へいく。おにいさん特製のおこのみやきを食べた。相当まいうだった。甥っ子がだいぶ反応するようになって、手をだしたらものをくれるようになった。「ありがとう」というと、相当うれしそう。かわゆし。

金曜
弁護士のHさんとあう。約束の時間になっても現れないので、電話してみたら、まだ事務所の最寄り駅だった。なめとんかと相当腹が立ったが、依頼者の相談が長引いておりまして・・と後で相当あやまられたので、まあいいかと思う。しかし、弁護士になったら、友達減りそうと思った。親友じゃないと理解してくれなさげ。
どじょうを食べにいった。LSの勉強の仕方をワードにまとめてプリントアウトしてくれた。ひたすらインプットとアウトプットの繰り返しらしい。それにしても、なぜか相当親切で、「いつでも相談してください」を連発される。この人は神の使者か?と思う。下心があるという雰囲気でもないし、とても不思議な人だ。仕事が楽しくて仕方がないという私の周りでは唯一の人だ。
食事の後に本屋へいって、おすすめの文献を紹介してもらった。一冊だけ買って帰宅した。
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by jengsauman | 2009-04-25 07:05

本当にいいのか?

許してください、と甘い考えを持っている。
人の命にかかわることなのに、とっても甘い考えを持っている。
簡単に許してもらえるとどこかで期待している。
まったくもって、言語道断。なのに、単純化したい衝動にかられる。

こんな世界に首をつっこんで、何もできやしないんだから、逆に傷つけてしまうだけなんだったら、
自分が傷つくだけなんだったら、無力と悟って何もしないほうがいいのか。
母親に「手紙にそんなん言ったらかわいそうやん」って言われただけで、
ガラガラと崩れていく気がした。

私がやってることは、ほんとはまったく意味がない自慰行為のか。人を傷つけているのか。
そんなこと確認のしようもないし、分からない。
もしそうだとしたら、私はまた何をしていけばいいのか、完全に道を見失う。
でも、現実は現実だ。でも、現実がなにかは分からない。
知りたいけど、知りようがない。
諦めたくないし、諦めたいけど、諦めたくない。

もっと切り込まないと。でも、もっとそっとしとかないと。ぜんぜん分からない。
でも、自分だけが傷ついたり、道を見失ってる場合ではない。

やれることをやろう。目の前にあることをやろう。人に会いに行こう。

本当にいいのか?なんてきっと死ぬまで分からない。
報われなくても、腹をすえて向き合う勇気と覚悟を持てるのか?
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by jengsauman | 2009-04-22 02:41

人と会う

今日は、会社の飲み会に参加した。調子にのって飲みすぎた。
シャンパン、梅酒そーだ2杯、キールかなんか、足や節々が痛い。
アルコールに弱いんだから飲むなっちゅうに。

収穫があったかどうかは分からんけど、行ってよかった。
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by jengsauman | 2009-04-22 02:35
先日、ツタヤのキャンペーンでCD4枚1,000円というのがあったので、借りた。
ショパンのピアノ協奏曲を借りようと思っていったのに、なぜか福原みほという人とアンジェラ・アキをかりた。

福原さんの「anymore」という曲を気に入って聴いていたが、あまりに聴きすぎて飽きてしまった。
その歌詞の中に、傷ついていけという歌詞があって、そこが気に入って何度も聞いた。
しかし、それを聞きながら向かった大学院の説明会は、自分の手帳への記入ミスで、前日に終わっていた・・。
当面、大学の前で立ち尽くした。何が傷ついていけやねん、その前にしっかりせえやとか思った。

しかし、傷ついていくというのは、本当に難しい。
傷つくことを一番に避けてきた人間が、ある日突然傷ついていけるわけがない。

今日も、CDを返しにいったら、ツタヤのエスカレータで、表参道の美容院○○の者です、と話しかけられた。
別に怪しい風貌ではなかったけど、怪しい人かもしれなかった。

わたしは、とっさに「そんなんじゃないんで」とかいうわけの分からないことを言って立ち去った(というか逃げた)。
変な人だったかもしれないけど、なんでそういうことから逃げ回るのだ。

まさに、体感治安の悪化により、何でもかんでも怪しそうなものは避ける。
自分の安全な世界でのみ生きる。つまらないよ、ほんましょうもない。

帰り道、なぜ話だけでも聞かなかったのかと後悔した。
怪しい人だったかもしれないけど。それでも、何かを知れたのかと思うと、損をした気になった。
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by jengsauman | 2009-04-22 02:29

ゆらぎ

昨日は、バレエの日だった。とはいえ、ほとんど先生と話しているあいだに時間が過ぎてしまった。
ひさしぶりに、不安を吐露したくなって、先生はきいてくれた。
そこで感じたり、言われたりしたことを思い出しながら。。


ゆらぎは当然存在してよいのだ。
でも、受け止めていくことで、そのゆらぎの幅や頻度は少しずつ小さくなる、のかな。

そして、苦しいと思えることも、そのまま受け止めたら、何かが見えるのかもしれない。
自分の乏しい想像力をはぐくむために、それらの苦しいと思われる事態は現れている、かもしれないから。

季節や天気なんてどうでもいいと思っていて、とってつけるように話していただけだった。
今もたいして変わらないけれど、ふとそこにあるもの(のようなもの)を感じるときがある。
きっと先生が、いつも花を大事にしていて、風や空や大地を感じるように促してくれるからかもしれない。時々は、ふとそこにある現実に目を向けられる気がする。「穀雨」なんて、何と美しいのだと感動した。まさに、雨というものの存在意義や、長年続いてきた地球との繋がりを鈍感な自分でも少しだけ思いをめぐらせる。でも、そんなことすら気づかなかった自分は、一体なんだったんだろうという空しさも感じる。小学生の頃のような目線。あの田舎は宝だったのかもしれない。都会では、近視眼的にならざるを得ない。会社では、目標や利益を考えざるを得ない。でも、そんなもの、頭が考えたことであって、身体の叡智から湧き出たことではない。でも、全否定するのも違う気がする。だって、企業があるからこそ、世の中が成り立っているのだから。もっと、曖昧でいいのかもしれない。あれとこれの足してニで割ったもの、とか。割り切れないもの、とか。

そんなスタンスでいても、単なる現実逃避だよ、かもしれない。
でも、よく分からないもやだらけの目前で、私は今も迷い続けている。
ともすれば、正しい未来を欲しがり、確証や形や証明を手に入れたくて仕方がなくなる。
そして、そちらに向かって再度走り始めた時、わたしはまた自らの生命力にふたをし、既存の誰かと自分を同一化して、誰かになろうとし、自らの生命から目を離していっていることにすら気づかない。
それならば、まだ、現実逃避でも、生きているほうが幸せなのではないか。そんな思いを抱いた1時間だった。

先生に「頭で理解しようとすることは当分しないほうがいいよ」、と言われて、ドキっとした。
「今年の年末くらいまでは、知に走らず、身体を動かしたほうがいいよ」、と。
「特にGWなんかに本読まないでね」、と。
それに対して、わたしは「それは無理です」、といって笑った。

読書を失うと何が残るんだろう。電車の中で、何すりゃいいんだろう。
やることないよ。そして、わたしは読書やひとり考えのようなもので、自身の世界の多くをつくっているのだと気づく。リアルから遠くて、どこか凝り固まっているような。

別に、何かをやったらあかんのではなくて、何をやってもいい。先生はそういいたかったんかもしれない。

目標はあったほうがいい、と思ってきた。
何かを意識的に積み重ねていくことが、確実な道で、成功への道なのだと。
それはそうかもしれないけど、でも、それが自分を決め付け、苦しめ、枠に入れ込み、ただ反復を求めるのであれば、そんなこと、しなくったっていいんじゃないかという思いもある。

先生は「あのね、言ってしまえば、ほかの人がやってることはやらなくていいんだよ」といった。
誰かの言う正しさは、私にも有用であるかもしれないけど、害になるかもしれない。それでもやはり、わたしは誰かの正しさを捨てられない。法曹になれば、人を救える、という観念にがちがちになっている。他人を救えるわけなんてないと思いながら、でもほかの仕事よりはずっと人に近い仕事ができるはずだ、と。でも、自分が救われていないのに、人に寄り添えるわけはない、と思う、やはり。

「なぜ今のままじゃだめだと思うの?」と聞かれて、「このままじゃ、しゃ、しゃ、社会の役に立たない人間で・・」と言ってる自分が、とてもうすっぺらく思えた。自分が言っていることと思っていることが違うような気がした。せんせいは「社会の役に立たない人間はそもそも存在すらできないんだから、存在している時点で役に立つということなんだから」ととても真っ当なことを言った。これについては、まったくぴんとこなかった。でも、自分が言っていることもぴんとこなかった。

先生は、「人はね、やらなくてもできることはわざわざ与えられないんだよ」と言った。
そうだとすると、やみくもに人と同じものを欲しがらなくてもいいんだという安心材料になる。
自分が親にならないのは、親にならなくても十分親として必要なものを既に持っているからであって、親になれないのではない。親になるということは、親になって学ばないといけない何かがその人のミッションとしてあるということなのかもね、と言った。

先生は、親ではないけれど、「足りない、欲しい」と思っていない。無理して親になろうとしていない。これが自分に与えられたミッションである、と自分に与えられた方法で、こうして大人と向き合い、ある意味教育をしていて、生命力をよみがえらせている。こういう人がいなければ、世の中はどれだけ孤独で殺伐だろうかと思わずにはいられない。もし、私が結婚することがなかったとしても、子供を産むことがなかったとしても、それはそれで受け入れられるようになりたい。その分、自分ができることで、人の生命力とかかわっていけるようになりたい。でも、それは、無理やり決めたことではなくて、ふと与えられたミッションなんだろう。だから、やっぱり考えてもしょうがない。

「もうね、この数ヶ月ですごく変わったよ。顔も、声も、生命力も。だから、何にも心配してません」と先生は言う。わたしは、この数ヶ月で何も変わってないと思う。だから、あいかわらず焦っていて、早く答えがほしくて、ゆらゆらしている。先週末くらいから、2年前くらいに毎日見ていた悪夢を見るようになった。夢の中で、殺されたり、殺したりする。また、自分の心がすさんできて不安定になっているのかと思い始めていたが、そうでもないかもしれない。たとえ、そうだったとしても、それを受け止めよう。私に必要なものなのだ、きっと。あれほどリアルに死の恐怖や痛みを感じることなど、現実を除けば夢以外ではありえないのではないか。そういう意味では、夢はわたしにリアルではないにしても、何かを与えてくれると思う。

いろんな思いが交錯する。それでも、できるだけひとりで考えることをやめたい。
先生は、「まだ半年しか経ってないよ。ハッハッハ。季節が一巡りもしていないですよ」といった。
あたしはやっぱりいらちなんかなあと、考えつつ、考えるのをやめようといいつつ、また考えつつ、歩いて帰った。
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by jengsauman | 2009-04-22 01:58

マザーハウス

半年くらい前からバッグを探していた。
パソコンやノートや参考書や本や電卓や手帳やおかしや上着やなんでも入るどでかバッグ。
半年くらい、ときどき百貨店やおみせをめぐってみたけど、これというのに出会えず、
マザーハウスで買いたいなと思っていたけど、なかなかこれというものに出会えず、
毎日、かばんと紙袋2つくらいを下げてあるいていた。

先日、マザーハウスのめるまがで、前にほしいと思った形のレザーが出たと知り、
早速おみせへいってみたら、1個だけ店頭においてあって、お店の方といろいろ話して
これも縁だと思って買うことにした。
¥35,000

こんな高い買い物は何年ぶりか。
それでも、買い物って、贅沢とか消費とか欲望とか刹那的とか悪いイメージがあったけれど、
最近は、買い物で自分の思いを実現することができるんじゃないかと思うようになった。

あれもこれもやりたくてもそんなことは無理。
それなら、自分が「この会社なら」と思うところで商品を買う。
そのお金が事業拡大や社会変革につながれば、それってとても幸せなことだ。

やればできるのにならない、やるチャンスがない。そう思っている。
でも、やればきっとできるんだということを知りたい。そして、伝えたい。
失敗はする。そして、失敗をいかす。支える。いちどかかわったら責任を持つ。
そうすることで自分も救われるんじゃないかと思う。

茨の道とおもっているけど本当にそうか?
わたしは生きるチャンスがまだある。
それに賭けることができる。
もし試験に落ちても、すべてを失うわけじゃない。
そこからまた見える世界があるのだと思う。
だから、躊躇している自分の背中をおそう。おして、転んでも、また昨日とは違う自分になろうとすれば
なにかは見えるだろう。
世間から叩かれても、ぶれない軸を持つために。

山口さんの取り組みをテレビでだけだけど見ていると、
勇気をもらうことができる。
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by jengsauman | 2009-04-18 14:59

雑用

仕事の多くは雑用と調整だ。
調整調整調整、雑用雑用雑用。いらいら、いらいら、いらいら。
自分だけしんどいつもり。

今日、そんな話をしていたら、となりの部署の部長がぽつりと「おれ、何してんかようわからんわ」
とこぼしていた。他部署へのヘルプや、いろんな人との調整、突然の相談やいろいろ。
もしかしたら、どの部署も、どの立場も、同じような思いを抱えるものなのかもしれない。
違うかもしれない。

組織にいるとそんなもんかもしれない。
でも、人が集まると、調整と雑用が大半を占める。

法曹はもっと雑用だらけかもしれない。

でもふと、直接お客さんから「ありがとう」って言われる場所にいたら、
どれだけ報われるだろうって思う。

近所の大好きなうどんやさんの店員さんのほうが、自分なんかよりもずっと豊かな人生を送っている
気がして、むなしくなったりもする。そうだ、小学生のときは、難波にあるうどんやさんになることが
夢やった。

でも、やっぱり、ねごねごねご。
この組織にいる以上は、そこでできることを増やすしかない。
捨てるのはいつでもできる、批判するのも簡単、だからやれることを増やす。
それでもやっぱりちょっとは報われたい。それが人間のよわさなんかなあ。
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by jengsauman | 2009-04-16 23:31

人と会う

ちょっと前までは、人と会うとなったら一大事だった。
自分が痩せているかどうか、自分がOKをださないと、なかなかすっと人に会えなかった。

先日の、広東語の先生からのメール「(先生のかんれき祝い会に呼ばれたが、自分の過去の失態や
クラスからの逃げ出しを思いだすのが気まずくて、でもせっかく誘ってもらったしと思って、ちょっとだけ
行きますと言った後の返事として) なんでちょっとだけなんですか?」

あれはきつかった。
あのメールはつまり、先生からしたら、「わしのお祝い会やねんから、君の事情はどうでもいいよ!」
やよな。と初めて思い至った。もちろん、そんなこと言わないけど。
先生からしたら、相当意味不明なんやろう。どうすればそこまで自己保身的に生きれるのか。

いっつもわたしは自分のことばっかりで、自分の言い訳を完璧なものにするために
いろんな逃避をして、人を傷つけて、それでも自分をまもりたかった。
でも、先生のお祝いなのに、わたし、何なんや。
あほちゃうかとおもた。

自分がばかと思われたくなくて、人と会わなかった。
会う場合は、用意周到にいろいろと調査して、自分の想定の範囲内のことしか起こらないように、
範囲内の話しかしなくてすむように、生きてきた。

そして、自分が傷つくことにばっかり敏感で、
自分が他人を傷つけることには恐ろしく鈍感だった。

でも、それじゃ化学変化はおきない。
だから、人と会おう。人のいる場所に出て行こう。と思う4月である。

昨日は、大学のときの友達の家へ行った。仕事後に友達の家に行くなんてかなり高度な技では
ないかと自分で感動した。
んで、ご飯を作ってもらって、ふたりでゼミの友達の結婚式に送る電報について相談した。
なんとドラマのような時間の過ごし方!とおどろいた。

そうしていたら、その電報案に乗ってきたゼミの別の友達が発生して、
わたしの提案した「とらっきー電報」が採用されて、
その電報は声をふきこめることが判明して、
また来週の水曜にその子の家に今度は3人で集まることになった。

そうこうしてたら、中国留学時代の友達から電話がかかってきて、日曜に会うことになって、
姉からもとまりにけーへん?とかきて、
会社の飲み会など今まで1度も行ったことがないがとりあえず参加してみることにして、
こないだの弁護士の人が「勉強法や参考書を紹介しますよ」とかいってきてくれて、
ハイキングにいこうとかなって、
人に会うということは、存在していく上で必要な波に乗るための第一歩なのかもしれない、とおもう。

今月の交際費はとんでもない額だ。。。
とりあえず何でも首をつっこんでみる。。


昨日あいにいったともだちは、「やるかどうかを迷ってスタートが遅れるよりやってみたほうがいいよ」と
言っていた。
とりあえず、そんなことになっている。
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by jengsauman | 2009-04-16 23:23

加速

「なにか」にはなかなか出会えない。
自分の中にあるはずの「なにか」でさえ、掴みにいこうとすればするほど見失う。
だから、簡単に手に入らないのだと思えばよいのかもしれない。
そして、人に会って、波を加速することと、そのために発信すること、最近はそんなことくらいしか
思いつかない。でも、そのおかげで、少しだけ肩の荷がおりた。

弁護士の人とのみにいった。ほうかだいがくいんのはなしをいろいろと聞いた。
思った以上にシビアな世界であるらしい。殺伐、というのだろうか。
でも、そんな話に怖気づくくらいならやらないほうがよいし、社会のなんの益にもならない。
わたしが自分のプライドを満足させたいのなら、もっと別の簡単な方法があると思う。
そうじゃないんだ、とバランスやこれまで感じてきたことや知識を積み重ねていくのはとても難しい。
○○とは、こういうことなんだ、と決め付けた瞬間に、私がそこにいる存在意義がなくなるような気がする。
そんな方法論の法曹で優秀な人は、きっと私より1億人以上多くいる。
だから、人の真似をしちゃいけない。
でも、学ぶことはある。
だから、どうすればいいのか、戸惑い、悩む。
でも、つながりを持っていたい。

最近、経営者というのは、本当に大変だなと思う。
一般社員などの背負うプレッシャーなど蚊のようなもんで、経営者は毎日いろんな決裁に追われている。
どこかで読んだ(どこでかは忘れた)けど、経営者は、「正しさ」と「正しさ」の間で決裁をしないといけない。
どちらも正しかったり、どちらも正しいようで違っていたり、それでも何かを決断しtないといけない。

世の中は、そんな一筋縄でいかないことだらけなのかもしれない。
その記事を読んだときに、経営者としての社長はやっぱりすごいんだなと思わずにはいられない。
いろんな意味で。

しかし、法曹というのは、その正しさと正しさの間で決裁すること、の最たる例なんじゃないか。
おそろしすぎるよ。そして、自分がそれに近づけるようになるとしたら、思考停止で、判例や慣例を
ただ闇雲におぼえて、ケースにあてはめていくようなやり方なんじゃないかと思ってしまう。
そうでなければ、どんなに苦しい道のりなんだと絶望的になってしまう。

それでも、何かを積み重ねて、何かとふれあって、自分の中に変化や結合や破壊を生み、
ちょっと前までの自分なら想像できなかった事態を迎えているということもありえるのだと期待して、
積み重ねていこうじゃないかと思う。

覚悟とは、頭で考えることじゃないと思う。腹で決めることだ。たぶん、身体がきめることなんじゃないか。
だから、わたしは時間の無駄と思っても、身体が決断するまで待っている。
それは間違いかもしれないし、惰性かもしれない。でも、とりあえず待っている。

先日の下痢で、身体って本当に賢いのだとおもった。
正露丸などまったく効かない、きっとあれは浄化作用だったんだろうとおもふ。
からだは知っている。だから、わたしは、痩せることを時々考えつつも、からだを信頼したいと願っている。
いつもそうであればもっと楽なのに、と思いつつ。
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by jengsauman | 2009-04-16 22:54