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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

リスタート

昨日という日の実感があまりない。
私はあまりに普通に友に会い、普通に話し、食べ、そして甲子園に行った。
どういう風に文をかいていいか、久しぶりによくわからない。
今はそういう気分。

私は自分の駅発の電車に乗り、一番前の席に座った。
目の前に線路がただ続く。
でも、これをずっとたどっていけば、友に繋がる。
それが前はとても怖くて、どうすれば避けられるか、それしか考えてなかった。
でも、今日は私はそれを目指してこの電車に乗っている、いや、むしろそんな特別な
思いさえなかった。自分が昔、自分の体型にとらわれていなかった時、好きなように
人に会い、人とかかわり、繋がっていた時にとてもよく似た感情だった。
ただ、あたりまえのように友達に会いに行く。相手にどう思われて、相手をどう
不快にさせてしまうか不安でしょうがなくて、自分を取り繕うことで頭が一杯だった
私とは少し違った。
電車に乗って、たとえ人の視線が自分の太い足にあるように思えてもそんな自分を
鼻で笑えた。「まあまあ、そんなんどうでもええやないか」と。

あたしはそのあたりまえに人に会いに行く感情をとてもとても不思議に思った。
おとといの女友達に会いに行くときもこれと似た感情を持ったけど、
それ以上に更に自然だった。不安と対極にある自然さ。なんて言葉で表わせば
いいか全然思いつかない。とても安全な、とても自然な感情。
それに戸惑いながらも本当に嬉しかった。私はずっとこれを求めてたんよね、きっと。
私は自分の頭で混乱させた自分自身が何を求めているのかさえわからなくなって
いたけれど、それが一つまた分かった。こうして自然に「自分」に戻っていけばいい。

本当はもっと不安になると思ってた。
だから、ある意味「あれっ」って感じで、おかしかった。
電車に乗りながら、これまでの経過を考えたり、友とのこれまでの関係を思い返したり、
いろいろするつもりだったのに、全部どうでもよかった。
だって、全部過去だから。
私にとって重要なのは、今のあたし、そして今の友、そして今の私たち。
過去を今さら持ち出すことに何の意味もなく思えた。

だから、電車の中で私は本を読んだ。深く共鳴する。

誰が正しく、誰が間違っているかは重要なことではない。
本当に重要なのはコミュニケーションだ。
人々が互いに理解しあえるようにすることだ。
これは難しいことだよ。
そこにかかわるすべての人がそういう方向に向かって努力しなくては
ならないからね。
しかし、君が変えられる唯一の人は君だけだ。
君は他の誰も変えられない。


そう、本当にそうだ。私は私を変えることしかできない。
でも、私は私を変えることはできる。
そして、他者も少しでも同じ方向に動いていると期待する
勇気を持つことで、自分の存在をより他者と相互補完関係にできる
んじゃないかなと思う。相互依存でなく、相互補完。共存。

そういうことを考えてるうちに、駅に着いた。
そして、明後日会う予定の友達に電話した。
むこうから電話があったみたいやったからかけたけど、
それだけじゃなくて、私は友に会う前にその子と話して再度自分の気持ちを
確固たるものにしたかった。大丈夫だ、と。
さすがに駅に着くと、少しドキドキした。でも、それも心地よかった。
なんせ、もう5年ぶりくらいだから。それを楽しむのもいいかなあと。
電話を切って友を探す。

しかし、ヴィトン前という場所がどこを指してるのかわからない・・・。
がーん。。あたし、ほんまに大阪人!?
そう思ってたとこに友が電話してくる。
「そこ行くからおって」と言われて「はい・・・」と。
少しきょどる(笑。

ちょっとしたら、むこうで電話を片手にキョロキョロしてる友を見つけた。
「うわ~~~なつかしい!!」
と思った。超超久しぶりで、なつかしくって、もう嬉しかった。
眼が合った瞬間にむこうも私に気付いた。
そっか、これだけ太ってもみんな結構分かるのね(笑)と思った。

あえてなにも触れずに、普通にしゃべった。数年ぶりであろうが、なかろうが、
そんなことどうだって良かった。
あたしはほんまにあの場所で、あの空気で、友にまた会うことができて、
それだけで嬉しかった。

とりあえず地下鉄に乗る。
淀屋橋で下りる。梅田に向かって歩く。
怖くなかった。ちょっとだけ怖かったけど、怖い範疇に入らない程度だった。
だって、何もこだわってないから、あたし。少なくとも、そうしようという意思を
持ってるから、そうできなくてもまたその思考に戻れる。
今の姿が現実であって、それ以外ではありえない。

スタバでしゃべる。お互い何も変わってないわけじゃないけど、
今からだって遅くない気がした。
友とあたしは親友ではなくて、実はあまり知らないことも結構ある。
でも、何かずっと繋がっていて、何かずっと気になってきた存在。
私はいつも虚勢をはっていたけど、こうしてこの人の前で
こんなにダメでよわっちい自分を見せられることがすごいことに思えた。
それは、どんなに形式的に意義あるように思えた過去のもろもろの
ことよりもずっとずっとずっと。

スタバを出てから、梅田に歩いた。阪神百貨店に行く。
地下で買い物する。もちろん、食べ物。
私は無理してなかった。向こうも自然だった。それがいい、そういうのがいい。
サラリーマンやからな~とおごってくれた。

それから阪神電車に乗る。
うわ~めっちゃめちゃ久しぶりの阪神電車。
ちょうど「ノンストップ特急 甲子園行き」があったので乗る。
そのネーミングが電光掲示板に出てるのがツボにはまった。
しゃべってる間に着いた。近いな、さすがノンストップ。と思ったが、
そこで、友の突っ込み
「でもさ、これって通常ダイヤの間の臨時特急やから、
結局必要以上にとばされへんから別に速ないやん」って。
よくよく見たら、結構なノロノロ運転(笑。
たしかに止まってへんけど、速くもない(笑。

甲子園に着いた~~~~~~!!
こんな駅だったっけなあ。久しぶりって何もかもがキラキラして見える。
駅に着くともうすんごい人で、テンションが上がりまくり。
神宮やドームの比じゃない!なんせここは甲子園!!
しかもライトスタンド!!!!!

中に入ると、あの風景が見えた。
あのすごい広がり、あのすごい熱気、そして人。
ああ~ここに来たなあと思う。
ずっとずっと、約束しては破り、約束しては破り、
それを繰り返して数年、また昨日それを破ろうとした私を
優しく制してくれたこの友に私は心からお礼が言いたかった。
会ったときからすでに心があつーくなってたけど、ここに来たら更に。

試合は最悪だったし、暑くて暑くてしゃーなかったけど、
ほんまに行ってよかったと思った。ほんまに。
それにしても1点くらい入れろよ・・というのはおいといて、
私はふとした瞬間に自分の体がもっとこうだったら・・と思った。
けど、そんなこと秒殺できるようになった(笑。
「それは過去の結果としての今を点でしか見てないからでしょ」と
瞬時に思えるようになった。
あたしが見るべきなのは、もちろん「現実」。
でも、あたしが自分を変えようとするときにみるべきなのは「未来」。
現実を嘆きの材料にするなんて、ほんまにナンセンスや。
あほらしい。だって、そうやったって何にもプラスに変わらへんもん。
そんな暇があったら、今どう動いて未来をどう変えるか考えろ~~
と自分に指令を出せる。

友が私の姿をみてどう思ったか、確かに気になったことは事実。
でも、敢えて自分からはその話を出さなかった。
ここで「いや~すごい太ったな」といわれても、
「いや~別にあんま変わらへんやん」と言われても、
全部どうでもよかっただろう。そんな言葉、必要なかった。
「あたし太ったでしょ」と自分を落とすこともしたくなかったし、
意味もなく謝ることもしたくなかった。
あたしの現実はここにしかない。

ただ、そう思えてもやっぱり不安な気持ちは完全に払拭することは
できなくて、だから私は帰り道で少しだけ過食したい衝動に駆られた。
そのとき、本当に考えた。「この衝動は何で起こっているのか」。
きっと不安だったんだろう。あんなに普通に優しくされたら余計に。
本心では「こいつやばいなあ」って思ってるんじゃないかと友を疑う気持ち
が存在したのは事実。だけど、あたしはそれを無視し、ポイと捨てた。
そんなこと考えたくなかった。それが私の本心から出る意思だった。

友との別れ際、「また連絡まってるわ」という言葉が聞こえた。
私という人間を表面でしかみてないと思ってた友が、たとえ偽善者であろうが、
何であろうが、私の内面を知ってもそれを受け入れ、ちゃんと話をして
くれたことに私は、「ああ、友達ってこういうもんか~」って思った。

歪みすぎて、逃げすぎて、距離の取り方がわからなくなった私に
「当たり前やん」という態度できっつい大阪弁連発してガハガハ笑う友が
心地よかった。俺ビール腹やからUFOキャッチャーのあれでつかんだら
でいっぱい取れるわ~って言ったのが、めちゃ笑えた。
あたしも同じように言うことはできんけど、
心の中ではそういう心もちでいれたらええなあ。

別れてから、電車を乗り換えて、座っていたらメールが入った。
普段、友からメールが来ることはほとんどないからびっくりした。
あたしを応援してくれていた。。。すげーなあ、あたしには同じ情況で
同じことができるかどうか自信ないわ。
別に何の言葉もいらなくて、ただ「今日は会えてよかったよ」って
言うので十分だった。
あたしのほうが何倍もそう思ってたと思うけど(笑。

私は思う。
友達にさえ自分の弱みを出せなくなっているということは、
それが既に自分へのシグナルだと。
友達を含めて、自分の周りにいる人は、私が過食や拒食を持っている
という表面的事実なんかどうだっていいんだと思う。
驚くことはあるかもしれんけど、それ以上でもそれ以下でもなく、
「あ、そうなんや」と受け止めるのみ。きっとそうすることしかできないし、
その事実をああだこうだ言っても、何も建設的でないと分かってるから。
問題の根本はそんなことではない。
もしその事実自体でどうにか思う人がいたら、きっとその人自身も自己不在だ。
だから、そんな反応に傷つく必要なんてない。

何もできんけど心はそばにいるからと言ってくれる。
それが一番私を支えてくれるんだと気付いた。
苦しい時に、3回に1回くらいは(笑)、「くるしいよう~」と叫べる場所がある。
それ以上に幸せなことがあるんだろうかと思う。
価値観がどうとか、理解とか、同情とか、もうそんな頭で考えることなんて
どうだっていい。ただ、その存在が愛しい。
私は私しか変えられない。でも、変えようともがいてまた訳わからんくなってる時に、
「まあまあ、そんなキリキリせんと、休み休みいきや~」と
オアシスのように私を救ってくれる人がいる。
それにちゃんと気付けてよかった。ほんまに。

数ヶ月前、私の一番の友達に話したとき、その子は私に病院の資料と
CDと手紙を送ってきてくれた。そこに
「あんたの力になりたい人は、あんたの周りにめっちゃいっぱいおるんやからな。
それだけは忘れんといてや。」
って書いてたのを覚えてる。
そのときは、全然わからなかった。どこにおるねん、と真剣に思った。
というか、その情況になっても、まだ人に頼りたくないと思っていた。

数ヶ月経って、私は自分が自分で壁を作って、何も見えなくしてたことを痛感した。
私のそばにはとても心が温かい素敵な人がたくさんいたのに、
自分が逃げてただけだったんだ。人に自分の内部を開示するのが怖かった。
それに、言っても分かってもらえなかったのが怖かったけれど、
他人のことなんて分かるわけないんやから、そこはどうだってよかったんや。
そうじゃなくて、ほんまに自分が人の中で活かされていることに気付くべきだった。
本当に罰当たりすぎるわ!反省しろ、あたし!(笑

自分が自分の現状を受け入れることは、本当に苦しい作業だと思う。
自分の理想から乖離すればするほど、自分という存在がいろんな
方向から引っ張られて、引き裂かれて、もう何が何か分からなくなる。
空中分裂してしまいそうな気がする。
でも、そんなときこそ、人に自分のことを叫べる勇気を!
自分が「そんな人いない」って思っても、本当はいる。
絶対に居る。ただ、自分が見ないようにしてるだけで、
探せばその場所は必ず近くに存在すると思う。
もし私にできることがあるなら、苦しむ人のそばにいること
しかできないかもしれないけど、あたしがこうして救われたように
誰かのそばにいて、その人を大切に想いたいと本当に思う。

ここのところすごい思ってた。昨日更に強く思ったこと。
自分の現在の姿を、自分の過去を知る人に知らせるのは本当に苦しい。
だけど、そこを重点にするんじゃなくて、本当の闘いはその後だ。
自分の現状を他者に伝えることによって、私はまだ多少ゆがんでたとしても
自分の状態を理解している。何が問題かも大体分かっている。
そして、あたしの考えることを知ってくれた他者がいる。
その情況こそが始まりに過ぎない。
今までは何も見えてなかった。今は少し見える。でも甘える場所もある。
でも、それに甘えすぎちゃ、一生前に進めない。
友達や近しい人は彼らには彼らの生活があり、苦しみや悩みがある。
私は彼らを大切に思いつつ、いつも心の中で気にしつつ、でも自分と
闘わないといけない。それが今の私に必要なことなんだと思う。
だから、あの子はあたしの摂食障害を知ってくれてるから、ちょっとくらい
甘えてもいいや、という思考はしたくない。あたしは、やっぱり今の自分で
できることを最大限にやりたい。もちろん、愚痴を言ったりするのは問題ないけど(笑。
そういう個同士として尊重できあえる仲になれたら、ほんまに素敵やなあって思う。

だから、今の私がたとえまだ這い上がり段階で、まだまだ自己不在で
まだまだ不健康で、自分を自分で管理できない状態だとしても、
今をスタートだと思えばいい。以前をリセットするという意味ではなく、
リスタート。過去を全部肥やしにして、また歩んでいく。
これからをプラスにしていけばいいんだ。
最悪の状態を友達に見せてしまえば、そこから良くなるしかないやん(笑!!
そして、これから良くなる過程で、良くなる度に、
今の状態をネタに笑っていきたい、と思う。
自虐じゃなくて、この現実も、あの過去も、私は本当に大切に思っていて、
それを愛しく思ってるからこそ!

まとまりがなさすぎるまま結局最後まで来ちゃった。
でも、私は7月30日を記録的な阪神の大敗(大袈裟)とともに、
自分の駒をまた一つ前に進めることができたこの温かい1日として
ずっとずっと覚えてるだろう。

ほんまに、ほんまに、ありがとう。
by jengsauman | 2005-07-31 02:35