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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

変化

ここ数日のあたし。

仕事をはじめた。そして分かったこと。ものは考えようだ。流せばいいことは流して、
自分を高めることができるようにとらえる。

姉と離れて関係が元に戻った。そもそも全く違う人間だからこそお互いを尊重できて
いたのに、近づきすぎて、期待してしまって、私が甘えすぎて、いろんなバランスが
崩れただけだった。
あのころ、毎日外で音がするたびに帰ってきたのかと思ってドキドキした。
責められるのではないかとドキドキした。話すべきことをそらすためにしょうもない
ことを確信犯でいろいろ言った。今何かあっても悲しまないかもしれない、とまで思った。
でも、今が一番いい。あたしがもっと自分を大切にして、もっとがんばれば、
さらにいい関係になれると思う。とはいえ、お姉ちゃんの面倒見の良さに甘えて
しまっているけれど。あたしはあたしでできることを返せばいい。
目下の目標は、おねえちゃんを台湾旅行に招待する。一年以内に実現できたらいいけど
ちょっと無理かな・・。来年中には。

愛を信じられるようになった。依存を捨てようと思うだけでなく、行動にうつしはじめた。
先生がメールをくれた。「小さな女のこ・・そんな感じがします。」という言葉を見て、
自分の中にその姿を見た。そして、それでいいんだ、それがあたしなんだ、と
やっと抱きしめられた。やっと自分の小さな姿を否定することなく、それを
それとしてみることができた。すさまじい衝撃だったけど、
とっても暖かい瞬間だった。先生に、そう感じたことを伝えたら、
「『小さな女のこ』と打ちながら、○○さんを心の中で抱きしめていたんですよ。
感触も残っていますよ。通じるんですね」
という言葉を見て、もうドッカーーーンだった。
何か感情の堰が切れたかのような、なんかわからんけど、
それが美辞麗句ではないことが確信できたとき、
他人が自分の何も持たない姿をそのまま抱きしめてくれるということが
信じられるようになった。
きっと、愛ってこういうことなんじゃないか、と感じた。

マザー・テレサの言葉に、「愛の反対は無関心」というのがある。
今、あたしは日々その言葉を胸に焼き付けている。
自分が他人に対して無関心であることを制するだけでなく、
本当は自分に無関心な他人に拘る自分を制するためだ。
対人依存も、対食依存も、いろんな依存の正体は自分の頭の中にある。
自分に無関心な他人に拘ることは、一番卑怯で厄介な手法だと思う。
何かに必要とされている錯覚を起こしても、本当はそこには何の信頼も
発生していないから、壊しようもないし、傷つかない。
抜け出せるのは、自分が決意して、行動を変えることでしかない。
自分を大切にしようよ。自分をゆがめているものを捨てようよ。
人と向き合って、人を愛そうよ。きっとできるよ。そう感じるのです。

世の中にはいろんな人がいる。
でも、人を憎んでも、人をせめても、同情しても、何にもいいことなんてない。
関わらなければいい。関わらなきゃならないならば、反面教師にすればいい。
決して、自分と同一化して共依存になったり、人ばかり見つめて自分をほったら
かしにしたりすることで自分は救われない。人は変えられない。

新宿ジュンク堂で読書していたら、夜回り先生の本があった。
この言葉が印象に残った。
求めろ。出会いでしか人は成長しない。その出会いは求めなければない。
一歩お前が踏み出さなければ絶対手に入らない。
踏み出したらいやな思いをする。いやな思いをしたとき引くな。
もう一歩求めろ。だって寂しいんだから。
寂しさこそが生きる原動力。
寂しいから求めて傷ついて逃げたらもっと寂しくなるぞ。
この闘いは負けちゃいけない闘いで、前にしか進めない闘いなんだ。


これは一意見だとは思う。けれど、とても共感する。

韓国人のSと会った。ひさしぶりに、女同士で腕組む韓国スタイル。
でもけっこう楽しんでいたりする(笑。
そのまま新大久保へ行って、彼女のルームメイトのバイト先
に行った。オンニがいろいろサービスしてくれた。韓国語でしゃべってくるのは
嬉しいけど、何いってるかわかりません。。
クレヨとカムサハムニダ連発でごまかす(笑。
でも、勉強したいなら手伝うといってくれた。
Sはあたしよりも若くて、話が合わないことも多々あるが(笑、
彼女から得られることもこれまた多々ある。
なんちゅうか、そんな感じでいいんだろうなと思う。
人と人の関係を厳密に考えたり、意義を考えたりしはじめたら
もう独りよがりになってしまって、それは現実ではない。
私の心の中にその関係が存在するのではなく、
あたしと彼女のあいだに関係が存在するのだから。

先生が「小さな女のこ」と書いてきてくれたのは、
私が今の状況を99%くらい全部書いたからだった。
これからやりたいことを言うことで誤魔化してきた部分が大いにあったけど、
本当は「今陥っている現実」をそのまま言わなければならなかった。
先生は何度も聞いてくれたけど、いえなかった。
かっこつけだけじゃなくて、切実な存在肯定願望だった。
だけど、言っちゃったら、そこに自分がいた。
何も隠さなくてもいい。
何も悪いなんて思わなくていい。
そういう安心感の先にぽつんと居たのは、ちっちゃい女のこだった。
それが自分なんだ・・・・。へぇーって思った。
こうすればいい、なんて道はないのだから、
そこから人と一緒に歩いていきたい。
弱い自分でも、ありのままの自分を抱きしめて、
そして大切な人のためなら、強くなれる気がする。
そういう「人のため」だったら、自分から逃げるための誤魔化しでも
ないし、人も喜んでくれるかもしれないから、いいんじゃないかな、と感じる。
今、大切にしたいのは、想うことでも、考えることでもなく、
実際に人のために行動することであり、人のそばにいることだ。
誰でもない小さい女の子でしかないあたしだけど、
人を愛して、その人を支えるために強くなることはできる。
まだ孤独でも、まだ誰もいなくても、自分が求めれば
きっとずっと孤独ではないはずだよね。

愛なんて信じない。男なんてみんな同じだ。
友達だって利害で動いている。
どこかでそう思って、それを覆すことをあきらめていた。
でも、それを覆そうとするんじゃなくって、
今を生きたいと思ってみようと思う。
今の自分を変えたいのだけど、まずはもっと体重を落としたい。
と思ったら、そこで終わってしまう。
けど、体重は急には減らないけれど、化粧やスキンケアを
かえることはできる。人との関わり方をいろいろとかえて
反応をみることもできるよ。体重はロングスパンで考えるとしても、
それ以外のことって、結構今の瞬間から変えていける事に気づいた。
体重、と思うと、それ以外のこと全てが無意味に思えて、
それ以外のこと全ても放棄して、全てがとまってしまう。
いつもそうなら、永遠に何も変わるわけがない。
勉強のしかたも、人との付き合いかたも、ベターな方法があるなら
どんどん変えればいい。
持ち物も、好きな色も、人への言葉も、いろいろ試してみればいい。


夜回り先生が言っていたけど、
可能性、可能性というけれど、もともと可能性があるんじゃない。
今を重ねていく上で結果として生まれてくるものなんだ。って。
自分の可能性や挑戦を信じることも大切だけど、
見えないなにかに押しつぶされそうならば、まずはそれを置いておいて、
今日一個だけ昨日から何かを変えることに尽力してみたら
30日経ったら、30箇所違う自分がいる。
私は長い間、見えない可能性、挑戦、から逃げていると思い込んで
現実を見られなかった。でも、そんなもんなかったんだ、と気づいた。
同時に、今目の前にあるチャンスこそが、あたしの可能性だと。

そんなあたしはぬぼーっと生きているようで、
心に翼が生えた気がする。少しだけ。
by jengsauman | 2006-01-24 14:24