人気ブログランキング | 話題のタグを見る

過食症を経て、一つ一つの日常を見つめる記


by jengsauman

この2日間

25日(土)
朝から、NPOのお手伝いにいった。10:00~15:00まで休憩もなく一心不乱に事務作業。
声をかけてもらえてとにかく嬉しい。なんだか爪先のはしっこだけでも居場所を見つけたような錯覚で。
でも、それは違う。違わないけど、人に判断してもらって自分が安心する立場のままではだめである。
その後、雨の中、歩いて英語授業へ移動。何も食べてなかったので、ちょっとふらふらっとしてみたけど、
ふと、土曜日に朝からこんなに集中して時間を使ったのは初めてか10年ぶりくらいではないか、と思い
自己満足する。こんなのだめだけど、仕事よりも集中していた。
ここには尊敬できる部分を持つ大人がいる、と思う。
NPO団体に対して、一概に否定的な考えを持つ人もいて、私もその傾向はあるけれど、そんなあやふや
な思いを持ったままでも、できる部分で関わっていって、感じて考えて交流することで判断すればよい。
すぐに答えを出さなくて良い。とにかく、来た波に乗るのが良い、と感じる。
でも、こんな消極的な関わり方で果たしていいのだろうか?という不安を抱えつつ。焦らない、焦らない。

何も期待していなかった場所での雑談から、自分が以前やろうとしてやらなかったボランティアをやって
いる人にも繋がったりした。壁が高そうと勝手に思って行動しなかったけど、私にでもできるかもしれない
という可能性を勝手に感じる。縁があればやってみよう。
こういう出会いがあるから、何でもいいから人がいる場所に出て行くのは可能性∞だ、なんて
おもってしまう。

英語授業は、あいかわらず楽しかった。けど、これをどう使えるようになるかが重要だから
たのしかった、イエーイではもったいない。

授業が終了後、最近マンションを買ったという会社の友達の家へ行く。
すでに4人が集まっていて、中華料理を作ってもらい、wiiをやって食べて飲んだ。
いかにもな過ごし方、と思いつつ、たまにはこんなのもいいだろうと思うことにする。
ほかの人は全員かえって、私だけお泊りした。夜中までwiiをする。



26日(日)
朝おきたら、とっても良い天気だった。
うさぎをつれて、近くの河川敷で散歩&すわり話をした。とっても気持ちよかった。
私もこのへんに引っ越そうかなと思ったくらい。治安も良いし、河川敷にもジョギング用の道があるし。
2時間くらいで家へ戻り、ベランダから景色を眺めていたら・・・・
見覚えのある建物が見えた。

こうちしょである。

位置的には近いことは知っていたけど、まさかベランダから見えるなんて、びっくりして倒れそうになった。

とともに、このマンションに住みたい、と思う。
このへんに住みたい、と思う。

こうちしょを日常の中でよりリアルに感じたいと思う。
それは、私の甘えかもしれないけれど。
そして、そういう方法でリアルにしてはいけないのかもしれないけど。

少なくとも、私にとっては非日常(=有休をとってわざわざ訪れるイベント的な場所)であるけど、
本当は、毎日、あの中にも日常があるんだということを、休日にベランダにて目の当たりにした。

その後、19時くらいまで、自分がやりたいことや会社のことについて話をした。
また、理想論爆発の世間知らずをやってしまったと思いつつ、いいのだ、いいのだ、と思う。
意志あるところに道は開ける、とおもうことにして。

帰り道、Hさんに紹介してもらった勉強法の本を読んで、ふと気づく。
試験対策は、合格する答案を徹底的に書ける回答マシーンになるための訓練なのだ、と。
機械的、ということばがすごくいやだけど、試験とはそういうものだと割り切ったほうがいいのかもしれない。
かんとんごの先生も、合格しないとやりたいことをする資格さえないのだから、それまでは辛くても
試験合格に徹底的に照準をあわせたほうがよい、と言ってたけど。
いまいち、割り切れない。

もっと迷いたい、学問として取り組みたい。刑罰についても考えたい。なんて、甘いのだ。
合格してからやりたいことをやればよい。なぜなら、合格せずにあれこれ考えたいのであれば、
法曹のことなんて考えちゃいけない。違う道を探すべきだからだ。
そんなに甘くない。

そうは思いつつも、機械的に数年勉強した自分は、数年後果たして疑える人間でいられるのだろうか?
もうつめこんだ知識を適用するだけの人間になっているんじゃないかという不安で、覚悟できない。
それなら、少なくとも、定期的に強制的に疑う環境を残して、あとは徹底的に取り組めば良いんじゃ
ないのかって思うけど、そんな環境が見つからないと嘆いている。

ああ、もう。うっとおしい。

けど、帰宅して、広東語や英語の教材が山になっているのを見て、ふと、
これらについての取り組み方も、どれだけ中途半端に斜に構えていたのかと気づく。
私の目的はあくまで、「使えるようになること。回路を作ること」であって、学者になることじゃない。
もっと、日々の鍛錬や繰り返しにフォーカスすべきだった。

潔癖を捨てよう。こわいけど、おそるおそる、機械的な部分を8、そうでない部分を2くらいにして、
取り組んでみる覚悟を持つのがスタート。
by jengsauman | 2009-04-26 22:00