過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

今日の1歩

今日も会社へ行きました。いろいろと雑用をしました。
こたちゃんは「雑用こそが大事な仕事だよ。仕事のほとんどは雑用だ」というけれど、
全部が雑用になると、なかなか自分自身にシビアに負荷をかけられない。
というか、「なんのためにやっている雑用なのか」が問題なのではないかという気もする。
隣の芝生は青いのだろうか。

ここ何年もずっと、「明日こそは早起きをして、かふぇでで勉強や読書をしよう」と思うのに、全くだめだ。
get stuff doneというのは「実行あるのみ」という意味なのか?辞書を引いてもでてこない。
じょん・うっどさんのいんたびゅーに出てきた時、そう訳されていた。

話はそれたが、わたしはそのget stuff doneとやらとは程遠いことをしている。
うじうじ、ねちねち、いったりきたり、打算、クレクレタコラ、正しいものとはなんだろう・・?

正直いえば、「どうすればそんな自分が変われるんですか?」って誰かに聞いてみたいけど、
そんなこと聞いても、「まず、そんなこと聞く前に何でもいいからやれ」といわれそうだし、
自分でもそう思うので、やめている。


そんな自分の蟻の一歩は、先日のNPO法人へ、「会員になります」とメールをしたことです。
ちっちゃ・・。明日は、郵便局で振込みをする。
12月には研修へいけるように、調整する。ちっちゃいな。でも、それでも何もしないよりはいい。

何をどうしたらいいのか分からないのは、相変わらずだ。
ずっとそんなことで、無駄とわかっていながら、頭を働かせている。
どうしたらいいかいつか何か分かるかも、とか、何か起こるかも、とか、何か繋がるかも、とか。
ちょっとでもそんな作業をする時間を減らしたいが。


今日は、録画していたドキュメンタリー番組を見た。
そこで取り上げられていた、ほーむれす支援のおくださんという方は、以前、プロフェッショナルに
出ていた方だ。あの時とはまた違った一面を見ることができた。
それとともに、そこに出てきていた、派遣切りにあったという男性が、自分とオーバーラップした。

彼は、支援団体に支援されて、立ち直ろうとするのだけど、有るとき突然失踪してしまいました。
数日後、あわせる顔がないといいながらも、連絡を入れてきて、戻ってきました。

彼は、こうしないといけない、こうしようと考えた自分の像に、自分の現実がついていかないことに
とても苦しんでいたようだった。
せっかく助けてもらったのだから、なんとか結果を出さないといけない。
そう思いはするものの、心の底から、その人たちとも向き合わず、傷つくことを恐れているような。
それらしい繕いをしていたような。もしそうだとしたら、痛いほど分かるような気がする、その逃避。

私は、広東語の先生を何度も裏切り、何度も途中で行かなくなったことを思い出しては、
これが自分の現実だよな、と深く納得した。と同時に、これが私の足場に近いのではないか、と思う。
わずかながら、自分の方法論を見つけたような感覚。
あの思いがあるからこそ、今の自分がある。でも、その中にはたくさんのウソがある。

作り物とはいえ、↑のような番組を見て、なんとも嫌な気分になってしまう。
それは、自分もまた、そういう弱さに逃げ込む人間だから、見たくないのだ。
でも、それでも、いいのかもしれない。
その番組の中で、支援団体の方が言っていたように、1つ1つ扉をあけていけばいい、のかもしれない。
そういうチャンスはなかなかないけれど、そうして支えてくれる人がいることを
「ありがたくおもおう」とするんじゃなくて、一旦悪者になってもいいから、思った通りにやってみれば
いいのかもしれない。そして、私は、そんな人でも「変われるのだ」ということを、ノドから手がでるほど
感じたい。自分自身の中途半端な過程を、少しは見つめて、「私も変われる」と思えるように。

どんなにバカなことをしてしまっても、そうした負荷や情けなさなしには、変われない気がした。
それに、綺麗なことばかりを重ねて、いつかまともな大人になると思ったら大間違いだ。
人とのぶつかり、叱咤激励、自分が信じてやったことの結果の責任を取る、だます、だまされる、
そんなことが無いわけがない。そんな中で、それを「connect」に近づくための試練と思えるかどうか。
逆にいえば、それっぽいことをしているとき、そんな自分や他人に気づけるかどうか。
いえるかどうか。そんなところなのかもしれない。
けど、そんなことを言っている自分が、一番「それっぽいことをしている」と思う。

明日は、朝起きて、Iさんへ手紙を書いて、投函して、出社しよう。
get stuff doneというのかしらんが、とにかく人へ人へ。
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# by jengsauman | 2009-06-09 23:27

矜持

ふんふん鼻息、というよりも、うじうじねちねちの躊躇の後、約1年前に問い合わせたNPO法人へ
再度連絡を取る。短期で研修に行きたいのですが、という内容。
ボランティアで働くのに、交通費も入れたら費用は15万は下らないんじゃないか。
そんな価値があるのか?そんなことをこの1年何度も考えた。
なにげに、去年は、タイミングが合わなくて「ホッ」としたのかもしれなかった。
「あの団体はお金を取るらしい」という目でも見てみた。
でも、斜に構えたところで、自分には何も残らない。
どうしても気になる。そこに何かがある気がする。
我を少しでも薄くするための何かが。

おそらく、例のごとく多大な妄想や理想化・美化をしている部分もあるだろう。
でも、それでもいいじゃないか。
へこんで、現実を見て、そこで自分が見る景色は、きっと今とは違う。
自分の持っている少ないお金は、そういうために使いたい。
もしかしたら、すごく非効率で格好悪い独善的な方向へ走っているかもしれないけど。
そんなことばかり考えていてもしょうがない。
考えてもいいけど、考えながら、一歩を出そう。

しかし、帰って来た答えは、「11月以降でお願いします」とのこと。
去年も同じように、9月に行きたかったが、タイミングが悪くて、いけなかった。
でも、今年は違うと思う。きっと実現する。

お金ないなりに、頭をひねろう。


そういえば、今日、錦糸町でパパのお祝いを買って、姉夫婦に焼肉をご馳走してもらった。
そのお店の店員さんは、赤ちゃん連れに対して、見たことがないくらいすごい気の遣いようだった。
姉はしきりに「あの人、ぜったい子持ちや。あんな気がつくなんてしんじられへん!」と言って感心
していたが、こういう風に仕事をしている人に出会うと、なんともいえない気持ちになる。
嬉しいし、焦るし、嬉しい。刺激を受ける。


それから、平素渋谷にいて、人間を人間と思わない(ただ歩いているモノのよう)癖がついてしまって
いる、なぜなら、いちいち人間と思って、向き合おうとか思ってたら、息苦しくて、到底生きていけそうにも
ない。有る程度近い人に対しては、礼儀正しくしたりするけど、そうじゃない人には結構無礼だったりする。
しかし、今日、平素ぶつかっても何も言わないはずの「渋谷のわかもの」が、めっちゃでかい声で謝って
きた。しかも、ぶつかったのは私だけど・・。

その時、はっとした。私は、人を選んで、効率的に、自分が良い思いをするために生きているのだと
知った。だから、自分と関係ない人には、腹も立てるし、邪魔だなと思うし、ずんずん抜かしたりもする。
でも、恥ずかしいよ、それ。
たとえ、相手が99%の確率で私のことを無視しても、自分の傲慢さには自覚的でいるべきだ。
直せない時もあっても、やってしまったと思うべきだ。
ぶつかったら、あやまるべきだ。
その言葉が届かなくても別にいいではないか。
ただ、それ↑を100%といえないところが、私の弱さなんだろうなあ。と思う。
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# by jengsauman | 2009-06-07 23:57

有言実行

有言実行だろうが、不言実行だろうが、不実行だろうが、べつになんでもいいんだけれど、
とっても衝撃的な有言実行を見た。

その人は、去年の10月にとても追い込まれた状況で、それでもなお、「絶対に実現する。信じている」
と宣言した。

私はそれを聞いたとき、内心「無理やろう・・」と思った。

けど、それは実現した。

その間、どれだけの苦悩や困難があったかは知りえないけれど、実現できるんだあ・・と唖然とした。

私は弱い。だから、人に宣言しようと思って、相手を選んで宣言したりもした。いつの間にかその宣言は
失効したことになり、相手も何も言わない中で消えていく(というか、何も言わない人にしか宣言しなかった)。

恥をしのんで言えば、何が違うんだろう?
そこが、突破口である気がする。
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# by jengsauman | 2009-06-07 23:31
昨日は、英語の発音の授業だった。この授業に参加してかれこれ半年経った。
当初立てた低い目標「毎回出席する」は、1回の長崎旅行時の事前申し出分以外は達成できた。
当日になって、「わたしなんかだめなんだ、だから休んでも一緒だ」理論で休むことはなかった。
(何回もそれで休みそうになったが)

昨日から、別のクラスの人が合流した。
そして、その発音を聞いて、ぶっとびそうになった。ネイティブかと思った。
私はカタカナみたいといわれて、リズムが悪いし、遅すぎるし、不自然だといわれ続けているうちに、
忘れていたこと。「やればできるようになる」ということ。

「完璧にはできないもんなんだ。発音で完璧を目指すよりは、文化理解にもっと注力したほうがいい。」
そんな他者の意見にいつのまにか洗脳されて、そこそこでいいと思っている自分が居た。
でも、昨日の人の発音を聞いて、「自分で限界を設定している自分」に気づいた。
それに、やっぱり、すごく綺麗な発音なのだ。
そもそも「正しい発音」なんてないじゃんか、といわれたらそれはそうかもしれない。
日常ではだれもあなうんさーみたいにしゃべってないし。
でも、いいじゃん。私がやりたいんだよ。あはは。結局、そこなんだな。
やりたいか、やりたくないか。それに対して、真摯に、やるか、やらないか。

もっと貪欲に、目指す発音へ近づけるように練習してみよう。

なんだか、ガツガツすることは自分を見失うことだと思っていたけど、足元からガツガツするのは
とても健全なのかもしれない、と思ったりした。


姉と父の日の買い物へいきます。
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# by jengsauman | 2009-06-07 14:02
「主体的に選択して生きたい」という強い欲求があると頭では思っていたが、そうでもなかったようだ。
私は、その欲求よりもずっと、「傷つかないこと」を求めていたと思う。


ここまで引っ張ってきて、(いつか早く雪崩のようなことが起きればいいのにと他力本願でありつつ)、
結局は自分は何がしたいのか?と思うと、どうやらとても先のことを考えていたので答えを出せずに
いたのかもしれないと思う。将来的にどうなりたいとか、大きな組織に対する憧れとか、嫌悪とか、
勝手に考えているだけだった。じゃあ、今は一体どうしたらいいのか、全く分からない。そんな繰り返し。
今死んじゃったらそんな打算も無駄なのにね。それに、頭で考えたことなんて私には継続できない。
だから、このままだとたぶん、10年後も同じことをしている。


やらない理由はたくさんある。
①お金がない
・自立しないといけないのに、お金なくなったらどうする?
・お金なくても、今あるものを手放しても、やりたいと言い切れるものがない。
・親に何かあったら、私に支えられるだけの財力がない。
・甥っ子に何かを買ってあげることもできない。お祝いもあげられない。
・高給を稼ぐ友達からの引け目。また、自分は違うんだ!というならそれだけのことをしているのか?
・病気になったらどうしよう
・漠然とした不安


②退職
・組織に甘えていた部分や安定をすべて失う。
・キャリアの空白期間がまたできる。


③未熟な自分
・あいかわらずの、確固たる地位の渇望(=甘え、思考停止)
・わたしは、また逃げ道を探そうとしているんじゃないか。


④恐怖
・法曹の本当の恐ろしさを知らないのだ。
・私は人前で話すことが苦手だ。自分の未熟さゆえ人生を背負うのはとても恐ろしい。
・もっといろんな人と会って、本を読んで、考えて、視界を広げないと、ただのマシーンになりそう。
・はたして、続けられるか?
・はたして、法律を好きになれるのか?
・「人のため」に逃げ込んでないか?
・結婚できず、一生ひとりでいきていくことになるのではないか。


これだけなのか・・・。


それに対してずっとウジウジしていたが、最近読んだ本にとても明快な答えが書いてあった。
「やる」か「やらない」か。
よく人は私が恵まれているからそういうことができるんだというけど、私はたとえそうでなくても、やる。
できない理由はたくさんあるが、やると決意して初めて、それらの問題を解決する智慧を得られるのだ。


おおーー!
問題は悩むためにあるのではなく、解決することもできる存在なのだと、恥ずかしながら昨日知った。
智慧は、中途半端な状態では決して触れられない場所にある。
でも、この世のどこかにはある。
本気で取り組んだとき、初めて見えるのだ。
ボックス席から野球を見ているだけでは、ピッチャーの球を打ち返せるようには一生ならない。
ならなくてもいい、でもなりたいならば、まずはリスクを負って、グラウンドへ一歩出なければ始まらない。
智慧というのは、体験の中で、悶絶して、逡巡して、でもなんとかしたい!という強い思いの中でしか
生まれないんじゃないか。中途半端な方法論なんか、馬耳東風だ。

uncertaintyへつっこんでいく。持っているものを手放す。そもそも今のわずかな貯金は、私の会社が
利益の中から私にくれたものであって、私の所有物でもない気もする。
それで将来、自分のために何かを買って満足しているつもりになって、それで本当に幸せなのか?


自分の願いは何だろう?
①Connectしたい。
②人間は間違う。でも、変われる。その現場にいたい。
③ひとりでは生きられない。生きている以上は自分だけで成り立っていない。
④自分がいかに至らない存在かということを身体で知るとともに、有難いと心から感謝する体験がしたい。
⑤自分の仕事に誇りを持つ。


不得手なことに取り組むことが、強みをつくる方法だという人もいる。
どこかでそんな思いが頭にこびりついて、今の仕事をやめられずにもいた。でも、時間がない。
強く主張できない自分を認め、強いふりをするんじゃなくて、芯を強くする。
それでいいかは分からない。でも、やってみる。


過去は変えられない。でも、その意味は変えられる。


縁がない。本物の人に触れたいのに、どこへいけばいいのか。いや、自分がこんなに逃げ腰だから
誰にあってもシッポを巻いて逃げてしまうから、本当は「出会い」ではなくて、「出会いに行く決意」が必要
なんじゃないか。その気になれば、なんぼでも出会いはある、とおもう。
「縁はどこかに存在してるもんじゃなくて、自分が決意して行動することで生まれる。」ということを聞いて
目からうろこが落ちた。


私の本心は何を求めているのか。
そんなことは分からない。ただ、動きたいままに動いてみたい。
どんな大きな失敗をしてしまって、数少ない財産を手放しても、この澱んだ景色からは到底見えない
ものがきっと見えるはずだと信じて。


既に存在している組織に乗っかることはとても簡単だ。
また、批判することも簡単だ。
世の中は甘くない。
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# by jengsauman | 2009-06-06 10:45

負荷

負荷をかけたうちにも入らない。それでも、今日朝起きて、「やっぱりやめよう」という甘えに負けずに行ったことが何ていうんだろう、自分の今の心境を1ミリでも変えていることを実感する。負荷が必要だ。思いもよらない場所に、誰かのおかげで連れて行ってもらえるならば、そのチャンスから逃げずに、突っ込んでいくくらいの気概が必要なんだろうと思う。それにしても、みんなが、社会の上層部で生きているような見た目。またそうして、アメリカ大学院MBA=エリートというレッテル貼りをしている自分がいる。本当にあの人たちがすごい人たちなのかは分からない。でも私の劣等感や、勝手な引け目、は相変わらずだけど、それはきっとこの会社がマイナーだからではなくて、私の生き方が正直ではないせいだと思う。人と会って、伝えることがない、伝える自信がないからだ。私はこれまで朝を無駄にしすぎた。「私は朝に弱い」というのは、私が決めたことであり、真実ではないはずと思う。どうすれば、朝を利用するようになるか、それは頭で考えるよりも、こうした機会の熱が冷めないうちに、自分を追い込む形を作るところからなのではないだろうか。

だけど、負荷は必要なんだ、きっと。どこで何が起こるかわからない。

「やる」か「やらない」か。どんな理由があっても、「やる」か「やらない」か。
本当は何かをしたかった、というのは 諦めた証拠。
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# by jengsauman | 2009-06-06 08:51

ひさしぶりに聴いた

高校生のとき、小谷美紗子さんという歌手がとても好きだった。

当時のアルバムに入っていた『自分』という歌をひさしぶりに聴いたら、
あのころと同様、心にしみました。

そのほかの歌も好きだったけど、CDが実家のどこにあるのか・・・。。
サバンナで走るヌーの大群の歌をもう一度聴きたいです。
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# by jengsauman | 2009-06-05 13:15

先送り

最近、心から自分がただ先送りしているということを知った。別に悪いことではない。でも、先送りをしている限り、物事は変わらないというか変えない。変えないでいいという猶予を自分に与えることで、覚悟ももてない。だから、ずっと同じ状態を続けたままということになる。

ずっと、豊かな人生とは、正しいものをどんどん積み重ねた先にあるものと思っていた。正しいピースをはめていったら、いつか完成するジグソーパズルのように。人生ってそんなものだと頭で思っていた。だから、思考停止になっても、正しいものを持っていればいいんだと、どこかで判断していた。思いやりとか、謙虚とか、内省とか、そんなややこしいこと考えなくても、強烈なパンチとして学歴や資格や細い体を持っていれば、うじうじ細かいことに悩んでいるよりは、ずっと社会的に価値があると思っていた。けれど、そういう方向へ動きたいのに、うまくいかない。実はやりたいことがわからない。痩せたいのに、食べてしまう。でも、そのときはまだ「痩せればいいんだ」という神話にしがみついて生きていられたから楽だった。とっても苦しいけど、楽だった。

けれど、私の考えていることは、もしかしたら違うんじゃないんじゃないかって思うようになった。
もしかしたら、人生の豊かさというのは、振り幅によって決まるんじゃないかと、先人の言葉でそう腑に落ちる瞬間がある。辛いことや悲しいことがあって、嬉しいことがあって、自分の感性にわずかでも重なる方向性を見つけて、でもたくさんの苦難があって、躊躇して、それでも決めて。。そうして、きちんと1つ1つを体温を持って感じ、体験すること。その中で、豊かさが生まれてくるんじゃないかって。

弁護士の人と山登り行って、ニコニコしながら、「この人弁護士なのに思いやりないなあ。人格に問題があるんちゃうん」と思って内心批判してみたところで、翻って自分には「でもあんた、もっとなにもないじゃん」と気づいてしまった。そうだ、私は彼を批判する土俵にすら立ってないんだ、と。たかが試験とはいえ、彼は合格したのだ。私は何もしてない。それで、内心批判。もったいない時間を過ごしている。

とりあえず60歳まで働けるとしたら、あと30年しかない。
彼を批判することに時間を使うでなく、彼を参考にしながら、自分のやることをやればいい。どうせやってるうちに、一人ではどうにもならなくなるのだから。一旦、差し出してみよう。欲深くないふりをしている自分ががっつり内心欲しているものを、手放す。ただ、がむしゃらに、働きたい。誰がどうとか、何したとか、むかつくとか、そんな次元で一生終わりたくない。でも、誰かのためになんて奇麗事でもない。自分のために、働きたい。
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# by jengsauman | 2009-06-04 21:36

言語化

言葉にしてみよう。できなくても、してみよう。

そうすることで、自分の不安や壁が見えてくるかもしれない。
いかに大変なのか、つきつめていくと、そうでもなかったりするかもしれない。
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# by jengsauman | 2009-06-04 21:28

びょういん

ひさしぶりに病院へいった。痔で。

赤坂の駅の近くでしたが、スタッフの方の感じがとてもよかった。
そして、先生に相談したら、「手術しなくて大丈夫」とのことで、安心した。

ふと、「痔の手術」なんてささっと終わりそうと頭では思いがちだが、自分のこととなったら急に
不安になってきた。切るのか・・という不安で。

先生はとてもざっくばらんで、思っていることをいろいろ聞いたが、どうやら当面は大丈夫そうだ。
そして、こうして人に安心を与えることができる職業というのは本当にすごいなと改めて感じた。
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# by jengsauman | 2009-05-28 23:46