過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

「Little Birds」

という映画を見た。実は監督が高校の先輩だと後から知った。
ずっと見たいと思っていたけど、今日やっと念願がかなった。
トークショーつきで、始まる前に10分くらい話して本編に入った。
「人間の死にフィクションはない、というのが絶対的な事実」と
何度も繰り返していたのが頭に焼きついた。

本編は、イラクの庶民の家族をとりあげて、その真実の姿を追っていた。
監督は、イラク戦争が始まる前からイラク入りし、爆撃が始まった様子も
それで傷つき、命を失った人々も、そのことに絶望し、憎んでいる人々も
カメラを通して撮っていた。監督自身が、銃を持ったアメリカ人兵士に
「もうこれ以上罪のない人たちを殺すのはやめてくれ」と詰め寄ったり、
「これは何のための戦争なんだ!」と詰問する様子は、正直怖かった。
襲われてもおかしくない、いつ命を落としてもおかしくない状況の中で、
自分の信念を通せることはどれほど勇気が必要だろうか。
有る意味、狂っていないとできないのかもしれない。

私は、イラク戦争が始まったその日、中国に居た。
となりの部屋は、イラク人の家族が住んでいて、近くにアメリカ人の友達も
住んでいた。部屋の前のソファのところで、2人があったとき、
イラク人がこういったのを今も覚えている。
「アメリカもブッシュも憎いけど、彼は友達だから・・・・」
そう言うのにもいろんな思いが混在して苦渋の表情だった。

リアルとは、私の想像を絶する場所にあった。

私の前の部屋は、北朝鮮の学生の部屋だった。
私のルームメイトは韓国人。他にもたくさんの韓国人が居た。
北朝鮮の人たちは、他国の人間と口をきいてはいけないと決められていて
いつも無視して素通りだった。何を言っているか分かるのに一瞥さえできない。
でも、一度だけ、とても親切な人が思わず助けてくれたことがあった。
彼らも対話すれば通じ合える、と信じた瞬間だった。
多くの韓国人の友達は、統一を夢見ていた。
口だけだった人もいるかもしれんけど、ほとんどの人がそれを願っていた。
しかし、現実は、朝鮮戦争休戦中なのだ。
朝鮮半島は、38度で分断され、板門店には双方の軍が常駐している。

イラクだって、いまだに戦争は続いている。

それは、私の人生とはとても遠いところで起こっているように見えて、
本当はとても近いのだと思う。
少なくとも、イラクの人にとって日本は極めて近い国だ。
自分たちを解放すると謳って制圧し、攻撃し、支配しているアメリカの
仲間以外の何ものでもない。

想像力を保ちつづけるには、あまりに厳しい現実。
そして、その現実を知る術があまりに少ない。
そう言い訳して、そこにある情報だけで分かったつもりになる恐ろしさ。
監督がこの映画で伝えたたくさんの死は、
私たちそれに警笛を鳴らし続け想像力を保つことを教えてくれた。

しかし、映画を見た瞬間、その日は、胸がいっぱいになっても、
意識が変わりましただの、想像力が大切ですだの言ったって、
それでじゃあ「具体的にどう意識を変えるのか?」
「具体的に私は何をするのか?」
「具体的に想像力をどう保とうというのか?」
「昨日までと何を変えるのか?」

それがなければ、ただの感動ドラマと同じ。
こんなに胸がいっぱいになったるもりで、明日になったら忘れる。
都合のいいときだけ、感傷的になって、命について考え、
戦争と平和についてえらそうに語り、自己満足して終わる。
本当は「ひとごと」だからこそ、そんな風に簡単に答えを出して
結論を語ったりできるのだ。あまりに人間の汚さや弱さに満ち溢れて
いて、どうしようもない気持ちになったものの、それが苦しくて
ついつい分かったふりをしてしまう。恐ろしい。
最低最悪のパターンだ。
そんなのなら、最初からリアルなんて、真実なんて
求めないほうがまだましだ。
そのほうがよっぽど一貫している。

イラクだけではない。
監督は、昨日まで沖縄に居たらしく、大学で上映会を行っていたらしい。
そのときに、主催者から「窓をあけて上映したらどうでしょう?」という
申し出があったらしい。
窓の外から聞こえてくる音と、映画の中の音が、全く同じであることに
気づくのだ、と。

日本に居るから気づけないんじゃない。
自分で気づこうとしてないからだ。
自分で目をふさぎ、耳をふさぎ、これ以上自分が混乱することを恐れているからだ。
正解がない問いから逃げ続けているからだ。
それは、戦争や軍事に対してだけではなく、自分の人生に対しても。
だから、今までこうしていろんなものに蓋をして生きてきたんやないか。
それが自分を護ってくれたとしても、いつかはそれをぶっこわさないと
いけない。

「私たちが何をしたというの?」
「欧米では好きに勉強したり、仕事したりできるのに、どうして
私たちは命を落としていかなければならないの?」
その問いに答えられる人などいないだろう。
その理不尽さ、その不平等、その矛盾はれっきとして存在している。

私は、恥を忍んで言えば、今までこうした映画を見て、自己満足していた。
自分が、意識が高いのだと思い込むことで、自分を認めたかった。
その内面は何も変わらないまま。

しかし、あの田舎の学校の先輩が、たとえそれもたくさんある見方の
一つに過ぎなかったとしても、こうしてリアルに向き合っていることを
こういった作品を見ることで知れたのは、単なる偶然ではないと思う。
私に足りないものといえば、努力とごりおしと気合と根性と諦めない心くらいか。
そんなもん、自分でなんとかできるだろ。
それよりも、今この作品に出会えたことをどう行動に移したらいいのか、
それを考えたい。

摂食障害を完全に治せないままでも良い。
自分が救われたい気持ちも持ったままでも良い。
でも、そこだけに停滞するのはやめよう。
私たちは、どんなに苦しい思いをしているつもりでも、
圧倒的に恵まれている。
それは、つらくてどうしようもないときには、聞きたくもない言葉で、
つい耳をふさぎたくなるけど、真実は何だろうか?
そして、そんなリアルな世界で、自分は身ひとつで何ができるのか?

身体を完全に解放することをずっと目標にしてきたけど、
今はそんなことよりも、自分の実力をつけたい、と願う。
危ない方向に走り始めているかもしれない。
けど、癒し癒しに走りすぎて、私は道を見失いかけていた。
どこかで、「まともに勝負せえや」、と怒鳴っている自分がいた。
両方をバランスよくできたらいいけど、人生そんなに長くはない。
こんなに恵まれてるあたしがこのまま何もしないなんて
命を無駄にするにもほどがある。
何かができる、何かをしたい、というよりも、腹の底から起こってくる
どうしようもないエネルギー。
やらなければ、嘘になる。

もし機会があれば、この『Little Birds』をぜひ見てください。
http://www.littlebirds.net/
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by jengsauman | 2006-02-25 02:21