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過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

プロフェッショナル(松山のおばちゃん)

先月、松山へいったとき、素敵なおばちゃんに出会った。
とある料理屋のおばちゃん。

松山について、とくにあてもなく、ホテルのロビーにあったパソコンで調べてみつけた1つの小さいおみせ。
おばちゃんは、「よくこの店見つけたね!」とびっくりしていた。
すごく、かわいくて、きれいで、すてきで、いっしょうけんめいな女性だった。

おばちゃんは、私が「ジュースください」といったら、目をまんまるくして「う、ウーロン茶にしてね」といって、ペットボトル2Lのサントリーのウーロン茶(あけさし)をどんと置いてくれた。好きに飲んで、と。

で、私のおなかに手をあてて、「おなかすいたでしょ。すぐつくるからね」といってくれた。

おばちゃんの料理は、とてもおいしかった。

そして、おばちゃんはいろんな話をしてくれた。

「私は、ただ働きは全然平気よ!私ができることでお返ししたいの」と言うていた。
その顔は、誠実で楽しそうでまっすぐで、綺麗で軽快だった。

そう、おばちゃんは軽快なのだ。

わたしはそんな姿をみて、「そうかあ、それも1つのやり方だよね」と身体で感じたのだった。
儲け主義なら到底評価されない無駄な部分を、「人が喜んでくれればいい」といってとってもとっても大事にしているのがすごく美しかった。

おばちゃんは、いろんな苦労をしてきたんだと言っていた。
むかしはとある料亭のおかみで休みもなく働きづめだったこと、上の人にいびられたこと、姑との関係、モデルみたいなことをやらされて自分が自分でなかった、夫が亡くなってひとりでお店をやってきたこと、など。

それでもおばちゃんは、「今はすべてに感謝している」と言っていた。
それは、しめくさくなく、それでもとっても複雑で、なんともいえなかった。

夫さんが亡くなってから、ひとりでお店を続けてくるのは大変だっただろう。
でも、やはり、専門(おばちゃんの場合は料理ともてなし)があるって、おおきいことなのかもなあとおもう。それを全身全霊でやっていくことはもっと大変だろうけど。

おばちゃんは、お店が居場所なんだといっていた。
あまり外で活動はしないらしい。
人と一緒にいないと寂しいんじゃないかって、私は思ってしまうけれど、
いろいろなことを経て、たどりついた場所で、ただただいとおしい仕事をしていることが
おばちゃんにとって幸せなことなのかもしれないと思うと、
私ってなんて頭でしか判断できない浅瀬みたいな人間なんだろうと思ったりした。

おばちゃんは、初対面で、もう来るかどうかも分からないわたしたちにとても親切にしてくれて、
いろんなものをくれた。

私「おばちゃん、この漬物おいしいね」
お「これねえ、とっても有名な鹿児島のね。あ!1袋あげるからもっていきなさい」
私「え・・こんなにもらっていいの?」
お「いいのいいの。ふふふ」


私「おばちゃん、お肌きれいだね」
お「あのね、私ほんとは人に言わないようにしてるんだけどね。これなのよ(といって最高級こんぶをとりだす)。これを水につけてね、顔にぬるとすごくいいのよ。もっていきなさい」
私「えーーこんな高級なの、もらっていいの?」


こんなやりとりばっかりして、あげくの果てにおばちゃんは、わたしたちが帰ろうとしたら、
「ねえ、コーヒーのんでいかない?」といって、隣のカフェへいってコーヒー頼んできた。笑

そして、おばちゃんは、松山で有名なおせんべいをあげたかったのに、今ストックがなくて
残念~~~。と何度も何度も言うので、「おばちゃん、またくるよ」といっていたら、
やっぱり気になったのか、紙をだしてきて、「ここに住所と名前かいて。送るから」といって
後日、ほんとにおくってくれた。

おばちゃんは、ほんとに今年であった女性の中でNO.1のすてきな人だとおもう。
ものをくれるからじゃなくて、そうして人に尽くすことがしあわせなんだと言えることが、
そして、それがほんとに口だけじゃないようなのが、
すごいな、と圧巻だった。尽くすということを、実践しているひと。
オーラがあって、やわらかくて、深くて、うつくしい。

おばちゃんのことが頭から離れない。
やっぱり、人ってすばらしい。と思わずにはいられない出会いだった。

いろんな意味で、プロフェッショナルだった。
by jengsauman | 2008-11-25 23:31