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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

自分らしく

結婚式なんてうざいと思ってて、どうし出ないといけないのか、などと考えていた。
自己満足の押し付けなら、もう見たくないと思っていて、
できることなら、このまま一日家にいて、だらだらとDVDでも見て思考停止していたら
どんなに楽ちんだろうか、と。

それでも、Nさんの結婚式で見た同じテーブルの空席を見て、こんな寂しい風景はないなあ
と思ったことを思い出して、なんとか起き上がる。
美容院にいこうとして、湘南新宿ラインに乗ったら、恵比寿とまらんし。
美容院遅刻するし。すっぴんやし。あほやなあ、あたし。注意不足でまた自己嫌悪。

でも、美容院で見た雑誌にこんなことがかいてあった。

「いつも人のために。」

お風呂にはいってて、お湯を自分のほうにもってこようとして、自分のほうへ動かしても
お湯はは逃げていくように。向こうにもっていこうとするとこっちに動いてくるように。

人と人は網の目のように繋がっている。のだとかいてあった。


私は、また決め付けしてるやん、とおもった。
彼女は何でも手に入れて、私は何も持ってない。そんな決め付け。
あのころ、私たちは同じように、何ももっていなかったのに、
私は自分を隠し、傷つくことを避けることにエネルギーを注いで、
過食症とどろんこになって、ひとりでいるうちに、まったく生産的でない日々を過ごし、
間違った道を歩み、いつのまにかこんなに差がついていた。そんな決め付け。
そんなこと思ってないのに、思いたくもないのに、声を大にして言うことができないから
簡単に否定して、済ませようとするのだ。

わたしは、そんな決め付けや、人の立ち位置で人生を見ることに慣れすぎて
自分はこの場所にいない傍観者か、評論家か、ようわからんけど、えらそうで
さみしくて、かなしくて、ずるい、そんな場所にいることを許される場所を選んで
生きてきたけれど、私は傍観者になることで、自分を殺しただけではなくて
友達のとも、正面からぶつかっていなかったと思う。

だから、わたしは、彼女にあいにいった。

結婚式は、すばらしかった。白金台のハウスウエディングで、目が点になるほど
の豪華でアットホームな式に、たおれそうやった。
しかも、スピーチとかだけやなくて、各テーブルの代表者に質問リレーとかいうて、
なんと、引き出物袋のなかをみたら、あたしが代表者やん~~。ヒーー。

わたしは、正直、めちゃくちゃうれしくて、でもめちゃくちゃてんぱって
しろワインを3杯一気飲みした。ふふふ。緊張した。

わけのわからんことをしゃべっている間、友達は昔とぜんぜん変わらん笑顔で
爆笑してた。その横にいるだんなも、にこにこしていた。

私が結婚式が苦手な理由は、あの作られた感満点なワールドに
ついていけないからだ。結婚式とはそういうものだよ、とはいえ、ひねくれものな私は
「おめでたがる」わざとらしい行事だとおもってしまう。
もちろん、感動して涙する場面もあるが、それは数時間のうちの数十分・・・。

あそこまでお金をかけて、時間をかけて、何かを「作る」ことに意味があるのか?
いつもそんなことを感じつつ、感じないふりをしていた。ただの妬みやんって言われるから。

でも、別に「正しいかたち」なんてないんだ、と彼女の式でわたしは知った。
とっても、彼女らしい、楽しい、周りをまきこんだ時間。
決め付けてたのはお前やないか、と私は自分に言うた。

結婚もしてないのに結婚を語ることはできないけど、
結婚式のために式をするんじゃなくて、必然性があるからするんだ、と初めて思った。
感謝という言葉を、ただ言うんじゃなくて、空気で、笑顔で、気遣いで表すことが
できるんだと知った。

私がひっかかっていたのは、きっと必然性なんだろうとおもう。
なぜ、それが必要なのか、なぜそれでないといけないのか、全然わからないことへの
違和感。
それは結婚式だけじゃなくて、自分の選択、発言、行動すべてに対して。
自分が自分に違和感を感じてるから、外からのものに否定で返してしまう。
ただ、それだけだ。感じられない不感症なだけだったのかもしれない。

友人の結婚を機に、いろんなことを思い出して、思いをめぐらした。
あちゃーと思い出すのも嫌なことがほとんどだけど、
なぜ嫌かというと、違和感ばっかりだからだ。
誰かから借りてきたような正しさをかざそうとして生きていたあのうそ臭い、
でも必死な自分が目に浮かぶと、もうどうしようもない気持ちになる。
あほやなあ、でもあほでいいねんで、もっとあほになろう、って言いたい。

誰かと一緒にいて、誰かと籍を入れて、家族を作っていくことは
おめでたいことなのだと言う。でも、結婚=おめでたいことだからではなく、
友達が、自分が自分らしくいられる場所を見つけて、また新しい生活を
はじめたことに、感慨深さを感じた。

私は、あと2ヶ月くらいで叔母になるけれど、うまれてくる彼に対して、
何かを見せるのではなくて、一緒に考え、感じることができる存在になりたいと思う。
かっこいい叔母ちゃんっていうのも憧れやけど、そんな器ではないもの。
それに、○○な○○さん、っていうレッテル貼りは、思考停止のはじまりやから
甥っ子には、一緒になんでなんでって考えよう、体験しよう、っていう叔母ちゃん
でいたい。姉が妊娠したときは、あと10ヶ月でまともな人間にならないと!って
焦ったけど、そんなん全然無理やし!あほか、オレ。

甥っ子だけやなくて、いつも人に決め付けを押し付けすることだけはしないよう
気をつけていきたい。自分の経験なしにものは語っちゃいけないけど、
経験があるからって、こうなんだということも恐ろしい。
そんなん言うたら、何も言われへんやんって思うけど、
自分が納得できたことは言えばいいんだと思う。
by jengsauman | 2007-11-04 20:49