過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

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この2週間①

もう1ヶ月以上書いてないと思っていたら、たった10日くらいと知り、驚きもものきさんしょの木。

この10日間は、いろんなことをしました。今更思い出せないことがたくさんある。
けど、それでも良い。忘れちゃえば良い。必死になって残したところで、身体で覚えてないことはたいして意味がないのだから。と最近は思う。

7月18日
とあるビジネス会議に参加した。この会議のことは数年前から知っていたけど、「私のようなだめなやつ」は参加できないと思い込んでいた。敷居も高ければ、値段も高い。確信もないのに、飛び込む勇気など到底なかった。けど、偶然カンボジアから一時帰国している友達が「行かない?」と声をかけてくれたので、さんざん悩んだ挙句「えいや」と申込をした。

その結果は、いろんな気づきや出会いに恵まれた1日となりました。

気づき① 向上心がある人と出会うことが怖かったのは、私の会社がしょぼいからではなく、私が自分の仕事に熱意がないからである。会社のせいにしてはいけない。

気づき② とにかく、話しかけて、自分から働きかける。その中で失敗することも、嫌な思いをすることもあっても、その何倍もの宝に出会うこともある。

気づき③ 自らの不足を真摯に分析し、後悔のない選択をする。

素晴らしい人がたくさんいました。
今まで、特に死刑関連でいろんなシンポジウムや講演会に参加してきたけど、
質問もしなければ、講師の方に話かけたこともなかった。
その時の思考は常に、「私なんかが話しかけても・・。話すこともないし・・。また勉強してから次回にしよう」というものでした。
だけど、今回は、高い会費を払って参加していることもあり、かなりがつがつしていた。
その結果、講師の中には、拙い話を聴いてくれる人もいれば、親身になってくれる人もいた。
忙しくて形だけの挨拶になってしまった人もいたけど、働きかけなければ0だったものが、確実に1以上になった。そうか、これでいいんだ、と学んだ。

特に、偶然名刺交換をした司法関連の方々は、私のロースクール挑戦をただ闇雲に応援するわけではないにしても、いろいろと知っている範囲で話をしてくれた。現実を知っているからこそ、簡単に勧められない、といいつつも、「挑戦してほしい」と言ってもらって、うれしかった。
しかし、どの話を聴いても、結局、誰も私の人生を決めてくれない。自分でリスクを分析した上で、対処策を考えた上で、決断しなければならないんだ、と再確認する。これは良いチャンスなんだ、と無理やりにでも思うことにした。
今まで、流れ木のように、正しそうなことを選んでやってきたけど、これからは、自分が悔いが残らなさそうな選択を、自分でしていくのだ、と思う。きっと正しい選択じゃないだろうけど。

この日の夜から、次の日の富士山登山のために、新富士まで移動することになっていたので、会議終了の15分前には途中退場した。あと15分いれば、もっと出会いがあったのかな、という思いもあったけど、それじゃだめなんだな。15分前に退場することは事前に分かっているんだから、その分積極的に話しかけ時間を効率よく使うべき、だったのだ。

しかし、帰途につきながら、すごく嬉しかった。
明らかに興味のない反応をされたこともあったけど、それは私の仕事への姿勢が相手へ見えているのであって、仕方ない。とにかく、いろんな世界を垣間見て、そして法曹が少しだけリアルに感じた。

富士山から帰宅した後、名刺をいただいた方々にメールをしたら、みなさんから返事をいただいた。
その中の1人の方は、名刺交換したときに「ぜひ詳しくお話を聴きたいので、後日事務所を訪問していいですか?」と聞いたら、「いいですよ。是非どうぞ」と言ってくれた人だったけど、きっと社交辞令と思っていたが、本当に訪問することができた。すごく明晰かつチャーミングな人で、「5年後、10年後に悔いなき選択を」と何度もアドバイスをいただいた。

人との出会いは、人生を加速し、また、到底思いつかなかった方向へ人生を運んでくれると思う。だけれども、やっぱり決断は自分がしなければならない。

そんなことを強く感じた1日でした。
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by jengsauman | 2009-07-30 00:34

実際の行動のつみかさね

今日は相当働いて、相当いらいらして、相当作業をした。
しかし、さっさと18時過ぎには退社し、クリーニングを出し、その後授業へ行く。
英語の授業の曜日が変わって平日の夜になった。
疲れるけど、1日をより有意義に使える&少しでも将来へ繋がるかもしれない時間の使い方ができることにとても幸せを感じる。こんな過ごし方ができるんだ、と開眼。

毎日、授業を入れてもよさそうだ。
この調子なら、そのほうが仕事も効率的に進み、早々に退社して、自分の勉強もするというサイクルができるかもしれない。

今日は、先生にひさしぶりに褒められた。
先生に褒められるためにやっている自分を完全否定するけど、それでもやっぱり嬉しい。

人生は短い、と感じる。
ほかの人ができることはどんどん振って、どんどんスピードアップしていこう。
自分ができることは何でも出す。回転を増やしていこう。
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by jengsauman | 2009-07-17 01:49

二度目のYOU ARE BORING

ここのところ、壁にぶちあたっているつもりになっていた。
何をやっても、思考が法曹に行き着き、「これは単純化、自己承認欲求なのではないか」と思い、しかも犯罪のことばかり考えて、疲れてしまった、勝手に、ひとりで。

そんなとき、一番会うのが億劫だった人に会った。
そしたら、壁ががらがらーと壊れた。

私は単に、演じようとしてたのだと思った。
自分のあるべき役割。それが、360度どこから見ても、正当性のあるような意味を持った。

しかし、そんなことはどうでもよい。
誰かに期待されていると自分が思い込んでいる役割は、もしかしたらたった1人も賛同者なく、自分ひとりが思い込んでいる勘違いかもしれない。
それに苦しむなんて、ナンセンス、というか、アホや。

で、人生2回目の、「そんな人生おもろないやん」に出会う。
とても有意義な時間だった。

おもろないと何の意味もないんじゃないか、とさえ時おり思う。
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by jengsauman | 2009-07-17 01:42

後悔

吐き出すこと。たとえば、●●問題とか、●●病とか、そんないかにも「問題」そうなことと繋げて、自分がやってることが意味のあることだと確認して安心してはみても、その時点で、もうレッテル貼りの世界でいきている。善悪を簡単に決めてしまい、楽をする世界。


Mの夢も、香港人の夢もしょっちゅう見る。見るたびに、ああ私はまだ思いいれがあるのか、とか、惜しいことをしたのか、とか思ったりする。
けど、そんな感傷的なことに酔っ払っているのは、現実逃避にすぎないし、何より、現実をとらえていない。
私は、単に「後悔している」のだよ。思いっきりぶつからずに、悩んだふりをしながら、実は傷つくことを恐れつつ、単に迎合していただけの自分を後悔しているのだ。

後悔とはこういうことである。手を変え品を変え、私に襲い掛かってくる。
あたかも、それが、現実であるかのような錯覚を思わせ、現実の悩みや変えられない過去への苦しみと思ったりしても、実際のところそれは単に「後悔」の亡霊に過ぎないのではないかと気づいた。

「~したかった」「~すればよかった」「もし~したら」というたくさんの思いがあまりに強いくせに、それを頭で押さえつけた結果、何年経っても、10年経っても、亡霊として出てくるではないか。自分を信じなかった結果。これはまさに、地獄。

後悔のクセの悪さは、いつまでも付いてくるだけでなく、それは消化しない限り、永遠に増大しつづけるということ。
だから、麻痺してきて、「どうせ」という思いが、後悔から発しているものなのか、もともと無理なのか、分からなくなるのだ。

とにかく、後悔はしちゃいかん。
後悔だけは避けなければ。
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by jengsauman | 2009-07-17 01:34

役割

Sさんからの文章を読みながら、胸騒ぎが止まらない。1つの事件がもたらす傷の根深さ、思いもよらない
苦しみ、だけれどもそれを文字で読むことはできても、感じることはできないということ。

いろいろと文字を追っていき、読み終えたあと、気づいた。

私は、被害者にはなれない。
けれど、なれないからこそ、もしかしたら、私の役割があるのではないか。

いつも、被害者と加害者のあっちもこっちも見て、本を読んで、頭がぐるぐるしている。
どっちにも説得力がある言い分があるけれど、どちらも傷ついている(と思う)。
けれど、どこまでも私は第三者で、どこまでも他人事であることが、どうしようもなく中途半端で、
都合の良いときは忘れて、離れて、また都合よく戻ってくる。
そんな態度が許せない一方で、そこに没頭することが怖かった。

しかし、私はきっと、何者かになろうとしてたんだと思った。
時には被害者に憑依し、時には加害者に憑依し、どちらにも響くような言葉を囁くすーぱーうーまん
になろうとしていたのだと思った。

わたしは自分の役割を理解した。
被害者でもなく、加害者でもない、将来的に被害者になるかもしれないし、加害者になるかもしれない、
結局、よく分からない全体の一部。
そんな人間だからこそ、できることがあるはずだと思った。

与えられた環境の中で精一杯頑張るということは、そういうことなはずだった。
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by jengsauman | 2009-07-08 22:54

条件の違い

人のため、社会のため、と言っていても、それは本当にそうだろうか?
社会のため、になどなれるのだろうか。
いろいろな汚職があり、文化背景の違いがあり、ふざけんなと思っていても、
いつのまにか、それに迎合し、その既存のフレームの中で、生きている。
そんな自分がありありと想像できる。
ビジネスで勝負するしかない、のだろうか。
社会貢献とは、雇用という意味しかないのかもしれないというえりこさん。
つまるところ、現場へいかないと、どうにもならないのかもしれない。

そういえば、ずっとひっかかっていたこと。
何かの本を読んで、私が「日本の教育はパラグライダーを操縦できても、飛行機を操縦できるようにはならないということで共感したんですが、どう思います?」というと、弁護士のHさんは、「それは自己責任ですよ」とあっさり言った。

その発言にがっかりというより、何か腑に落ちない感覚、それは、何だったのかというと、自分の力ではない誰かの力が存在していることを無視していることへの違和感、だったのだろうと今日気づいた。

私は、一人暮らしをしてもう10年になる。そして、勉強してないけど大学を出ている。
けれど、これは私の自己責任および自己努力によって手に入れたものではない。
これらは、ほとんどが、親のお金や支え、また他人によって支えられた結果に過ぎない。
いつも、(特に外国へ行けば強烈に)思うけれど、私という個としては、ほぼ何の力もない。
ただ、ラッキーで、与えてもらっただけ。けれども、私は長らくそのことに意識がおよばず、「自己責任、努力」と思っていた。

法曹の新制度を知ってから、この制度はある程度お金を持っている親の子でしかも若い人か、社会人でも貯金がかなりある人か、結婚していたり無職になっても住む場所や生活にあまり困らない人には可能でも、しがない独身ひとりぐらしサラリーマンには相当大変、かなり無理と思った。
法曹という人に寄り添うはずの立場が、「恵まれた環境で勉強に打ち込める」という前提条件をクリアしなければ、かなりの難関であるというのはあまりに違和感だ。
お金に困ったことがない人が、お金に困っている人の気持ちなんて分からないだろう、と思う。けど、別にわからなくてもいいのかもしれない。こうあるべき、だなんて言っているのは、自分の条件がたいしたことないことを正当化しようとしているだけなのかもしれない。そうして、いつまでも他人の人生や制度を批評している。
働いて貯金して、それを学費にあてて、生活費も必要だから、結局奨学金という名の借金をして、それでも生活が気になって、将来が不安で、勉強に打ち込めない・・。恵まれた子女たちがまわりにごろごろして、きっと羨ましいと思うだろうと推測するとともに、怖い制度と思う。そんな状況の中で、「別にやらなくてもいいのにあえて自分で選んだことなんだから」という思いを握りしめて、勉強するしかないという未来の自分を想像すると、ぞっとする。それが、私の躊躇の原因である。

しかし、そんなこといっても始まらない。人がどうのこうのいってても、何も変わらない。制度がそうなっちゃった以上は、最初のステップとしては、それから離れるか、それを受け入れるかしかないのだ。何もない人間が、わーわー騒いでも、何の説得力もない。制度が悪いとか言ってしまいたい。でも、言ってもしょうがない。だったら、とにかくやってやる。「やっと気づいたか、自分」と思った。悪いもんなんて世の中にたくさんあって、絶対的に正しいことなんてないのだから。あれがどうこうとか、実家の人はいいとかなんとか、お金がないとかなんとか、もう、ぐちゃぐちゃうるさい。
ともかく、お金に限らず、「それは君の自己責任だよ」なんて、簡単に言わない人間になりたい。

ふと、母親から1週間くらい電話がないことに気づいて、ここ数日、父が不在であるのになぜ電話してこないんだろう、もしかして・・と急に不安になり、電話したら「あ、もしもしい~」とノリノリで出た。。どうやら、一人暮らしを謳歌していたらしい。。。
けど、いつかは、こうして電話してみたら、母が死んでいたということも大いに有り得るし、誰かに襲われたとか、殺されたとかだって有り得る。
今回は、何事もなかったけど、次回は分からない。それが、限りある命ということなんだ、と強く感じる。
被害者遺族の本を読んでいて、その情景をどこか他人事のように傍で覗いている自分がいる。
決して、そこに足を踏み入れずに、覗き込んでいる。
最初は文章に触れるだけでもショッキングなのだが、だんだん慣れてきて、それでもやはりショックを受ける。それでも、慣れる。本を読むということは、自分の中での偏見を作りやすいのかもしれない。
見たくなくなったら、本を閉じれば良いのだから。そうすることで、事実が曲げられる。
自分がショックを受けない程度の事実しか見ないうちに「こういうもんだ」と思ったり。
だから、やっぱり、現場へ行かなければならないんだと思う。
と同時に、現場へいってりゃいいと慣れてしまうのもだめなのだが。そのへんのバランスはどうとっていけばいいかと考えても、分かるわけがない。きっと、何事も、動いてみるしかないのだ。
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by jengsauman | 2009-07-06 23:08

落し物

今日は定時の20分前に会社を出て、母校の大学へいってきた。
ひさしぶりに足を踏み入れるのがとても億劫だったし、いやだったが、いってみたら何でもなかった。
変わらないもの、かわったもの、いろいろだなあと思いつつ、とにかく、「若っ!!」と思い、
6、7年の歳月を感じる。

古い校舎が建替えのため、取り壊しになると書いてあった。
入試のときに初めて入った校舎、語学でよく使ったなあ、あと教職の授業でもよく使った。
こうして、時代や風景は変わっていくんだなとおもう。
今思えば、ただの1つの塊の記憶、それでもその1時間、1時間で、私はどれだけ食べ物のことを考え、
自分の中で閉じていただろうかと思うと、なんともいえない気持ちになる。
あの校舎の匂いをかいだ瞬間に、身体が覚えているいろんなことがバックしてくるようだった。
それでも、今は今なのだが。

説明会に参加して、改めて、この学校とここにいる人たちはお金もちなんだなと思った。
というか、この制度自体が、お金持ちしか法曹になれないという制度だが。

1時間半座っているうちに、ふと学生のつもりになっていた。
人ってそうは変わらない。

帰りに掲示板を見たら、ゼミの先生の掲示があった。その言い方を見て、あいかわらずだと笑った。
でも、そこに書いてある問いに対して、私はもちろん答えが分からない。何やってたんだろう、とまた思う。
ふと、Sさんが「今からやればいいじゃないですか、その問いについて何を読めばいいかくらいは大学で
分かったんでしょ?」といったことを思い出す。

先生に会うのは怖いが、挨拶、そして相談に行かなければいけない、行きたい、と思う。
大学時代ならまだしも、「お前こんな大人になってもまだ思考停止か!」といわれるやもしれない。
大変恐怖である。けど、今の行動によって、過去の意味を、変えていくことはできるのではないか。

帰りに図書館へ寄る。なんと夢のような場所だと思う。
今では、職場から20分歩いて、区の図書館(しかも小さい)へ行っているというのに・・。
そのものの価値というのは、持ってるときには分からない、のだろうか。
せっかくなので、個別の席にすわって、手紙をかいたり、本を読んだり。
帰りにバスに乗って帰る。このバスの光景もまた、ノスタルジーのきわみである。

家についてだいぶたったころに、知らない電話番号からかかってきていた。こんな夜遅くに誰やねんと
思ったら、都営バスの人で、私がパスケースを落としたらしかった。
中に入っていたのは、パスもとその他もろもろのカードだが、どうやらそれを誰かが拾ってくれて、
都営バスの人がパスもの登録情報から電話をくれたらしかった。
なんと!これぞ日本という気がした。ありがたい。

そんなノスタルジー話はともかく、気づいたことがある。
それは、完璧な状態で取り掛かれるということは、ほぼありえないもんだということだ。

私は人前で話すのが得意でないからだめだ。話せるようになってから・・。
法律の勉強に適性があるかどうか。もうちょっと勉強してから・・。

けど、こんなこと言うのも失礼だが、在校生代表として出てきた昨日の人たちの多くが、人前で話す
ことに慣れている風でもなかった。

それでも、彼らは、行動している。選び、決めて、入学し、勉強し、試験合格、その後を目標にしている。
人前で話すことがもっとうまくなってから、と待っていたら、その間一体どうするのだろう。
その間に、いろんな状況が許さなくなって、諦めるかもしれない。
結局、とりあえず選んで、行動しちゃわないと、どうにもならないんだと思う。
数百万円無駄にしても、「あれをしたかったのに」という後悔をひきずって生きるよりは自分にとって
よい選択だと本当に思えた時、行動するのだろうと思った。

最近、タイミング、を感じる。
いままでは、そこに起きていることに眼を向けようともしなかったから気づかなかったけど、
どうやら、物事は、起きるべくときに起きている、気がすることが時々ある。
ま、いつもの、妄想かもしれないが。

1ヶ月前くらいに海外NGOボランティアへ申し込みたいとメールをしたら、「9月は応募が集中していて」
という回答だった。私は、ここへは行かないかもしれないな、と縁のなさを感じた。
けど、とにかく、自分の言葉を「つもり」で終わらせないために、申込資格としての会員へ入会し、
またいつか機会があればと思っていた。
突然、数日前に、「調整していますのでもう少しお時間いただけますでしょうか」とメールをもらった。
とにかく、今、やれることをやっていれば、またその次のステップがあらわれるかもしれない。
どうやら、答えや明確なものを急ぎすぎているのだと思った。

仕事もいつどのように辞めるのかと考えているが、これからどうなるか分からない。
よく分からないことだらけなので、あーーーとなるんじゃなくて、だからこそ、次のステップがおのずと
あらわれてくるまで、ここでやっていればいいのかな。

はー。ねむたい。
昨日は、大好きなキャラクターに囲まれつつ、会社の役員が辞める夢を見た・・。意味不明。
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by jengsauman | 2009-07-03 23:09

ちいさな成果

自分をほめるような材料もないけど、そういえば、こないだ提案したクラスの延長は、
結局1人以外みんなが同意して、続くことになった。
なんだか、肩透かしだが、良かった。
先生も、「延長はかんがえてなかった」と言っていたので、1ケ主体的に動いた!という実感を
わずかながら得た。

あとは、仕事で、クライアントに「thanks a million!」といわれたので
なんかすごい嬉しがっているらしいことが分かった上に、そんな言い方あるのかと勉強になった。
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by jengsauman | 2009-07-02 01:45

びびり子

相当びびりながら、Aちゃんをすかいぷに追加した!
英語で話しかけられたら困るから、1時間進んでいるオーストラリアの真夜中を狙ったあたりが
小心のきわみである。
「追加する」を押したら追加されるかと思って、さんざんその画面で躊躇したが、
えいっと押したら、メッセージをどうぞ、と出て、ずっこけそうになった。
その文章を考えるのにまた一両日。。
どれだけ人生を停滞させれば気がすむのだ、わしは。
けど、行動したのでよしとしよう。
今度、わたしは、いつ、おんらいんにするのでしょうか。。

触れるのが1番。そうは思っても、つい、つい、逃げたくなる。
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by jengsauman | 2009-07-02 01:40
最近、仕事の中で、なんだか英語が絡んできた。
やりとりする先もかんとにーず圏で、相手は日本語が相当上手なので話すのは日本語だけど、
ときどきかんとんごを使う。うれしい。
しかし、資料は英語で来たりする。意味不明。相当さっぱりわからない。辞書で調べまくっている。
そうしているうちに、受験時代のような「とにかく読めればいい」心境になり、英語がリアルとは
かけ離れてきた。もう英語学習くじけそう。

いつも思うけど、アメリカの英語って、どうしてあんなに丸い音なんだろう。
日本語とは全く違う発声法のような気がしてならない。
いつか、しゃべれるようになりたい。

くじけてたら、いにしゃるDをおもいだした。
ずーっとやってたら、いつか速度がゆっくりに感じるようになる。
とにかく、からみにいく。

受身でいても少しずつは触れられるけど、からみにいかないとね。こわいけどね。

与えられたもののなかで、一生懸命どれだけやるか、どれだけ絡みにいって、つかみにいくか
そんなことを目指したいと思う。
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by jengsauman | 2009-07-01 22:57