過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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びょういん

ひさしぶりに病院へいった。痔で。

赤坂の駅の近くでしたが、スタッフの方の感じがとてもよかった。
そして、先生に相談したら、「手術しなくて大丈夫」とのことで、安心した。

ふと、「痔の手術」なんてささっと終わりそうと頭では思いがちだが、自分のこととなったら急に
不安になってきた。切るのか・・という不安で。

先生はとてもざっくばらんで、思っていることをいろいろ聞いたが、どうやら当面は大丈夫そうだ。
そして、こうして人に安心を与えることができる職業というのは本当にすごいなと改めて感じた。
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by jengsauman | 2009-05-28 23:46

バレエへ行って、先生に今の状況について話をした。
これからどうしていけばいいのか、やっぱり答えがほしくなる。
それでも、先生が「いつか○○さんと連携して、塀の向こうの人に何かできれば、こんな素晴らしい
ことはありません」といってくれた。
それが正しいのかどうかは分からない。「被害者のほうが救われるべきだ」とも思う。
最近、とある人に出会って、よりそう思うようになった。
「被害を受けた人はそれを背負ったまま人生を歩いていかなければならない」という想像もできない
苦痛が、この世の中に存在する限り、どう頭で考えても、やはりそうなのだ。

それでもやはり、私には加害者はただ懲らしめられるべき存在とは思えない。
被害者も救われるべきだし、加害者もまた、何かを背負っている。
罪は処罰されるべき。
でも、今の日本の現状は、どちらも放置されているように思う。

だから、先生と一緒に、蟻のような取り組みでも、ユートピアのようと言われても、
1人でもいいから、触れていきたい。
そのために、どういう取り組み方をしないといけないのか。
それを考える。

心から、やりたいと思う夢。でも、偏ってはならない。もっと、考え、触れて、話したい。
勉強しよう。

自分がアジアというか、自分の世界に閉じこもっていたことに気づいた。
外国語の勉強のしかたとか、いろんなことで。
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by jengsauman | 2009-05-28 20:55

これくらいでいい、なんていわずに、「やるならやれ、でも人のせいにするな」といってほしかった。

安全なルートを歩いていった先には、自己を見失うリスクがあるんだといってほしかった。
人の真似をするんじゃなくて、己を活かすことを考えなさい、といってほしかった。
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by jengsauman | 2009-05-28 20:46 | 大人の人に言ってほしかった事

必死?

本気でその人の話が聞きたいと思ったら、その人と1ヶ月一緒に住むくらいの気持ちがないと嘘だわな。
だって、寄り添いたいって、知らないとできないわけでしょう。

本気なのか?必死なのか?
本当にその人の話を聞きたいと思っているのか。本当に少しでもその言葉のリアルさに近づきたいと思っているのか。
その必死さはどうすればつくんですか?なんて聞きたいけど聞いたら怒られそう、なんて思ってるうちは、うわっつらで飾りたいという欲求の粋から抜け切れていない。

そもそも、お前になんの価値があるのか?
決めたことを遣り通したという実績もない。資格もない、知性もない、知識もない、智慧もない、逡巡もない。
それで、どうやって自分の生活を安定させたままで、リアルに近いものを見学させてもらおうなんていうムシのよい話を思いつけるのだろう。
そんな実力があるのか?
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by jengsauman | 2009-05-25 23:18

いろんな人がいる

先日の情熱大陸では、映画監督のきりやさんを取り上げていた。

「根拠のない壁をつくらないでください」

そんな言葉がすごく胸のなかに残り、どうしたら覚悟を決められるのか、また決めた覚悟に対して行動を始められるのか、頭で考えてもしょうがないと思いながら、思いをめぐらせた。


できないと思い込んでるだけなんだ、といわれたら、「いや、そんなことないです」ときっと言う。
でも、本当にそうだろうか。
本当にできないんだろうか。
それとも、まだやってないのか。できないと思って諦めているのか。

それでもいいはずなのだ。
程度をわきまえた大人。
今は自分自身がそんな世界で生きることの心地よさを感じている。
程度さえわきまえていれば、中身がなくたって、あまり責められない。
人からなにか言われることもまあない。

けど、何かが違う。
これじゃだめなんだと思う。
でも、上の言葉のように、自分でつくりあげた壁をどう突破したらいいのか、それを突破できるのは
やっぱり特別な人なんじゃないかと思いたくもなる。

けど、そう思った時点で、私はできないという確証もなしに、決め付けている。
だから、どうにもならない。
考えても、なんにも答えなんて出ない。

そんな保身をめぐるぐちゃぐちゃをどうやったら突破できるようになるのか。
それは、保身はよくないと分かっていても、まだその手前でうじうじしている現在の最大の疑問だ。
私は、突破口を探している。
でも、そう書いていて、なんてうさんくさいんだと思う。
だって、そんなのは、きっとここにあるんだろうから。

いろんな人がいる。
いろんな役割がある。
でも、最終的には、自分のために生きなければならない気がする。
今までさんざんいろんな場面で、「人のために」を標榜して、内心「イタイな」と自分で思いながら、
ある程度はその場をへらへら切り抜けて、その後は何も残らないという時間を重ねてきたけれど
やっぱり自分が生きるにおいて、人のためにを前面に押し出すのは、逃避じゃないかと思うようになった。
私のためが結果的に人に役立てることであることが一番私にとってのハッピーに近いものかもしれないし
もしかしたら、人のために、なんていう印籠を捨てたとき、ぜんぜん違うアイデアが思いつくのかもしれない。
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by jengsauman | 2009-05-24 10:47

甘え

ほんまはこんなことしたないねん。でも、生活があるやろ?だからしゃーないねん。私はあんたみたいに覚悟を決めることができないだけなんよ。自分の夢や使命を信じて、自分の足で立とうと、何があっても這い蹲ろうと、裸でも行き続けようと、なんて到底できないと思ってるだけなんよ。

と心の中ではずっと思っていたけど、「じゃあ死ねばいいじゃん」と言われたら、「いや・・それはさすがに」となる。で、「結局、今の状況を主体的に選んでるんじゃないか」と言われて、何も言い返せなくなる。

自分の会社はこんなにすごい福利厚生だとか、自分自身はこんなに良い待遇だとか言っても、だから何?なのである。自立してないじゃないか、と。自分はこんなにすごいものを持っている、だから何?やねん、ということになかなか気づけなかった。
そんな思考まじめすぎてつまんないと言われてもいいから、ユーモラスで真摯な人になりたい。
全身全霊で逡巡し、考えうる最大限の方法を模索する人になりたい。

いつだってやり直せる、なんて口では言っていたけど、どっかで諦めてたんだ。やっぱり、決定的に諦めていた。
私は過去の過ちを、いまだに消化できないんだ、なんて。

だから、救われた気がして驚いている。人が人に救われるというのは、ほんとにそうなんじゃないかと思うきっかけとなった。
なぜなら、人が人に救われるというのは、結局ある部分でのみのことだと思い込んでいたけど、そうじゃないかもしれないと。
自分の考えていることなんて、自分の脳が作り出した故事であって、都合のいいとこだけ脚色して、なんだか実現しないであろう聖域ストーリーのような感覚であった。どうせ無理なんだ、でも、存在するユートピア。
でも、違うかも。なんていえばいいんだろう。この感覚、どういう感覚なの?
これもまた、私の脳が作り出した妄想?
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by jengsauman | 2009-05-19 23:38

せぱたくろ

友達に誘われて、セパタクローのイベントを見に行った。
そもそも、その友達とは5年ぶりくらいなので、会えるのを調整していたのだが、なんでもってセパタクローの会にて再会なのだ?と思っていた。
でも、まあ行ってみようと思って、5回くらいどたきゃんしようと思ったけど、なんとか後押しもしてもらっていってみた。

今まで何度か前を通ったことがあったライブハウスのようなところで、実際見てみたら、めっちゃくちゃおもしろいやん!

友達に感謝である。

いつもこうしたいろんなものに触れて刺激を受ける習慣をつけたいと思う。
しかし、タイ代表の人の打球速度は半端なかった。

そして、「見せ方」って大事だなあと思う。
この競技、そのへんで地味にやってたら目もくれないのかもしれないけど、ああいう見せ方はきっかけとしてはとても重要な作用であると感じた。
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by jengsauman | 2009-05-19 23:37

地裁にて

本日、初めて裁判傍聴へ行った。会社午前休して。

横浜地裁であったが、建物が新しくて綺麗なので驚いた。また、裁判員制度を意識してか、いろいろな
電子機器(モニター、カメラ、録音、等々)が装備されてあった。

どのように被告が入ってくるかは本で読んだことはあったが、その通りに現れたのでショッキングだった。
手錠と、ひもである。

裁判の内容については書かないほうがよいかと思うけれど、実際に裁判という場で人間を目の当たりに
すると、やはりその人の可能性というものを信じたくなるものだと感じる。
しかし、だからといってただ減刑(もしくは無罪)すればよいとも思わない。
罪をおかした(であろう)ことは、やはり償い、何が悪かったのか、どこを変えていけなければならない
のか、それは個人の問題なのか社会の問題なのか、そういうことを明らかにしないと同じことを繰り返す
可能性があると思うし、反省して習慣や考え方を変えなければ、なんのための裁判であり、刑罰なのか、
という気がする。

被告のためを思っても、どのような刑罰が妥当なのか、なんてどうやって決められるのだろうかと
途方もない思いにかられる。短めのほうがいいのか、長めのほうがいいのか。いや、期間じゃないよと
言いたいけれど。しかも、被害者のいる事件だと、被告の人権だけ守られておかしいという意見に
また反論できなくなってくる。わたしは、怖気づいてしまった。

わたしは、法廷よりもその後のほうが興味があるのかもしれない。などと思ったりもした。
あまりに恐ろしくなったから、逃避なのだろうか。

印象的だったのは、被告の家族のコメントや、検察官や裁判官のコメントである。
世の中、奇麗事だけではないと思う。それこそが、リアルなんだなあと。。
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by jengsauman | 2009-05-12 23:09

からんこえ

5月9日
英語の授業後、熱海へいく。思いつきの行動であったが、とてもサービスの良い宿で、楽しめた。しかも、ラダックのような山間にぽつぽつと建物があるあの風景が、たまらなく好きだ。
風呂で、私ともうひとりの女性と2人になる。その人が露天風呂でずっと粘っていたが、私はそこへ入って
いく勇気がなく、室内でぐるぐるして退散した。こういう勇気が、本当に弱い。さっと行けばいいだろうよ、
誰も見て無いし、別にしゃべらなくったっていいじゃん、と思うのに、足を進められない・・。

5月10日
熱海から芦ノ湖スカイライン&箱根スカイラインを越えて、御殿場へ。「ふじさん絶景」と書いていたが、まさかあんなに絶景と思わなかった。美しい。ほんとに興奮した。ずっとフジサンの近くを走っていて、どんどん近く
なっていくあの感覚、それなのにあのフジサンの毅然として優美かつ厳粛な雰囲気といったら、これぞ日本一
といわんばかりである。

アウトレットで買い物をして、観覧車にのって、ゴルフ場だらけだなあと思って、帰途に着く。
帰り道で、丹沢一帯が見える。こちらも夕焼けとあいまって、大変印象的であった。
いつか登りたい。


5月11日
先週末におかした失態がいまだに頭にこべりついている。
とっても小さいことだが、私は、ある苦手なお客さんが会社まで契約書を届けに来たのに、出なかった。
受付の人が「代わりに受け取っときますね。何か特に話すことはありますか?会います?」といわれて
とっさに「ありません」と言ってしまった。

その人に会わずに済んだという一瞬のラクのために、その後相当後悔した。
その人は、いろいろと失礼なことをしてきたので、私も丁寧に対応しない、というのが本音。
でも、それってめちゃくちゃあかんやん。めっちゃプロに程遠いやん。っていうか、人間として最低。
見返りがないから、ほどほどにしかしないっていう私の悪い部分が露呈した。

それで、ふと、自分は何にも変わってないじゃないかと気づいた。
ある面では結構変化したつもりになっていた。だから、そういう点を見落としていた。
でも、ぜんっぜん変わってないよ。驚くほど変わってない。
なぜなら、変える行動をしてないから、前と同じ行動をしてしまうのだ。
人と向き合うことを避ける。それなりのかかわりをして、相手の出方を見て、自分の行動も決める。
どこか違う、おかしい、こんなうすっぺらじゃだめだと思ってるのに、何をどうしたらいいのか分からない。
毅然に対応することと、寛大な心で対応することの区別が、どうしても分からない。

情けな・・・と思ったら、あほらしくなってきた。
自分って、何きどってたん。
いろいろとえらそうなこというて、法曹だの、裁判だの、教育だのっていうけど、
それ以前に、人間として終わってるやないか。

めちゃくちゃ恥ずかしい。。
そう思ったら、なんかひとつすっきりした。(いいのか、それで・・)

私の考えてたことなんてどうってことないことやったんや。
と思うと同時に、やれること、やらしてもらえることしかめぐってこないということを感じる。
だから、落ち込んでてもあかん。
ほんま、覆面したいくらい恥ずかしくても、今日も外へ出かけななあ。。


ほんで、今日はバレエへ行った。
ひさしぶりにハードな内容だった。最近は気功がメインだったが、今日はバーレッスンだった。
最後に気持ち悪くなって座り込んでしまった。

先生は、ベランダでそだてていたからんこえというお花の鉢植えをくれた。
とってもかわいい赤い花。
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by jengsauman | 2009-05-12 02:04

GW後半

5月3日
ひろちゃんの家へ泊まりに行く。5人で飲んでいたが、途中で子供がいる1人が帰ってしまって4人になる。
こういうとき、わたしたちも確実に変わっていってるんだなと思う。けど、いいことだ。

途中で気づいたが、4人は、SATCにそっくりであった。さまんさだけ微妙だが・・。
何でも話せて、100%直球で叱咤激励し、自由きままに過ごせる時間は、かけがえのないものだ。
だけれども、この環境にずっと浸っていたら、私は想像力をさらに失うだろうと、いつも思う。
何も言わなくても有る程度許容してくれる友達は、稀有な状況であって、それは普通ではない。
それに、長い間の友達は、いろんな情報をやりとりしているけど、仕事やその他の新しいつながりでは、
自分の1つ1つの言動が大きな影響をおよぼす。そんな時に、普段から、「わかってもらって当たり前」
などと思いかねない環境にいたら、だめだよなあって思う。
んでもって、たまに会えるからこそ、うれしいのだ。

「あんたみたいなクセのある人間をうけとめてくれる人を新たに探すのはほとんど絶望的」と何度も言われる。


5月5日
父と、関西の百名山の1つへ登りにいく。この山は、自分の地元のそばで、なんと小学校の校歌にも出て
くるのだが、この日はじめてこの山の存在を実感した。
あまり華の無い山ではあったが、新緑がとても綺麗で、人も少なく、何より父と初めての山だったので
うれしかった。わたしは、しんどくないふりをしていたが、結構しんどかった。おそらく、父はもっとやせ我慢
をしていたのではなかろうか(笑。
翌日はお決まりの筋肉痛。


5月6日
東京へ戻る。
都会なんてケッといつも思っていたが、いやいやどうだろうか。田舎が楽しいのは、都会との対比がある
からでもあるし、何より教育やその他様々なものへのアクセスが半端無い。トウキョウ。
人ごみはいやではあるが、いつもお世話になっています、トウキョウ。
しかし、大阪の大学院も考えようかなと思った今回。

大阪へ帰る=逃げ、という図式をずーっと持っていたが、それにこだわって独りでもがいて時間を使う
よりは、さっさと数年関西でやるぞ!と覚悟を決めたほうがよっぽど良い気がしてきた。
しかも、精神衛生上、大変やさしい。甘えだが、甘えながらでもやるほうがよい、かもしれない。
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by jengsauman | 2009-05-12 01:44