過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

映画鑑賞

今日は、昼に讃岐うどんを食べて、その後シネコンへ行った。本当は、「すらむどっぐ$みりおねあ」を見るつもりだったが、時間が合わなかったので、「ぐらん・とりの」という映画に変更。くりんといーすとうっどの作品だ。

これが、予想を超えた作品だった。復讐について、悪について、犯罪について、そして人の可能性を守るということについて、犠牲について、自分のかちかち頭をガーンと殴られたような気分であった。

私は、ずっと加害者側に肩入れすることを頭ではまずいと思っていたけど、この作品を見て、特に女の子が暴力をされた映像を(映画とはいえ)見て、自分はなんと浅はかであるか、またこれからの道の険しさを、途方もないものだと感じた。女性として、あの映像はあまりにショッキングである。でも、ニュースで性暴力のことが報道されるたびに、「悲惨だ」というくらいしか思わず、加害者はどんな生い立ちであったのかということに先に意識が行く自分は、そんな想像力さえなかったのだ。現実はおそらくもっともっと残酷であろう。でも、想像することができない。この世の中に本当にそんなことがあり得るのか?あるとしたら、自分のまわりにはいつか起こるのだろうか?いや、もしかしたらすでに起こっていて、それでも隠しているのかもしれない。だとしたら、私はどんだけおめでたい人生を生きてきたんだろう。などとおもう。きっと、性暴力だけじゃない。でも、今日の映画の中のあの映像は、特に衝撃だった。あんなことに近いことをする人がこの世には存在する。たとえ、洗脳されていたとしても、精神的に障害がある状態だったとしても、さまざまな事情があるにしても、もしそうだとしても、償うべきだと思う。償えるわけないと思うけど、でも償う努力をすべきだと思う。人は簡単に他人の人生を奪うことができてしまうのかもしれない。だからこそ、その暴力性をリアルなものとしてとらえたい。頭でしか受け止められないけど。でも、やはり、「悪い人」というのは、存在するのだろうか。

事件の加害者のみを糾弾することも、被害者のみをまもることも、簡単だけどどちらも真実とは違うような気が頭ではする。事件の加害者としてのその人は、罪を償わなければならない。でも、そこにある問題とは一体なんだろうか。その人の人格か?それとも、家庭環境、差別、社会への鬱憤、自分への絶望、嫉妬、虚勢、他への暴力・・。犯罪はどうすれば防げるのだ?それらをどうやって反省させるのだ?全く自分の思考を超えた場所で、自分なんかに何ができるんだ、とゴマ粒みたいに思えた。

司法とは違う場所で、復讐という思いは存在するとしたら、ただシステム的に処理することに何の意味があるのだろう。二度と同じことを繰り返してはならない、ということを実現するために、何が必要なのだろうか。人間と向き合う、また人間のあやまちと向き合うとともにその人間の可能性を信じ、また被害を受けた人の立場も斟酌し、どう償うべきかを考えるということは、想像を絶する苦痛を伴うだろうし、きっと不可能と思う。

でも、社会は混沌であって、今GWだからと楽しそうな時間を過ごしているだけの自分のリアルとは、まったく違う。わたしは夢の世界でいきていて、現実へ戻るのが怖くてしかたない。でも、現実の世界へ入っていきたいと思う。入れていただきたいと願う。こわくて足がすくんでいるけれど。100%の解決なんてありえないけど。それでも、人間世界をちょっとでも救いのあるものにする一助となりたい。私は、どこへ向かっていくのだろう。夢物語で一生を終えるのか?
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# by jengsauman | 2009-05-03 00:38

さいきん

4月28日(火)
仕事の後で、地球ひろばへ行く。以前から勝手にあこがれていた平和構築に携わる女性の事業報告会に参加するため。実際に話を聞いてみて、改めてすさまじい世界、そして魅力的なひとだと感じた。と同時に、自分にとっての覚悟というものを改めて問うきっかけとなる。やらない言い訳はしない、という言葉は頭の中で反芻してはみても、到底実行してないと自覚しつつも、憧れる女性に少しでも近づきたいとおもう。ひとつの分野でも、少し知ればさらにわからなくなり、複雑で、何をどこからどうすればいいのかと思ってしまう。それが現実世界なんだと思う。突然交渉上手にはなれない。でも、一個一個のことがらについて、きちんと落とし所を持って、段階的に交渉していくことを重ねていきたい。いつかは、わたしも少しはできるようになれるだろうか。ああ、弱気。帰りに、すたばでチョコスコーンを買う。おいしい。

4月29日(水)
昼前の便で伊丹へ。なんばで母親と待ち合わせて、なんばパークスで昼ごはんを食べた後、ひろちゃんの結婚祝いを購入する。父と合流し、お茶して、旭屋よって、帰宅。帰りにあきんどで回転すしを食べる。たべてばっかりだが、おいしい。回転すし、ぶらぼう。

4月30日(木)
ひろちゃんと有馬温泉へ出かける。5年以上前から、「いつか2人で有馬温泉へいきたいな」と言っていたけど、まさか実現するとは思わなかったので言い続けていた感があり、実際にいくことになって驚きである。でも、うれしかった。まずは、神座にてはらごしらえ、その後買い物をして、有馬温泉へ。到着後、大量の飲食物を下げたまま、「いらっしゃいませ~」と出迎えられる。本当は持ち込み不可なのに、あまりに酒やペットボトルが重くて、台車に載せて運んでくれた。旅館の人が親切すぎた。
ひとやすみしてから、町をぶらぶらする。おみやげを買って、橋のところで写真を撮ろうとするが、誰も通りかからないので、橋に置いて自動でやってみる。距離感がつかめず、むやみに中腰になった写真が滑稽で相当笑えて気に入った。また、その近辺で、試食を配っていたおもち(外はしょうゆ焼きで中にあんこ)がめちゃおいしかったので購入。その店を帰りにとおりかかったら、サンプルをどうぞとくれた。めちゃええ人やん。
その後、母親への一筆箋を買って、氷(夜の酒用)を買って、宿から迎えにきてもらう。めちゃ親切。

有馬は思ったよりも人が少なくて、見るところも少ないけど、景色が奇麗で、なによりゆったりできる。旅館にかえってからは、窓の外をぼーっと眺めていた。

おふろに入って、夕食(懐石こーす)をいただく。目にも楽しみつつ、全部食べて、相当満腹であった。季節のものをたくさん楽しめた。

その後、露天風呂へいき、1時間以上粘る。最初居たり、途中で入ってきた人たちが誰もいなくなっていた。ゲラ笑いや、どうでもいい話が迷惑だったのではないかと、不安になる。部屋でもゲラ笑いしすぎて、隣から怒られないか心配だった。それくらい、ひろちゃんといると、本気で笑うか、本気で喧嘩するか、だ。

部屋に戻ってから、酒を飲み、おかしを食べて、夜中まで語る。法曹については、相当難色を示していて、相当厳しいことを言われた。お金はどうするのか、その道でないとだめなのか、等々。「大阪に帰っておいでよ、そしたら応援できるから」、と言われた。最後には、「あんたの行き遅れには相当心配やけど、やるならやりや」と半ば呆れ気味に、応援してくれた。今まで、これほど、わたしが話した内容に反対および難色を示したことはなかった。それほどに、この選択は、リスキーなのだと外から気付かされる。怖い。


5月1日(金)
朝食前に、干し梅と松の実とお茶をいただく。こういう細やかなさーびすに感動する。朝起きて、「あんたの寝相の悪さにはドン引きやわ!」と言われる。どうやら、暑くて浴衣を無意識に脱ごうとして半裸というか全裸に近い状態だったらしい。。自分でも相当引いたが、それの図を想像して自嘲する。

朝食後、用意をして、突然「天橋立いこうか!」と言い出し、北へ向かって出発する。丹波篠山や綾部を通って、到着。その後、知恩寺へお参りし、「三人寄れば文殊の知恵」と書かれた絵馬に、願い事を書いた。自分のために絵馬を書いたのは初めてだ。そして、海岸沿いを歩き、(でもひろちゃんが、こんなロマンチックなとこはあんたとは歩きたくないといってすぐに引き返し)、リフトに乗って上へあがる。そこから、股覗きをしてみたが、どこがどう天につながっているように見えるのかわからなかった。でも、とてもよい眺めだった。何度も、何度も、従兄のことを想う。

サイクルカーという昭和な乗り物に乗って、景色を楽しんだ後、カフェでわらびもちをたべて、したに下りる。おみやげを買って、大阪市内へ帰る。私の両親とまちあわせて、夕食会。その後、ひろちゃんに送ってもらって帰宅。たのしい、2日間でした。

こんなふうに、いかにもな女2人旅を楽しめるなんて、とても幸せなことだと思う。でもいつも脳裏のはしっこには、勉強のことがよぎっている。こんな強迫観念じゃだめだよと思うけど、怖い現実世界に向かって歩んでいきたい。
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# by jengsauman | 2009-05-02 23:17

この2日間

25日(土)
朝から、NPOのお手伝いにいった。10:00~15:00まで休憩もなく一心不乱に事務作業。
声をかけてもらえてとにかく嬉しい。なんだか爪先のはしっこだけでも居場所を見つけたような錯覚で。
でも、それは違う。違わないけど、人に判断してもらって自分が安心する立場のままではだめである。
その後、雨の中、歩いて英語授業へ移動。何も食べてなかったので、ちょっとふらふらっとしてみたけど、
ふと、土曜日に朝からこんなに集中して時間を使ったのは初めてか10年ぶりくらいではないか、と思い
自己満足する。こんなのだめだけど、仕事よりも集中していた。
ここには尊敬できる部分を持つ大人がいる、と思う。
NPO団体に対して、一概に否定的な考えを持つ人もいて、私もその傾向はあるけれど、そんなあやふや
な思いを持ったままでも、できる部分で関わっていって、感じて考えて交流することで判断すればよい。
すぐに答えを出さなくて良い。とにかく、来た波に乗るのが良い、と感じる。
でも、こんな消極的な関わり方で果たしていいのだろうか?という不安を抱えつつ。焦らない、焦らない。

何も期待していなかった場所での雑談から、自分が以前やろうとしてやらなかったボランティアをやって
いる人にも繋がったりした。壁が高そうと勝手に思って行動しなかったけど、私にでもできるかもしれない
という可能性を勝手に感じる。縁があればやってみよう。
こういう出会いがあるから、何でもいいから人がいる場所に出て行くのは可能性∞だ、なんて
おもってしまう。

英語授業は、あいかわらず楽しかった。けど、これをどう使えるようになるかが重要だから
たのしかった、イエーイではもったいない。

授業が終了後、最近マンションを買ったという会社の友達の家へ行く。
すでに4人が集まっていて、中華料理を作ってもらい、wiiをやって食べて飲んだ。
いかにもな過ごし方、と思いつつ、たまにはこんなのもいいだろうと思うことにする。
ほかの人は全員かえって、私だけお泊りした。夜中までwiiをする。



26日(日)
朝おきたら、とっても良い天気だった。
うさぎをつれて、近くの河川敷で散歩&すわり話をした。とっても気持ちよかった。
私もこのへんに引っ越そうかなと思ったくらい。治安も良いし、河川敷にもジョギング用の道があるし。
2時間くらいで家へ戻り、ベランダから景色を眺めていたら・・・・
見覚えのある建物が見えた。

こうちしょである。

位置的には近いことは知っていたけど、まさかベランダから見えるなんて、びっくりして倒れそうになった。

とともに、このマンションに住みたい、と思う。
このへんに住みたい、と思う。

こうちしょを日常の中でよりリアルに感じたいと思う。
それは、私の甘えかもしれないけれど。
そして、そういう方法でリアルにしてはいけないのかもしれないけど。

少なくとも、私にとっては非日常(=有休をとってわざわざ訪れるイベント的な場所)であるけど、
本当は、毎日、あの中にも日常があるんだということを、休日にベランダにて目の当たりにした。

その後、19時くらいまで、自分がやりたいことや会社のことについて話をした。
また、理想論爆発の世間知らずをやってしまったと思いつつ、いいのだ、いいのだ、と思う。
意志あるところに道は開ける、とおもうことにして。

帰り道、Hさんに紹介してもらった勉強法の本を読んで、ふと気づく。
試験対策は、合格する答案を徹底的に書ける回答マシーンになるための訓練なのだ、と。
機械的、ということばがすごくいやだけど、試験とはそういうものだと割り切ったほうがいいのかもしれない。
かんとんごの先生も、合格しないとやりたいことをする資格さえないのだから、それまでは辛くても
試験合格に徹底的に照準をあわせたほうがよい、と言ってたけど。
いまいち、割り切れない。

もっと迷いたい、学問として取り組みたい。刑罰についても考えたい。なんて、甘いのだ。
合格してからやりたいことをやればよい。なぜなら、合格せずにあれこれ考えたいのであれば、
法曹のことなんて考えちゃいけない。違う道を探すべきだからだ。
そんなに甘くない。

そうは思いつつも、機械的に数年勉強した自分は、数年後果たして疑える人間でいられるのだろうか?
もうつめこんだ知識を適用するだけの人間になっているんじゃないかという不安で、覚悟できない。
それなら、少なくとも、定期的に強制的に疑う環境を残して、あとは徹底的に取り組めば良いんじゃ
ないのかって思うけど、そんな環境が見つからないと嘆いている。

ああ、もう。うっとおしい。

けど、帰宅して、広東語や英語の教材が山になっているのを見て、ふと、
これらについての取り組み方も、どれだけ中途半端に斜に構えていたのかと気づく。
私の目的はあくまで、「使えるようになること。回路を作ること」であって、学者になることじゃない。
もっと、日々の鍛錬や繰り返しにフォーカスすべきだった。

潔癖を捨てよう。こわいけど、おそるおそる、機械的な部分を8、そうでない部分を2くらいにして、
取り組んでみる覚悟を持つのがスタート。
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# by jengsauman | 2009-04-26 22:00

この3日間

水曜
ゼミの友達の結婚式に送るとらっきー電報に声をふきこむため集合。かしわなべを食べる。

木曜
おねえちゃんの家へいく。おにいさん特製のおこのみやきを食べた。相当まいうだった。甥っ子がだいぶ反応するようになって、手をだしたらものをくれるようになった。「ありがとう」というと、相当うれしそう。かわゆし。

金曜
弁護士のHさんとあう。約束の時間になっても現れないので、電話してみたら、まだ事務所の最寄り駅だった。なめとんかと相当腹が立ったが、依頼者の相談が長引いておりまして・・と後で相当あやまられたので、まあいいかと思う。しかし、弁護士になったら、友達減りそうと思った。親友じゃないと理解してくれなさげ。
どじょうを食べにいった。LSの勉強の仕方をワードにまとめてプリントアウトしてくれた。ひたすらインプットとアウトプットの繰り返しらしい。それにしても、なぜか相当親切で、「いつでも相談してください」を連発される。この人は神の使者か?と思う。下心があるという雰囲気でもないし、とても不思議な人だ。仕事が楽しくて仕方がないという私の周りでは唯一の人だ。
食事の後に本屋へいって、おすすめの文献を紹介してもらった。一冊だけ買って帰宅した。
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# by jengsauman | 2009-04-25 07:05

本当にいいのか?

許してください、と甘い考えを持っている。
人の命にかかわることなのに、とっても甘い考えを持っている。
簡単に許してもらえるとどこかで期待している。
まったくもって、言語道断。なのに、単純化したい衝動にかられる。

こんな世界に首をつっこんで、何もできやしないんだから、逆に傷つけてしまうだけなんだったら、
自分が傷つくだけなんだったら、無力と悟って何もしないほうがいいのか。
母親に「手紙にそんなん言ったらかわいそうやん」って言われただけで、
ガラガラと崩れていく気がした。

私がやってることは、ほんとはまったく意味がない自慰行為のか。人を傷つけているのか。
そんなこと確認のしようもないし、分からない。
もしそうだとしたら、私はまた何をしていけばいいのか、完全に道を見失う。
でも、現実は現実だ。でも、現実がなにかは分からない。
知りたいけど、知りようがない。
諦めたくないし、諦めたいけど、諦めたくない。

もっと切り込まないと。でも、もっとそっとしとかないと。ぜんぜん分からない。
でも、自分だけが傷ついたり、道を見失ってる場合ではない。

やれることをやろう。目の前にあることをやろう。人に会いに行こう。

本当にいいのか?なんてきっと死ぬまで分からない。
報われなくても、腹をすえて向き合う勇気と覚悟を持てるのか?
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# by jengsauman | 2009-04-22 02:41

人と会う

今日は、会社の飲み会に参加した。調子にのって飲みすぎた。
シャンパン、梅酒そーだ2杯、キールかなんか、足や節々が痛い。
アルコールに弱いんだから飲むなっちゅうに。

収穫があったかどうかは分からんけど、行ってよかった。
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# by jengsauman | 2009-04-22 02:35
先日、ツタヤのキャンペーンでCD4枚1,000円というのがあったので、借りた。
ショパンのピアノ協奏曲を借りようと思っていったのに、なぜか福原みほという人とアンジェラ・アキをかりた。

福原さんの「anymore」という曲を気に入って聴いていたが、あまりに聴きすぎて飽きてしまった。
その歌詞の中に、傷ついていけという歌詞があって、そこが気に入って何度も聞いた。
しかし、それを聞きながら向かった大学院の説明会は、自分の手帳への記入ミスで、前日に終わっていた・・。
当面、大学の前で立ち尽くした。何が傷ついていけやねん、その前にしっかりせえやとか思った。

しかし、傷ついていくというのは、本当に難しい。
傷つくことを一番に避けてきた人間が、ある日突然傷ついていけるわけがない。

今日も、CDを返しにいったら、ツタヤのエスカレータで、表参道の美容院○○の者です、と話しかけられた。
別に怪しい風貌ではなかったけど、怪しい人かもしれなかった。

わたしは、とっさに「そんなんじゃないんで」とかいうわけの分からないことを言って立ち去った(というか逃げた)。
変な人だったかもしれないけど、なんでそういうことから逃げ回るのだ。

まさに、体感治安の悪化により、何でもかんでも怪しそうなものは避ける。
自分の安全な世界でのみ生きる。つまらないよ、ほんましょうもない。

帰り道、なぜ話だけでも聞かなかったのかと後悔した。
怪しい人だったかもしれないけど。それでも、何かを知れたのかと思うと、損をした気になった。
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# by jengsauman | 2009-04-22 02:29

ゆらぎ

昨日は、バレエの日だった。とはいえ、ほとんど先生と話しているあいだに時間が過ぎてしまった。
ひさしぶりに、不安を吐露したくなって、先生はきいてくれた。
そこで感じたり、言われたりしたことを思い出しながら。。


ゆらぎは当然存在してよいのだ。
でも、受け止めていくことで、そのゆらぎの幅や頻度は少しずつ小さくなる、のかな。

そして、苦しいと思えることも、そのまま受け止めたら、何かが見えるのかもしれない。
自分の乏しい想像力をはぐくむために、それらの苦しいと思われる事態は現れている、かもしれないから。

季節や天気なんてどうでもいいと思っていて、とってつけるように話していただけだった。
今もたいして変わらないけれど、ふとそこにあるもの(のようなもの)を感じるときがある。
きっと先生が、いつも花を大事にしていて、風や空や大地を感じるように促してくれるからかもしれない。時々は、ふとそこにある現実に目を向けられる気がする。「穀雨」なんて、何と美しいのだと感動した。まさに、雨というものの存在意義や、長年続いてきた地球との繋がりを鈍感な自分でも少しだけ思いをめぐらせる。でも、そんなことすら気づかなかった自分は、一体なんだったんだろうという空しさも感じる。小学生の頃のような目線。あの田舎は宝だったのかもしれない。都会では、近視眼的にならざるを得ない。会社では、目標や利益を考えざるを得ない。でも、そんなもの、頭が考えたことであって、身体の叡智から湧き出たことではない。でも、全否定するのも違う気がする。だって、企業があるからこそ、世の中が成り立っているのだから。もっと、曖昧でいいのかもしれない。あれとこれの足してニで割ったもの、とか。割り切れないもの、とか。

そんなスタンスでいても、単なる現実逃避だよ、かもしれない。
でも、よく分からないもやだらけの目前で、私は今も迷い続けている。
ともすれば、正しい未来を欲しがり、確証や形や証明を手に入れたくて仕方がなくなる。
そして、そちらに向かって再度走り始めた時、わたしはまた自らの生命力にふたをし、既存の誰かと自分を同一化して、誰かになろうとし、自らの生命から目を離していっていることにすら気づかない。
それならば、まだ、現実逃避でも、生きているほうが幸せなのではないか。そんな思いを抱いた1時間だった。

先生に「頭で理解しようとすることは当分しないほうがいいよ」、と言われて、ドキっとした。
「今年の年末くらいまでは、知に走らず、身体を動かしたほうがいいよ」、と。
「特にGWなんかに本読まないでね」、と。
それに対して、わたしは「それは無理です」、といって笑った。

読書を失うと何が残るんだろう。電車の中で、何すりゃいいんだろう。
やることないよ。そして、わたしは読書やひとり考えのようなもので、自身の世界の多くをつくっているのだと気づく。リアルから遠くて、どこか凝り固まっているような。

別に、何かをやったらあかんのではなくて、何をやってもいい。先生はそういいたかったんかもしれない。

目標はあったほうがいい、と思ってきた。
何かを意識的に積み重ねていくことが、確実な道で、成功への道なのだと。
それはそうかもしれないけど、でも、それが自分を決め付け、苦しめ、枠に入れ込み、ただ反復を求めるのであれば、そんなこと、しなくったっていいんじゃないかという思いもある。

先生は「あのね、言ってしまえば、ほかの人がやってることはやらなくていいんだよ」といった。
誰かの言う正しさは、私にも有用であるかもしれないけど、害になるかもしれない。それでもやはり、わたしは誰かの正しさを捨てられない。法曹になれば、人を救える、という観念にがちがちになっている。他人を救えるわけなんてないと思いながら、でもほかの仕事よりはずっと人に近い仕事ができるはずだ、と。でも、自分が救われていないのに、人に寄り添えるわけはない、と思う、やはり。

「なぜ今のままじゃだめだと思うの?」と聞かれて、「このままじゃ、しゃ、しゃ、社会の役に立たない人間で・・」と言ってる自分が、とてもうすっぺらく思えた。自分が言っていることと思っていることが違うような気がした。せんせいは「社会の役に立たない人間はそもそも存在すらできないんだから、存在している時点で役に立つということなんだから」ととても真っ当なことを言った。これについては、まったくぴんとこなかった。でも、自分が言っていることもぴんとこなかった。

先生は、「人はね、やらなくてもできることはわざわざ与えられないんだよ」と言った。
そうだとすると、やみくもに人と同じものを欲しがらなくてもいいんだという安心材料になる。
自分が親にならないのは、親にならなくても十分親として必要なものを既に持っているからであって、親になれないのではない。親になるということは、親になって学ばないといけない何かがその人のミッションとしてあるということなのかもね、と言った。

先生は、親ではないけれど、「足りない、欲しい」と思っていない。無理して親になろうとしていない。これが自分に与えられたミッションである、と自分に与えられた方法で、こうして大人と向き合い、ある意味教育をしていて、生命力をよみがえらせている。こういう人がいなければ、世の中はどれだけ孤独で殺伐だろうかと思わずにはいられない。もし、私が結婚することがなかったとしても、子供を産むことがなかったとしても、それはそれで受け入れられるようになりたい。その分、自分ができることで、人の生命力とかかわっていけるようになりたい。でも、それは、無理やり決めたことではなくて、ふと与えられたミッションなんだろう。だから、やっぱり考えてもしょうがない。

「もうね、この数ヶ月ですごく変わったよ。顔も、声も、生命力も。だから、何にも心配してません」と先生は言う。わたしは、この数ヶ月で何も変わってないと思う。だから、あいかわらず焦っていて、早く答えがほしくて、ゆらゆらしている。先週末くらいから、2年前くらいに毎日見ていた悪夢を見るようになった。夢の中で、殺されたり、殺したりする。また、自分の心がすさんできて不安定になっているのかと思い始めていたが、そうでもないかもしれない。たとえ、そうだったとしても、それを受け止めよう。私に必要なものなのだ、きっと。あれほどリアルに死の恐怖や痛みを感じることなど、現実を除けば夢以外ではありえないのではないか。そういう意味では、夢はわたしにリアルではないにしても、何かを与えてくれると思う。

いろんな思いが交錯する。それでも、できるだけひとりで考えることをやめたい。
先生は、「まだ半年しか経ってないよ。ハッハッハ。季節が一巡りもしていないですよ」といった。
あたしはやっぱりいらちなんかなあと、考えつつ、考えるのをやめようといいつつ、また考えつつ、歩いて帰った。
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# by jengsauman | 2009-04-22 01:58

マザーハウス

半年くらい前からバッグを探していた。
パソコンやノートや参考書や本や電卓や手帳やおかしや上着やなんでも入るどでかバッグ。
半年くらい、ときどき百貨店やおみせをめぐってみたけど、これというのに出会えず、
マザーハウスで買いたいなと思っていたけど、なかなかこれというものに出会えず、
毎日、かばんと紙袋2つくらいを下げてあるいていた。

先日、マザーハウスのめるまがで、前にほしいと思った形のレザーが出たと知り、
早速おみせへいってみたら、1個だけ店頭においてあって、お店の方といろいろ話して
これも縁だと思って買うことにした。
¥35,000

こんな高い買い物は何年ぶりか。
それでも、買い物って、贅沢とか消費とか欲望とか刹那的とか悪いイメージがあったけれど、
最近は、買い物で自分の思いを実現することができるんじゃないかと思うようになった。

あれもこれもやりたくてもそんなことは無理。
それなら、自分が「この会社なら」と思うところで商品を買う。
そのお金が事業拡大や社会変革につながれば、それってとても幸せなことだ。

やればできるのにならない、やるチャンスがない。そう思っている。
でも、やればきっとできるんだということを知りたい。そして、伝えたい。
失敗はする。そして、失敗をいかす。支える。いちどかかわったら責任を持つ。
そうすることで自分も救われるんじゃないかと思う。

茨の道とおもっているけど本当にそうか?
わたしは生きるチャンスがまだある。
それに賭けることができる。
もし試験に落ちても、すべてを失うわけじゃない。
そこからまた見える世界があるのだと思う。
だから、躊躇している自分の背中をおそう。おして、転んでも、また昨日とは違う自分になろうとすれば
なにかは見えるだろう。
世間から叩かれても、ぶれない軸を持つために。

山口さんの取り組みをテレビでだけだけど見ていると、
勇気をもらうことができる。
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# by jengsauman | 2009-04-18 14:59

雑用

仕事の多くは雑用と調整だ。
調整調整調整、雑用雑用雑用。いらいら、いらいら、いらいら。
自分だけしんどいつもり。

今日、そんな話をしていたら、となりの部署の部長がぽつりと「おれ、何してんかようわからんわ」
とこぼしていた。他部署へのヘルプや、いろんな人との調整、突然の相談やいろいろ。
もしかしたら、どの部署も、どの立場も、同じような思いを抱えるものなのかもしれない。
違うかもしれない。

組織にいるとそんなもんかもしれない。
でも、人が集まると、調整と雑用が大半を占める。

法曹はもっと雑用だらけかもしれない。

でもふと、直接お客さんから「ありがとう」って言われる場所にいたら、
どれだけ報われるだろうって思う。

近所の大好きなうどんやさんの店員さんのほうが、自分なんかよりもずっと豊かな人生を送っている
気がして、むなしくなったりもする。そうだ、小学生のときは、難波にあるうどんやさんになることが
夢やった。

でも、やっぱり、ねごねごねご。
この組織にいる以上は、そこでできることを増やすしかない。
捨てるのはいつでもできる、批判するのも簡単、だからやれることを増やす。
それでもやっぱりちょっとは報われたい。それが人間のよわさなんかなあ。
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# by jengsauman | 2009-04-16 23:31